2章・第2話 異世界へようこそ②
私は多大な労力によって先刻起きた出来事が現実のものだと認めるに至り、同時に世界の認識を改めた。今なら地動説を突き付けられた坊主達の気持ちがほんのりと理解出来る気がしたが、私は器の大きな人間になりたいので目の前の現実に目を背け自分達の世界に閉じこもる事はしなかった。
「異世界ってどんな所なのですか?」
「そうですねえ。異世界といっても私が知っているのは自分の身の回りの世界だけなのでその全容を語る事は出来ないのですが、少なくとも私の住んでいた所はこちらで言うところのヨーロッパは西欧、ルネサンスの時代を彷彿とさせる場所だと思います。ちょっと離れた場所に行けば蒸気文明、スチームパンクを彷彿とさせる場所もありますし、やはりこちらの世界も多種多様ですね」
「ああ、それ興味がそそられるな」
「興味を持ってもらえて何よりです。ただ、彷彿とさせるというだけでこちらの世界と同じというわけではないです。とりたてて大きく異なるのは、魔法を用いた技術が使われている事ですね」
「魔法を用いた技術、ですか」
「はい。プロメテーシスと呼ばれるのですが、そうですね、それはこちらで言うサイエンス、科学にあたるものです」
「成程」
「ちなみになのですが、電車に近い乗り物もあったりしますよ。ですから、表皮は近世的なのですが、内実はこちらで言う現代的な技術が各所に導入されています」
「ほー。ちなみにそれって電気エネルギーを使ってるわけじゃないんですよね」
「はい。その辺りがこの世界と私がいた世界の大きな違いですね。私達はこちらでの電気エネルギーをマナと呼ばれるエネルギーで代用しています。その意味において、こちらの世界と私達の世界は根本的な部分で異なっていますね。枝葉の部分は似通っている箇所も多いですが」
「なんか凄いですね。ちなみに聞いてみたいんですが、そちらの世界は私達と同じ人間ばかりなんですか? 勝手な想像なんですが、そういう世界なら、色々な種族がいそうです」
私は小学生の頃に読んだファンタジー小説を思い出す。そう、ファンタジーには伝統的にゴブリン族やドワーフ族等の人間以外の種族が登場するのが定石なのだ。別にヒルデさんのいた世界をそういうファンタジー世界などと決め付けているわけではないが、魔法が存在する以上、彼らのような存在がいたってなんら不思議ではあるまい。
私の問いに、ヒルデさんはこくりと頷く。
「ええ、仰る通りです。私達の世界には、亜人、と呼ばれる人達がいます」
「亜人、ですか」
「あら、もうあまり驚かないのですね」
「いえ、表に出していないだけです。それに、先程自分の足元がぐらつく程に驚きましたから」
「ああ、すみません。私が唐突に切り出したから」
「ああいや、いいですよ別に。それより、その、ここまで聞いたから聞いてみるのですが、ヒルデさんは亜人だったりしますか?」
「ええ、そうなんです、実は」
なんとなく想定はしていたが。私の心の中に高揚とも戸惑いともとれない気持ちが湧き上がった。もっとも、既に静かな高揚感には包まれている状態だったのだが。
「何だと思いますか?」
ヒルデさんは聞いてくる。私は少し考えて、やはりこれだろうとすぐに結論付けた。
「ひょっとしてエルフとか」
耳は長くない。しかし、耳が長いというイメージは後世の創作だと聞いた事がある。ならば、気持ち一つくらい耳の尖っている彼女がエルフであったとしてなんの不都合があろう。そして、どうやらそれは当たっていたようで、金髪の美少女はその青い瞳を爛々と輝かせていた。
「凄いですね、どうして分かったんですか?」
「いえ、何となく勘です」
「勘、ですか」
「ええ。それより、可笑しな話ですね。エルフって言っても北欧神話に登場する妖精が原型の筈。なのに、異世界にそっくりそのままいるなんて、何というかその、変テコだ」
「すみません。さっき自分がエルフだー、みたいな態度を取ってしまいましたが、正確にはエルフそのものというわけではないです。只、特徴的には似通っていたので大雑把な括りで言えばエルフでもいいかなーと思ってます」
「成程ですね。それにしても、そんな異世界人である貴方がわざわざこちらに来た理由は何なのでしょうか? まさか、只私に会いに来ただけな訳ないですよね」
そもそも、何故私に用があるのかも分からない。私は異世界になど行った事もない。神隠しに遭った事もない。特に身に覚えがない。
少しの間の後、ヒルデさんはゆっくりと口を開いた。
「そうですね。改めて理由をお話しますと、理由は二つあります。一つ目は、とある物が私達の世界からこちらの世界へと持ち出されてしまったからです」
「とあるもの?」
「はい。私達はスフィア、と呼んでいます。身も蓋もない言い方をすれば魔法の道具なのですけど、それは、その、持ち主に尽きない魔力を与えてくれるという一級品なんです。それは本来、私を指導してくれている先生の館で埃をか、厳重に管理されていたのですが、ある時何者かに盗み出されてしまいました」
「それで、その何者かがこちらの世界に持ってきてしまったと」
「はい。そもそもこの世界の存在を知っている者だって、私のいた地域では数える程しかいません。しかし、その思い当たる誰もがこちらに渡ったという痕跡が掴めないのです。そこで、私達はこう考えました。ひょっとするとこちらの世界の住人が私達の世界に来て、スフィアを奪っていったのではないかと」
「う~ん」
「どうしました?」
「いえ、そもそもなんでこちらの世界に持っていかれたと分かったのでしょうか?」
「そうですね。それはあさひさんのおっしゃる通りなのですが、ですが、こちらの世界に持って来られた、そう考えるに至ったのは確たる理由があるんです。それが」
そう言って、金髪のこの美少女は私の方をじっと凝視する。
「ごめんなさい、私のお粗末な脳では行間を読み取れませなんだ。出来ればその視線の意味を教えていただきたく存じ上げますが」
「スフィアが無くなったと気付いた時でした。本来スフィアの置いてあった場所にこんな書き置きがあったのです」
ヒルデさんはポケットから丁寧に折り畳まれた紙片を取り出し、それを私に渡した。それを開くと、それはキャンパスノートを破り取ったもので、そこには、
スフィアはいただいた
返してほしくばこちらの世界へ参るが良い
よみをかえるのだ
菅原あさひ
ディオゲネス倶楽部より
などと書いてあった。
「こちらの世界に持ち込まれたと考えるのは、こんな書き置きがあったからです。あさひさん、何か、心当たりはありますか?」
ヒルデさんは言った。そして、その字に私はとても心当たりがあった。
そうだ、これはあの森須京介が持っていたものと同じものではないか。何故、異世界に?
「どうしました?」
ヒルデさんは怪訝な顔をして私の顔を覗き込む。今更気が付いたが、彼女はくどくない甘さの、フルーティな匂いを発していた。許されるものならばこのまま嗅ぎ続けていたいものだが、私は変質者ではないので早々に意識から匂いの事を掻き消した。
「いえ、なんでもありません。ですが、菅原あさひ、ね」
「はい。長くなりましたが、このスフィアが一つ目の理由となります。そしてもう一つの理由は貴方が、いえ、おそらくはそこの手紙の持ち主が私の事を呼んだからなんです」
「ヒルデさんを呼んだ?」
「はい。『そんな所で油を売っている場合じゃないわ。こちらの世界に来なさい、秘密基地へ集合!』なんて言葉がその書き置きを手にするなりいきなり頭に響いてきて。何故私なのかは分かりません。だから、その理由も確かめなければいけません」
「それが、二つ目の理由ですか」
「はい」
そう笑顔で答えて、ヒルデさんはゆっくり立ち上がった。
「私の話は以上です。あさひさんがどうするかは自由なのですが、多分、否が応でも貴方は関わらざるおえなくなるかと思います」
「それはまた、難儀な事になっちまったな」
「大丈夫ですよ。少なくとも貴方に害意が及ぶ事はないかと思います。これは私の勘なのですが、スフィアを持ち出した方は貴方を困らせたいのかもしれませんね」
「一体私が何をしたというのだ」
ふふ、とヒルデさんは微笑む。中々重大な事になっているようなのに、何故彼女はこうも呑気そうなのか。
「貴方と話していると、なんだか懐かしい気分になれますね」
ヒルデさんは言って目を細める。相変わらず優美な仕草だ。
「あさひさん、長々と付き合わせてしまいました。ごめんなさい」
「いいですよ別に」
「ねえ、あさひさん」
「はい?」
「最後になっちゃったけど、その、敬語じゃなくて、ね。これからもっとフランクに話したいな」
両手の指を合わせ、伏し目がちにヒルデさんは言った。
「あ、ごめん。余所余所しかったね」
「ううん。全然いい」
ヒルデさんは笑った。稲穂のような綺麗な髪が夕日を浴びて一層その輝きを増していき、その様はさながら豊穣の女神であった。
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