3章・第5話 幼年の日の思い出①

 学校もどきの件があった後、私をなるべく一人にしないようにヒルデさん、千道さん、古月君と交代で私のボディガードみたいな事をするようになった。今日もそうだ。登校時は千道さんが、放課後はヒルデさんがそれぞれ見張る事にしていた。そんなに大それた事しなくてもいいのにとも思ったが、彼らの好意の手前そんな事も言えず、また、同じ様な目に遭うのもたまらないとも思っていたので私は黙って受け入れた。

「はあ」

 昼休みの食堂。やたらと生徒の混み合う中、定食の注文待ち状態の私はつい無意識にため息をついてしまった。それを隣で同じく定食を待っていた裕子が見ていたのか、「どうしたの?」と尋ねてくる。

「ねえ裕子はさ、タイムマシンって聞いて何思い浮かべる?」

「タイムマシンねえー。まあ青狸かな」

「ああ、そういえば彼はそんな道具も持ってたね」

「後はタイムマシンというより、タイムリープって感じだけど、女子高生が時をかけるやつとか。アニメの映画」

「ああ、ザ・青春って感じのあれか」

「なにあさひ、何かやり直したい事でもあるの?」

「あるような気もするけど、まあまだそれを強く願う程人生踏み外してないつもりよ、私は。それよりは強いて言うなら、過去の時代を見てみたいかな。古代ローマとか、行ってみたくない?」

「私は手短に大正あたりかな」

「それもいいわね」

「にしてもさ、あさひ」

「何さ」

「最近いい事でもあった? 気の所為かもしれないけど、君に感じていた毒がほんの少しだけ抜けたような気がするのよ。良い解毒剤でも見つけた?」

「まさか。むしろ忙しなくて困ってる」

「いいじゃん。忙しない忙しない、大いに結構じゃない」

「なんだそりゃ。忙しい事といい事は噛み合わないでしょう」

「噛み合わない事もあるけど、噛み合う事もあると思うよ。何かに夢中な人は確かに忙しいだろうけど、人生を楽しんでる感じがしない?」

「そりゃそうだけど、私のは憂鬱なため息よ」

「へえ、それはそれは大変な事で」

「いや、ほんとだから」

「いいんじゃない、あさひ。君は高校生の癖に達観し過ぎなのよ。偶には馬鹿みたいに踊り狂ったって許されると思うな」

 食堂のおばちゃんから出された定食を受け取る裕子。お先、そう言って裕子は開いてる席に向かって歩き去っていった。

「全く」

 踊り狂った結果、恥の思い出を作ってしまったらどうするつもりなのか。世の中には思春期の暴走を古傷のように抱えている人間もいるというのに。

 私は建設的に生きたい。誰かの特別になりたいだとか、自分にも他人にもこだわりたくないだとか、恋が分からないだとか、そんな青臭い青春のおままごとに興じるつもりはない。そんな事より考えるべき事は山程ある。勉強しなければならない事がある。確かに先の事先の事を考えすぎて延々と今を楽しめないのは愚かであるが、今を楽しむ事に重きを置いた結果が将来的な人生の破綻では笑い話にもならない。学生は、漫画やアニメと違って案外遊んでいる暇などないのだ。

 高校生活、楽しい?

 ええ、今のままでも楽しいとも。寂しいだとか、物足りないだとか、そんなものは。


       〇


 タイムマシンという言葉についてそれとなくクラスメイトに聞いたりなどしてみたが、上原君に聞くと「消したい過去でもあるの?」などと裕子と同じような事を聞かれ、明石君に聞いたら話が転んで往年のタイムマシンSF映画について熱弁されてしまった。

 結局、怪文書に書かれた事については何も手がかりは得られず、私は千道さんに守られながら大人しく帰宅の途に着く事にした。

 道すがら、千道さんは私の状況を指して「まるで騎士に守られるお姫様だね」などと言っていた。なんてロマンチストな言葉だろうと私は思ったが、あろう事か私はそれに対して「姫って男も女も選り取り見取りでうはうはなのかね」などと心にもない事を言ってしまった。

「ひょっとして疲れとる? ちゃんと栄養取って、余計な事考えないで早く休んだ方がいいよ」返ってきた答えがこれであった。その時の千道さんの顔を私は向こう数年間は忘れないだろう。

 家は市内の住宅街にある二階建て一軒家だ。取り立てて特徴もない家だが、両親がせっせと働いて建ててくれたものだ。私も生まれてこのかた住んでいる場所でもあるので、スクラップアンドビルド方式で建てられたのであろうが、この家には格別の愛着がある。

 家に帰った私は部屋に鞄などを置き、シャワーを浴びるとそのままリビングに行った。

「あさひ、珍しいな」

 父は私がリビングにいる事に微かな驚きを含めて言った。それもその筈である。いつもは食事の前後くらいしかリビングにいないのだ、私は。しかし、今日に限ってはどうも部屋に寄り付く気が起きなかった。

 ディオゲネス倶楽部。まさか家に居てまでちょっかいをかけてくる事はないと思うのだが、昨日の件が気になってなるべく一人でいる事は避けたかったからだ。

「ねえ、ひろし」

「ん、なんだ?」

 リビングで野球中継を見ていた父は気怠げそうに振り向く。ひろしとは父の名前だ。何がきっかけだったか判然としないが、私は両親の事を名前で呼ぶようにしている。今更お父さんだのお母さんだのと呼ぶのも気恥ずかしいので直す気もないし、両親も名前で呼ばれる事を全く気にしていないので、そのままでもいいかと私は思っていた。

「変な邪推とかそういうのしないで聞いて欲しいんだけどさ、タイムマシンって聞いて何か思い付くものない?」

 私がちらとテレビに目を向けると試合はどちらも一向に点が入らず、膠着こうちやく状態の続く単調な試合と化していた。

「タイムマシン?」

「そそ、タイムマシン」

「なんだ、やり直したい事でもあるのか。そいや、お前小さい頃に近所に住んでたなっちゃんをよく振り回しては何度も困らせてたっけ。なっちゃんがどぶに突っ込んで泥まみれになった時は大変だったし。ああ、ひょっとして、あの時期の事を後悔してるのか」

 よく覚えてるな、この親父は。私は父の記憶力に感心すると共に呆れる。

「しかし、あんな天真爛漫なお転婆娘がこんな風になっちまうなんてな」

「こんな風って何よ。そういう話はいいから、タイムマシン!」

「あ、ああ。タイムマシンね」

 ひろしはぽりぽりと頬を掻いてから、「そういや」と何かを思い出したように呟いた。

「あさひ。お前、昔タイムカプセルを埋めてなかったか」

「タイムカプセル?」

「ほら、卒業の時とかに学校の校庭とかに埋めるやつだ」

「ああいや、それは分かるけど」

「いつだったか、お前は秘密基地にタイムカプセルを埋めて来た事があった気がするんだが、俺の気のせいか」

「ふーん。ってか、その話が本当だとして、何で私が秘密基地に埋めてきた事を知ってるわけよ?」

「そりゃお前、自分で鬼の首獲ったみたいに豪語してたからだよ。『十年後の自分へ向けてメッセージを送ったんだー! 凄いでしょー!』みたいな事を言ってたっけ」

 ヒロシは笑いながら言ったが、それに合わせるように私は自分の頬が紅潮するのを感じた。私は手で顔を覆いたくなった。いくら幼かったとはいえ、そんな語る程のものではない事を嬉々として語っている幼い自分が恥ずかしくて堪らなくなったからだ。

「いや、ちょっと待って」

 タイムカプセルだって? つまり、そういう事なのか。

「秘密基地って、それどこにあったか分かる?」

「なんだ、それも忘れちまったのか。あさひ、お前結構薄情なやつだなあ。幼き日の大事な友人達との思い出を忘れちまうなんて」

「いいでしょ別に。大体その一緒に埋めた皆もそんな事いちいち覚えてないって。それより場所を知ってるなら吐きなさい」

「いやねー。流石にそれまでは分かりかねるかな」

 目を逸らすひろし、

「じゃあ体に聞くしかないわね」

 そんなひろしに私は拳を鳴らして凄みを利かせる。父はしばしば嘘をつく。しかし嘘をつく時いつも不自然なのだ。今回もまさにそれに該当した。

「すまん、冗談だ。知ってる」

「何故に嘘ついた?」

「そりゃお前、親が秘密基地の場所知ってたら秘密基地じゃなくなっちまうだろ。子供が危ない事やってないか心配だから、一応場所は把握してたんだが、建前上知らない体で通すべきだろ普通。サンタと同じ要領だよ」

「それはまた、ご苦労な事で」

 私のサンタ幻想は小学一年生の時に崩壊した。言うまでもない、夜中に目が覚めて見てしまったからだ。

 と、その時、テレビから興奮した実況のまくし立てるような声が聞こえてきた。どうやらどちらかの選手がホームランを打ったらしい。

「んで場所なんだがな、ここから近くにある裏山だ。ちょっと待ってろ、おおよその地図を書いてやる」

 そう言ってひろしは立ち上がり、電話台に置かれていた自由帳と黒のボールペンを手に取る。そうしてソファに座り直すと徐に線を引いたり、目印となるものの名称などを書き込んだりしていった。

「流石に裏山鳥居の事は分かるだろ」

「うん、それは流石にね」

「じゃあこれくらい書けば後は分かるよな」

 ひろしはそう言って地図を書き込んだページを破り取り、私に渡した。

「ありがとう、ひろし」

「どういたしまして。しかしタイムカプセルね。そういや俺はどうしたっけな」

 ひろしはそんな事を呟きながらまた野球中継へと目を移した。そんな父を尻目に、私はポケットにしまっていた携帯電話を取り出した。

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