【KAC7】君の味噌汁が飲みたい
《伝説の幽霊作家倶楽部会員》とみふぅ
目覚めに一杯の味噌汁を
「まー君、朝だぞ。起きなよ」
優しげな声と共に軽く体を揺さぶられ、僕は重い目蓋を持ち上げる。
そこにはいつも朝一番に視界に映る母の姿ではなく、若い女性が顔を覗き込むように立っていた。
「……おはよう、あーちゃん」
そう言って、僕は彼女を見ないように寝返りを打つ。
「あ、こらー。なんでまた寝ようとするの」
布団を剥ごうとする彼女に抗うように、僕は布団にしがみつく。
隣人であり、切っても切れない腐れ縁の幼馴染。小学・中学・高校も同じで、一緒に登校しようと時たま起こしに来る。
「心配しなくてもちゃんと起きるよ。だから下に行ってて」
「むぅ。分かったよ。ちゃんと来なよ?」
彼女が階下に降りていく音を聞きながら、僕はふぅと体から力を抜くように息を吐く。
ベッドから這い出て、欠伸を溢しながら洗面所に向かう。歯を磨き、顔を洗い、髪を調えてから、自室へと戻り学校の制服へと着替える。
「ふ~ふ、ふ~ふ~ん♪」
準備が終わり、台所に行くと彼女が楽しげに鼻歌を歌いながら鍋の前でお玉を掻き回している後ろ姿が見えた。
黒を基調とした制服の上に身に付けた真っ白なエプロンの紐がゆらゆらと揺れる。
「……あーちゃん、なんで料理してんの?母さんは?」
「あ、おはよう寝坊助さん。なんでって、美智子さんは今日の朝は仕事が早くて忙しいから、代わりに私が面倒を見に来たんだよ」
「いや、母さんの仕事のこと、僕聞いてないんだけど?」
「どうせ教えても一人で起きないだろうから放っとこうって」
「母さんの僕への信頼と扱いが酷い」
帰って来た暁には絶対抗議してやる。
「ふふーん、優しい私に感謝するんだよ。あのままだったら、まー君間違いなく学校遅刻してたもん」
「余計なお節介だよ。母さんもあーちゃんも、心配しすぎ。一人でもちゃんとやれるよ」
「えー、本当に?」
「本当だよ」
「そっかぁ、本当かぁ。……でもそれだと私が寂しいな」
「あーちゃん、ボソボソと何言ってるの?」
「なんでもなーい」
そう言って、彼女は再び鍋と向かい合うように佇む。
「ご飯とかは美智子さんが用意したけど、なんと味噌汁は私お手製だよ!もうすぐできるからちゃんと味わって飲みたまえ」
上機嫌に呟く彼女の姿を、じっと眺める。
台所の扉から音をたてないようゆっくり近づき彼女の背後に立つ。そしてそのまま――。
「ま、まー君……っ?」
「味噌の良い匂いがするなぁ……んー、なに?」
「どうして背中から抱きついてくるのかなぁって……?」
彼女の背中から回した両手を腹の前で組み、固定する。
「昔はよくこうして抱きついてたなぁって、思い出してさ」
「それって、小学生の頃でしょっ。恋人でもないのにこんなのセクハラだよっ?まー君寝惚けてるの?」
「うーん、そうかもしれない」
なんかあーちゃんのエプロン姿を見てたら、急に抱き締めたくなったのだ。なんでだろう。
「も、もう!朝食出すから離れなさーい!」
「あーちゃんは朝からおっかないなぁ」
「私の心臓がもたないんだよ……!」
「あーちゃん、さっきからブツブツなんなのさ」
「いいから座って!!」
小学校のときに比べ、中学・高校と、あーちゃんは妙にスキンシップに過剰な反応をするなぁ。本気で嫌がってるわけではないから止めないけど。
「「いただきまーす」」
「……あれ?あーちゃんも食べるの?」
「なに?私は食べたら駄目なの?」
「いや、問題ないよ。むしろ一人だと味気ないから嬉しい」
「……っ」
「……あーちゃん、なんでぷるぷる震えてんの?僕そんなに変なこと言った?」
「なんでもないこの女誑し!」
「えぇ……訳が分からない」
なんであーちゃんは唐突に僕を罵倒してくるかな。
「あーちゃんの味噌汁美味しいね」
「えっへん、どんなもんよ。私だって将来のために料理くらいできるように努力してるんだからね」
「そうだね、あーちゃん頑張り屋だもんね。きっと旦那さんも喜ぶよ」
「ごふっ!」
「……あーちゃん、なんでむせてんの?」
「い、いきなり旦那って、まー君なに言ってんの!?」
「え、だって将来のためってそういうことじゃないの?あーちゃん、高二だからもう結婚できるでしょ?お年頃らしくその辺考えてると思ったんだけど」
「そ、それもそうだけど。私はあくまで自分で自活できるようにと言っただけで……その、けっ、結婚なんてまだ考えてないわよ」
ふーん、そういうもんなのか。
僕はそもそも母さんに「お前は一生台所に立つな」と脅されるくらいに下手くそだからなぁ。自活とか最初から不可能なんだよね。
「まあ、今はまだ考えなくていいか。それより食べよう」
「まー君、マイペースすぎるよ。時が経つのは速いんだよ?」
「うん、楽しみにしてるね。あーちゃんの結婚式」
「だからなんで結婚に話が飛ぶの!?」
「あーちゃんなら優しい旦那さん捕まえられるよ」
「話聞いて!!」
「そう言えば、こんなプロポーズがあるよね。『君の味噌汁が毎日飲みたい』って」
朝食の片付けを二人でしながら、僕は話題を提供する。
「日本人のもはや定番だよね、それ。でもどうしてその話をするの?」
「いや、あーちゃんの味噌汁美味しかったから、ふと思い出した」
「えへへ、ありがとう。で、それがどうしたの?」
「いや、改めて考えると、味噌汁を毎日って大変だよなぁって」
「まー君、相変わらず着眼点が良く分からないね……。まあ、具によって行程がかなり増えたりもするのは確かだけど」
「うん、つまり男性はもう少し作り手のこと配慮してあげるべきだと思う。せめて『毎日』は抜くべきだよ」
「でも作り手としてはやっぱりそう言ってもらえるっていうのは嬉しいことだよ」
「そっかぁ。大丈夫、あーちゃんは美人だしなんでも挑戦する努力家だから、絶対モテる。幼馴染の僕が保証するよ」
「一番気になってる相手にそう言われるのはなぁ……」
「あーちゃん、今日は随分独り言多いけどどうしたの?なんか悩み?」
「幼馴染が能天気すぎてどうしようかなって」
「あれ、もしかして馬鹿にされてる?」
「さて、じゃあ行こうか」
靴を履いてる途中、「あのさ……」と話しかけられる。
「どったのあーちゃん?」
「さっきの味噌汁の話だけど」
「あ、まだ引っ張るの?」
「もともとはまー君が言い出したことでしょ。責任もって」
「はーい。それで何の話?」
「男の人が告白するときは『君の味噌汁が毎日飲みたい』だよね?」
「うん、そうだね」
「でも女の人が告白するときは味噌汁の話って出ないよね」
「まあ、告白の仕方が違うもんね。間接的な男性と違って女性はド直球だから」
「まー君ならどんなプロポーズするの?」
「えー、考えたこともないよ。やっぱりシンプルに定番の味噌汁かなぁ。あんまり長い台詞も雰囲気壊しそうだしね」
「そっかぁ。それじゃあ実践してみようかなぁ」
「実践って?」
ニッと勝ち気な笑みを浮かべ、あーちゃんが玄関の扉を開く。
逆光が射すなか、彼女はこちらを振り返って――。
ピピピ、ピピピガシャッ。
「もう、朝か……」
重い目蓋を持ち上げ、目覚まし時計を止める。
のっそりと上体を起こし、両手を伸ばす。パキパキと小気味良く全身から音が響く。
ここのところ、残業続きで忙しかったせいかまだ眠い。できるなら二度寝したいところだ。……とはいえ。
欠伸を溢しながら階下へと降りると、パチパチと何かを油であげる音が鼓膜を震わせ、味噌の良い香りが鼻腔をくすぐる。
「……あら、おはよう。もう起きたの?今日は休みだからもう少し寝ててもいいのよ?」
「おはよう。うん、大丈夫だよ。それにせっかくの温かい朝食が冷めるのも嫌だしね」
手早く歯を磨き、パジャマから私服に着替え、料理を食卓に運ぶ。
「「いただきます」」
「こうしてゆっくり食べるのも久しぶりだね」
「最近残業忙しかったもんね。本当に、寝てても良かったんだよ?」
「平気だって。それに、今はとても気分が良いんだ」
「あら、なんか懐かしい夢でも見た?」
「夢の内容は良く覚えてないんだ。でもね、朝一番に思ったことと関係してるんだろうね」
「それは?」
「君の温かい味噌汁が飲みたい」
「……まさか、そのために早く起きてきたの?」
「駄目かな?」
「もちろん駄目ではないけど……」
「仕方ないじゃないあーちゃん。だって君が言ったことだよ?『私の温めた味噌汁を飲んでください』って」
「……懐かしいね、その言葉。もっとも、当時のまー君は『いつも飲んでるじゃない』って天然ボケかましてくれたけど」
「だってまさか、あーちゃんが僕にプロポーズするなんて思ってもなかったしねぇ」
「どうしてよ?」
「あーちゃんならもっと要領の良い素敵な男性を引っ掛けられると思ってさぁ」
「その言い方やめて。あのねまー君、恋にはそんなもの関係ないんだよ」
「そっかあ」
「そうよ」
「それもそうだね。事実、僕はあーちゃんの恋を応援しつつも離れてほしくないなと思ってたし」
「まったく気付かなかったわ……」
「まあ僕自身、自覚なかったからね」
「まー君はどこまでいってもまー君だね。不安通り越して逆に安心するよ」
「あーちゃんに珍しく誉められた」
「誉めてない誉めてない。……それで、旦那様?私の味噌汁はいかがなもので?」
味噌汁を一口。笑顔を浮かべてこちらを見てくる彼女に、僕は満面の笑みを返す。
「疲れた心も体もほぐす、目覚めに『最高のスパイス』だよ」
【KAC7】君の味噌汁が飲みたい 《伝説の幽霊作家倶楽部会員》とみふぅ @aksara
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