エミルの初めてのお給料

「はいこれ、お前の給料」


 ボクはナユタから料理屋<英雄>で働いた賃金を貰った。

 おかしい。まず見た目からしておかしい。

 受け取ってさらに不自然さを実感する。


「今、中身を見ても?」


「は?」


 ナユタは「なんでそんなこと聞くんだ好きにしろ」という表情をしていた。

 暴力的で暴言的ではあるがあまり喜怒哀楽を出さないナユタだが、表情はわりと読みやすい。


 恐らく給与支払いの際、誤魔化されてしまうというこの世の現実を知らないのだろう。

 そして雇い主の前で賃金を確認することが無礼であるということも。

 聞くに十二歳から冒険者として才覚を発揮し、公爵の娘であるボクとは別の意味で衣食住に困らない生活を送っていたのだろう。

 ナユタのそういうところが、所々危ういとボクは思う。




 純粋すぎる。

 何故なら、自分の力だけで何もかもが解決できるからだ。


 この世は結局の所、他人に乗っかりそして足を引っ張るのが常だ。

 公爵の次女とはいえ、そんな現実を毎日のように見ていた。


 自分が優位になるために媚びるし、陥れる。

 それが当たり前。


 ボクが潔癖症、いや男性恐怖症になってしまったのは、そんな現実に身を投じていたからだ。

 ボクには姉がいるが、姉さんは早々に婚約者を決めた。

 姉さんが選んだ相手はごく普通に、対等な身分の相手との恋愛婚約だ。

 そして婚約者の居ないボクが代わりに政略的なアプローチをかけられ続けた。


 男は気持ち悪い。

 そして公爵という面子のためにボクをエサにする父さえも気持ち悪かった。


 けれど我慢し続けた。

 公爵の娘として産まれた手前、裕福な生活を送っていた。

 裕福を受け入れておいて、家のために婚約者も作らないというのは後ろめたいものがあった。

 しかし、そんなボクの認識と貴族の有り様と確実な乖離が生じた。

 それはボクが十五の頃だろうか。


「ひっ!?」


 貴族ではよくある社交界の場で、当たり前のように行われる淑女に対する掌への接吻による挨拶。

 しかしボクはそもそも、見知らぬ男に触れられると思った瞬間悲鳴を上げてしまった。


 相手への失礼な態度に対し公爵としての傷は浅くなるよう、今日は生理で、とむしろ発言としては問題な言葉を残しお手洗いに駆け込んだ。

 初潮も迎えていないのに、よくもまあそんな言い訳を思いつたなと、ボクながら歓心する。


 吐いた。ただ吐いた。

 社交場では大量のご馳走が用意されるから、朝食は軽めに、昼はなし。

 それがルール。

 だからボクの胃には胃液以外何もない。

 けれど吐いた。

 ただただ吐き続けた。

 嘔吐し続けて食道が傷ついたのか、後半は血まみれの嘔吐だった。


 ボクはこんな世界で生き続ける自信がなかった。

 気持ち悪いけれど、父にボクの症状を打ち明けた。

 男性が苦手なのだと。なんなら父ですら辛いとも。


 それ以降父は苦い顔をしながらも男性嫌いのボクをかばいつつ、しかし着実に政略結婚の道具として扱っていた。


 父からかけられた最後の言葉は「籍だけ入れなさい」

 あれなりの配慮だろう。結婚という事実さえあれば、ボクが見知らぬ誰かと触れる機会さえなければいいと。

 そして公爵としての体裁と利益が伴えばそれでよいのだと。

 ああ、本当にボクは道具なんだ。


 世界の全てを諦めた瞬間、むしろ視野が広まった。

 どうせ道具に成り下がるなら好きに生きよう。

 裕福な家もいらない。

 とりあえず手当たり次第部屋にある簡単に持ち出せそうなものを鞄に詰め込み、逃げ出した。

 それがボクの始まり。あまりに遅い二十二歳の自立だった。




「安心したよ」


 あの時、ナユタは遠慮なく付与スキルをこめた拳をボクの脳天に叩き付けた。

 痛みはオリジナルスペルでどうにかなるかと思ったがどうも正しく発動しない。

 殴られた痛みも辛いが、他のなにかがチリチリと地味にボクを痛め続けた。

 

 けれど、けれどだ。


 初めて父以外の男性に触れられてしまったのに、嫌悪感が一切なかった。


 もし殴ったナユタが、ボクの知る限りの普通の男だったら、付与スキルの継続ダメージ以前に嘔吐と共に気絶しているはずだ。

 ああ、これぞ運命だと。


 二十二年しがみ付いていた何もかも投げ出して、与えられるのではなく獲得するべき幸せというものが見つかった。

 ボクはナユタと生涯を共にすべきなんだ。

 ボクはナユタがいないと生きていけない。




「……ボクはこれでも公爵の娘。高位の教育を得ている。この金額は今月の料理屋<英雄>の粗利そのままだ」


「ん? そのまま渡してるからそりゃそうだろ」


 ボクの永遠の伴侶は、色々規格外で、どこかおかしくて、何を考えているかわからない。

 きっとそんな所が魅力なのかもしれない。

 わかりやすく、下心を持って近づく男とは存在そのものが別次元なのだ。


「俺は趣味でこの料理屋やってるの。でもお前は俺の趣味のためにわざわざ働いてんだろ。だからそれが正当な給料」


 そもそも俺、金稼ぎしなくても一生過ごせるし、なんて人間のくせに寿命五百歳オーバーの規格外が笑う。


「けど、……。これは返す。無一文のボクが今月お世話になった分のお金」


 食事はもちろん、衣服や女性が髪や体を手入れをするための洗剤、そして化粧水や乳液を含む化粧関連等々、ありとあらゆるものがナユタから提供されてしまった。

 この村が若干チートじみてるのもあるけれど、ここで手に入る物品は貴族でも中々手に入らない一品ばかりだった。


「別にいいのに」


「気持ちの問題」


「んじゃ、受け取っとく。来月もよろしくな」


「うん!」


 ナユタのデブエルフへの実質告白の一件があるが、ボクは諦めるつもりはない。

 何故ならボクは『賢者』だから。

 同じ神位として惹かれあうに決まっている。

 今のナユタの寿命が五百歳?

 ならボクも寿命が五百歳になればいいだけだ。




 ボクはナユタが大好きだから。

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