第29話 雷と刃

 晩秋の午後三時、待ち合わせの神社にほど近いバス停にN市駅を起点にして市内北東部を巡回するコミュニティバスが停まる。小さなバス停で小型のバスが降車扉を開くと、降りてきたのは大きな荷物を背負ったヒロキとノートPCのバッグを携えた可憐かれんだった。

 道すがら可憐が駅前の食品スーパーに立ち寄る。店の前には本日の特売品であろう白菜や長ねぎが並べられ、買いもの客にそれを知らせるように赤い幟旗のぼりばたが北風にはためいていた。


「プラズマとか電気って聞いたものだから、こんなものでもあれば役に立つかも知れないと思って」


 店から出てきた可憐が手にしていたのは五〇〇ミリリットルのペットボトルに入ったミネラルウォーターだった。彼女にしてはめずらしくニコニコ顔で四本の水が入った袋を掲げて見せる。ヒロキがそれを受取ろうと手を差し出すと、


「ヒロキは重量級を背負ってるんだから、これくらい私が持つわ」


と言って神社を目指して歩きだした。

 前を行く可憐はスリムなレザーパンツにライダースジャケット、足元のブーツまでもが黒一色のその姿はいつもの彼女よりも大きく頼もしく見えた。



 約束の場所である神社に到着したヒロキは、鳥居をくぐらずにその左手に見えるスロープを目指す。


「えっ、境内に行くんじゃないの?」

「待ち合わせ場所の広場は拝殿の裏にあるんだ」


 そんな会話しながら二人が短いスロープを上がって神社併設の児童遊園地を抜けていくと、その奥に裏手の広場へと続く踏みわけ道が見える。茂みに覆われた緩い上り坂を前にしたそのとき、可憐がヒロキの袖を掴んで止めた。


尾野おの先生はもう来てるわね。それに……」


 可憐は茂みの向こうに目を凝らす。


「ひとり、ふたり……彼らもこっちの様子を伺ってるわ。きっと警戒してるのよ」

「マジか。まさか藪の中からいきなりズドンなんてことないよな」


 可憐の言葉に腰が引けてしまったヒロキを叱咤するように彼の頭の中で九尾きゅうびの声が響く。


「ここまで来て何を狼狽うろたえておるのじゃ。いざとなればわらわが出るゆえ、れは臆せず行くがよいのじゃ」

「クソッ、悔しいけど今は九尾が頼りだ、まかせたぞ」


 ヒロキは背中の荷物を背負いなおすと可憐の目を見て小さく頷く。そして二人は茂みの先を目指した。



 短い踏み分け道を上がりきるとそこには整地された空間が広がっていた。左手奥には山小屋風の物置倉庫、そのすぐそばに尾野おの一太かずたは立っていた。カーキー色のコットンパンツにすり切れた革靴、Tシャツの上から青いチェック柄のネルシャツというこの季節にしてはいささか薄着なスタイルだったが、彼の額にはうっすらと汗が浮かんでいた。


「太田君、待っていたよ。さあ、測定器をこちらに」


 一太は口元だけに笑みを浮かべて抑揚のない口調とともに手を差し向けた。ヒロキは可憐をその場に残して一太まであと数歩のあたりで荷物を下ろす。そして周囲の気配に注意しながら尋ねた。


「尾野先生、ひとつ聞きたいことが……」


 するとそのときだった、青白い閃光がヒロキの足元を狙う。同時に小さな土煙が上がり、それに反応して瞬時に飛び退く。彼が光が放たれた茂みのあたりに目を向けるとそこにはこちらを狙う小さな影があった。


「太田君、余計な詮索はしないで欲しい。彼らはただ君に憑いている連中に用があるだけなんだから」


 相変わらず乏しい表情の一太かずただったが、落ち着きのないその様子にヒロキは得も言われぬ不安を感じた。


 まずい、二発目が来る!


 咄嗟に身を屈めるヒロキの頭上を二発目のビームが一直線にかすめ飛んでいく。その光が着弾した先、敷地を隔てる万年塀の上にはエメラルドグリーンの瞳でこちらを凝視する一匹の猫がいた。

 放たれた光線に砕かれたコンクリート製の笠木の一部が埃臭い煙を上げる。しかし猫は動じることなく、えぐれたそれをただ一瞥すると、敵が潜む茂みに向かって声を上げた。


「この光でわたくしの仲間たちを、それに人間ヒトまでも手に掛けたのですね。やはりお前たちには罰を与えねばなりません」


 感情を抑えながらも怒りに満ちたその声とともにメイド姿に変化へんげしたギンが塀の上に立つ。彼女の両の指先では鋼鉄の爪がいつでも襲い掛かることができるようにと冷たい光を放っていた。


「隠れても無駄です!」


 ギンは茂み目掛けて飛びかかる。

 着地の勢いを利用して右手の爪をそこに隠れる相手目掛けて振り下ろす。

 乾いた音とともに飛び散る枝葉、それに紛れて小さな影が三つに分かれて無軌道の軌跡を描きながら一太かずたの下に集まった。かすりの着物を着た子供たち、それが人間に擬態したオサキの姿だった。


「カズタ、やれぇ!」


 長兄のシイが叫ぶと、言われるがままに一太は測定器の電源を入れた。重量級の大型バッテリーから供給される電源で測定器は静音ファンの微かなうなりとともに動き出す。


「フン、化け猫め、成敗してやるべ!」

「そうだ返り討ちだべ!」


 長兄のシイと次兄のムチがギンを狙ってビームを放つ。

 ギンの爪がそれを受け止めては薙ぎ払う。小さな破裂音とともにいかづちやいばがぶつかり合ってはストロボにも似た鋭い光を放つ。三発目、四発目と続く閃光をギンは右に左にと交わしながら、隙を見ては鋼鉄の爪で敵を突く。

 しかし縦横無尽に宙を舞いながら絶妙なフォーメーションで攻撃してくるシイとムチにさすがのギンも翻弄されていた。


 二人の子供が放ちまくるビームの一発がヒロキと可憐が立つ足元に着弾して土煙を上げた。それを見たギンが叫ぶ。


「ヒロキ様、可憐かれん様、おさがりください!」

「猫よ、わらわも助太刀じゃ」

「よもぎも応援します!」


 防戦一方のギンを見かねた九尾きゅうびとよもぎが声を上げながら勾玉まがたまから飛び出して来る。ついに雑木に囲まれた小さな広場の真ん中で、人ならざる者たちの睨み合いが始まった。



――*――



 それはつい先ほど、キャッスルでのことだった。ヒロキたち四人のテーブルにやって来たギンが同行を申し出たのだ。


「ヒロキ様、わたくしならば多少なりとも戦力になるかと存じます」


 ギンはそう言うと、双子の妹たち、ミーシカとコーシカに店番を命じた。


「ほんとはボクが行きたいところだけど、これは銀姉ギンねえの仕事だもんね」

「姉さま、お気をつけて」


 二人はヒロキたち四人に小さな会釈をするとギンの言葉に従ってそれぞれのポジションに就いた。そんな妹たちの姿を見送るとギンは一歩下がった位置から四人に向って頭を下げると落ち着いた口調で話し始めた。


 ギンが仕える猫の妖精、キジ丸はこの地域一帯を束ねるおさだった。そのキジ丸の下に彼の支配下の猫たちが危害を加えられているとの噂が届く。被害に遭った猫たちの命に別状はないものの、みな小さな火傷を負っていた。

 これは心無い人間がスタンガンでも使って虐待をしているのかも知れない、そう危機感を覚えたキジ丸は猫たちの定例会議にて注意喚起をしていた。

 しかし被害は留まることなく、特にN市北西部にそれは集中していた。加えて被害猫たちは口を揃えて「白い光にやられた」と言う。正体不明のそれが何であるかが判明するまでの間、キジ丸は支配下の猫たちに戒厳令を発したのだった。

 そして会議の帰り道、ギンとともにI市K町駅周辺を歩いていたところ、ひとりの女性が倒れているのを見つける。それがヒロキたちの研究室に所属するポストドクター、秋津あきつ映子あきこだと知ったのが、今日のヒロキたちの会話を耳にしてのことだった。


「秋津先生のために救急車を呼んでくれたのはギンだったのか」


 ギンはゆっくり頷くと話を続けた。


「キジ丸様のめいにより人間ヒトへの干渉は控えよとのことでしたので、手当はせずにその場を立ち去るしかありませんでした。まことに申し訳ございませんでした」


 もう一度深々と頭を下げるギンが顔を上げたとき、エメラルドグリーンの瞳には決意の光が浮かんでいた。テーブルの四人を見据えて彼女は毅然とした口調で言った。


「おそらく皆さまのお話に出てきたオサキなるものの仕業であろうことは間違いありません。わたくしはキジ丸様に代わってそのようなやからを成敗せねばなりません」



――*――



 睨み合いから戦いへの口火を切ったのはオサキの次兄ムチだった。


「先手必勝、まとめてやっつけてやっぺ!」


 測定器の名を借りたイオン発生器が生成する負イオンを吸収したムチの手から青白いビームが放たれる。

 それを一歩前に立つギンが鋼鉄の爪で右へ左へと薙ぎ払う。

 続いて長兄のシイも加勢する。

 二人の両手から繰り出される光線に一人で挑むギンだったが、爪から伝わる電撃が徐々に彼女を疲弊させていく。


「猫よ、下がるのじゃ!」


 さすがにこれでは分が悪いと見かねた九尾きゅうびがそう叫ぶとギンはすぐさま後方に跳び退いた。入れ替わるように前に出た九尾はエプロンの中に携えた短刀を抜くと二人のオサキを睨んで構える。小さな身体からだにみなぎる気迫に押されたのか、オサキたちの攻撃が止まる。そのかたわららで彼らの末の妹ナギだけは一太かずたの足にしがみついたまま怯えた顔で様子を伺っていた。


「猫よ、結界じゃ。れの結界でヒロキと可憐かれんを護るのじゃ」


 肩で息するギンだったが、呼吸を整えて姿勢を正すと両手を合わせて念じる。そのまま手を広げていくとそこにぼんやりとした球体が浮かぶ。銀がそれをヒロキと可憐の足元に飛ばすと二人を護るように透明なバリヤーが現れた。


「申し訳ございません、今の私ではこれが精一杯です」

「十分だよギン。それより君こそ少し休め。かなり消耗してるじゃないか」

「いいえ、ご心配には及びません、お二人はわたくしがお護りします」

「だけど……」

「ヒロキさん、可憐ちゃん、大丈夫。よもぎも頑張りますから!」


 よもぎは言うが早いか右手を挙げて指を鳴らす。すると全身から光を発しながらいつもの制服姿から全身タイツにも似た純白のコスチュームに変身した。

 真っ白なスーツのあちこちに軽量なプロテクターが装備されたその姿は、かつて可憐かれんの守護天狐てんこであるシロが九尾と戦った時のスタイルそのものだった。


「さあ、準備OKです」

「よもぎのヤツ、ここでそれを出すか?」

「でもよもぎちゃん、なかなか似合ってるじゃない」


 バリヤー越しに呆れた顔を見せるヒロキだったが、よもぎの気迫を感じ取ったギンも力強く頷いて身構える。そんな二人に負けじと九尾も長兄のシイを睨みながら短刀を構えなおした。


「オサキどもよ、れらもそろそろ正体を見せたらどうじゃ」


 不敵な笑みで挑発しながら九尾が短刀を振り下ろす。するとそれは三日月形の斬撃となってシイの頬をかすめた。


「お、おのれ、おぇは何者だ!」

「何者だ!」


 シイとムチの問いに不敵な笑みを浮かべる九尾の口元から鋭い牙が顔を出す。ひっつめた金色の髪も逆立ち、全身から眩しいオーラが発せられた。


わらわ九尾きゅうびじゃ。れら、少しばかり悪さが過ぎたようじゃの」

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