第28話 シロのなぞかけ

 カーテンの隙間から射し込む月明かりが青いモノトーンに包みこむ部屋の中、窓際の机に置かれた勾玉まがたまが放つ光がそこだけをあか色に染めていた。

 やがて光は不規則な点滅を繰り返し、それが眠っている可憐かれんの瞼を刺激する。時刻は午前三時、夢心地から引き上げられるように身を起こした彼女があかの中心を見つめていると、その中にぼんやりとした影が浮かび上がった。


「シロね。心配しなくても私たち四人はなんとかやってるわ」


 すると可憐の言葉に応えるように光の中からも声が響いた。


われはしっかりと見ておるぞ。可憐よ、なかなか精進しているようだな」

「私なんかより、よもぎちゃんと九尾きゅうびね。あの子たちも頑張ってるわ」

「九尾のやつめ、多少はおっちょこちょいなところもあるが、あれはあれで今のところは及第点と言えよう。よもぎ殿の手綱さばきがよいのだろうな」


 挨拶代わりのやりとりで肩の力が抜けた可憐は声の主に親しみをこめて問いかけた。


「せっかくだし、出てきてくれると嬉しいな。ねえシロ、ダメかなぁ」


 可憐の願いに反応した勾玉が一瞬強い光を発すると、その中から白い巫女みこ装束しょうぞくに身を包んだ女性が現れた。純白の髪に磁器のようになめらかで白い肌と毅然とした紅い瞳、それが人間体となったシロの姿だった。

 シロは机のイスを引いてそこに腰を下ろす。可憐と二人だけのこの空間でリラックスしているのだろう、めずらしく足を組んで机に肘をかけている。彼女はいつものおごかな雰囲気とは違う、まるで妹を見守る姉のような優しい笑顔を浮かべていた。


「そんなにくつろいだ姿のシロ、私は初めて見るわ。でも好きよ、こういう雰囲気って」

「ハハハ、お前はもう一人前だ。だからこれからは互いに敬意を表しつつもフランクな関係を築こうと思ってな」

「ありがとう、とても嬉しいわ。それで今日はどうしたの?」

「これからお前たちが対峙するであろう奴らの話だ」

「それって、オサキのこと?」

「うむ。あれはこれまでお前たちが相対あいたいしてきたモノとは違う。奴らは目的のためなら手段を選ばん、心して臨む必要があるのだ」

「それは九尾も同じことを言ってたわ」

「奴らの戦力は三匹、いや、末娘を除いた二匹か。一方こちらで戦えそうなのは九尾だけ、よもぎ殿も法具を手にしたとは言え実戦経験はない。あの九尾ひとりでどこまでやれるものか」

「そんなことを言ってるけどシロは今回も見守るだけなんでしょ?」

「見守りもするし、見逃しもする」

「何よそれ、まるでなぞかけね、覚えておくわ。ところでシロ、ひとつ教えて欲しいことがあるんだけど」

「奴らの能力のことか?」

「さすがね、その通りよ。オサキって電気を操るのかしら?」

「あれはプラズマなるものだ。操っているのではなく溜まったものを吐き出しておるのだ。ヒロキ殿ならすぐに察することだろう」

「プラズマなんて、妖怪のクセにずいぶんとハイテクね」

「可憐よわれの話はここまでだ。あとはお前自身で考えるのだ」


 その言葉を最後にシロの身体からだが再び紅い光に包まれる。その姿はあっという間に滲んで消えて光の中の影になる。ひとり残された可憐の頭の中に再びシロの言葉が響いた。


「知恵だ、知恵を出すのだ」


 可憐が再びベッドの上で目を覚ました時、月明かりで青く染まった部屋は何事もなかったかのように静まり返っていた。


「はぁ――最後までなぞかけかぁ」


 可憐はベッドの中から机に目を向けるも、そこに置かれた勾玉まがたまが再び光を放つことはなかった。



――*――



「なるほど、それでシロはなんだって突然に出てきたんだろう」

「そりゃ野次馬根性じゃ。天狐てんこの奴め、自分だけ高みの見物を決め込んでおるのじゃろう……イテッ、よもぎよ、れはわらわを叩きすぎなのじゃ」

「それは九尾が憎まれ口をきくからです。シロさんがそんなことするわけないじゃないですか。きっと何かヒントをくれたのに違いありません」

「それならプラズマね。あとは『ヒロキ殿なら解る』だもん。どう思う、ヒロキ?」

「う――ん、プラズマかぁ、それは確かになぞかけだよなぁ」


 ランチタイムが過ぎて客足も落ち着いたキャッスルにて、可憐が今朝方に見た夢ともお告げともつかないシロの言葉の意味が掴めないまま四人はただ黙り込むばかりだった。


「本日のヴァレーニエは柿でございます。紅茶とご一緒にお召し上がりください」


 彼らの沈黙を破るかのように、ライトグレーのヴィクトリア朝メイド服に身を包んだギンがにこやかな顔で小さなガラスの器とスプーンを四人のテーブルに並べた。

 柿をベースにして柑橘系の香りを加えた鮮やかな橙色のソースの中に煮崩れるギリギリまでに柔らかくなった柿があった。よもぎは目を輝かせながら満面の笑みとともに、そのスプーンを口にした。


「おいしい、おいしいです。よもぎ、こんなの初めてです」

「相変わらずれは食い気が優先とは、まったく気楽なものじゃ」

「でもでも、ほんっとにおいしいんですから、みんなも食べてみてください」


 無邪気な顔で紅茶とヴァレーニエを交互に口にしてはニコニコしているよもぎをよそに、それまで神妙な顔をしていたヒロキが思いついたような声を上げた。


「ひょっとしたら……なあ、可憐、シロはプラズマって言ってたんだよな。そうか、わかったぞ。秋津あきつ先生のケガはスタンガンじゃなくてプラズマ、いや、荷電粒子砲かでんりゅうしほうだ」

「まさか、そんなのまるでSFじゃない」

なんて大げさなものじゃなくて妖術だとかそんなのだと思うけど、うん、そうだ、きっとそうだ、なんか話がつながってきたぞ」

「おいヒロキ、れは何を自己完結しておるのじゃ。わらわにも解るよう説明するのじゃ」


 ヒロキは柿のヴァレニエを一口で食べきるとまだ熱い紅茶も一気に飲み干して続けた。


「可憐、尾野おの先生の論文のタイトルを覚えてるよな?」

「もちろん。『空気中の正イオン濃度が人の心に及ぼす影響についての考察』だったわよね」

「そう。その内容は幽霊とは正イオンの集合体で、心霊現象とはそいつが人体に物理的影響を及ぼして幻覚や幻聴を引き起こす、ってことなんだけど、でもよく考えてみるとおかしいんだ」

「ええい、もったいつけずにさっさと話を進めるのじゃ」

「だからさ、もしその仮説が正しいとしたら、なぜオレに反応しない? オレにはよもぎと九尾が憑いてるだろ、おまえたちほどの霊力があるなら測定器の針が振り切れるくらい反応してもいいじゃないか。それに可憐もだ、シロなんかもっと強烈だと思うんだよな」


 可憐もよもぎも飲食すら忘れてヒロキの意見に聞き入っていた。すると今度は九尾がそのあとを続けた。


「ほ――、ヒロキにしてはなかなかの洞察じゃの」

「九尾が人を褒めるなんて不気味な展開だな」

彼奴きゃつらは尾野おの家の長男坊を連れ戻すために奴の社会的信用を失墜させようと考えたのじゃろう。そこで奴を誘導してあの論文を書かせたというわけじゃな」

「確かに尾野先生、以前は地道に成果を上げてたみたいだし、なにより分子起動計算システムをほぼ一人で作るほどの人なのに、あの論文はおかしいと思ってたんだ」

「あとは実験のたびにちょいと手を加えてやればよいのじゃ。論文通りになるように正イオンなるものだけ集めるとかな」


 ヒロキは足元に置いた大荷物である測定器を足でつつきながらなおも続ける。


「この正イオン測定器って機械も怪しいよ。よくあるじゃないか、マイナスイオンがどうのこうのって、きっとコイツはあれに似た仕掛けなんだよ。尾野先生が言う空気中の正イオン分布ってのは、こいつでイオン化した気体からオサキが負イオンだけを吸い上げてそう見せかけてたんだと思う」

「その通りじゃろう。ところがどっこい、彼奴きゃつらは体内に溜まってしまった負イオンなるものに苦労することになるわけじゃな」

「なるほどね、私にも解ってきたわ。彼らが秋津あきつ先生を襲撃したのって、事件を起こして尾野先生を追い詰めるのと体内に溜まった負イオン放出の一石二鳥だったってわけね」

「それが此度こたびの真相じゃろう。それで彼奴きゃつらの思惑通り、奴は全てを失って謹慎じゃ。あとは故郷くにに帰るしか道はなくなったということじゃな」

「尾野先生があの論文を書いたのは一年くらい前のことだから、そのころからずっと彼らは先生を誘導してたってわけか」


 シロが可憐に忠告した通り、オサキたちは達成すべき目的に向って周到なる地固めをしてきたのだ。ならば攻撃力も遥かに高いであろう彼らに自分たちはどう対抗すればよいのか。


「シロは知恵を出せ、なんて言ってたけれど、でも、プラズマだか荷電粒子だかにどう対抗すればいいのか見当もつかないわ。それにこちらの戦力が九尾だけなのも心許ないし」

「だよな。オレと可憐はただの人間ヒトだし、よもぎの法具リングもどこまであてにできるか未知数だし……」

「ヒロキさん、ヒロキさん、よもぎも戦えますよ。シロさん直伝のバトルスーツと武器があります」

「とりあえず電気って聞いてたからオレと可憐は厚手の上着を用意してきたけど、それだってプラズマなんて防げるのかどうか。なのにあんな全身タイツみたいなので対抗しようなんて、おまえにそんな危ないことさせられるわけないだろ」


 これと言った策も浮かばずにすっかり意気消沈してしまったヒロキと可憐だったが、よもぎはいつものように陽気な目で九尾を見て言った。


「でもでも、あの子たちって九尾の言うことは聞くんじゃないかな。もともと九尾から分身したんだし、きっと尊敬とか崇拝とかしてそうな、よもぎはそんな気がしてます」

「よもぎよ、見るがよい。今のわらわはまるで幼女じゃ。下手すると彼奴きゃつらよりもチビッ子じゃ、ナメられるのがオチじゃろうて」


 九尾の言葉で再びテーブルに重たい空気が漂う。尾野おの一太かずたとの約束の時刻まであと二時間を切った今、彼ら四人がすっかり手詰まりになってしまっていることは否めなかった。


「皆さま申し訳ございません、ついお話が耳に入ってしまいました」


 彼らの沈黙を破ったのはギンだった。

 彼女はテーブルから一歩下がった位置でそう言うと深々と頭を下げた。そして顔をあげるとそこには毅然としたエメラルドグリーンの瞳があった。


わたくしにお供をさせてください」

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