第25話 憑きもの屋の息子

 東京の北西部に位置するN市の郊外、田園風景の中を流れる小さな川に晩秋の冷たい風が吹き抜ける。

 両岸は石を積み上げた古めかしい擁壁、枯草に覆われたその頂上に小さな三つの姿があった。犬でもなく猫でもない、まるでイタチのように長い胴体の彼らこそがオサキと呼ばれる伝説の妖怪だった。

 大きな影は長兄のシイ、並んで立つのが弟のムチ、そして端で小さくなっているのが末の妹、ナギと言った。

 シイはその場で直立姿勢をとると、長い胴をより長く伸ばして川の向こう岸に広がる暗い雑木林を見つめる。その隣で同じく様子を伺うムチが目を凝らして言う。


「シイあにぃ、あそこいらの木を適当に狙ってみっぺ」


 ムチはシイと並んで直立すると前足を伸ばして「フンッ!」と気合を入れる。するとその手の先が青白い閃光に包まれる。やがて飽和状態となった光が向こう岸の木々目掛けて放たれると、光を吸い込んだ黒い林は身震いするかのように乾いたざわめきを響かせた。


「ソレッ、ソレッ!」


 掛け声に続いて二発、三発と光を放つと、そのたびに彼らの背後に並ぶすっかり寝静まったアパートの外壁が青白い光に照らされる。


「ムチよ、そんくれぇでいいだろ」


 長兄のシイは弟のムチにそう言うと、今度は少し離れて小さくうずくまっている末の妹ナギに向かって言う。


「おいナギ、ナギよ。大丈夫でぇじょうぶか」


 ナギが頭を上げて小さく頷くとシイはすぐさま命じる。


「それ、今度はおぇだ」


 ナギは今にも泣きだしそうな潤んだ目でシイを見る。


「仕方ねぇのさ、そのままじゃあおぇの熱は下がらん。溜まったもんは吐き出さねばならん」


 それでもなお躊躇するナギにムチが少しばかり苛立った声を上げる。


「ナギ、シイあにぃはおぇのために言ってんだ。さっさとしねぇか、人間ヒトに気付かれねぇうちに」

「ナギよ、そのままでは中毒になっちまう、死んじまうんだぞ」


 渋る妹の身体からだをムチが鼻面でツンツンと突くと、ナギはオドオドしながらもゆっくり直立すると兄たちにならって右の前足を伸ばした。


「えっ、えいっ!」


 小さな指先からも兄と同じような閃光が放たれた。しかしその光は向こう岸まで届くことなく流れる川面に消えていった。


「しっかり狙え、ナギ」


 ムチの叱咤にに身をすくめるナギ。そんな二匹を長兄らしい眼差して見ていたシイが向こう岸の闇の中に目を凝らす。その視線の先に一匹の猫の姿があった。おそらくこの辺りを縄張りにしているのだろう、白地に黒いブチ柄の大柄な猫はゆっくりと川に沿って林の中を歩いていた。

 シイが命じる。


「ナギ、あの猫ぉ、狙え」

大兄おおあにぃ、できねぇ、あっしにはそんなことできねぇ」

「おぇ程度の力ならば死ぬことはねぇ、さあ、やれ」


 長兄の命令に逆らうことはできない。いやいやながらもナギは再び直立すると恐る恐る林を見つめる。そして二発目の閃光を放った。

 しかしナギが放ったそれは猫に命中することなく目の前をかすめて林の中に消えてしまった。突然に視界を横切った光に警戒してすぐさまその場で身構える猫、その瞳が街路灯の光を反射して白く光って見えた。

 震えるナギを横目にして今度はシイが構える。

 川を挟んで睨み合う二匹。その瞬間、猫は何かを悟ったのだろう、後肢を踏み込んで猛ダッシュをかける。同時にシイの指先から閃光が走る。

 その光が猫の腿のあたりをかすめた。


「ギャッ!」


 短い声とともにその場で飛び上がる猫。しかし猫はそのまま止まることなく不連続な軌跡を描きながら林の奥に消えていった。


大兄おおあにぃ……」


 震える声を上げるナギにシイが言う。


「心配いらねぇ、死んじゃいねぇ。さ、ぇるべ」


 シイ、ムチ、ナギの三つの影は草むらを抜けて川沿いの舗道に出る。そして人間ヒトの気配に注意しながら静まり返った住宅街の中へと消えていった。



――*――



 PCデスクでモニターとにらめっこしながら尾野おの一太かずたはハードディスクに保存された過去の論文を漁っていた。一太は教授から謹慎を言い渡されたあの日から数日間、ずっと自宅に引きこもって過去のデータを読み返しては次の新たなるテーマのヒントを探していたのだった。


「やっぱり前にやってた錯体さくたい軌道の最適化、あれしかないだろう」


 教授が言っていた「まるでオカルト」な研究にのめり込む前に彼が取り組んでいたテーマであるそれを再開するのならば教授も納得してくれるだろうし、なにより自分も新たな気持ちで取り組むことができる。

 一太はドライブに新しいフォルダを作成するとそこに関連する資料や以前に書いた論文のドラフトデータを放り込んでいった。


「こんなときノートPCがあればなぁ……」


 一太はあの日、突如頭の中に響いた声への怒りにまかせてその場を後にしたことを後悔していた。せめてノートPCだけでも持ってくればよかったと。

 とにかくここ直近のデータはあの中にしか入っていないのだが、しかし今は大学に顔を出すことはできない。ならば自宅でできるだけのことするしかないのだった。


「そうだ、まずは手持ちの材料でできることから、コツコツとだ」


 そう考えると少しは気が楽になったのか、チェアに座ったまま両腕を上げて伸びをすると続いて首をぐるりと回す。


「さてと、気分転換にコンビニでも行くかな」


 一太がイスから立とうとしたそのときだった、彼の背後から幼い子どもの声が聞こえた。それはあの実験の後にセミナールームで彼の中に響いたのと同じ声だった。


「カズタ、そろそろぇる気になったか」


 一太はその声の主を振り返ることなく答えた。


「その声はシイだな。やっぱりお前たちの仕業だったのか」

「なあカズタよ、もう十分だべ。いっしょにぇろう」

「うるさい、黙れ!」


 一太は手にしたマウスをデスクに叩きつけて声を上げるとチェアを回転させて声の方を向く。するとそこには三匹のオサキがいた。長兄のシイが前に立ち、その後ろにムチとナギが座って一太を見つめている。


「お前たち、家はどうした。憑きもの屋のオサキがおイエを離れて東京見物ってわけでもないだろ」

「……」

「とにかく、僕はお前たちやあの土地の因習だか因縁だかに嫌気が差したからここにいるんだ。もう戻るつもりはない。わかったらさっさと帰るんだ」


 その言葉を聞いた小さな一匹がそろりそろりと一太に近づく。それは末の妹、ナギだった。ナギは彼の足元に寄り添いながらその顔を見上げて懇願する。


「なあカズタ、ぇってきてくれろ。ジジ様が倒れなさった。ババ様もハハ様もみんなつきっきりだ。テテ様亡き今、ジジ様さまだけが頼りだ。そのジジ様が……だから、だからカズタぁ、ぇってきてくれろ」


 一太はナギの頭を優しく撫でると自分に抱き着くその前足をそっとほどいた。そしてイスから立ち上がるとシイに向かって語気を強めた。


「帰ったからって何ができるってんだ。この僕に商売なんかできないし、母さんの方が余程役に立つだろう。こんな学者崩れが今さらしゃしゃり出たところで、ハイそうですか、なんてわけにはいかないんだよ」


 一太の言葉にシイの瞳が鋭く光る。


「カズタよ、お前ぇがぇらねば尾野の家は続かぬ。家がなくなればおいらたちもおしまいだ、けがれになるのを待つだけになる」

「僕が家に戻って家業を継いで、家が決めた相手、それだってどうせきものすじだろうけど、そんな所帯を持って子供のひとりでも作ればいいって言うのか。ふざけないでくれ、僕の人生は僕のものだ。僕の生き方は僕が決めるんだ」


 一太はハンガーにかかったコートを羽織ると玄関に向かう。そしてドアの前で部屋を振り返ると三匹のオサキに向かって強い口調で命じた。


「とにかく、僕が戻ってくる前にここから出ていけ。そしてさっさと家に戻って母さんを手伝うんだ。いいな、わかったか!」


 そう言い放つと一太は振り返ることなく部屋を出て行ってしまった。



 直立したまま閉じた玄関を見つめていたシイの身体からだが人間の姿に変化へんげした。それは紺地のかすりを来た男の子の姿だった。彼とともに弟のムチと妹のナギも人間の姿となって主のいなくなったPCデスクを見つめる。

 シイは黙って一太のデスクに歩み寄るとそこに置かれた論文のドラフト稿を手にする。そしてその表紙をクリップからもぎ取るとそれをたもとに押し込んで言った。


「カズタめ、もう大学になんかいられねぇのにまだわかんねぇか。ならばトドメぇ差してやるだけだべ。いくぞ」


 ムチとナギがその言葉に同意して頷くと同時に三人の姿が部屋から消えた。

 しかしその後すぐ、この三人、いや三匹の妖怪が一太を一層追い込む事件を起こすことになろうとは、そのときの一太はまだ知る由もなかった。

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