第23話 排除される知

 ややクセのあるシルバーグレーの髪を掻き上げながら初老の教授はルーム内の五人に向かって厳しい声を上げた。


「ここで何をやってるんだ、君たちは。学内に部外者、それも見たところ中学生じゃないか、こんな子供たちを連れ込むなんて!」

吾野あがの先生、違うんです。これは……」

「言い訳は聞きたくない。どんな理由があろうとここに中学生がいて、その子たちが声を上げていた事実は変わらんのだ……ん、どうした?」


 一太かずたを叱咤しながら吾野教授は何かに怯えているような三人に気付いてその声を止めた。

 感情を抑えるように押し黙って肩を震わせていたのは三人のリーダー格であるミッコだった。その向かいでは真っ赤な顔をしたノンコが肩で激しい呼吸をしており、それを介抱するようにユッコがボロボロと泣きながらノンコの背中をさすっている。目の前で今、ノンコに過呼吸の症状が現れているのは誰が見ても明白だった。

 吾野教授はその様子を一目見るなりノンコを指差しながら秋津あきつ女史と可憐かれんに早口で命じる。


「君たち、その子をすぐに医務室に。送り届けたら秋津君は事務局に寄って手続きを、神子薗みこぞの君はその子にしばらく付いてあげてくれ」


 秋津女史はユッコとともにノンコの肩に手を載せて立てるかどうか声をかけてみるも彼女からの答えはなく、その呼吸は相変わらず激しいままだった。


「秋津先生、自分が背中を貸します」


 そう言ってヒロキはノンコに近づいて片膝をつく。


「さあ、彼女をオレの背中に。あとミッコくんとユッコくん、君たちもいっしょに来てくれ」


 ノンコを抱えるように介助しながらヒロキの背中に誘導する秋津女史、可憐もそれに手を貸そうとしたが、一瞬躊躇したように伸ばした腕を引っ込めてしまった。


「神子薗さん、このは私と太田君で大丈夫。あなたはあとの二人をお願い」

「は、はい」


 可憐は彼女にしてはめずらしく少し狼狽したように答えると、女史の言葉に従ってミッコとユッコに部屋を出るよう促す。そしてヒロキはノンコを背負ったまま吾野教授に「すぐに戻ります」と小さく会釈をすると秋津女史とともにセミナールームを後にした。


 慌ただしく出て行く六人を見届けると吾野教授は努めて落ち着いた口調で一太かずたに命じた。


尾野おの君。そこいらの後片付けは太田君にまかせて、君は私と一緒に研究室に来てくれ」


 その口調は冷静に聞こえたが、しかしそれとは裏腹に教授の目は怒りの感情に満ちていた。



 セミナールームのすぐ隣に吾野あがの研究室はある。教授は窓を背にして室内全体が見渡せるようこちら側に向いた配置になっているデスクに座ると、目の前に立つ一太の顔を見上げながら疲れた表情でため息をついた。


「尾野君、まずは私にもわかるように説明してくれ」


 教授の命に従って一太かずたはこれまでの経緯、神社での計測実験から今日この日に至るまでを順を追って説明した。先ほどの実験で期待以上の結果が出せたためか一太の口調は興奮気味であったが、一方でその説明が進むにつれて教授の表情には徐々にいぶかしさが増していった。


「ふ――ん、なるほどね」

「ですから先生、やはり空気中の正イオンの分布は……」


 ここぞとばかりに持論を展開する一太の言葉を遮るように教授はぼそりとつぶやいた。


「排除される知、だな」

「えっ?」

「そんな本があったのだよ、ずいぶんと前のことだけどね。君の論文も実験もまさにその類だ。そんなもの、認めるわけにいかんよ」

「しかし、今日の実験で……」


 一太の言葉を自分に対する反論と察した教授は強い口調で一太を怒鳴りつけた。


「まだ解らんのか君は! タブーというやつなのだよ、君のやってることは。それだけじゃない、君の行為が未成年者に健康被害まで与えてしまったんだぞ!」


 そして教授はひと呼吸おいて、今度はなだめるような口調で続けた。


「幽霊だとか、超能力だとか果てはオーパーツだとか、その手の研究をしてきた連中の末路はね、ろくなもんじゃないんだ。まさに排除されるんだよ、この世界から。君の功績は素晴らしいものだ。あの軌道計算システムはなかなか大したものだ。だから私も期待していたんだ」


 教授はデスクの隅に置かれた書類トレイから以前に一太が提出した論文のドラフトを抜き出すと、それをデスクの上に無造作に置いて続けた。


「そんな君がこんなものを書くなんて。これこそまさにオカルトじゃないか。幽霊の実体は正イオンの集積体だ、なんて」

「しかし先生、私は……」

「この件でこれ以上君と話すことはない。それよりもこれからのことだ。未成年の部外者を連れ込んで、その上あのありさまだ。もしあの子たちに万一のことがあったなら、いや、医務室に担ぎ込まれた時点でこれはもう立派な醜聞スキャンダルなのだよ。まったくどうしたものか、私は頭が痛いよ」


 さすがに一太も返す言葉がなく、ただその場でうなだれるだけだった。そんな一太に教授はなおも続ける。


「とにかく善後策は私と秋津君とで考えるから君は当分謹慎したまえ」

「き、謹慎ですか」

「二度も言わせないでくれ」

「で、でも今日のデータと論文の……」


 吾野教授の目には有無を言わせぬ迫力があった。それは怒鳴りつけ殴りかかりたい衝動をなんとか自制しているようにも見えた。


「出て行きたまえ。これ以上君と話すことはない」


 それだけ言うと教授は席を立ち、窓に向かってくるりと背を向けてしまった。事の重大さに気付いたのであろう、一太はか細い声で「失礼します」と言うと教授の背中に一礼して研究室を後にした。


「まったくとんでもないことをしてくれたものだ。排除される知が現実のものなってしまうとは、それも私の研究室から」


 眼下に見えるお濠端ほりばたに並ぶ冬枯れた桜の並木を見下ろしながら吾野教授はため息混じりにそうつぶやいた。



 誰もいないセミナールーム、実験中の喧騒と高揚感はすっかり消え失せ、今ではこのルームも一太かずたの心も冷たい静けさに包まれていた。

 謹慎、それは一太が想像する以上に重たい言葉だった。ポストドクターという不安定な立場の自分にとってその言葉がどんな意味を持つのか。それが自分の研究者としての道が断たれるにも等しいものであることを一太は薄々感じてはいたが、しかしまだその重大さを実感できてはいなかった。

 テーブルの上にはコックリさんの文字盤と十円玉が残されたままだった。放置されたままのイオン測定器からは冷却ファンの微かなモーター音だけが聞こえ、そのすぐ脇では愛用のノートPCが液晶画面にスクリーンセーバーによる面白みのない文字を浮かべていた。


「これが見納めになるのか。でも、もし復帰が許されるのならそのときはまた新しい課題を見つけなきゃだ。そうだなぁ、以前にやってた金属きんぞく錯体さくたいにおける問題解決、あれなら教授も認めてくれるだろう」


 そして一太は気分を変えるために両手を上げて伸びをすると「さて、片付けるか」とひとりつぶやいて測定器の前にしゃがみこんだ。


 するとそのとき、今までゼロの位置で止まっていたメーター針が微かに揺れた。一太は一瞬ドキッとしたが、しかしそれは自分が近寄った振動によるものだろうと自らを納得させようとした。


「ピピッ…………」


 今度は計測器から正イオン検出の電子音が発せられる。


「ピピッ……ピ……ピ……」


 測定器を見つめたままじっと固まる一太の全身を痺れるような寒気が包み込む。


「ピッ……ピッ……ピッ……ピッ……ピッ……」


 なおも鳴り続ける電子音。一太はその場に立ち上がるとルーム全体を見渡してみたが、そこには自分以外誰一人として存在するものはなかった。

 一太の耳に電子音に混じってそこにあるはずのない音が聞こえてくる。それは衣擦きぬずれにも似た音だった。

 シュルシュルと聞こえるその音は、その発生源は、一太にもそれはすぐにわかった。それはあの文字盤、テーブルに残された文字盤の紙が擦れる音だった。

 一太は恐る恐るテーブルに目を向けてみる。果たしてそこでは、誰もいない文字盤の上で十円玉だけがジグザグと無軌道に動いていた。


 一太の視線は十円玉の動きを追う。するとまるで十円玉がそれに気付いたかのように一定の動きをし始めた。ランダムな動きの合間合間に十円玉は同じ文字を指し続けた。


「か」


「え」


「れ」


 その動きは「帰れ」を意味していた。


「か……え……れ……って、帰れ、だと?」


 文字盤の上では十円玉がなおも同じ言葉を繰り返していた。


「かえれ」

「かえれ」

「かえれ」


 しかし今の一太かずたに恐怖心はまったくなかった。何よりそんなものを超えるほどの怒りが湧き上がっていた。自分の論文が、実績が否定され、あまつさえ謹慎という憂き目にまで遭ってしまった悔しさとやるせなさ、それを得体の知れない霊的な存在にまであざけられているような腹立たしさ。そんなやり場のない感情が一太の中に一気に押し寄せてきたのだった。


「ふざけるな、僕は怖くなんかないぞ。さあ、出て来い!」


 しかし一太に答える声はなく、ただ耳に突き刺さるだけの電子音とともに文字盤の上では相変わらず十円玉が動き続けていた。


「クソ――こんなもの!」


 ついに怒りが爆発した。一太は動き続ける十円玉を引っ掴むとそれを無造作に放り投げた。そして残された文字盤をビリビリと破いてはそれも床の上にばらまいてしまった。

 すると電子音は消え、同時に静まる測定器、メーターが示す針の位置もゼロに戻っていた。

 再び水を打ったような静けさに包まれるセミナールーム、未だ興奮が冷めやらぬ一太、その一太の耳の中にねじ込まれるように幼い男の子の声が響いた。


「カズタ。帰ぇるべ、カズタ」


 その声にハッとして一太は自分の周囲をきょろきょろと見渡す。

 今の声、その声は一太にとって妙に懐かしい郷愁を感じるものだった。しかし一太はその声に対して同時に嫌悪も感じていた。


「やはり、おまえか……」


 一太から怒りの感情はすっかりと消え、代わってあきらめと悲しみが彼の心を埋め尽くす。そしてそのまま踵を返すと全てをそのままにして一太はひとりセミナールームを後にするのだった。

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