第22話 いいえ、いいえ、いいえ!
蛍光灯型LEDの真っ白い光とそれに照らされるライトグレーのリノリウム床、無機質に感じられる研究棟の雰囲気が中学生の少女たちにはものめずらしいのだろう、ヒロキの後について歩く三人は周囲をキョロキョロと眺めては互いに声を潜めながらしゃべり続けていた。
普段は静かな学内にはまるで場違いな四人から視線を逸らすようにしてそのすぐ脇を白衣を着た女子学生が通り過ぎて行く。
「ユッコ、ユッコ、見た? 今すれ違った女の人、白衣着てたし」
「カッコいいよね、白衣って。リケジョだよね」
「えっ、リケジョ?」
「理系女子のことだよ、ノンコ、知らないの?」
「知らな――い」
「やっぱ実験室とかあるのかな」
「そりゃここは大学だし。あたしも
「マジで? でもユッコって数学全然じゃん」
「ミッコ――ここでそれ言うかぁ?」
とにかくよくしゃべること、女子中学生が三人ともなればこれが当たり前なのだろうか。しかしこれから彼女たちが参加する実験のことを考えたならば妙に緊張されるよりもこれくらい屈託のない方がよいのかも知れない。
少しばかり気恥ずかしい思いでそんなことを考えながらヒロキは三人の珍客を従えて実験会場であるセミナールームに向かうのだった。
廊下の左右に整然と並ぶ床と同色のライトグレーに塗られたドア、奥の突き当りから数えて四つ目にある観音開きの扉の前で立ち止まると、それにつられて三人の女子もバラバラと立ち止まる。そしてヒロキはコン、コン、コンと三回のノックをしてドアノブをひねった。
「
長机と長椅子が並ぶその部屋も廊下と同じ白い壁、いささか殺風景ではあるが明るい部屋だった。
ここはヒロキが履修しているゼミが開催されるセミナールーム、三人掛けの机が五台ずつ二列、最大三十人が座れる小ルームだ。
ヒロキの声に一太は黙々と作業していた手を休めて立ち上がると額に浮かんだ汗をシャツの袖で拭いながらにこやかな笑みを浮かべた。
「みんなよく来てくれたね。さあ、そちらにどうぞ」
一太が手を向けた先にまずはミッコと呼ばれる女の子が座る。続いてその向かいにユッコとノンコが並んで座った。
「それではすぐに準備を始めてくれ。君たちは中学生、あまり遅くなってはいけないからね」
一太の言葉を合図にしてノンコがキャンバス地のバックパックから四つ折りにしたA3サイズの紙を取り出すと、それをユッコと二人でテーブルに広げる。ユッコが丁寧に紙のしわを伸ばし始めると、ミッコがえんじ色の小さな小銭入れから十円玉を一枚取り出してそれを広げた紙の上に置く。
紙の上部には鳥居の絵が描かれていて、その向かって左に「はい」、右に「いいえ」と書かれていた。その下には五十音表、ひらがなで「あ行」から「わ行」まで、最後には「ん」の文字が書かれており、その表の下にはゼロから九までの数字が横一列に並んでいた。
そしてミッコが十円玉を表にして描かれた鳥居の上にそれを置く。これで準備は整った。
静まり返ったセミナールームで測定器から発せられる微かなファンノイズだけが鳴っている。さっきまではあれだけ賑やかだった少女たちも文字盤を前にして緊張しているのか押し黙ったままだった。
時計の針は午後三時、沈黙を破ったのは
「よし、始めてくれ」
三人は揃って文字盤の十円玉に視線を落とすと、最初にミッコが、続いてユッコ、ノンコの順で十円玉に人差し指を載せた。
一太は少女たちと測定器、それにノートPCにプロットされるグラフとを交互に見比べていた。その一方でヒロキは少女たちを挟んで一太や測定器とは反対の場所、この奇妙な実験からは一歩引いた位置で全体を
コックリさんなんて迷信みたいなもの、どうせ期待する結果にはならずに時間切れで終わるだろう、いや、むしろそうなって欲しい。
それにしても学内でコックリさんなんて……どうしよう、やはり止めるべきか。
ヒロキが心中にもやもやとした不安を感じたまま逡巡しているうちに少女たちは声を揃えて唱え始めた。
「コックリさん、コックリさん」
実験は始まってしまった。
「今ここにあなた様の座を設けました。おうつりください」
「おうつりください」
「おうつりください」
ミッコがこの三人のリーダー格なのだろう、彼女が唱える言葉をユッコとノンコの二人が追う。二回、三回と詠唱するが、しかし十円玉が動く気配はなかった。
「ねえ、やっぱ来てくれないのかなぁ」
ノンコが不安げな顔でそういうとミッコとユッコがそれをいさめてもう一度唱えるように言う。こうして唱えること四回目、異変はそこで起こった。
「ピ…………ピ…………ピピ…………」
測定器から弱いながらも電子音が発せられた。しかしPC上のグラフはまだ誤差レベルなのだろう数値はゼロのままだった。
そしてミッコが何かを感じたのだろうか、向かいに座る二人に目くばせをした。
「コックリさん、コックリさん、おいでになりましたなら『はい』とお答えください」
三人が指を置く十円玉が鳥居のマークを離れてゆっくりと「はい」の位置に向かう。
「ピ……ピ……ピ……ピ……ピ……」
電子音の間隔はさっきまでよりも短く途切れることなく鳴り始める。一太は測定器の針と画面のグラフを見比べる。小さな値ではあるが確かに数値がプロットされている。一太は自信と期待に満ちた表情でテーブルの向こうに立つヒロキに向かって力強く頷いた。
少女たちも驚きに加えてそれを上回る嬉しさに顔を紅潮させていた。
「来た、来てくれたよ」
「ほんとだよ、ミッコ、すごいよ」
喜びの声を上げるユッコとノンコを目で制しながらミッコは降りてきたであろう存在に問いかける。
「あなたさまはどちらからおいでになられましたか?」
三人の指が十円玉に引っ張られるように動き出す。
「き……た……」
十円玉は「北」を表わす動きをする。
測定器からは相変わらず規則正しい電子音が発せられている。
「お答えくださりありがとうございます。それではいくつか質問をさせていただきます」
十円玉は三人の指を引き連れて「はい」の位置に戻る。そこで一太が口を開いた。
「君たちに頼みがある。僕から質問をしたいんだが……そうだなぁ……君たちが知らない僕の個人情報みたいなことはどうだろう」
ミッコは二人に目で合図すると一太の顔を見て小さく頷いた。
「よし、それならまずは僕の年齢はどうだろう」
ミッコはその存在に問いかける。
「コックリさま、ここにいる
十円玉は力強く動く。五十音の文字列を横切って数字の「3」の上で止まる。そしてすぐに横に進んで「0」指す。十円玉が示したのは三十だった。
「ピ……ピピ……ピ……ピピ……」
電子音が発する無機質なリズムが少しだけ速まる。
「正解だ。よし、それなら僕の出身地はわかるかな」
ミッコが再びその存在に問いかけると十円玉はするすると動き出した。
「さ」
「い」
「た」
「ま」
埼玉、そう示したと同時に電子音にも変化が生じた。
「ピピ……ピピ……ピピ……ピピ……」
同時にグラフに示される数値も上昇していく。
「すごい、すごいぞ太田君。彼女たちの念に応えて今ここに霊体が降りて来ている。それが正イオンとなって検出されてるんだ。やっぱりだ。やっぱりそうだったんだ」
一太は興奮気味に声を上げた。
「よし、計測のログも記録した。あとは数値の変化を時系列にまとめればいい」
セミナールームには今も電子音が鳴り響いている。一太は達成感に満ちた笑顔でミッコに実験の終了を伝える。そしてミッコはその存在に向けて丁重に礼を述べた。
「お答えはすべて正解でした。ありがとうございました。どうぞお帰りください」
しかし三人の指先は微動だにしなかった。
「お帰りください」
「お帰りください」
ミッコに続いて他の二人も声を揃えてその存在に向けて終了を伝える。
動かない十円玉。
三人の顔に焦りの色が浮かぶ。計測器の電子音は相変わらず無機質なリズムを刻んでいる。
「お帰りください」
「お帰りください」
「お帰りください」
三人が声を揃える、なおも鳴り続ける電子音。不安から恐怖へ、少女たちの顔から見る見る血の気が引いていく。
「お帰りください」
「お帰りください」
「ピピ……ピピ……ピピ……ピピ……」
やがて一太もこの尋常でない様子に焦りを感じ始めた。
「お、太田君、何が起きているんだ。それに……」
一太はグラフの数値が最大値まで上がっていることに気付いた。
「初めてだ、こんなことって。数値が……MAX値の状態に……」
そのときセミナールームに響き渡ったのはノンコの叫び声だった。
「キャ――イヤ――た、助けて、助けて――」
そして一太は見た、文字盤の上を不規則に動き回る少女たちの指先を。
やがてその動きは文字盤のある場所で止まった。
「いいえ」
再び目まぐるしい速さで動き回る十円玉。少女たちの腕はそれから離れることができずに乱暴に振り回されている。
「助けて、助けて……お願いです、お帰りください、助けてください!」
ミッコがそう叫ぶも十円玉はまたもやそこで止まる。
「いいえ」
十円玉が不規則に動く、そして止まる。
「いいえ」
小さな硬貨が少女の指を蹂躙しながらなおも動いては止まる。
「いいえ」
「いいえ」
「いいえ」
最早実験どころではなかった。泣きわめきながらも指を離せない少女たち、にもかかわらず一太もヒロキも為す術なく茫然とするばかりだった。
場の空気の異常さに輪をかけるように測定器も耳障りな叫びを上げ始める。
「ピピ……ピピ……ピピピピピピピピピピピピピッピ――――――――」
叫び声から泣き声に、ノンコの
「許してください、ごめんなさい。やっぱりこんなことするんじゃなかった。ごめんなさい、ごめんなさい」
十円玉と少女たちの指は不規則に動いては「いいえ」に止まるを繰り返していた。 とにかくなんとかしなくては。まずは彼女たちの指を十円玉から……ヒロキが身を乗り出そうとしたそのときだった。
「だめじゃ!」
ヒロキの頭の中に
「九尾、九尾か?」
しかし声はそれっきり、ヒロキの中で九尾はおろかよもぎの気配すら感じることはできなかった。
「太田君!」
再び一太の声、同時に十円玉の不規則な動きもピタリと止まってスタート地点の鳥居の上にあった。
すすり泣く少女二人、その中でミッコだけが気丈にも文字盤を見つめたまま唇を噛みしめていたが、しかしその肩はガタガタと震えていた。
そのときセミナールームのドアが「バタン」と音を立てて開いた。尋常でない声を聞いて慌てて駆け付けたのだろう、そこにはこの研究室の教授である
そしてただ事でない状況を察した可憐はただ立ちつくすだけのヒロキに厳しい視線を向けるのだった。
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