第18話 久しぶりだね、お嬢さん

 芹澤せりざわさんの顔に驚きの表情が浮かぶ。そして目を見開きその場に立ちすくんだのも束の間に慌てて取り繕うような声を上げる。


「よ……よもぎちゃん、ママですよ。ママはよもぎちゃんのこと……」

「ほらっ、そこ! そこですよ」


 よもぎが芹澤さんの言葉を遮るようにツッコミを入れると、芹澤さんもつられるように思わず聞き返す。


「えっ? な、なんか間違ってるか、俺」

「はい、間違ってます。大間違いです!」


 よもぎは朱塗りの刺叉さすまたを小脇に抱えたまま腕組みをして憮然とした顔で答えた。


「よもぎはお母さんのこと、ママなんて呼びません。それにお母さんだってよもぎのことは、よもぎ、って呼びます。よもぎちゃん、なんて言いません」

「そ、そうなの?」

「そうです!」


 芹澤さんらしき者とよもぎのやりとりのかたわらでは既にそれぞれの武器であるやいばを収めた九尾きゅうびとミーシカもよもぎと同じように腕組みして芹澤さんらしき者を睨み返していた。


「お母さんをママって呼ぶのはよもぎじゃなくて、可憐かれんちゃんです」

「……」

「それにこんな刺叉を使う人なんて、よもぎは一人しか知りませんし、もうバレバレですよ」


 よもぎは抱えていた刺叉を芹澤さんらしき者に掲げて見せた。


「よもぎ、オレにも解るように説明してくれよ。あれは芹澤さんじゃないのか?」

「ヒロキさん、あの人は……」

「それはわらわが説明してやるのじゃ」


 今度はよもぎの言葉を遮るように九尾が割って入る。


彼奴きゃつは冥界、苦行の沼の管理人じゃ。わかりやすく言うならば地獄の鬼というか、まあ、獄卒ごくそつじゃ」

「ええっ? あんな小柄なオバサンが?」

「たわけが、そんなわけなかろう。あれは化けておるだけじゃ」


 九尾に続いて今度はよもぎが芹澤さんらしき者に向かって言う。


「管理人さん、もういい加減そのカッコはやめてください。よもぎはとっても複雑な気分なんですから」

「お、おう、確かに……確かにそうだよな。これは失礼した」


 さっきまでとはうって変わって男言葉でそう言うと、芹澤さんらしき者は右手の指をパチンと鳴らした。すると同時に強い閃光が前に立つ四人を幻惑させる。そしてまばゆい光が消えたそこに立っていたのはダークスーツを粋に着こなす長身の男性だった。

 バツが悪そうな顔とともに正体を現わした男は、小さな神社の境内にはまるで似つかわしくない金髪のリーゼントヘアを軽くかき上げながらよもぎに向かって微笑みかけた。


「久しぶりだね、お嬢さん。どうやらうまくやってるようで俺も安心したよ。ところでお嬢さん、あんた、いつから気づいてたんだ、俺のことを」

「それは……お母さんの服がちょっと違ってたのと、あとはやっぱママって言ったとこからかな」

「え――っ、ってことは、ほとんど最初からか?」

「はいっ!」


 よもぎは、どうだと言わんばかりに自信に満ちた声で答えた。


「これは俺としたことが……それでお嬢さん、あんたはあんたでひと芝居打ってたってわけだ」

「でもでも、よもぎもまさか管理人さんだとは思いませんでした。だから最初は様子を見てたんです。でもこの刺叉を見て全部わかっちゃったんです」

「なるほどな、こりゃ見事に一本取られたってわけだ。さすが上の連中が見込んだだけのことはあるな、うん」


 苦行の沼の管理人を名乗るその男は感心したようにそう言うと、閑話休題とばかりに黒いジャケットの襟を正してさらに続ける。


「さ、お芝居はここまでだ、とりあえずお嬢さんが抱えてるそいつをこっちに返してくれ」


 男はそう言いながらむくれ顔のよもぎに向かって右手を差し出した。するとよもぎは手にした刺叉を管理人に手渡すのではなく、槍投げの要領で「えいっ!」と男の隣で口を開けている真っ赤な円の向こうに放り投げてしまった。


「あっ、ちょっと待て、おい、マジか……ああ、なんてことを」


 突然のよもぎの行動に意表を突かれた男は思わず声を上げて真っ赤な穴を覗き込む。しかし投げ込まれた刺叉は既に冥界の奥底に消えてしまったのか、影も形もなくなっていた。

 男はこちらに振り返ると呆れたように両手を広げてため息をついた。


「お嬢さん、あれは今回のご褒美にあんたに差し上げるつもりだったんだが、それを冥界送りにするなんて」

「よもぎには必要ないです、いらないです」

「無理に受け取れとは言わないが、それにしても……ハァ、備品は大切にしないと減点の対象になるぞ」


 よもぎと管理人を名乗る男、二人の会話を少し下がった場所で眺めていたヒロキが九尾に耳打ちする。


「なあ九尾、冥界だとか管理人だとか言ってるけど何が何だかサッパリだ。それによもぎとあの人って知り合いなのか?」

「そうだよ九尾、ボクにもわかるように説明してよ」


 ミーシカも加わってのそんなヒソヒソ話に目ざとく反応した男がヒロキに向かって声をかけた。


「あ――太田君、挨拶が遅れて悪かったね。そこの九尾が言うとおり、俺は苦行の沼の管理人だ、よろしくな」

「フンッ、なにがよろしくじゃ。なんとなくわらわにも話が見えてきたのじゃ。何かあるなと思っておったが……オイ、獄卒よ、れがヒロキを誘導しておったのじゃな」


 管理人は九尾の問いに答えることなくただ薄ら笑いを浮かべるだけだった。


わらわには答えぬか……まあよいじゃろ。それにしてもつまらん三文芝居じゃな。ヒロキの誘導も見え見えじゃったし、それでれは天狐てんこや上の連中やらの代理人にでもなったつもりじゃろうが、まだまだ詰めが甘いのじゃ。いっそのことれも獄卒なんぞやめてこっちへ降りてはわらわとともに修行でもしてはどうじゃ?」


 九尾が管理人を挑発するかのようにいつもの居丈高な口ぶりでさらに続ける。


「それよりれはこんなところにってもよいのか? それとも今日は苦行の沼は臨時休業か?」


 止まらない九尾の軽口に堪忍袋の緒が切れたのか管理人の顔から笑みが消え、代わってその眉がピクリと動いた。

 次の瞬間、九尾に向かって金色に輝く光の輪が飛んで来た。九尾は頭を下げてそれをかわすと宙を飛ぶその輪の動きを目で追った。光の輪は九尾の脇をかすめた後、まるでブーメランのように境内をぐるりと回って男の右手に戻っていた。

 その右手から繰り出されるであろう次の攻撃に備えてミーシカが再び両手の指先から研ぎ澄まされたやいばの爪を見せると、みんなを守るように前に出て防御の構えで立つ。


「そうイキリ立つなって、仔猫チャン。今のはそこの小生意気な狐への仕置きみたいなもんで、こっちには攻撃の意思はないんだ。とにかくその物騒なのを引っ込めてくれ」

「よくわからないけど、もしみんなに何かあったらボクが許さないからな。それに、仔猫って言うな!」


 ミーシカは管理人の言葉に従ってやいばを引っ込めたものの、それでも警戒は緩めずに身構えていた。そしてその後ろではよもぎと九尾も管理人の出方を見守っていたが、その中でヒロキだけが攻撃も防御も為す術なくオロオロとそれぞれの顔を見くらべるのだった。

 そんな四人の様子を眺めながら管理人は「パンッ!」と一発、大きな柏手を打つ。一斉にその顔を見る四人、男は柔和な笑みを浮かべながら口を開いた。


「さて、九尾の余計な一言でおかしなことになっちまったけど、そろそろ本題に入るとするか」



 管理人は冥界へと通ずる深紅の円を背にしてこちらにゆっくりと歩いてきた。ヒロキも見上げるような長身が四人の顔を見渡すとジャケットのポケットにゆっくりと右手を忍ばせる。その仕草に敏感に反応したのはミーシカだった。管理人は彼女が発する臨戦態勢のオーラを察して一旦両手を掲げて見せた。


「ほら、何もしないよ仔猫チャン。ここからは事務的な話さ」

「だから、仔猫って言うな!」


 声を上げて身構えるミーシカを尻目に管理人はポケットから黒く四角い物体を取り出した。それはヒロキが持っているスマートフォンよりもひと回り小振りだったが厚みはその倍ほどもあった。


「あれって、もしや……」

「あ――っ、管理人さんもスマホ持ってるんですかぁ?」


 ヒロキのつぶやきを遮るようによもぎが声を上げる。それに嬉しそうに反応する管理人。


「これか? こいつはスマホなんかじゃない、PDAピー・ディー・エーだぜ」

「あの――管理人さん、それってずいぶんと古いですよね。動くんですか?」

「もちろんだ」


 管理人は四人に向かってドヤ顔を見せながら続けた。


「スマホは確かに便利だが、クラウドだの何だのとにかく通信ができなきゃどうにもならん。しかしコイツは単体でもなかなか使えるんだ。スケジュール管理なんてこれひとつで十分なんだぜ。まさにこれだけ、これだけだぜ」


 管理人は胸を張って手にした携帯端末の画面をヒロキたちに見せる。そこにはモノクロ画面に映ったスケジュールが表示されていた。


Personalピー Digitalディー Assistantエー、聞いたことがある。まさか今でもまだ使ってる人がいたなんて」


 返す言葉もなく茫然とした顔でその小さな物体を見つめるヒロキを横目にして九尾が鼻で笑う。


「よくもまあ、あんな古臭いものを。大方、苦行の沼に落ちてきた亡者どもの持ちものを頂戴したのじゃろうよ」

「それにしてもあの人の世界に電気は来てるのかよ。オレにとってはそっちのほうがよっぽど不思議だよ」

「でもでもヒロキさん、よもぎ、見たんですけど、管理人さんのところには大っきなテレビもあるんです。80インチって言ってましたよ」


 管理人はそんなヒロキたちの会話など意に介することなく端末に付属のタッチペンを使って何やら入力をし始めた。見たところ文字入力をしているのではなくボタン操作をしているようだ。


「さて、これでよし、と。それでは始めようか」


 管理人は手にした端末の画面から顔を上げると自分を伺う四人に向かって腹に力を入れた太い声で宣誓するかのように声を上げた。


「お嬢さんと九尾は、一歩前へ――!」

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