第17話 黒い日傘の女

 九尾きゅうびの眼に鋭い光が走る。それはまるで猛獣が獲物を狙うときのように狡猾で鋭い眼差しだった。ほんの少しの睨み合い、その沈黙を破って先に仕掛けたのは九尾の方だった。

 手にした刀身一尺の短刀を目にも止まらぬ速さで抜いて振るったその瞬間、その軌跡がまばゆい光の斬撃ざんげきとなって芹澤せりざわさん目掛けて襲い掛かる。

 芹澤さんは表情一つ変えることなく手にした日傘でそれを打ち払う。九尾の切先きっさきが再びくうぎさらにもう一撃を打ち込むが、しかしそれもあっさりと打ち砕かれてしまった。


「ぐぬぬ、やはりこの身体からだではどうにも勝手が違うのじゃ。せめてよもぎが正気に戻りさえすれば……」


 抜け殻のようにゆらゆらと立つよもぎに悔しそうな目を向ける九尾だったが、芹澤さんはその一瞬の隙を見逃さなかった。九尾が芹澤さんから視線を外したその瞬間を狙って黒い何かが猛スピードでこちらに向かってきた。そして強く重たい衝撃。


「ぐはっ!」


 不意を突かれて後方に飛ばされる九尾、その身体からだをヒロキがすかさず回り込んで受け止めた。


「ゆ、油断したのじゃ。ヒロキ、彼奴きゃつは……ゲホッ」

「九尾、大丈夫か。今、もろに入ったぞ」

わらわは大丈夫じゃ。それよりヒロキ、れはよもぎを止めるのじゃ」


 九尾に襲いかかったその黒い物体は芹澤さんが手にする日傘の柄だった。ここから芹澤さんまでは数メートル以上の距離がある。まさかあの傘がここまで伸びてきたのだろうか。しかしその謎はすぐに解けた。やはりあの日傘の柄がここまで伸びて来たのだった。そして今、黒く長い柄は倒れた九尾を冷めた表情で見下ろす芹澤さんの手元に向かってスルスルと戻っていくのだった。


「何なんだあれは……」

「やはり彼奴きゃつは……ヒロキ、れは下がっておれ。あれはただの人間ヒトが敵う相手ではないのじゃ」


 九尾はヒロキの腕を振りほどくとよろよろとした足取りでよもぎの前に立ち、再び短刀を抜くと芹澤さんに向かって構えた。


「手加減してあげたのに懲りない子ね。それならば今度は容赦しませんよ」


 芹澤さんは手にした日傘の、今度は柄ではなく鋭く尖った石突きの先端をこちらに向けて構えた。

 このままだと九尾が……ヤバい、マジでヤバい。

 ヒロキは咄嗟にバックパックを盾のようにして身を守りながら九尾の前に膝をついて立った。バッグの向こうに黒い尖端がこちらに迫り来る様がスローモーション映像となって映る。

 こんなもので守りきれるのか。もしあれが突き抜けてきたら今度はオレが、それに九尾までも……ダメだ、目を閉じたらダメだ。ヒロキは勇気を振り絞って目を逸らさずに襲い掛かるそれを凝視した。


 間一髪、すんでのところでヒロキの視界を遮る影、同時に響く金属同士が激しくぶつかり合う衝撃音、静かな境内に緊張感が走る。そしてヒロキの耳から残響が消えたとき、目の前には淡いグレーのメイド服に身を包んだ後ろ姿と銀髪が揺れるその首元にはチョーカーの赤いリボン飾りがあった。


「危なかったねヒロキ様。大丈夫、ボクにまかせて!」


 芹澤さんが繰り出した鋭い石突きを研ぎ澄まされた五本のやいばがガッチリと受け止める。


「ミーシカ……ミーシカじゃないか! どうしてここに」


 ミーシカは鋼鉄の爪が伸びたその手で傘を掴みながら、目を見開いて驚くヒロキに向かって微笑みかけた。


可憐かれん様と銀姉ギンねえに頼まれて追いかけて来たんだ」


 そしてミーシカは芹澤さんに向かって挑むような視線を向けながら傘を握るやいばの指に力を込めた。


「これはちょっとやり過ぎじゃない? ねぇ、オバサン」


 そう言いながら抑え込む腕に力を載せると長く伸びた傘の先は容易にしなってその先端が地面を擦る。


「さあ、今度はこっちのターンだよ!」


 ミーシカは掛け声とともに傘の先の上に飛び乗ると芹澤さん目掛けてその細い導線の上を走る。そして伸びた傘のしなりを利用してジャンプすると落下点に立つ芹澤さん目掛けて右手の刃を振り下ろした。

 しかし相手も負けてはいなかった。ミーシカの動きを見切った芹澤さんはスッと上体を反らせて繰り出された爪の刃を紙一重でかわして見せる。続けて間髪入れずにミーシカが繰り出してきた左手の突きもいつの間にか元の長さに戻った日傘でその攻撃を払い除けた。

 そして今度は芹澤さんの攻撃、繰り出される攻撃を止めようと、手にした日傘の鋭い尖端でミーシカの両の腕を狙う。激しい突きとそれを払う鉄の爪、静かな境内に耳障りな金属音が鳴り響く。


「ふふふ、こちらがお留守ですよ」


 芹澤さんは不敵な笑みとともに手にした日傘をくるりと回すと、今度はその柄をミーシカに向けた。光速の速さで伸びる日傘、その柄の先がガラ空きとなっているボディーを狙う。その攻撃をギリギリ紙一重でかわすと芹澤さんの続く一手を警戒しつつ態勢を立て直すためミーシカは一旦後退した。


「ヒロキ様、あのオバサン、やたらと強いんだけど」


 呆れたようにそう言うミーシカ目がけて容赦のない攻撃はまだまだ続く。芹澤さんは伸縮自在な黒い日傘で続けざまに仕掛けて来た。ミーシカはそれを両手の刃先でかわしているが、しかしそれは芹澤さんからの一方的な攻撃に対する防戦に過ぎなかった。


「やはり猫の爪と彼奴あやつ得物えものとではリーチの差があり過ぎるのじゃ。なんとか猫を近づけさせてやらんと……うむ? なんじゃ?」


 ヒロキを護るように下がっていた九尾がミーシカに加勢しようと一歩前に出たそのときのことだった。芹澤さんは攻撃の手を止めてゆっくりとこちらに近づいてきた。


「猫よ、彼奴きゃつめ何か仕掛けてくるぞ。油断してはならんのじゃ」

「うん、わかってる。だからヒロキ様も九尾ももう少し下がってて!」


 ミーシカもかなり消耗していた。それでも三人を守ろうと肩で呼吸いきをしながら芹澤さんに向かって身構えた。

 しかし芹澤さんは次の攻撃を仕掛けることなく構えていた日傘を下ろすと右手を挙げて二本の指を立てた。そしてその指でグルリとくうに円を描く。すると指の動きに合わせて陽炎かげろうの軌跡が現れる。やがて閉じられた円弧の内部もぼやけて揺らぐ。続いて芹澤さんが両手をいっぱいに広げるとその円もそれに合わせて大きくなり、陽炎の円の向こうに立つ芹澤さんの黒い影も屈折して揺らいで見えた。

 その円の縁を芹澤さんはス――ッと押すとそれに従って円も移動した。そして芹澤さんが円のすぐ隣に立って右手の指をパチンと鳴らすと、揺らぐ陽炎だった円は赤みを帯びてやがてそれはまるで血の池のような深紅に変わる。それはまるでこの世のすべてを飲み込まんとする地獄への入口のようだった。


「私はよもぎちゃんといっしょに帰りたいだけなのに、あなたたちときたら。それならまずはそこの物騒なメイドさんから消えてもらいましょう」


 芹澤さんは手にした日傘を器用に回転させると再び一撃を繰り出した。しかしミーシカ目掛けて伸びて来たのはあの黒い日傘ではなく朱に塗られた刺叉さすまただった。

 ミーシカはまたも両手の刃でそれを打ち払う。しかし打ち払えども打ち払えども芹澤さんの攻撃が止まることはなかった。


わらわも助太刀するのじゃ」


 防戦がやっとのミーシカに九尾が加勢に入る。ミーシカが刺叉を受けるタイミングで九尾が短刀を振るって斬撃を放つ。しかし芹澤さんは瞬時に刺叉を伸縮させて避けては攻めを繰り返してきた。


「うわっ!」


 そしてついに芹澤さんの刺叉さすまたがミーシカのみぞおちに命中した。怯むミーシカだったが、しかしその手はしっかりと刺叉を掴み続けていた。


「さあ元気なメイドさん、あなたのお仕事はここで終わり。このまま冥界の穴の向こうに飛ばして差し上げます」


 芹澤さんの隣で口を開けている深紅の穴に向かってじりじりと刺叉が縮んでいく。


「猫よ、彼奴きゃつの刺叉をなんとしてでも取り上げるのじゃ」

「わかってる、わかってるんだけど、すごい力なんだよ、あいつ」


 まるで綱引きのように刺叉を掴んで踏ん張る九尾とミーシカだったが、じわじわと縮みゆく刺叉に引きずられるのみだった。


「オレも手伝うぞ!」


 芹澤さんから刺叉を奪い取らんと、ヒロキもその力くらべに加わった。ミーシカ、九尾それにヒロキの三人で刺叉を掴み踏ん張りはするものの、ジリジリと不気味な赤い円に向かって引き寄せられていく。

 そんな三人に目を向けることなく、ただ無気力な眼で立つだけのよもぎ、ヒロキはよもぎのしろである自分の胸元に下がる勾玉に向かって声を上げる。


「よもぎ、おい、どうしちゃったんだよ、よもぎ!」

「心配しないで、大丈夫ですよヒロキさん」


 突然頭の中によもぎの声が響いた。刺叉を掴みながらよもぎに目を向けるヒロキ。


「ヒロキさん、あの人に気づかれないように、そのままで聞いてください。よもぎは大丈夫ですから。ここから反撃しましょう」


 すると突然、芹澤さんの刺叉の力がフッと抜けた。それと同時に踏ん張っていた九尾とミーシカは後ろに向かってよろめく。三人の目の前に立つもう一人の影、それは刺叉を握りながら芹澤さんに向かって立つよもぎだった。

 不意を突かれた芹澤さんは刺叉をよもぎに奪われながらもまだ余裕の笑みをこちらに向けていた。そして刺叉を掴むよもぎの手に向かって何やら目配せをする。するとよもぎが手にする刺叉はするすると縮んてゆき、ステッキ程の長さに縮まった。


「よもぎちゃん。さあ、ママにそれを返して。そしていっしょに……」


 芹澤さんの言葉を遮って、今度はよもぎが不敵な笑みを返す。そして強い口調で続けた。


「もうお芝居は結構です。よもぎはこの刺叉でわかっちゃいました。こんなところで何をやってるんですか、苦行の沼の管理人さん!」

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