第15話 見守るつもりだったのに

「ねえ、ヒロキ。ヒロキはさ、よもぎちゃんの気持ちって考えてるのかなぁ」

「もちろん考えてるよ」

「そう……ならどうしてそんな発想になるのよ。よもぎちゃんの事件は不幸な結果だったけどもう30年も前のことなのよ。ヒロキが気にしてる芹澤せりざわさんが、もし、もし仮によ、よもぎちゃんのお母さまだったとして、だったらヒロキはどうしたいのよ」


 可憐かれんはヒロキに対する苛立ちを隠すことなくまくし立てた。


「ちょっと待ってくれよ可憐。今回のことはオレたちが積極的に探し出した結果ってわけじゃないだろ。ボランティアの支部長がたまたまよもぎの真名まなと同じ苗字だっただけで、それならばひょっとしたらって思うじゃないか。オレはそれをハッキリさせようと思ってるだけさ」

「だから、どうしてそうなるのかなぁ……」

「それって可憐、君がそんなに怒ることなのか?」

「怒るわよ。昨日だってヒロキひとりで、相談も何もないし。私は今のヒロキには不安や矛盾しか感じないわ」


 ヒロキは昨日ここキャッスルから自分に起きた出来事、それはヒロキの単独行動によるものだったのだが、を可憐にメールで報告した。すると即座に可憐からの返信が届いた。そこにはたった一言「ヒロキが行く前に話がしたい」とだけあった。前置きの挨拶も絵文字もないその一文に重みだけでなく凄みも覚えたヒロキはメールで済ませてしまったことを後悔した。やはり電話でもいいから直接話すべきだったと。

 しかしそれも後の祭り、そのメールに気まずさを覚えたヒロキは結局そのまま返信も電話もすることなく今日を迎えていた。

 そしてランチタイムの賑わいもようやっと落ち着いたこの時間、カウンターの端に並んで座るヒロキと可憐は顔を合わせるなり、二人にしてはめずらしく厳しい口調で口論を始めたのだった。


「ねえ、ヒロキだって覚えてるでしょ、よもぎちゃんが一大決心をして向こうに旅立ったあの日のことを。そして九尾きゅうびとともにみそぎに代わる修行をするために再びこちらに戻ってきた。それって私たちの世界で例えるなら執行猶予みたいなものだと思うのよ。もしその猶予期間中に何らかの裁定が下されたら、その瞬間、よもぎちゃんも九尾も冥界に戻されるわ」

「何だよそれ、執行猶予とか裁定とか。それじゃまるでよもぎも九尾も常に監視されてるってことじゃないか」

「そうよ、その通りよ。特によもぎちゃんの場合は九尾の更生という使命を背負ってるわけだし」

「しかし、それと今回の件とどんな関係があるんだよ」

「それは……」


 可憐はひと息の間をおいて続けた。


「それはごうよ。だって考えてみてよ、その芹澤さんがよもぎちゃんのお母さまでそれを見たよもぎちゃんが懐かしさや未練を感じたらどうなると思う? その時点で即ゲームオーバーってこともあり得るのよ」

「そんな……それだけのことでか?」

「こっちでは被害者であるよもぎちゃんにもごうはあるっていうのが向こうの考え方なんでしょ? とにかくドライなのよ。特に過去とか未練とかそういうことにはもっと注意を向けるべきなの。だからとにかくヒロキ、私は今日は行くべきじゃないと思うわ」

「だけど仕掛けてきてるのは向こうだろ。おかしなメールとか急な予定変更だとか、誘ってきてるのはあきらかじゃないか。なのにバックレろって言うのか? オレはイヤだな」

「とにかくヒロキも私もよもぎちゃんと九尾のことを第一に考えるべきよ。そんな誘いに乗ることないじゃない。それでも行くって言うのなら、それはヒロキの興味本位な考えに他ならないわ」

「なんだよ、そんな言い方ないだろ。オレだってオレなりに考えたんだ。とにかくオレはこのままこの生活を続けることが必ずしも最良とは思ってないんだ。よもぎだってそうだと思うんだ」


 そしてカウンターの中、メイド姿でコーシカと並んで後片付けをしているよもぎに向かってヒロキは呼びかけた。


「よもぎ。よもぎだって気になるだろ、その芹澤さんって人が本当にそうなのかどうか」


 よもぎは困った顔で隣に立つコーシカの顔を見る。しかしコーシカもどう答えたらよいかわからず、ただよもぎとヒロキの顔を見比べるだけだった。

 一向に返事をしないよもぎに痺れを切らせたのかヒロキはおもむろに席を立つと、


「もういい、オレひとりで行ってくる。それですべてを確かめてくる」


と声を上げて小ぶりのバックパックを片腕に掛けると心配そうに見守るギンへのあいさつもそこそこに店を出て行ってしまった。



「はぁ――――」


 可憐はひとり長く大きなため息をつくと、カウンターの中からこちらを伺っていたコーシカとよもぎに向かって申し訳なさそうな顔で言った。


「よもぎちゃん、コーシカ、ごめんね」


 そしてカウンターのかたわらに立つギンにも目を向けると、ギンも可憐の気持ちを理解しているかのようにやさしい笑みを浮かべて小さく頷いた。


「それにしてもじゃ」


 踏み台に乗った九尾がカウンター越しにひょっこりと顔を出す。


れらの夫婦喧嘩などそんなもん、犬も喰わんのじゃ」

「夫婦なんて……」

「ま、何はともあれじゃ、とにかく今日の彼奴あやつはいつもとちと様子が違っておったのじゃ」

「ふ――ん、九尾もそう感じたのね」


 するとよもぎも作業の手を止めて身を乗り出しながら二人の会話に乗ってきた。


「そうそう、そうなんです、可憐ちゃん。よもぎもそう思いました。こっちで声だけ聞いてたら、確かにヒロキさんの声なんだけど、でもなんか違うな、って」

「可憐よ、れにいておる天狐てんこはどうなのじゃ。何か言っておらぬのか」


 可憐の脳裏にあの夜シロから言われた言葉が浮かんだ。しかし九尾の問いには首を左右に振って返した。そう、今は見守るのだ、それがシロからの啓示だったのだから。


「よもぎちゃんの真名まなもボランティアの支部長さんも同じ芹澤せりざわ、ヒロキの言いたいことはわかるけど、でもすべてはとっくの昔に終わってるのよ。それによもぎちゃんだって覚悟を決めて戻ってきたわけだし、そこはあえて触れずにやり過ごすべきだと思うの。それをまるで掘り返すような今回の話に私は違和感を感じるのよ」

「うむ、可憐の言うとおりじゃ。実はわらわもヒロキがどう出るのか様子を見ておったのじゃが、それにしても今回の話、妙に出来過ぎてる気もするのじゃ。書類だか何だか知らぬが、そんなもの、自分たちでここに届ければよいであろう。なのにそれをその芹澤なにがしがわざわざヒロキを呼び出すとは」


 九尾は腕組みをしながら頭の中でなにやら思いを巡らせているようだった。そして答えが出たのか、顔を上げると可憐に向かって不敵な笑みを浮かべた。


「よし、ここはひとつ乗ってみるのじゃ」

「乗るって、九尾、まさか……」

「その、まさかじゃ」


 そして九尾はよもぎに向かって言った。


「よもぎ、れも気になるじゃろ。どうじゃ、わらわとともに様子を見に行かぬか?」


 九尾の言葉によもぎはすぐに頷くと並んで作業をしているコーシカの顔を伺う。すぐに状況を察したコーシカはその顔に笑みを浮かべてよもぎに応えた。


「よもぎ様のおかげで片付けもほとんど終わりました。ですからよもぎ様、どうかお気をつけて」

「よし、善は急げなのじゃ、よもぎ」

「了解です! それでは可憐ちゃん、コーシカちゃん、よもぎ、行ってきます」


 そう言ってよもぎはいつものようにおどけた敬礼をして見せる。


「そんな、行ってきます、って……」


 突然のことに困惑する可憐が再びカウンターの向こうに目を向けたとき、そこによもぎと九尾の姿はなく、コーシカが小首をかしげて微笑んでいるだけだった。


「まったくもう、あの子たちまで。よもぎちゃんが行ってしまったらかえって相手の思うツボなんだけどなぁ」


 可憐はすっかり冷めてしまった紅茶を口にして再び大きなため息をつく。そんな可憐にギンが寄り添うように近づいてそっと囁きかけた。


「可憐様、わたくしどもにお手伝いできることがあれば」


 その一言が可憐の緊張をほぐしたのだろう、険しかった彼女の顔に安堵の表情が浮かんだ。そして姿勢を正すとギンの瞳を真っすぐに見つめながら続けた。


ギン、それならあの子たちを、あの三人をフォローしてあげて欲しい」

「かしこまりました。ミーシカ、こちらへ」


 ギンは満足そうに微笑むと窓際のテーブル席を整えているミーシカに声をかける。ミーシカは「はい、姉さま」と答えるとすぐに可憐のところにやってきた。


「可憐様、話は聞こえてたよ。ボクの出番だね」


 ミーシカは澄んだブルーの瞳を輝かせながら、


「それじゃ銀姉ギンねえ……じゃない、ねえさま。行ってまいります」


と言い残して店を出て行った。


 可憐とギンは空いたテーブル席の前に立って窓の向こうを見下ろす。二人の目に交差点を小走りで渡るミーシカの後ろ姿が見える。そして人ごみに紛れて一瞬その姿が見えなくなると、そこには初秋の日差しをうけてやわらかに光るライトグレーの被毛が美しい猫の姿があった。


「シロからは見守れって言われてるのに、やっぱりこうなっちゃうのね」


 猫に変化へんげしたミーシカは素早い走りでビルの谷間に消えていく。その姿を可憐は軽い溜め息とともにいつまでも見つめていた。

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