第14話 乗るしかない、この誘導に

 駅から続く商店街をヒロキは目的地に向かって走り抜ける。かつては賑わっていたこの界隈もあのバブルの波に乗って次々と建てられたマンションによって居並ぶ店々は分断され、やがては店主の高齢化や後継者の問題などにより閉店が相次ぎ、そして今ではすっかり閑散とした昭和の残滓ざんしとなっていた。

 よもぎが生きたあの頃はまだまだこの商店街にも活気があって夕方には多くの買い物客が往来していたのだろう、流れ行く平日の昼下がりの閑散とした様子を目にしながらヒロキはそんな思いを巡らせていた。


 北へ北へとペダルを漕ぐ。やがて道は緩い下り坂となりその終端にN市を東西に流れる川とそれに掛かる橋が見えてくる。そしてその橋を渡ればそこが目指すH町だった。橋を渡ってすぐの交差点を囲むように広がる小さな商店街、ヒロキはシャッターが下ろされた一軒の建物の前で自転車を停めると今一度スマートフォンで目指す住所を確認した。


「そこの道を左だな」


 ヒロキはひとりそうつぶやきながら住宅街に向かってハンドルを切る。そしていくつかの角を右に左にと進んだ先、今ヒロキの目の前には先ほどPCで見たのと同じ風景が広がっていた。


 南欧の雰囲気を漂わせる瀟洒しょうしゃな外装の家々が並ぶ中に一軒だけ濃い茶色の塗装とコンクリート瓦に白い塗装の妻壁つまかべがまるで場違いに見える木造家屋があった。確かに今では古めかしい建物ではあるが、しかし丁寧に手入れがされたその家からみすぼらしさは感じられなかった。

 ヒロキは自転車を降りてその家の門柱にかかる表札を確認する。そこには確かに「芹澤せりざわ」の文字があった。


「やっぱりここが……」


 ヒロキは周囲を見渡して人がいないことを確認するとその家の門に近づいて様子を伺ってみる。ひっそりと静まり返ったそこに人の気配は感じられなかった。


 続いて今度は全景がわかるよう少し下がって眺めてみる。ヒロキから見て向かって左側に奥へと続く小さな庭と、それを見下ろす小さなベランダがあった。そして玄関のすぐ上に二階の部屋の窓、昔ながらの少しばかりくすんだツヤ消しシルバーのアルミサッシのその窓は風通しのためだろうほんの少しだけ開けられていた。

 そしてヒロキの目はそのわずかな隙間に吸い寄せられるかように止まる。そこに見えるのはハンガーにかけられたブレザーの肩から袖の部分だった。その大部分が目隠しガラス越しにシルエットだけが透けているあのブレザー、それは紛れもない、ヒロキが初めて会ったときによもぎが着ていたあのブレザーと同じシルエットだった。

 ヒロキは確信した。やはりこの家はよもぎの生家なんだ。よもぎ、オレは遂に見つけたぞ。

 今、目の前に見えるあの部屋こそがかつてのよもぎの部屋だったに違いない。ならばそれをよもぎに確かめるべきだろうか。いや、確かめてどうなるんだ。その結果、よもぎが生家に帰りたいなどと言い出したらお前はどうするつもりなんだ。しかし今のヒロキは自問するそれらへの答えは何ひとつ持っていなかった。そしてあまりにも衝動的で軽薄な行動をしてしまったことに、ただただ自責の念を感じ始めるのだった。


「クソッ、こんなこと、もし可憐かれんに知れたらチョップじゃ済まないだろうな」


 ヒロキは自嘲気味な笑みとともにそんなことを考えながら、つい今しがたまでは高揚した気分で走り抜けてきた道を今度はのろのろと戻って行くのだった。


 緩い上り坂を重い足取りでペダルを踏む帰路の途中、またもやスマートフォンから着信音が聞こえた。ヒロキはその場に自転車を停めるとすぐに受信トレイを確認する。すると届いたメッセージの送信者欄にはNCNの芹澤支部長の名があった。



太田 様

はじめまして。

NCNで統括支部長を務めております芹澤と申します。

このたびの保護活動へのご協力、リーダーの友田から話を聞いております。

お忙しいところ、本当にありがとうございました。

ところで友田からお送りしておりますメールに書きましたが、太田様にはぜひご挨拶をさせて頂きたくお会いできる日を心待ちにしております。



 メッセージを読み終えたヒロキはどこか釈然としない気持ちで今来た道を振り返る。


「さっき見たとき人の気配は感じなかったけど、留守じゃなかったのか?」


 そんな疑問を感じながらもヒロキはそれを自ら打ち消すかのように軽く首を振るとすぐにメールの内容に了解した旨のメッセージを書いて送信ボタンをクリックする。しかし画面に表示されたのは宛先不明のエラーメッセージだった。

 ヒロキは受信トレイをもう一度確認する。しかしそこには受信したはずのメールはおろか着信や送信の履歴すらも残っていなかった。

 再び心の中にぞわりぞわりとした不安が沸き起こる。ヒロキはその場で軽く目を閉じて過去の記憶を反芻はんすうするかのように、どこかで覚えのあるこの感覚の正体を探ってみた。そしてまるで誰かからヒントでも与えられたかのようにそれは突如脳裏に甦った。


「そうだ、あのときの……大ケヤキ神社でのタイムスリップ、そしてオレはよもぎと出会った。この感覚はあのときのあれと同じだ」


 ヒロキは慌てて周囲を見回す。しかしそこは何ら変わらぬ昼下がりの情景、時折ヒロキの脇を自転車や車が通り過ぎて行くいつもの日常の風景だった。ならばこの得も言われぬ不安で締め付けられるようなこの気持ちは何なんだ。

 ヒロキは腕時計に目を落とす。時刻は午後三時を回っていた。時間的な不整合は見当たらない、どうやらタイムスリップはしていないようだった。

 このまま帰宅しようものなら今の自分のこの不安はよもぎにはすぐに知られてしまうだろう。ましてや今はあの九尾きゅうびもいっしょだ、やたらと勘が鋭い九尾のこと、絶対にごまかすことはできない。ならば気分転換でもして落ち着いてから帰ることにするか。

 こうしてヒロキは少しでもこの気持ちを鎮めようとキャッスルに向かって再び走り出した。



――*――



 店に入るとすぐにヒロキを出迎えたのはギンだった。ギンはヒロキの顔を見るなり一瞬訝し気な目をしたがヒロキがそれに気づくことはなかった。そしてすぐにいつもの落ち着いた笑顔に戻って会釈する。


「いらっしゃいませ、ヒロキ様。ミーシカは今、新しい仔猫の受け入れ準備をしておりますのでわたくしがご案内します」


 ギンはいつものように澄んだエメラルドグリーンの瞳でヒロキに微笑みかけた。今のヒロキにとってその笑顔はまさに癒しの笑顔だった。

 ギンはヒロキを窓際のテーブル席ではなくカウンターのそれも一番奥の席に案内した。そしていつものような会釈をすることもなく冷たい水のグラスを手にしてそれをヒロキに差し出すと、自らもヒロキの隣に並んで座った。


「ヒロキ様、どうされたのですか?」


 突然のギンの問いにヒロキは戸惑いを隠せなかったが、それでも平静を装うていで水を一口飲んで続けた。


「い、いや、なんでもないんだ。たまにはほら、オレだって独りになりたいこともあってさ、就職だの何だのといろいろと……」


 普段にも増して饒舌なヒロキをよどみのないエメラルドグリーンの瞳で見つめながらギンは言う。


「ヒロキ様、困ったことがおありでしたらわたくしに何なりとお申し付けください。わたくしたちはヒロキ様には……」


 そのときギンの言葉を遮るかのように再びヒロキのスマートフォンから着信音が聞こえた。ギンはヒロキがそれをすぐに確認できるように会話を止めると小さく頷いた。



太田 様

NCN芹澤です。

ご多忙のところ勝手なお願いで恐縮です。

太田様へのご挨拶の件ですが明日の午後三時はいかがでしょうか。

もしご都合がよろしければ先日お越し頂きました高台稲荷神社の鳥居の前にてお待ちしております。



 スマートフォンから顔を上げたヒロキは少し呆れたようにため息をついた。今日の明日というあまりにも急な申し出、メール着信の絶妙なタイミング、それに芹澤さんの家とそこに至るまでの抑えきれないくらいの衝動、ヒロキは今日これまでの流れに怪しい何かを直感的に感じ始めていた。しかし隣にギンがいてくれることで心に余裕もできたのだろう、さっきまでの不安感よりもむしろ今はこの不可解な流れの理由わけを解明してやろうという気持ちに溢れていた。


「なあギン、ちょっと見てくれ。このメール、返信しても宛先不明なんだ」


 そう言ってヒロキはメールに返信するとすぐに返されるエラーメッセージをギンに見せた。


「ヒロキ様……」


 今度はギンがヒロキに向かって不安げな表情を見せる。しかしヒロキはそんなギンに向かって不敵な笑みを浮かべながら言った。


「これは誘導かも知れない。だけどこうなったら乗ってやるさ。よもぎのことだけじゃない、九尾きゅうびだとか、君たち三人のことだとか、オレだって今までにない経験をしてきてるんだ。だからそれなりに心構えもできてる。これは絶対に何かある。誰がオレを誘導してるのか、それならばそいつの正体を暴いてやるしかないだろう」


 ヒロキは意を決したように大きく息を吐くと「よしっ!」と言って可憐に向けてメールを送る。


「もうコソコソするのはヤメだ。さっきまでのオレはどうかしてたんだ。ギン、オレは可憐にすべてを話して、そしてよもぎと九尾にも協力してもらうことにするよ」


 店に入って来たときのどこか追い詰められたような顔から自分たちを救ってくれたときのあの自信に満ちた顔に戻ったヒロキを見たギンはスッと席を立つとホッと安心した目でヒロキの背中に微笑みかける。そしてカウンターの中から心配そうに様子を伺っていたコーシカに一杯のコーヒーを用意するよう命じるのだった。

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