第13話 この落ち着かない気持ちは

「当日は動きやすいスタイルでおいでください。猫による引っ掻きや虫刺されを防ぐためになるべく肌の露出が少ない衣服でお願いします」


 キャッスルでNCNエヌ・シー・エヌ友田ともださんと竹藤たけふじさんから仔猫の保護イベントへの協力を依頼された翌日、ヒロキのスマートフォンに案内メールが届いた。開催日時は週末土曜日の午後三時から、集合場所はヒロキもよく知る、自転車なら数分、徒歩でも十数分ほどの住宅街にある神社だった。

 そして迎えた当日、ヒロキと可憐の二人は住宅街の中にある神社の裏門の前に立っていたのだった。


 高台たかだい稲荷神社、そこはコンクリート護岸の小さな川に並走する低地と高台の住宅地を分ける崖線の上に佇む小さな神社だった。狭い境内の北側、鬱蒼とした斜面の下には児童公園があり、木々の隙間からそこで遊ぶ子供たちの姿が見える。住宅街の中にポツンとある神社であるが、管理はそこからほど近い場所にあるこの地域の鎮守が行なっており、社務所こそないものの手入れは十分に行き届いていた。

 約束の午後三時、ヒロキと可憐かれんが集合場所に着いたときにはもう既に準備は整っていて、友田さんと竹藤さんが拝殿の軒下に置いた一台の捕獲器を今か今かと待ち構えるように見つめていた。

 それにしても今回のターゲットである仔猫は三匹と聞いていたが、この一台でどうやって三匹を捕獲するのだろうか。ヒロキの顔にそんな疑問が現れていたのだろう、友田さんはヒロキたちの到着に気づくと猫たちに警戒心を抱かせないよう挨拶もそこそこに小声で今日の作戦の説明を始めた。


「この捕獲器は床板に乗るとその重量でシャッターが下りる仕組みです。ですがここの三匹はみな警戒心が強いので、もし一匹だけを捕獲したならばあとの二匹は絶対に出て来なくなります。ですので今回はシャッターは解放したままにして三匹が入るのを待つんです」


 実は友田さんと竹藤さんはもうかれこれ一時間もこうして捕獲器とにらめっこをしているのだった。設置してから十数分、ようやっと三匹がかわるがわる顔を見せるようになったのだが、しかし捕獲器の中に置かれたエサを遠巻きに見るだけですぐに隠れてしまうのだ。そんな膠着状態がずっと続いているのだった。

 そのときヒロキの頭の中に九尾きゅうびの声が響く。


「ヒロキよ、ひとつわらわが手伝ってやるのじゃ」


 ヒロキは九尾の声が可憐にも伝わるよう可憐の手を取る。すると可憐の中にもその声が届いた。


わらわの力も弱くなったとは言え相手が仔猫どもならばまだまだイケるのじゃ。れらはそこで見ておるがよい」


 そんな言葉を残してヒロキと可憐の中から九尾の気配が消えた。すると拝殿の向こうの茂みのあたり、ちょうど猫たちが顔を出したり引っ込めたりしているあたりに半透明になった九尾の姿が現れた。NCNの二人は変わらぬ様子で捕獲器を見つめていることから、九尾のあの姿が見えているのはヒロキと可憐の二人だけであることがわかった。

 九尾は茂みの前でいつもするように偉そうな態度で腕組みをして立つと、その中に身を潜めている仔猫をじっと見つめる。そして胸のあたりに右手を挙げて人差し指と親指とを指を鳴らすような要領で擦り合わせ始めた。やがて指先から紫の煙らしきものが上がり始めると九尾は腰をかがめてその煙をたなびかせながら捕獲器に向かってゆっくりと誘導し始めた。

 すると間もなくその煙に引き寄せられるようにまずは茶トラの仔猫が茂みから顔を出す。続いて白地に茶と黒のブチが入った仔猫が、そして最後に他の二匹よりも少しだけ小振りの茶トラ猫が前の二匹の後を追うように出て来た。

 九尾は腰をかがめながら捕獲器の前までやって来ると、最後に指先を捕獲器の中に伸ばしてそこに猫たちを見事に招き入れた。三匹がみな捕獲器に入ったことを確認した九尾が「どんなもんだ」と言わんばかりに腕を組んで仁王立ちをして見せる。


「わあ――」


 潜めた声で喜びを表すNCNのメンバーたちは捕獲器に近づくと猫たちを驚かせないように静かにシャッターを下ろす。続いて竹藤さんが用意していたタオルケットをそっとそれにかぶせた。


「太田さん、神子薗みこぞのさん、今日の作戦は成功です。私たちはこのままこの子たちを提携している獣医の先生のところに連れて行きます。きっと明日の夕方にはキャッスルさんでお披露目の準備をしてもらえるでしょう。このたびはお忙しいところありがとうございました。お疲れさまでした」


 NCNの三人は揃って達成感に満ちた顔でヒロキと可憐に深々と頭を下げた。


「いや、そんな、オレたちは何もしてませんし……」

「ほんとうに逆にお恥ずかしいくらいで」


 ヒロキと可憐は喜ぶメンバーたちの前でただ恐縮するばかりだった。



 神社からの帰路、人気ひとけのない住宅街の舗道でよもぎと九尾が勾玉まがたまの中から姿を現わすとヒロキはすぐに九尾にねぎらいの言葉をかけた。


「九尾、見事だったな。やっぱお前は妖狐、九尾狐きゅうびのきつねなんだな」

「にゃははは、どうじゃ、少しは見直したか」

「ああ、見直した、見直した」

「きっとシロも見直してると思うわ、九尾」

「まあわらわにかかればこんなもんじゃ。こんなもんじゃが……これが効くのも仔猫くらいじゃ。本調子にはまだまだなのじゃ」


 仏頂面でブツブツつぶやく九尾の頭をよもぎがくしゃくしゃと撫でる。九尾はまたもやチョップかと一瞬身構えたがすぐに照れくさそうに身を委ねた。


「それでは九尾、お手柄のご褒美にキャッスルでおいしいものを食べましょう。洗いものはよもぎがやってあげます」


 こうしてヒロキたち四人は夕焼けに染まる住宅街を並んで帰路に着くのだった。



――*――



 保護イベントから数日後、ヒロキのスマートフォンにNCNの友田さんから再び連絡メールが届いた。そろそろ小腹が減り始めてきた昼下がり、着信音とともにスマートフォンのランプが点滅するのを確認するとヒロキはすぐさま受信したメッセージに目を通した。



太田 様

NCNの友田です。

このたびは保護活動へのご協力をありがとうございました。

手術も無事に終わり、三匹の猫ちゃんはこれからキャッスルさんのブースでお客様とふれ合いながら里親になってくれる方を待つことになります。

太田様も神子薗みこぞの様もお立ち寄りの際はぜひとも会ってあげてください。

ところで重ねてのお願いなのですが、提携している獣医の先生から手術完了の書類が発行されておりますので、それをキャッスルのメイドさんに届けて頂きたいのです。

当会の支部長である芹澤せりざわがすでに先生から書類を受け取っております。

芹澤も今回のお礼を兼ねて太田様にご挨拶したいと申しております。

連絡先をお知らせしますので是非ともお訪ねください。



 メールの文末には芹澤さんの連絡先と住所が記載されていた。ヒロキはメッセージを読み終わるとすぐにPCデスクに向かい書かれた住所を検索してみた。


「H町か……このあいだの高台稲荷神社のちょっと先だな」


 そして画面に表示された地図をクリックすると画像が周囲の街並みに切り替わる。目の前に映るその景観は見るからに閑静な住宅街と言ったおもむきで、おそらくここ十年ほどの間に建て替えられたであろう南欧風の外観の住宅が並んでいた。しかしその中に一軒だけぽっかりと時代に取り残されたような古めかしい木造家屋があった。


「ざわり……」


 その建物の画像を目にした瞬間、ヒロキの心の中に得体の知れない圧迫感が湧き上がってきた。それはあっという間に胸いっぱいに広がると、やがて動悸や痺れとなって身体からだの中心から末端の指先までを駆け抜ける。しかしその後はまるで何もなかったかのように気分はスッキリと落ち着いた。


 なんだ、今の感覚は。何が起きているんだ。ヒロキはこの部屋のどこかで自分を見ているであろうよもぎに向かって声を上げた。


「よもぎ、いるんだろ? なあ、おまえも見ただろ、今の画像を」


 しかしヒロキの問いに答える声はなく部屋の中は静まり返っていた。今ヒロキの耳に感じるのはツ――ンとした痛いほどの静けさだけだった。

 するとまたもや、ぞわりぞわりとした動悸と圧迫感がヒロキの全身を包み込んできた。

 たったひとりの部屋の中、いつもならば呼びかければすぐに出てくるよもぎであるが今はその気配すら感じられなかった。

 この不安感はなんだ、この居てもたってもいられないき立てられるような落ち着かない気持ちは何なんだ。この感覚……これはマズイ、このままひとりでここに居たらどうにかなってしまいそうだ。


「クソッ!」


 ヒロキは吐き捨てるようにそう言うとよもぎのしろである勾玉まがたまを首からはずしてPCデスクの上に置いた。そしてハンガーに掛けたブルゾンを羽織るとそのポケットにスマートフォンを押し込んで玄関先に向かう。


「こうなったらオレひとりで……」


 ヒロキはバタバタと慌ただしく靴を履きながら靴箱の上に置いた自転車のカギを手にすると、今さっきPCで見たあの場所を目指してペダルを漕ぐのだった。

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