第12話 昼下がりの雑事

「いらっしゃいませ、本日のお食事はこちらでございます」


 さわやかなライトグレーのメイド服に身を包んだギンが深く澄んだエメラルドグリーンの瞳で微笑む。


「壺焼きキノコとパン、それにロシアンティーのセットです。パンは黒パンと白パンからお選びいただけます。いかがですか?」


 東京北西部に位置するN市、その中心であるN市駅の駅前を走るバス通り沿いに建つ雑居ビルの二階に最近この街でとみに話題となっている喫茶店があった。銀髪が美しい三人のメイドが切り盛りしているその店は礼儀正しい彼女たちの接客で老若男女を問わず人気となっていた。

 明るい笑顔でフロアを忙しく飛び回っているのはブルーの瞳に赤いリボンのチョーカーが目印のミーシカ、青いリボンのチョーカーが似合うコーシカはミーシカの双子の妹、姉にくらべて少しばかり引っ込み思案の彼女は主にカウンターの中を取り仕切っていた。

 そしてエメラルドグリーンの瞳に黒いリボンのチョーカーで落ち着いた接客をこなすのが双子の兄、もとい姉でありこの店を任されているギンだった。


 軽食ではあるが本格的なロシア料理が楽しめると評判のこの店において、料理に負けず劣らずの人気であるのが店の奥に設けられた猫とのふれあいコーナーで、そこでは地域のボランティアに保護された飼い主のいない猫たちがここで新しい家族との出会いを待っているのだった。

 この店はメイド喫茶ではないが、それでも彼女たち三人がお目当ての男性客も徐々に増えつつあった。しかし三人は実は人ならざるもの、そんなことなど知る由もないファンを名乗るお客様たちの熱意に彼女たちは嬉しいながらも少々困惑させられこともしばしばだった。


「ヒロキ様も可憐かれん様もせっかく窓際のテーブルが空いてるのに、どうしてカウンター席なんかに?」


 この日はいつものロシアンティーではなくコーヒーを楽しんでいた二人にミーシカが声をかける。


「いや、いいんだ。ほら、今日はコーヒーだけだし」

「それにキャッスルは人気店なんだから、これから来るお客さんのためにいい席は開けておかないとでしょ、ね?」


 遠慮がちにそう答えるヒロキと可憐にミーシカは口を尖らせて続けた。


「ボクたちにとって大恩人の二人のためにいつも一番いい席を用意してるのにさ」

「ミーシカ、君の気持ちはよくわかってる、だから……」


 そして可憐がヒロキの言葉に続ける。


「だから、今はその気持ちだけ受け取っておくわ。ありがとう、ミーシカ」

「うん、わかった。とにかく何かあったらボクに声をかけてよね」


 そう言ってミーシカはメイド服の裾をふわりとひるがえしながら軽い足取りで他のテーブルの様子を伺いに向かった。

 そんなミーシカの後ろ姿をあきれた表情で見送りながら今度はギンがやってきて申し訳なさそうに頭を下げる。


「申し訳ございません、ミーシカには店では敬語を使うように言い聞かせてるのですが、どうしてもお二人の前だと……」

「いいんだよギン、そんな堅苦しいことはナシでさ、な、可憐」

「ええそうよ。だからギンも普通でいいのよ」

「しかし……」


 困った表情を浮かべるギンにヒロキは続けた。


「それに押しかけメイドのよもぎと九尾きゅうびの様子も気になるしさ」


 そう言ってヒロキはカウンターの向こうに目配めくばせする。その先には洗いものや仕込みに忙しいコーシカとよもぎの姿があった。

 すると会話を聞きつけた九尾が踏み台にでも乗ったのか、並んだ食器類の向こうからひょっこりと顔を出した。


「なんじゃ、れらはわらわの監視でもしておるのか。そんなに気になるなられもこちらに来て手伝えばよかろう……イタッ、痛いのじゃ」


 九尾きゅうびの憎まれ口にいつものようによもぎの手刀チョップが飛ぶ。そんな四人の様子に安心したのかギンはやさしく微笑みながらカウンターの向こうを指して、


「もし何かございましらそちらのコーシカにお申し付けください」


と言い残してフロアーの仕事に戻っていった。


 既に店内は満席にならんとしていた。壁際のテーブルに座る二人組の男性はミーシカが目当てなのだろう、彼女もそれを知ってかそのテーブルの前を通るときには必ず彼らに会釈をしていく。すると彼らも満足げに頷く。

 続いて食事を終えた二人組の女性客が席を立って猫のブースの前で中の様子を伺い始めるとすぐにミーシカが駆け寄って声を掛けながらブース内へとエスコートする。 まさかこんなに人気になるとは。ヒロキはカウンターの片隅で活気に包まれた心地よい雰囲気に身を委ねていた。


「カラン、カラン」


 軽いドアベルの音ともにまた新たな客がやって来た。扉の前に立つ二人の女性はともにスポーティーカジュアルな出で立ちで、先に立つ女性は片手にA4サイズの封筒を携えている。その女性客にギンが駆け寄り丁寧なあいさつを交わすと明るい窓際のテーブルに案内した。

 しかし二人の客はすぐには席に着かずになにやら店内をキョロキョロと見まわしている。再びギンと言葉を交わす女性客、ギンはその場で一礼するとカウンターにやって来てヒロキに声をかけた。


「ヒロキ様、あちらにお見えのお客様がヒロキ様にお話があるとのことです。本田様からのご紹介であるとか」

「本田さん?」


 ヒロキはギンに聞き返す。するとギンは来訪客に失礼がないよう声を潜めて続けた。


「本田様はキジ丸様のところの、わたくしどももお世話になっているお婆様です」

「ああ、オレのアパートの向かいのおばあちゃんのことか?」

「左様にございます」

「あの人本田さんって言うのかぁ……そう言えば表札なんて意識してなかったもんなぁ……で、その本田のおばあちゃんがオレを?」

「はい、ご紹介を受けたと」

「ふ――ん、わかったよギン、とにかく会ってみるよ」

「ヒロキ、私もいいかしら」

「もちろん」

「それではヒロキ様、可憐様、どうぞこちらへ」


 ホッとした顔でギンはヒロキと可憐の二人を女性客のテーブルに案内した。四人掛けのテーブルに二人の女性客、その向かいにヒロキと可憐が並んで座る。

 その様子をカウンター越しに伺っていたよもぎが九尾に声をかける。


「九尾、ちょっと休憩しよ」


 その気持ちを察したのだろう、よもぎの目を見て小さく頷くコーシカ、「御意ぎょいじゃ」の一声を残してよもぎの胸元に下がる勾玉まがたまに消える九尾、そしてよもぎもその場から姿を消す。それと同時にヒロキの勾玉が着ているシャツの中で一瞬だがほんのりと光を放つのだった。



 目の前を走るバス通りの向こう、北に見えるN市駅の高架線路を昼下がりの柔らかな日差しが照らす。そこを行き交う鉄道車両のボディーが鈍い銀色の光を反射していた。そんな景色を横目に見ながらヒロキと可憐は目の前に座る二人の女性とあいさつを交わす。


「太田ヒロキさん、このたびは突然のお呼びだてにも関わらずお会いくださいましたこと、まずはお礼を申し上げます」


 友田ともだと名乗るアラフォー世代らしき女性が頭を下げると、連れて隣の竹藤たけふじと名乗るこちらはアラサー世代と思しき女性も小さく頭を下げた。


「そんな、やめてくださいよ、なんか恐縮しちゃいますよ」


 そう言ってヒロキは可憐と顔を見合わせた。そして四人は簡単な自己紹介や紹介者である本田のおばあさんの話に花を咲かせた後、いよいよ本題に入る前に竹藤さんがギンに声をかけて四人分のロシアンティーを注文した。


「それでは太田さん、さっそくですが私たちの活動などを説明します」


 友田さんは手にしていた封筒からリーフレットを取り出すとヒロキと可憐それぞれの前にそれを差し出した。そして自分のリーフレットを広げながら説明を始めた。


「私たちはこのN市内で飼い主のいない猫の保護を主な活動としています」


 その団体はN市キャットネットワーク、略してNCNエヌ・シー・エヌと名乗る、街の野良猫を保護して避妊や去勢を行なって里親探しをしているボランティア団体だった。ネットワークという名が示すように都内全域で活動しており、N市を担当する支部がNCNであると言う。そしてNCNは本田のおばあさんを介して些少ではあるがこの店に出資もしているのだった。


「実は太田さん、本日お願いに上がったのは他でもありません、太田さんにお手伝いをして頂きたいのです」


 友田さんは小さなガラスの皿に盛られたイチジクのヴァレーニェを一口含むと続いて紅茶を一口、そして甘さを洗い流すように紅茶をもう一口飲んだ後にヒロキと可憐に説明を始めた。


 先ごろ、ここN市駅から北に向かった先、N市内を東西に流れる川沿いの高台にある神社で三匹の仔猫が生まれた。周囲の住民に愛されてはいるが警戒心が強くなかなか人馴れをしない三匹はそれでもすくすくと成長した。しかしこのままではその猫たちもまた仔猫を生むであろう、そうなる前に手を打たねばならない。NCNではそんな猫たちに避妊と去勢を施す計画を立てていた。

 友田さん、竹藤さんの二人は保護活動への理解を得るために近隣の住宅街に配布するチラシを見せながら頭を下げた。


「仔猫を保護するにはどうしても男性会員の助けが必要なのですがなかなか思うような協力が得られません。しかしこうしている間にも仔猫は成長しています。そこで太田さん、神子薗みこぞのさんに是非ともお力を貸して頂きたいのです」

「わかりました、わかりましたから、そんな、頭を上げてください、友田さんも竹藤さんも。オレたち、今のところ土日は空いてることが多いのでそれでよければお手伝いします。これもきっと何かの縁なんだと思いますし、とにかく日程が決まったら知らせてください」

「そうです、私たちもできる限りのお手伝いをしますから。そうだヒロキ、連絡先の交換をしておいた方がいいんじゃないかしら」

「そうだな……それでは友田さん、オレのメールアドレスを送ります」

「ああ、よかった、ほんとうによかった、本田のおばあちゃんに相談して。それでは太田さん、神子薗さん、どうかよろしくお願いします」


 そして友田さんはヒロキたち二人の分もまとめて会計を済ませると、手にしていた封筒をギンに手渡しながら二言三言ふたことみことの会話をした後、竹藤さんとともに店を後にした。

 ヒロキはNCNの二人がテーブルに残して言ったイベントのチラシに目を落とす。そこには地域猫への避妊や去勢の必要性に加えて理解と協力の文言もんごんが並んでおり、そして文面の最後には代表者の署名があった。


 N市キャットネットワーク

 統括支部長 芹澤


 それを見た瞬間、ヒロキの手が止まった。そしてひと呼吸の後にカップに残った紅茶を飲み干すと、もう一度その名を確認した。


芹澤せりざわ……芹澤って……」


 今、ヒロキの勾玉まがたまの中にはよもぎがいる。ならばよもぎもこのチラシを目にしていることだろう。しかしヒロキの中によもぎの気配はまったく感じられなかった。

 そしてよもぎの生前の真名まなである「芹澤」の名前を見つけたヒロキだけがソワソワと妙に落ち着かない空気に包まれていたのだった。

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