第10話 ご注文は仔猫ですか?
8月最後の週末、眩しい日差しの中、ラタンのかごを提げてチラシを配るひとりのメイドがいた。ライトグレーのメイド服に首元の赤いリボンのチョーカーが映える。メイドは信号を待つこちらの存在に気付くと大きく手を振りながら叫んだ。
「みんなぁ――、いらっしゃぁ――い!」
ヒロキと
車歩分離式の長い赤信号がようやく青に変わり、待ち構えていた人の波が交差点の中に流れ込む。並んで歩くヒロキと可憐を追い越してよもぎが真っ先にメイドに駆け寄った。
「ミーシカちゃん。キジ丸から聞きましたよ。よかった、ほんとによかったです」
「よもぎ様、ほんとにいろいろと、その、ありがとう」
ミーシカは照れくさそうにそう言うと、あとからやってきたヒロキと可憐に向かって丁寧に頭を下げて言った。
「ヒロキ様も可憐様もありがとうございました。
「なぜに
ミーシカは手にしていたチラシをかごに戻すと、「さあどうぞ」と言わんばかりに目の前に見えるビルの二階に向かう広い階段に手を向けた。
「それではさっそくご案内します」
「ミーシカ、オレたちに敬語なんて使わなくていいんだけど」
「でも
ビルの二階、階段を上がり切った右手に古い骨董品のようなガラスが嵌め込まれた重厚な木製のドアがあり、そこには猫の足型をあしらった「キャッスル」と書かれたシックな銅板製の看板が掲げられていた。
ミーシカが扉を開けてヒロキたちを招き入れる。
店に足を踏み入れてすぐヒロキの目に入ったのはエントランスと店内フロアを仕切る木製の格子だった。それは
そしてヒロキはあまりのことに呆然としながらキジ丸が
「婆さんの古い知り合いが駅前で長いこと喫茶店を営んでいたんだが、後継ぎがいなくてな。それはこいつらにはおあつらえ向きだろう、ってことで少しばかり動いてみたんだ」
「動いてみたって……ゆ、誘導したのか?」
「そんな大げさなもんじゃない、ちょっとだけ肩を押してやったくらいだ。しかし今回は婆さんとその知人、それとボランティアに不動産屋から設計事務所までだろ、とにかくおいらの仲間も総動員だったな、うん」
「さっすがぁ――、やっぱキジ丸は王様なんだね。よもぎ、感動です」
「今回はいろいろ大変だったが、おいらも久々の大仕事ってことで十分に楽しませてもらったよ」
なるほど、こういうことだったのか。ヒロキと可憐は店内を見渡すとともに温かい気持ちに満たされて互いに大きく頷き合ったのだった。
――*――
「ようこそおいでくださいました。ここはキャッスル、おいしいお茶とお食事、そしてかわいい猫たちがみなさまをお待ちしております」
おそらくこの店を訪れた客への口上なのだろう、
「
「残念ながら私は行けなかったけど、こんなにシックなお店だったのね」
その後ろをついて歩くよもぎも興味深げに店内を見ていたが、やがてカウンターの向こうに立つコーシカに気付くと小さく手を振った。
テーブルに着くなりヒロキはさっそく
「ところで
「はい、あのパーティションの向こうに」
「向こうにって、ここは猫カフェなのか?」
「いえ、そうではございません。この地域で困っている猫たちをここで保護しているのです。そしてご希望のお客様にはふれあいをしていただき……」
「わかったわ、里親探しね」
可憐の言葉に銀は満面の笑みをたたえて「はい!」と答えた。
「キジ丸様のご尽力によりお婆さまと今のオーナー様がこの店を用意してくださいました。そしてお婆さまのお知り合いであるボランティアの皆様にもご出資を戴きましたのでこのようなお部屋を用意することになったのです」
「それで入口の看板も猫の足型だったのか。それにしてもすごい展開だな。キジ丸の凄さを思い知った気分だよ」
「はい。そして
あらためて姿勢を正して深々と頭を下げる
「これは、あの、その、よもぎと……」
「……
「なんだなんだ、よもぎも九尾も、オレは何も聞いてないぞ」
ヒロキはそう言って可憐の顔を見るも、可憐も困った顔で首を横に振るだけだった。
「
「
そして二人はそっと寄り添い
「これは……ボクたちの店にあった写真、ボクたちの想い出……もうあきらめてたのに。どうしてこれがよもぎ様のところに?」
すると九尾がよもぎとミーシカの間に立っていつものように
「それは
「おい、九尾、お邪魔だなんて……」
「そうよ、九尾……そんな……」
九尾の言葉にヒロキは困惑し、可憐も頬を赤くして恥ずかしそうにうつむいた。
「にゃははは、三猫には想い出を、ヒロキと可憐はねんごろに、
「ほんっとに九尾はいつもいつも一言多いです。そんなんではせっかくの徳も帳消しになっちゃいますよ」
軽妙なよもぎと九尾のやりとりにいつしか
そんな和やかな中、よもぎが思い出したように声を上げた。
「そうだ。
「オレも気になってたんだ。可憐はどうだ?」
「もちろんよ」
「それならボクが案内するよ。みんなこっち、こっち」
「ミーシカ、店では……」
「あっ、ごめん
ミーシカのエスコートでよもぎ、ヒロキ、可憐の三人はパーティションの前に立つ。腰から上に嵌め込まれたアクリルガラスの向こうには数匹の猫たちが思い思いの場所でのんびりとくつろいでいるのが見えた。そしてそこには猫たちのためのキャットタワーや階段ボックスが置かれ、壁にはキャットウォークまで設けられていた。
「これはすごいな」
「どうです、ヒロキ様。この部屋はボクがプロデュースしたんだよ」
「さすがに猫の気持ちがわかるだけあってツボを押さえてるな」
「へへへ、でしょ」
可憐も猫たちを眺めながらミーシカに問いかけた。
「ねえミーシカ。あの猫ちゃんたちの世話はどうしてるの?」
「もちろんボクが……なんてね、ボクとコーシカが交代で世話をしてるんだ。たまに
「ところでミーシカ」
今度はヒロキが割って入る。
「さっきから気になってるんだけど、その、君は男の子なのか?」
「ううん、ボクは女の子だよ」
「だって君は自分をボク、ボクって」
「ボクは女の子だよ。コーシカがあんな調子だからいつの間にかボクはボクになっちゃったんだよ。それより男の子なのは
「え――――っ!」
ミーシカの最後の一言にヒロキだけでなく可憐もよもぎも声をあげた。
「そんな……ウソだろ……」
「ウソじゃないってば。
「驚いたなぁ、『ボクッ
「なにやら幅広いニーズにお
可憐が呆れ顔でそうつぶやいたちょうどそのとき、ヒロキは
「どうでもいいが、
するとよもぎが九尾の肩に手を添えてパーティションの中に入ろうとエスコートする。そしてよもぎはヒロキと可憐に向かっておどけるように敬礼した。
「それではよもぎと九尾、偵察に行ってきます」
猫たちの部屋は清潔で快適だった。しかし思わぬ珍客に猫たちはみな警戒しているようだった。そこでよもぎは九尾に提案した。
「ねえねえ九尾、よもぎ、ちょっと気になることがあるんだけど」
「なんじゃ? どうせロクなことではないじゃろうが聞いてやるのじゃ」
「ちょっと狐の姿になってみてよ」
「何じゃと?
「だってだって、猫ちゃんたちみんな警戒してるじゃないですか。だからここは九尾も狐になって……ね?」
そう言ってよもぎは胸元の
「わ、わかった、わかったのじゃ。とにかくその手を離すのじゃ。そりゃ、これでどうじゃ!」
よもぎの胸元で勾玉がまばゆく輝き、その光が消えたとき、よもぎの目の前には金の被毛に包まれた九尾の姿があった。そしてその姿を見たよもぎは思わず大きな声をあげた。その声に何事かと猫たちもパーティションの向こうのヒロキたちも一斉によもぎと九尾に目を向けた。
「九尾、しっぽ、しっぽ……二本、二本になってる!」
よもぎが指さす九尾の尻にはいつもの太い尾に加えてもう一本の尾が生えていた。
「な、なんじゃこれは!」
「きっときっと、
そしてよもぎは窓の向こうの可憐に微笑みかけながら、可憐の胸元に輝く
「シロさん、そうですよね」
ゆらゆらと動く二本の尾に興味を示した猫たちがいつの間にか九尾を取り囲んでいた。匂いを嗅ぐもの、揺れる尾に猫パンチをするもの、九尾はすっかり猫たちにジャレつかれていた。
「や、やめんか猫ども。
九尾は狐の姿のままよもぎに懇願する。
パーティションの向こうにはいつの間にか猫を見に来た客が集まり始めていた。客たちは九尾と猫がジャレ合う姿を見ては喜び、スマートフォンを向けてシャッター音を立てていた。
「それではよもぎはヒロキさんたちとお食事してきます。そうだ九尾、シッポは隠しておいた方がいいと思いま――す」
よもぎはいたずらっぽく笑いながら九尾にそう言って猫の部屋を後にした。
ヒロキ、可憐そしてよもぎの三人がテーブル席に戻ったとき、既に店内はチラシを手にした客で次々と席が埋まってきていた。カウンター内のコーシカ、テキパキとオーダーをこなす
そして
「いらっしゃいませ、本日のお食事はこちらです。ボルシチと黒パン、それにロシアンティーのセットです。いかがですか?」
――*――
磨き上げられたカウンターの片隅に三葉の写真があった。
古ぼけた木製のフレームの中には色あせたモノクロ写真、それは三人のメイド、いや三匹の猫たちにとってかけがいのない大切な想い出だった。
そしてこれからこの三
第一章 キャッスル・オブ・ストレイキャッツ
―― 幕 ――
次回は
「第二章 ママと呼ばないで」
でお会いしましょう。
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