第9話 夜の訪問者たち

 池袋いけぶくろの消えてしまった喫茶店、キャッスル古城での出来事から、かれこれ一週間がっていた。

 可憐かれんとともに再訪したあの日、そこで見たメイドの面影をまとった三匹の猫の行く末を案じたヒロキたちはすぐさま猫の王を標榜するキジ丸の下を訪れて、その猫たちについての一連のできごとを話したのだった。


 その日のヒロキたちの来訪を予見していたのか、キジ丸は老婆とともに暮らす家の庭先に出てヒロキたちを待ち構えていた。


「あの三匹のことはおいらも以前から話には聞いていたんだ。しかし連中は自分らがノラになっちまったことを認めたくなかったんだろうな、おいらたちのネットワークからも隠れて、とうに廃墟寸前になってるあの根城に執着して引きこもってたらしいんだ。ところがその棲み家もついに解体だ。おいらもどうしたものかとな」

「なんだよキジ丸、知ってたのならなんでもっと早く……」

「おいらたちの世界では過干渉はしないのさ。来るネコ拒まず、去るネコ追わず、のココロなのさ」


 そしてキジ丸はペロリと舌なめずりをしながら続けた。


「他ならぬあんたの頼みだ、さっそく手を打っておくさ。おいらの配下に池袋いけぶくろでは古株の三毛猫がいるんだ。世にも珍しい雄の三毛猫でな。そいつに連中を連れてくるように申し伝えておく。しかしいきなり三匹もの移動だ、こっちもいろいろ準備が必要なんだがそれはこっちの話、まあ心配しなさんな、あんたがたはただ待っていればいいさ」


 キジ丸はヒロキたちにそれだけ言うと「婆さんが心配するといけないからな」と言い残して庭の奥に消えていったのだった。



――*――



 夕方からの悪化が目立つここ最近の天候の影響であろう、まとわりつくような湿気が気になるその夜、ヒロキはフローリング床に寝転んでぼんやりと天井を見つめながら三匹の猫を思い起こしていた。


池袋いけぶくろのあの猫たち、あれからどうなったろう。キジ丸のことだからうまくやってくれるよな」


 するとヒロキのつぶやきに答えるかのようにPC机に向かって何やらウェブサイトを見て回っていた九尾きゅうびが口を開いた。


「ほぉ――、なにやら動きがあったようじゃの。あのビル、ついに取り壊しが決まったようじゃ。なになに、ふむふむ、なるほど。どうやらあの店は、知る人ぞ知る有名店だったようじゃな。ヒロキよ、これを見てみるのじゃ」


 九尾はPCチェアから下りるとヒロキに記事を読むように場所を譲った。



【かつての名店、60年の歴史に幕】

名曲喫茶古城として1950年代にオープンし、その後は時流に合わせて歌声喫茶古城、ジャズ喫茶キャッスルとして親しまれてきた名店がついに解体されることとなった。戦後の高度成長期から学生運動、オイルショックと時代を見守りながら親しまれてきたが現在は後継者不在のまま物件は放置され建物の老朽化が進んでいた。なお跡地は外資系ファンドにより新たなアミューズメントビルとして生まれ変わることが決定している。



「歴史に幕って……それじゃギンたちはいよいよ帰る場所がなくなるのか。なんだか寂しい展開だな」


 ヒロキの脳裏に忙しそうに立ち回るギンの姿と笑顔が浮かんだ。おいしい料理、よもぎのメイド姿、明るいミーシカと緊張気味のコーシカ、たった一度だけの出会いだったがそれはヒロキにとって学生最後となる暑い夏の思い出のひとコマとなっていた。


「きっとキジ丸がなんとかしてくれるわよ。それにそんな記事が出たことだし、今夜あたりひょっこり挨拶にでも来るような気がするわ」

「なんだって? 可憐、今のは……そうか、シロか。シロがそう言ってるのか?」


 しかし可憐は首を左右に振って否定しながら言った。


「ううん、シロは全然。これは私の勘かな」

「そうですよ、ヒロキさん。きっとキジ丸がいろいろ準備とかしてて、それで猫ちゃんたちは今こちらに向かってるんですよ。きっとそうですよ」


 感傷にふけるヒロキの隣で九尾がヒロキを見上げて言う。


「ヒロキよ、ものは考えようじゃ。彼奴きゃつらにとってはあの場所への執着と決別するよいきっかけになったと考えることもできるのじゃ」


 そして九尾きゅうびはヒロキの手からマウスを引き寄せるとブラウザの履歴一覧から1つのページを選んでクリックした。すると画面にN市のローカルニュースサイトが表示された。九尾はそのページに掲載された新着ニュースの1つをクリックする。


「ヒロキ、この記事を見るのじゃ。れならば何か感じるじゃろ」


 九尾がマウスポインターで指したそこには、N市駅前にあった老舗喫茶店がリニューアルオープンする小さな記事が載っていた。


「九尾、これは……」

「事実は小説よりも奇なり、なんて言葉もあるじゃろ」


 そこによもぎと可憐もやってきて二人もその記事を覗き込む。


「なんとも絶妙なタイミングね」

「きっときっと、キジ丸がやってくれたんですよ。絶対絶対、そうです。よもぎは信じますよ」


 悲しい記事で重苦しくなっていたヒロキの部屋であったが、九尾が見つけたそのニュースのおかげで少しだけ空気が明るくなった気がした。



 コン……コン……コン……。


 そのときヒロキの部屋に玄関ドアをゆっくりとノックする音が響いた。


「まさか……」


 ヒロキは飛び上がるようにしてイスから下りるとよもぎと可憐の間をすり抜けて、ドタドタと早足で玄関の前に立った。そしてドアスコープから外を覗く。するとそこには十分に手入れをされた銀色のショートヘアの一部が土間の薄明りに照らされて映っていた。

 ヒロキはチェーンロックをはずして開錠するとゆっくりと玄関ドアを開けた。すかさず流れ込むもわりとした夏の外気の中、そこにはライトグレーのメイド服に身を包んだギンとその後ろにはミーシカとコーシカが並んで立っていた。そしてギンの腕の中ではキジ丸がくつろいだ様子で丸まっていた。


 予感と期待はあったものの、いざ人ならざる者たちが自分の住まいの玄関先に立っているのを見るとそのオーラに圧倒されて茫然とするヒロキだったが、いつの間にかヒロキの背後に立っていたよもぎはまったく物怖ものおじすることなく三人のメイドとキジ丸を歓迎した。


ギンさん、ミーシカさん、コーシカさん、それにキジ丸まで。どうぞどうぞ、中に入ってください」

「イテッ、あっ……ど、どうぞ、奥へ」


 しばしその場に固まっていたヒロキだったが、九尾に踵を蹴られたことで我に返りよもぎとともに三人と一匹を歓迎した。

 うれしそうな表情で広げるよもぎの腕の向こうでは可憐かれんが微笑みながらお辞儀をし、九尾きゅうびはその隣でいつもの居丈高な態度で腕組みをして不敵な笑みを浮かべていた。


「みんな揃っているとは僥倖ぎょうこう僥倖ぎょうこう。今日はこいつらが是非ともあんたらに挨拶したいときかなくてな、夜分にすまんがお邪魔させてもらうよ」


 キジ丸の声に続いてギンはヒロキたちに小さく会釈すると後ろの二人に目くばせする。そして三人のメイドはいささか緊張した面持ちでヒロキの部屋に足を踏み入れたのだった。



 部屋に入るやいなやギンは抱いていたキジ丸を床に下ろすと、片膝をついてこうべれた。それにならってミーシカとコーシカも同じように膝をついて頭を下げた。


「このたびはわたくしどもをお救いくださりありがとうございます。このご恩は終生決して忘れません」


 そして三人はより一層深く頭を下げた。

 突然のことに言葉を失っているヒロキに代わって九尾が三人の前に立ってその頭を見下ろしながら言った。


れら、あのままあの場所に居続けておったならば猫又ねこまたどころかけがれに成り果てていたのじゃ。それを此奴こやつ人間ニンゲンとそこの霊体が救ったのじゃ。いくら感謝されても足りないくらいじゃ」

「おい九尾、それは言いすぎだろ。オレたちはキジ丸に相談しただけで、実際に動いてくれたのはキジ丸だろ」


 そしてヒロキはギンの前まで近づき膝をついてギンと同じ高さに目線を合わせると、その頭を上げるように言った。


ギン、とにかく頭を上げてくれよ。九尾が言うことなんて気にしなくていいから」

「そういうことだ、お前たち。このままでは話が進まん、とにかく頭を上げろ」


 キジ丸の命令に従ってギン、ミーシカ、コーシカの三人は頭を上げた。そしてギンは安堵の笑みを浮かべながらあらためてヒロキたち四人に礼を述べた。


「ヒロキ様、よもぎ様、可憐様、それに九尾、わたくしども三人は心から感謝しております。そしてわたくしどもはみなさんをお守りします、必ずお役に立ちます。困ったことがあったら何なりとご命令ください」

「ほ――、猫又風情ふぜいにしてはなかなかよい心がけじゃ。ならばさっそくわらわ傀儡くぐつとして……イタッ」


 相変わらず居丈高な九尾の頭上に背後からチョップをお見舞いしながらよもぎもギンの前に座る。

 そんなよもぎと九尾を見ながらキジ丸は高笑いをしながら言った。


「ハッハッハ、こいつらはこれでもあの池袋いけぶくろで長いこと生き抜いてきたんだ、お前さんが考えている以上に武闘派だぜ。子狐こぎつねよ、くれぐれも足元をすくわれないように気をつけるんだな」


 キジ丸の言葉に触発されたのか三人と一匹を睨みつける九尾だったが、そこによもぎが割って入った。


「とにかくとにかく、ギンさん、それにミーシカさんもコーシカさんも、これからもなかよくしてください。よろしくです」


 そう言って右手を差し出すよもぎに困惑しながらもギンはしずしずと右手を差し出して握手を交わした。



「さて、挨拶もすんだことだしそろそろおいとまするとしようか。おっとその前に、ほらお前たち、大事なことを忘れてやしないか?」


 するとコーシカがエプロンのポケットから一枚の紙きれを取り出してギンに渡した。ギンはそれを受け取るとヒロキに手渡した。

 ヒロキを囲むようによもぎと可憐が顔を寄せてその紙きれを覗き込む。それは手書きされたチラシのコピーだった。


「これは……駅前の新規オープンの店って、やはり君たちの店だったのか」

「キャッスル……この名前は前のお店を継承したのね」

「すっご――い、よもぎ絶対に行きますよ。ね、ヒロキさんも、可憐ちゃんも」



――*――



 キジ丸を抱いたギンとそれに寄り添うミーシカとコーシカをヒロキと可憐が玄関先まで見送る。その後ろ姿を見ながら九尾がよもぎをツンツンと突き、それを受けてかがむよもぎに耳打ちした。


「よもぎよ、れにちょいと頼みたいことがあるのじゃが……」


 よもぎは九尾の言葉に大きく頷くとモシャモシャとその頭を撫でながら玄関の向こうに見える三人の銀髪を見送っていた。

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