第8話 スリー・キャッツ・ナイト
音を立ててパタパタとはためく白い防護シート、それを
午後の天気予報がしつこいくらいに深夜からの天候悪化を叫び続けていた。その影響あって、今宵の公園にはめずらしく人影は見当たらなかった。そして公園の向こうに見える場末の通りに佇む古ぼけたビルの周囲からもすっかり人の姿は消えていた。
日中に蓄積された熱もすっかり冷めてしまったアスファルトを青白く照らす街路灯の光、その舗道の上に3つの黒い影が映る。湿気を帯びた粘度の高い風が三人の頬を撫でて銀色に光る髪を揺らす。
シートに覆われたビルの前に立っていたのは、メイド服に身を包んだ
一定のリズムを刻むシートの揺れがスピーカーに向かいタクト振るように右手でリズムを刻む初老の紳士の姿と重なる。いつしか古いSPレコードが奏でるプツプツとしたノイズ混じりの交響曲が店の中に響き渡る。
「レコードはレコード、生のコンサートホールには勝てん。ならばSP盤の針の音も客席の咳払いみたいなものと考えればレコードならではの臨場感がでるものさ」
初老の紳士は流れる曲に合わせて腕を振りながら客席を巡ってはそんなウンチク混じりの雑談を交わすことがなによりの楽しみだった。こうして美しい猫とともに名曲に耳を傾けるその紳士こそが名曲喫茶「古城」の名物オヤジだった。
やがて流れる楽曲は重厚なクラシックから軽快な伴奏に変わっていく。ギターとアコーディオンが軽快なリズムを刻む。満席の店内はさながら集会場のようで、立ち見まで出る客たちの手にはガリ版刷りの歌集が渡されていた。
学生や若い労働者に混じって中高年の男女もみな伴奏に合わせて肩を揺らす。
「さあ、みんな! 今日も元気に歌いましょう!」
巨大なスピーカーに代わって小さなアンプからマイクを通したリーダーのハツラツとした歌声が流れる。その声に合わせて
インテリゲンチャの老人も闘士を気取る血気盛んな若者もここでは共に肩を組んでひとつになる。ロシアの文化よりもソビエト的思想が幅を利かせていたあの時代、客のひとりに名付けられた二匹の猫はそこを訪れる誰からも可愛がられる店のマスコットになっていた。
大容量のスピーカーから流れる音はノイズ混じりの交響曲でも軽いリズムのフォークソングでもなく、今では深みと奥行きのあるウッドベースとピアノが紡ぐスイングやビバップに変わっていた。カウンターの中では名物オヤジに代わってヘアクリームで髪を整えた中年の男性がサイフォンを並べてコーヒーをいれている。
落ち着いた雰囲気のウェイトレスが時折小さなメモ紙を男性に渡す。そこには客からのリクエスト曲が書かれていた。男性はその紙を一瞥するとスピーカーの奥にある棚からLPレコードを取り出してそれを店内の客たちに見せるように掲げた。
客たちはたばこの紫煙を
時代が移り、一丸となって獲得する自由から個を尊重する自由へ、それに合わせて店の名も「古城」からジャズ喫茶「キャッスル」へと変わっていた。
「ここは……いえ、こここそが
「はい、
ミーシカとコーシカは双子らしくそろった声で答えた。
そして三人は外科医が手術の前にするように両手を胸元に上げ、掌を自分に向けて構えた。街路灯に照らされて白く浮かび上がる10本の指先、いつしかそこには20センチメートルほどの研ぎ澄まされた刃が伸びて、キラリと冷たい光を放っていた。
「ミーシカはあのシートをお願いします。鉄パイプは
「はい……承知……してます。少し……少しだけチクッっと……」
「大丈夫だよコーシカ。コーシカは強いし、それにいざとなったら
「う……うん、ありがとう、ミーシカちゃん」
そして
「さあ、行きますよ!」
「はい、
三人がそれぞれのポジションに向かって踏み出そうとしたその瞬間、三人の耳に野太い男の声が響く。それは夜のビルに反射してひときわ大きく聞こえた。
「それくらいにしておきな、お前たち!」
「そんなことをしたってどうにもならんことは
「よし、それでいいのだ。
大きな三毛猫の
「そうがっかりするな。こんなとき
三毛猫は前足を前に出して大きく伸びをしてから長い尾をゆらりと揺らして公園の奥を見るように立ち上がった。そして再び諭すような口調で茫然と立つ三人に向かって言った。
「とにかく黙ってワシについてきな。悪いようにはしないから」
そのときようやっと
「あの……」
「ワシのことはミケでよい」
「ミケ様、
「N市を知っているか。そこにお前さんたちの面倒を見てくれる連中がおる。お前さんはもう会ってるだろう、狐と浮遊霊を連れた
「あっ……」
「あの
「あの方が……」
「そういうことだ。あとは連中にまかせておけば悪いようにはならないだろう。さあ、行くぞ。これからお前さんたちにはちょっとした長旅が待っておるのだからな」
ミケは尻尾を揺らしながら公園の奥に消えていった。
路面に映る三人のメイドの影は一瞬にして小さな三匹の猫の影に
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