第6話 ミーシカとコーシカ

「お待たせしました。お茶をお持ちしました」


 メイドは銀のトレイに載せた3客のカップとソーサーのセットをテーブルに並べると大きめのティーポットからそれぞれに紅茶を注ぐ。そして注ぎ終わるとトレイの上の小さなガラス製の小皿を手に取ってそれらもカップとともに並べた。

 ヒロキの目の前に置かれた小皿にはオレンジよりも黄色が強い柑橘類がヒタヒタのシロップに浸されており、どこか懐かしい夏の香りが感じられた。

 ヒロキはメイドを見上げて尋ねた。


「これは……ロシアンティーなのにいちごジャムじゃないんですね」

「本日のヴァレーニエは甘夏みかんです」


 初めて耳にする単語にヒロキは少しばかり眉をひそめながら聞き返す。


「ヴァレーニエ……?」


 ヒロキと同じ疑問を感じたよもぎもメイドからの答えをうずうずとした表情で待ち構えている。メイドはにこやかな笑みとともに答えた。


「そうですねぇ……最も近いのは、ジャムですね」

「フン、ならばそう言えばよいのじゃ……イタッ」


 相変わらず不躾ぶしつけ九尾きゅうびの頭上によもぎが無言のまま手刀をお見舞いした。


「でもでも、メイドさん。このジャムみたいなのって、サラッとしててジャムっぽくないですよね」

「はい、季節のフルーツをお水とお砂糖で煮たものです。こちらは甘夏みかんで作りました」

「へぇ――、そうなんだぁ」


 よもぎは興味深げにスプーンでヴァレーニエのシロップをすくってそれを口にしてみる。まずは爽やかな柑橘系の香りが鼻を抜け、続いてほどよい酸味と甘みが口の中に広がった。


「おいしい。ヒロキさん、おいしいですよ、これ」

「さっそく味見とはよもぎらしいな。どれ、オレもいただこうかな」


 ヒロキは小皿を手にして、その中身を紅茶のカップに入れようとした。


「お待ちください、お客様」


 いきなりの声に三人は一斉にメイドを見上げた。メイドはその視線に少し肩をすくめると、小皿を持つヒロキの手を取ってやさしくテーブルにエスコートした。


「ヴァレーニエは中には入れないのです。お召し上がりになりながら紅茶を戴くのです」

「あっ、はい……すみません……」


 ヒロキの手に触れた白く細い指先はこの部屋の涼しさのせいなのか、あるいは水仕事によるものか、やけに冷たく感じられた。しかしなにより突然のことにヒロキは返す言葉もなくただうろたえるだけだった。



 そのときドアが開く音とともに靴音が板張り床に鳴った。メイドは姿勢を正してこちらに一礼するとトレイを手にしたまますぐに客を出迎えに向かった。

 ビラを片手に汗ばんだTシャツを着た若者がひとり、メイドに案内されて奥の小さなテーブル席の前に立つ。若者はヒロキがそうしたように目の前に鎮座するオーディオ機器を興味深げに眺めながら、手にしたリュックを置いて二人掛けの席に着いた。

 若者はリュックのポケットからフェイスタオルを取り出すと、額と首筋の汗を拭きながらメイドが注文を取る前に、


「アイスコーヒー」


と声を掛けた。しかしメイドからの返事を待たずに、


「やっぱりホット、ホットコーヒーをお願いします」


と言い換えた。

 やはりあの客も店の中の涼しさに気付いたのだろう、ヒロキはそんなことを考えながら、さっきまでの自分と同じように店内をキョロキョロと見渡す客を遠目に眺めていた。


 すると再び入口のドアが開く。今度の客は男性二人組だった。

 やはりビラを片手にして大きな紙袋を肩から下げた二人組は、二人を意味するようにVサインをしてヒロキたちの後ろのテーブル席を指さしながらメイドに同意を求めた。メイドがカウンターの中から小さく頷くのを確認すると二人はその席に着く。そして手にしたビラをテーブルの隅に置くと今日のバーゲンセールで得た戦利品の話に花を咲かせ始めた。

 続いてまた男性客がひとり、ビラを手に入店してくる。その客は黙ってカウンター席に座ると忙しそうに立ちまわるメイドを見惚れたような目で眺めた。


「やはりみなメイド喫茶と勘違いしておるようじゃの。来るのはみな男衆おとこしゅうばかりじゃ」


 九尾きゅうびがいつものように腕組みをして店内を見まわしながら言う。その隣ではよもぎがそわそわとメイドの動きを追っていた。


「ああ、もう見ていられません。ヒロキさん、よもぎ、お手伝いしてきます」

「お、おい、手伝うって……」

「心配いらないです。ヒロキさんはそこでゆっくりとお茶しててください」


 よもぎはすっくと席を立つと、わざとそっぽを向いている九尾に向かって言った。


「さあ、九尾も行きますよ」

「なっ、わっ、わらわもか」

「だってだって、そのためのメイド服じゃないですか」

「ぐぬぬ……まあ仕方ない、ならばここは一肌脱いでやるのじゃ」


 こうしてよもぎと九尾はカウンター内に向かうとメイドに手伝いを申し出た。


「メイドさん、お手伝いします」


 既にメイド服に変化へんげしていたよもぎを見たメイドは一瞬驚きの表情を見せたものの、すぐに頭を下げて丁重ていちょうにその申し出を断った。


「お客様、それはいけません。お客様にそんなことは……」

「いいから、いいから、洗いものはよもぎにまかせて、メイドさんはお客様のオーダーを」

「お心遣いありがとうございます。そこまでおっしゃられるのなら……それでは、

すぐに店の者が戻りますので、それまでの間、お言葉に甘えさえていただきます」


 メイドはよもぎと九尾を交互に見て深々と頭を下げると、トレイに水とおしぼりを載せ、そして注文用の伝票を手にして客席に向かった。


 一連の様子を見ていたヒロキもテーブル席を立つと、自分のティーセットを手にしてカウンターの片隅に移動した。そしてすっかり飲み終わったよもぎと九尾の食器をカウンター内に下げながら二人を案じて声を掛けてみた。


「ふふふふーん、ふんふふーん」


 しかしよもぎはそんなヒロキの心配をよそに、いつもの鼻歌を口ずさみながら嬉々として洗いものを楽しんでいた。そしてそのかたわらではシンクに背が届かない九尾きゅうびが不満げな顔でヒロキを睨みつけながらよもぎから受け取った食器を拭いていた。



 またもや入口のドアが開く。


「遅くなりました――! ビラが終わったのですぐに手伝いま――す」

「遅く……なりました、ねえさま……」


 入ってきたのは二人のメイドだった。おそらく双子なのだろう、美しく輝く銀色の髪、澄んだ湖水のようなブルーの瞳、その背格好も顔つきも容易に見分けがつかないほどにそっくりで、まさに瓜二つという表現がぴったりだった。

 二人とも片手にラタンのバスケットを手にしていることから、さっきまで外でビラを配っていたのだろう。そして先に立つ赤いリボンのチョーカーを着けたメイドはついさっきヒロキたちがビラを受け取ったあのメイドだった。

 その後ろに立つ青いチョーカーのメイドは遠慮がちな性格なのか、声も小さく前に立つメイドに常に寄り添うようについていた。


「二人ともお帰りなさい。今は見ての通りです、ミーシカはフロアーを、コーシカは中で……あっ」


 カウンターの中ではよもぎと九尾が洗いものを片付けている最中だった。ねえさまと呼ばれるメイドがそれを青いチョーカーのコーシカに伝えようとしたときには、両手のグローブを脱いで水仕事の準備を整えたコーシカが既にカウンターの中でよもぎと九尾の姿を見てその場に茫然と立ち尽くしていた。


 九尾きゅうびは拭き終わった皿を作業台に置くと両手を腰に当てて睨むようにしてコーシカを見つめる。その様子に気付いたよもぎは濡れた手を乾かすために一瞬だけ半透明になったかた思うとすぐに実体化してコーシカに向かってペコリとお辞儀をした。


「あっ、すみません、よもぎと言います。とっても忙しそうだったのでお手伝いしてました。洗いものは今終わったところです」

「あっ……コ、コーシカです。あの、その、ありがとう……」


 そしてコーシカも二人に向かって小さくお辞儀をした。



――*――



「お代をいただくわけには参りません」

「そんなこと言わずに。料理は最高だったし、うちの二人もメイド体験ができて大満足だし」

「しかし……」

「さあ、受け取ってくれ」


 代金の受け取りを拒むメイドの手にヒロキは強引に千円札を3枚握らせた。そしてすっかり客も引いてヒロキたち三人だけになったことを確認するとヒロキはメイドに提案した。


「それならあのおいしい紅茶をもう一杯もらえるかな。どうだろう」

「それは喜んで、ぜひともお召し上がりください」


 メイドは満面の笑みをたたえてそう言うと、ミーシカとコーシカに準備をするように命じた。


 静かになった店の中でヒロキたち三人とメイドたちは紅茶を前にして互いに自己紹介を始めた。


「オレはヒロキ、太田ヒロキ、学生です。そしてこの二人は……」

「よもぎです」

九尾きゅうびじゃ」

「まあ、いろいろあってオレはこいつらの保護者みたいなものなんだ」


 メイドは不思議そうな顔でよもぎと九尾の顔を見ていたが、九尾と目が合った瞬間に何かを悟ったかのように軽い笑みを浮かべると、続けて自分たちの紹介を始めた。


「赤いリボンがミーシカ、青いリボンがコーシカです。よもぎさんたちは先ほどコーシカとはご挨拶をされてましたね」


 そしてメイドはエプロンのポケットから黒いリボンのチョーカーを取り出すとそれを首に着けて自分の名を名乗った。


わたくしギンと申します」

ギンって、日本語の銀色の銀?」


 ヒロキは意表を突かれたような顔でそう聞き返した。

 後から来た二人の名前がいかにもロシア語といった名前だったのでこのメイドもそんな名前だと思っていたが、出て来たそれは日本語のそれも「ギン」である。ヒロキはその名の由来を尋ねてみた。


「それは、先々代のあるじがそう名付けたのです」


 ギンはどこか遠くを見る眼差しでそう答えた。

 そしてギンの視線の先、カウンターの片隅には3つの写真立てが置かれており、そのうちの一つに猫を抱く初老の紳士の写真があったのだった。

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