どこまでも外側でしかない愚かな後輩の話◆

 失恋とは、いったいどのタイミングで「失恋」と定義されるのだろうか。

 告白して振られた瞬間? それとも相手と別れたとき? 僕はどちらも違うと思う。

 失恋とは、恋心を失ったことを自覚した瞬間に訪れるものだ。恋を失うと書いて失恋。つまりは、恋心を喪失して、相手を想うことができなくなってしまうことこそが失恋の本質なのだ。

 そんな風に、少し前までは考えていた。だが今はこうも思う。

 恋していることを自覚して、けれどもうその感情を向けてはならないことに気づいたときだ、と。



 六月の深夜、丑三つ時。常夜灯に照らされた薄暗いアパートの一室で、僕は一人の少女を組み敷いていた。もちろん、無理矢理になどではない。同意の上での行為だ。でなければ犯罪になってしまう。

 少女が、蕩けきった表情で僕を「せんぱい」と呼ぶ。物欲しそうな目に応え、唇を押し付け舌を絡めてやれば、少女はいやらしく目を細めた。

 その姿が僕の黒い征服欲求を少しだけ満たす。そこに、愛だの恋だのは介在しない。

 僕と少女の関係を一言で表すなら、先輩と後輩であり、セフレというやつであった。

 ところで、いつまでも少女と呼ぶのはおかしな気がするから、そろそろ呼称を決めようと思う。けれどセフレというのを呼称にするのは憚られるので、ここからは後輩と呼ぶことにする。

 ともかく、後輩はぼくのセフレであった。英訳すると Friends with benefits. 直訳すると利益ある友人。

 字面だけ見れば、なんだかいい関係に見えなくもない。実際多くの場合はその通りなのだろうけど、僕らはそうなれなかった。僕が僕であり、後輩が後輩である以上は、どうしたってリスクが付き纏う。

 理由はと言えばいくつかあるのだけど、結局のところは、原始的なピストン運動に嬌声を上げているこの後輩が、幼馴染にして恋人であった人の妹だったという点に収束する。

 我ながら、クズの所業だとは思う。けれど、この関係を持ちかけてきたのは後輩からだった。

 僕がまだ高校一年で、後輩が中学三年だったころ、僕と幼馴染の恋人関係は成立した。二年ほど前のことである。

 当時、僕と幼馴染は清い交際をしていて、せいぜいがキス止まりだった。しかし、性欲を持て余したおサルさんであるところの僕は、当然のように悶々とした思いを募らせていた。

 そんな折に現れたのが後輩である。幼馴染そっくりの彼女は初め、僕のことが好きだと言い、僕が「君のお姉さんと付き合っているから、その想いには応えてやることができない」と返すと、ならばセフレで構わないと宣ったのだ。このときの後輩とは、一度イジメられているところを助けてやった程度の関係でしかなかったから、いったい何がここまで彼女を駆り立てるのかと、酷く驚いたことを覚えている。

 まだまともな倫理観をもっていた僕は当然断ったのだが、後輩の方が何枚も上手だった。言葉巧みな後輩にそそのかされ、その日のうちに僕は童貞を、後輩は処女を捨てていた。彼女が幼馴染の制服で迫ってきたのが悪い。

 ともあれ、僕が後輩とセフレになったからと言って、幼馴染との関係が変わることはなかった。互いに安っぽい愛の言葉を囁き合い、薄っぺらな安心を得て日々を食い潰す。僕の場合はそこに、後輩との爛れた行為が加わっていたけれど、そんなものはすぐにありふれた日常に埋没していった。自慰の回数が減って、代わりにセックスをするようになった、それだけのこと。

 僕はこのことを幼馴染に隠していたし、後輩もそうしていてくれたから、何も問題はなかった。不純異性交遊だとか、お互いに未成年だとか、そんなことはどうでもよろしい。

 問題が起こったのは、つい先日のこと。後輩との関係がついに発覚したのだ、幼馴染に。そうして昨日、言い訳もさせてもらえないまま、一方的に「わかれよう」と告げられ、僕らの恋人関係は解消された。それもまあ、当たり前ではある。

 たぶん彼女は僕と後輩の関係に薄々気づいていたし、それがなくてもいずれはこうなっていた、という確信があった。いつのまにか、僕は幼馴染への焦がれるような恋心を失っていたのだ。

 なのに、それなのに、彼女を忘れることができないでいる。

 凸と凹を擦り合わせ、恍惚とした表情で喘ぐ後輩を見るたびに、あのときの、別れを告げたときの、幼馴染のただただ悲しそうな笑みが想起され、吐きそうになる。

 何度も腐った白濁に乗せて押し流そうとしたけれど、脳裏にこびりついたあの情景が消えてくれない。

 びく、と。後輩は震えながら、弓なりに背を反らせる。同時に締まりがきつくなって、僕も果てた。だがそこに、精神的な快楽はない。肉欲をぶつけ、刺激を受けた結果として身体だけが満足し、精神はどこまでも虚無。

 そんなことを続けていると、荒い息で薄い胸を上下させる後輩に、無性に腹が立った。イライラして、なのにれっぱなしのそれが萎える様子はない。

 「せん、ぱい……」と、後輩が切な気な声で僕を呼ぶ。頬に手が添えられ、かと思えばぐいとひっぱられて再びの口づけ。舌をねじ込み、歯の裏をなぞるように口内を蹂躙する。

 昨夜からずっとこの調子だ。お互いに疲れというものを知らない。狂ったように打ち付けられる股間と股間。淫靡な水音と荒い息遣いだけが部屋に横たわる。

 幼馴染と似た顔。幼馴染と似た髪質に幼馴染と似た声。後輩の全てが僕をイラつかせた。こうして幼馴染にそっくりの後輩を屈服させていれば心が軽くなる気がして、何度も交わった。

 しかし、そんなことで心が晴れるわけがなく。ほんの僅かに醜い心が満たされ、幼馴染を思い出してはそれ以上のマイナスを積み重ねる。

 あまりの愚かさに笑えて笑えて。酷く気持ちが悪かった。

 恋心を失ったなどとほざきながら、後輩を幼馴染の代わりにしている自分も、そんな自分を受け入れる後輩も。気持ち悪い。

 それでもなお、僕は肉欲を後輩の中に吐き出し続ける行為を止めなかった。


 外が明るくなるころ、ようやく眠ってくれた後輩を置いて、僕はベッドから抜け出した。ベランダで朝日を浴びながら、口の中の気持ち悪さをミネラルウォーターで流し込む。

 眼下に揺らめく川の水面を眺め、僕は今更自らの間違いと、本心に気づいた。気づいていたことに気づいた。

 僕は、幼馴染への恋心を失ってなどいなかったのだ。確かに焦がれるような想いは失くしてしまったけれど、それはもうそうする必要がなくなったから。

 彼女の悲し気な笑みに心がささくれ立ったのは、そこに至って初めてその感情に気づいた自らの愚かさに。

 笑が込み上げてくる。不思議と涙は出なかったけれど、それでいい。僕に泣く資格なんてない。今となっては全てが手遅れで、もうどうしようもない。

「あぁ、そうか」

 きのう、僕は失恋したのだ。

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