ようこそ新世界へ

澤田慎梧

ようこそ新世界へ

 ――俺は追われていた。


 頭上には血のように紅い満月が輝いている。

 灯り一つないゴーストタウンを逃げ惑う俺にとって、その月明かりはまさしく希望の光そのものだ。月光は黄昏時の陽光よりも明るく、俺の道行きを照らしてくれていた。

 だが――。


「……ちっ! もう追いついて来やがった!」


 背後の暗がりに……立ち並ぶ無人の住宅の屋根に……の気配を感じ取り、俺は一人舌打ちをする。

 俺と奴らの身体能力の差は歴然。このままでは、数秒後には追いつかれてしまうだろう。


 ――なんでこんな事になったのか?

 必死に走り続けながら、俺はあの「はじまりの日」以降の日々を思い出していた。


 きっかけは一体何だったのか? その答えを知る者は誰もいない。

 分かっているのは、特殊なウイルスのパンデミックにより、人類が信じられない速さで滅んでしまったということだけ。

 そのウイルスに名前はない――仮称を付ける間もなく、世界中の人間が感染し死んでいったからだ。


 それも、ただ死ぬだけではない。ウイルスで死した一部の人間が、「吸血鬼」として蘇るという悪夢のおまけ付きだった。

 甦った者達は、皆一様に青白い肌に鋭い牙を持つようになり、まだ感染していない人間の生き血を求めて襲いかかる、文字通りの吸血鬼と成り果てたのだ。吸血鬼に血を吸われた者もまた、吸血鬼となった。


 その生態は完全な夜行性。陽の光に弱いらしく、昼間はどこかに身を潜めているのが常だ。

 だから、初期の頃ならば昼間に連中をして回れば、まだ人類に勝機はあったはずだったんだが……ウイルスの感染速度があまりに速く、人々が連中の生態に気付く前に人類の敗北は決定的となってしまっていた。


 生き残ったのは、俺のようにウイルスに耐性を持っていた、ごくごく一部の人間のみ。だが、その僅かな生き残りも、あっという間に吸血鬼共の餌食になってしまった。

 この地域で生き残っているのは、最早俺だけだ。とうの昔に通信インフラも死んでいるので、他の地域に生き残りがいるかどうかも分からない。

 ――もしかしたら、俺が人類最後の生き残りかも知れなかった。


 普通なら、そこで絶望して諦めていたんだろうが、どっこい俺は人一倍諦めが悪かった。

 俺は、吸血鬼共に一矢報いる為に、「狩人」となったんだ。

 ――まるでだな


 日の高い内に連中の寝床を探り当てて、襲撃する。それが俺の生業となった。

 連中は一度死んで蘇ったとは言え、不死身ではない。脳や心臓を完全に破壊すれば、今度こそ安らかな眠りにつく。小説や映画の吸血鬼みたいに、木の杭を心臓に打ち込んでやれば死ぬのだ。

 火も有効だったな。奴らの寝床が建物だった場合、念入りにガソリンや灯油をばらまいて火を点けてやると、一網打尽に出来た。喉をかきむしるように死んでいたから、あれは恐らく窒息死だ。連中にも呼吸は必要らしい。


 もちろん、吸血鬼共を仕留めるのは口で言うほど簡単じゃない。

 ウイルスの影響なのか、奴らは人間よりも遥かに優れた運動能力を持っていた。ひとっ飛びで住宅の屋根に飛び乗り、百メートルを世界記録も真っ青な速度で駆け抜ける。

 俺が暗がりに飛び込むのではなく、奴らを陽の光の下に引きずり出すのでなければ、勝負にもならない。


 アジトの確保も大変だった。

 連中は何故か生きている人間の場所が分かるらしく、どこへ隠れていても見付けられてしまい、何度も危ない目に遭っていた。

 襲撃を受ける度にアジトを変え、街から街へ渡り歩いたものさ。


 ――吸血鬼共と、何とか意思の疎通をしようと考えた事もあったな。

 だが、昼間の内に拘束した吸血鬼と話をしようとしても……連中は不気味な金切り声を上げてこちらに噛み付こうとするばかりで、コミュニケーションが成り立たなかった。

 もう連中は、意志ある人間とは程遠い存在らしい。


 ――そして、そんな生活が一年近くも続いたある日。俺は下手を打った。

 アジトが連中に囲まれていることに気付かず、眠りこけていたんだ。気が付けば包囲網が出来上がっていて、這う這うの体で逃げ出し……今に至る訳だ。


『キシャァー!』


 獣のような声を上げて、屋根の上から吸血鬼のが飛びかかってくる。

 凄まじい速さだが――奴らの攻撃は「噛みつき」一辺倒と単純だ。カウンター気味に額へハンマーを食らわせ、まずは一匹仕留める。


『ホォゥーーー!!』


 仲間が脳漿のうしょうを撒き散らしながら絶命したのを見て、奴らの怒り――そんな感情があるのかどうか不明だが――に火が付いたらしい。一匹が合図のような叫び声を上げると、次々に吸血鬼共が集まってくる。

 ――月光を受けて光り輝く、ふくろうか猫科の動物かのような連中の丸い瞳が、ぐるりと俺を取り囲んだ。どうやらこれまでらしい。


「……ちくしょうっ!」


 何とかそんな言葉だけを絞り出した俺に向かって、吸血鬼共が殺到し――俺は奴らの餌食となった。


   * * *


 ――そして、少し欠けた月明かりの下、俺は目覚めた。

 頭の中は今までになくクリアで、視界も良好。夜のはずなのに、周囲は真っ昼間のように明るい。

 寝ていた体を起こそうとして、自分の体がやけにシャープに動くことに気が付く。なんだか体中に力がみなぎっていたのだ。


『――やあ、やっとお目覚めかい?』


 少し離れた場所からかけられた誰かの言葉が、まるで耳元でささやかれたかのように聞こえた。どうやら五感も鋭くなっているらしい。

 声のした方へ振り向くと……そこには青白い顔に鋭い牙を持った、吸血鬼の青年が立っていた――しかし、俺に驚きはない。

 目が覚めた時から既に気付いていたのだが……俺の手足も、彼と全く同じような色になっていたのだ。口の中に牙の感触があることにも、すぐに気付いていた。


 ――俺も遂に、吸血鬼の仲間入りを果たしてしまったらしい。


『あんまり暴れるものだから血を吸いすぎてしまってね。ちゃんと目覚めるか心配してたんだ――

『助ける、だって?』


 ――青年に尋ねる為に声を出してから気付いたのだが、彼も俺も、発しているのは例の意味不明の金切り声だった。だがそれが、今は不思議と人間の言葉に聞こえていた。


『ああ。君はウイルスへの耐性が中途半端だったせいで、

 でも、あのままではウイルスで変革された今の地球環境に、そのうち適応出来なくなっただろう。気付いていたかな? ウイルスによって植物や細菌にも変異が起こって、地球の環境自体が変わり始めてるって』

『……いいや、全然』

『ハハ、だろうね。君の目から見たら、僕らは襲い来る化物だっただろうからね。でも、信じて欲しい。僕らは君を救う為に、君の血を吸おうとしていたんだ。事前に手紙でも書いて伝えれば良かったのかも知れないけど……きっと信じてはもらえなかっただろうしね』


 ――苦笑いする青年の言葉に、嘘は無いように思えた。だが、疑問がある。


『俺は、君らの仲間を沢山殺した――そんな相手を、救おうと思えるものなのか?』

『もちろん、君を救いたいと思うと同時に、君の殺戮さつりくを止める意図もあった。……仲間の中には君を恨んでいる者もいる。

 でも、人類の本当の試練はこれからなんだ。僕らはこれから、すっかり数の減ってしまった仲間と共に、激変していく地球環境を生き延びていかなきゃならない。その為には、これ以上「仲間」を失うわけにはいかないんだ――君を「ロバート・ネヴィル」にする訳にはいかない』


 ――青年の口から出た意外な名前に、思わずハッとする。それは奇しくも、かつて俺が自分を重ねた人物キャラだった。


 「ロバート・ネヴィル」というのは、古いSF小説の主人公の名だ。彼は俺と同じく、人類がウイルスで吸血鬼と化してしまった世界に、一人取り残された人間だ。

 そしてやはり俺と同じく、昼間の内に眠っている吸血鬼を退治して回ることを選ぶ。


 だが……実は彼が殺して回った吸血鬼の中には、今、俺の目の前にいる青年のように、しっかりと「人類」としての自我を保持している人々――「新人類」が混じっていた。彼は化物を退治するつもりで、知らず殺人を犯していたのだ。

 ……そのことで「新人類」を恐怖させ恨みを買ったネヴィルは、物語の最後に処刑台ヘ送られてしまう。

 ネヴィルの視点では正しい事が、別の視点から見れば悪魔の所業であったという、「価値観の逆転」を描いた衝撃的な結末だ。


『新しい人類としての形を受け入れて、共に力を合わせてはもらえないか?』


 ――青年がそっと手を差し出す。吸血鬼に成り果てても、人類の文化が失われていない何よりの証拠だった。

 俺はその手を無言でがっしりと握り返す。


 ――ここに、俺は新人類としての新たな目覚めを迎えた。実に最高の気分だった。

 これからは昼が夜に、夜が昼となる生活が始まる。だが、それもすぐに慣れるだろう。


 ウイルスによって強靭となった、この身体の性能も早く試してみたかった。

 全身に力が漲る。心が躍る。


 ああ、この身体ならば……今までよりももっと簡単に、沢山殺しが楽しめるはずだ――。



(了)

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