中途半端のその先に
水樹 皓
明晰夢
――明晰夢
夢だと認識して見る夢のことだ。
10回以上は見ないと覚えられない何の特徴もない顔。勉強も運動も、何もかもが中の中 。小学生時代のあだ名は村人C。
そんな中途半端人間の俺が、唯一保持している普通ではないもの。
それが、” 明晰夢を意識して見ることができる”という……まあ、心底何の役にも立たない特技だ。ちなみに、見る夢の内容までは選択できない。そんな中途半端なところなんかは、やはり俺らしい。
そして、俺は今、その明晰夢の中にいる。
まあ、明晰夢とは言っても、それはやはりただの夢に違いない。
だから、普通の夢のように、可笑しな部分は多数存在する。
普通の夢だと、その可笑しな部分を普通に受け入れてしまうが、これが夢だと認識している俺の場合、そういった可笑しな部分には、意識せずともすぐに目がいってしまう。
そう、例えば……。
「 はい、それでは、はい。この問題を、はい。佐藤君、はい。前に出てきて解いてみてください、はい」
今日の明晰夢の舞台は、俺の通う中学校。その数学の授業中のようだ。
――なんで、夢の中でまで勉強をしなくてはいけないのか。
心の中でそんな愚痴を零しつつも、先生に当てられた俺は、黒板の方へと歩いていく。
教壇で俺を待ち構えているのは、数学の猿飛左近先生。ちなみに、双子の兄の右近先生も、この中学で教師をしているという、ちょっと変わった双子先生。
瓜二つの双子先生だが、二人の見分け方は至って簡単。髪の有る無しだ。
――有るのが右近、無いのが左近。
この中学の生徒が一番に覚える公式だ。
有るのが右近、無いのが左近。……なのだが、今、黒板に答えを記入している俺をジッと見守っている先生の頭には、有る。
今回の明晰夢は、”国語の先生であるはずの右近先生が、弟と入れ替わって数学の授業している”という設定なのかとも思っていたが、どうやらそうではなさそうだということは、直ぐにわかった。
カツラなのだ。
―― 左近先生が唐突にカツラを被ってきた。それなのに、皆、平然としている。
これが、今回の明晰夢の、最も可笑しな部分。
…… 逆に言えば、そのぐらい。
いくら明晰夢が見られるとはいえ、こんなちょっとしたことぐらいしか楽しみが……っと、そう言えば、もう一つだけあった 。忘れてはならない、楽しみが――。
「 佐藤君凄いねっ! あんな難しい問題、私には解けないや」
席に戻った俺を、そう言って出迎えてくれたのは、隣の席の花澤さん 。
いつも明るく笑顔が絶えず、誰とでも分け隔てなく接し……と、もう聞くからに人気の高そう――実際に男子からも女子からも人気者なクラスメートの女の子。
「まあ、数学だけは得意だから。逆に、国語とか、訳わからなさ過ぎて眠くなる」
「 あははっ。確かに、今の国語でやってる夏目漱石のやつは難しいよね〜」
夢の中だと、今回の左近先生のカツラのように、時折現実と違う部分が点在しているが、彼女が俺の隣の席だという事は、現実と同じ。
「 でも、いいなぁ。私なんか、因数分解辺りからつまずいちゃってるから、羨ましいよ」
照れたように”たはは”と浮かべる、彼女のこの太陽の様な笑顔も、現実と同じ。でも……。
「じゃあ、今度教えてあげようか?」
「本当にっ!?」
「う、うん」
「ありがとっ! 絶対だからね!」
こんなに気軽に会話できるのは、夢の中でだけ。
多分、現実なら(そもそも現実でこんな会話をすることはないだろうが)花澤さんが「本当に!?」と、キラキラした笑顔で聞いてきたのに対して、「うっ、うっ」と、変な呻き声を上げるに留まっていただろう。
でも、これは夢の中。俺の頭の中だけの世界。
だから、こうして普通に会話できる。
その後も、授業そっちのけで、花澤さんとの会話を楽しむ。
これだけ堂々と私語をしているのに、先生に全く注意されないのは、夢の良いところか。
「――じゃあさ、早速今日の放課後……」
「ん? どうしたの?」
「いや、ごめん。何でもない」
急に口を閉ざした俺に、花澤さんが小首を傾げる。
―― 今日の放課後、図書室で一緒に勉強しようか。
会話の流れでそう応えようとしたのだが、とある感覚が襲ってきた。
そろそろ夢が覚める。その前兆だ。
いつも決まって、良い所で夢が覚める。夢オチと言った所か。
後20分でいいから待ってくれれば、花澤さんと放課後も一緒――という俺の小さな夢が、本当に夢の中でとはいえ、叶ったのに。
いくら明晰夢が見られるとはいえ、夢の時間までは操れない。
――本当に中途半端な特技だ。
と、そんな愚痴を零している間にも、夢の世界は霞んでいく。
そして、テレビのチャンネルが切り替わるように……。
「 はい、それでは、はい。この問題を、はい。鈴木君、はい。立って、はい。答えてみてください、はい」
……って、アレ?
靄が晴れて、開けた俺の視界には、つい先ほどまでと同じ光景が広がっていた。
教壇の上に立っているのは、カツラをかぶった左近先生。そして、俺の隣の席に座っているのは……。
「どうしたの?」
キョトン、と首をかしげる花澤さん。
……なるほど。どうやら、夢はまだ覚めていなかったらしい。ということは……。
「 あのさ、今日の放課後、図書室で一緒に勉強しない?」
「勉強? 今日?」
「 ほら、もうすぐテストもあるからさ。花澤さん、数学苦手なんだったら、1日でも早く克服しといた方が良いかな、と」
言えた。……言えた。
夢の中とは言え、こんな大体なこと、少し緊張した。
でも、夢の中だから、言えた。
そして、夢の中……俺の願望の中だから、花沢さんの答えは勿論、
「うんっ、いいよっ! じゃあ、放課後にね」
太陽のような笑顔。俺が一目惚れしたその表情で、そう応えてくれる。
現実で俺なんかがこんな事を言っても、困った顔をされるだけ。
でも、夢の中でなら――。
「う、うん。じゃあ、放課後図書室で――」
「はい、そこ、はい。今は授業中ですから、はい。私語は慎むように、はい」
「あっ、は~い。すみませ〜ん」
「すみません」
浮かれ過ぎていたらしい。思わず声が大きくなってしまっていたようだ。
――なんで、夢の中でまで怒られなくてはいけないのか。
心の中で軽く不満を募らせるも、「たはは、怒られちゃったね」と小声で話しかけてくる花澤さんのその笑顔に、すぐに心が穏やかに……え?
花澤さんの笑顔を心に刻みつつ、顔を前に向けたところで、違和感に気付く。
――怒られた……?
今まで、どれだけ大きな声で話しても、勝手に教室を出て行っても。
何をしても、怒られた事なんてなかったのに。
頭の上に大量の疑問符を浮かべたまま、ふと黒板を見る。すると……。
「夢十夜……夏目漱石……?」
そこに書かれていたのは、数字の羅列ではなく、文字の羅列。
……なるほど。そこで、ようやく全てを理解した。
――俺の中途半端も、案外役に立つものだな。
中途半端のその先に 水樹 皓 @M-Kou
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