タイムジャンクション5

 もう5回目。全てをすっ飛ばして、ここからスタート。


「よし、次選べ」


 飛ばしすぎである。瑞希は閉じていた目を開けた。そこは、駅のロータリーではなく、いきなりのメルヘン世界。


 黄色とピンクの乙女チックな背景に、フワフワと七色の光を放ちながら浮かぶシャボン玉。瑞希はついていけず、しばらくぼんやりしていた。


 白いドレスは消え去り、古着屋で買った紫のタンクトップとミニスカート。それに思い知らされ告げられる、夢の時間は終わったのだと――


 引き離されてしまった、天使のようなニコニコの笑みを持つ極悪非道な悪魔と。冷酷無惨。温かさはないが、慈愛があり、よくよく考えれば、まともなことばかり。


 ランジェが話してきた言葉は嘘偽りがなく。ただ言い回しが悪なのであって、本人に悪意はまったくない――


 どこまでも晴れ渡る荒野を、走り抜けてゆくジープに揺られていたランジェは、誰よりも輝いていて、優しくて、それでいて、厳しくて。


 月のように綺麗な横顔で、1人立ち向かってゆく。大人の理不尽な理由で課せられた、子供の悲しみと苦しみを消し去ろうとして。


 勇敢な戦士のようでいて、貴族的で上品な男――


 彼の姿をそばでずっと見ていて、自分の生きる糧にしたいとそう願ったが、もう叶わない。また聞きそびれてしまった。あのバスルームは何という場所にあったのかを。


 今もまたどこかの街角で、プロポーズの大行列を巻き起こして、気絶させて、金品を手にしているのかもしれない。小さな子供たちのために。


 恋をしただの。

 結婚するだの。

 いきなり言ってきて、嘘かと思えば、本気で。


 最初から全て計算された中で過ごした時間とき。どこまでも冷酷に合理的に物事を運んだランジェ。だからこそ、何の無駄もなく、芸術のような綺麗な思考回路と心。


 あの悪魔みたいな存在を、ダガーを使って倒し、自分を守っていた。彼の腕の強さ。と、煙るバスルームの向こうに見えた、女性的なマゼンダ色の髪。凛とした澄んだ丸みがあり儚げな声。あの響きで奏でられた言葉を、瑞希はふと思い出した。


『それでは、僕が池に入って溺死です〜』


 どんな返しだと思って、彼女は珍しく吹き出した。


「あはははっ……!」


 瑞希の足元には、プレゼントされた白いドレスが、きちんと折りたたんで紙袋に入れてあった。シャボン玉クッションの上で、首を右に左に傾ける。


「あれ? おかしいなぁ。ランジェさんに関しては、どうしてシリアスにならないんだろう?」


 涙どころの話ではなく、笑いになってしまう。あの194cmの桜色のタキシードを着た男を思い返すと。


 チビッ子の少し枯れ気味の声が、情報をもたらした。


「長く生きてっから、価値観おかしいんだって」


 マジでおかしなのを作り出しているのは、生きている時間の長さだった。瑞希は思わずクッションから立ち上がり、やっと理解した。


「あぁ、そうか! 死なないから、恐怖を知らないんだ。だから、純粋なまでに残酷なんだ」


 ランジェ、恐るべし。だから、死ぬだの殺すだのが平然と出てくるのだ。パラレルワールド並みに、おかしかった今回のターン。


 前向きに取れば、ヴァイオレットの邪悪な瞳もきっと意味があるのだろう。ただ、理解するのが難しいだけで。


 しかし、チビッ子はよくわかっていた。


「人生、死ぬ間際ほど、明るくいったほうが何かといいかんな」

「そうですね。ランジェさんは、それを教えてくれたのかもしれないですね」


 それにしても。どの言葉を思い出しても、爆笑の渦。瑞希の白いローヒールサンダルは、笑いの衝撃でフラフラといつまでも揺れていた。


「笑ってねぇで、次行けって」

「……ふふっ、はい」


 何とか笑うのを止めて、すでに出ているマゼンダ色の文字を眺める。


 2.高級ホテルのラウンジに行こう

 3.楽器店に寄って行こう

 6.高層ビル群に行く

 8.ここにしばらくいよう

 9.本屋に寄って行こう


 シャボン玉クッションに再び座り、あのニコニコの笑顔が割って入ってこないようにしながら、瑞希は指を唇に当てて、選択肢をよーく考えてみた。


「東口ばっかりだったよね? 今まで」


 御銫みせねルートの電車に乗る。

 と、

 秀麗しゅうれいルートのCDショップに行く。


 を、もう忘れている瑞希。改札口は西口から行った。ショップは今座っている前のデパートの中にある。ドミノ倒し並みに大崩壊の記憶力。


 天からのツッコミはなく、野放しの瑞希。彼女は今は隠れていて見えないが、駅とは反対方向――左側に顔を向けた。


「西口に行ったら、どうなるんだろう?」


 足元だけでそれを軽く組んで、もう一度残り5個を見つめる。


「そっちにあるのって、高級ホテルのラウンジ、高層ビル群……だ。この2つ……ん〜? どっち?」

「おう? いい感じで進んでんぞ」


 チビッ子のお墨付きをもらいながら、瑞希は2択で迷う。


 未知の世界――

 高級ホテルにしても、高層ビル群にしても。


 しがないフリーターでは高級ホテルなど行けやしない。あるとは知っているが、他の建物に隠れてしまって、姿形も見たことがない。


 高層ビルはオフィスビル。フリーターの瑞希には関係がなく、そびえ立つビルの足元が、遠くの景色として広がっているのを視界の端に映しながら、駅近くの交差点を渡る日々。


 瑞希は今までしなかった、運命の出会い妄想に入ってみた。


 ――――場所は高級ホテルのラウンジ。


 展望席で光の海を眺めながら、甘く魅惑的なカクテルを1人傾けていると、窓ガラスに映る自分の後ろに、背の高い男がスッと立った。それに気づかず、瑞希は夢見がちに独り言を重ねる。


「よかったなぁ。思い切ってここに来て。こんな綺麗な景気が見える――」

「お隣よろしいですか?」


 男の声がふと斜め後ろからかけられた。妄想しているわりには、ありきたりな出会い方だった。瑞希はカクテルグラスを自分へ寄せ、顔を上げたが、


「あぁ、はい。どうぞ――っ!?!?」


 言葉の途中で、男のあまりの容姿端麗さに、表情がムンクの叫びに変わった。


(いや〜! 人じゃないもう! 蠱惑こわくの神さまですか〜〜っっっっ!?!?!?!?)


 カウンターの上に乗っていたグラスをなぎ倒し、高い椅子から床へどさっと落ちた。美青年攻撃のせいで感覚は切断され、痛みや衝撃はまったく感じない。


 横座りしたオレンジ色の絨毯の上で顔を両手で覆い、グラグラと炎が踊り狂うように揺れ出した瑞希。倒したカクテルがテーブルからザバザバと降り注ぐ音など聞こえやしない。


 近くを歩いていた他の客たちが不思議そうに立ち止まり、彼女のまわりに人垣がいつの間にか出来上がっていた。


 その真ん中で、瑞希はオーバーヒートし、プシュプシュッと体のあちこちから煙を吐き出して、青白い電流が全身に走ったかと思うと、それきり動かなくなり、彼女の生命維持装置――心臓も脳も、イケメン天国へと召されたのだった。fin――――


 出会いも何もあったものではない。瑞希が壊れて、いきなりの帰結。こんな中途半端な妄想を黙って聞いていた、天にいるチビッ子から物事の道理が落ちてきた。


「いやいや、今考えっと、あとの楽しみなくなっちまうぞ」


 瑞希は自分の運命を悟ってしまった。気づいてしまった。知ってしまった。


「――っていうことは、9人いるんだ、男の人……」


 おかしなのが9人。イケメンなのはいいが、ある意味悲劇である。帰れないし。今のところ、兄貴以外には引っ張り回されっぱなし。様々な方法で。


 そうなると、この先、そういう男が出てこないという確証はないわけで。まだ、このおかしなののハリケーンが続くのかと思うと、瑞希もさすがにボヤきたくなった。


「昔観た映画とは違うんだ。何度も同じ日を繰り返すんだけど、あれって、最後改心したら終わりだった……」


 何を改心すべきかの勝算が、彼女の中にあったとは思えないが、瑞希なりに一生懸命なのだ。抜け出せるというやる気が、望みが打ち砕かれた瞬間。彼女の視線は自然と下に落ちた。


「これはそういうことじゃないんだ」


 今までの流れからすると、瑞希はどうも、男たちに心根を問われているみたいだ。それが、この先も続くようで。


 すなわち、気を抜けないのである。イケメンに溺れたいところだが。瑞希はがんじがらめの、このタイムループを前にして、珍しくため息をついた。


「はぁ〜、全部、消化しないと終わらないんだ」


 次でやっと真ん中になるターン。チビッ子からこんな説教がもたらされる。


「人生時には、諦めも肝心だぞ」

「どうして、子供なのに人生語れるんだろう?」


 若者では絶対出てこない言葉。


「そこは今、追求すんなって。俺じゃなくて、他のやつの時間だかんな」


 ランジェが言っていた。自分の時間は0時までだと。次の人が待っているのならば、待たせてはいけないと思い、瑞希はどこかずれているクルミ色の瞳にマゼンダ色の文字を映した。


 2.高級ホテルのラウンジに行こう

 3.楽器店に寄って行こう

 6.高層ビル群に行く

 8.ここにしばらくいよう

 9.本屋に寄って行こう


「あと5人。今までもかなり個性強かったよね? どんなおかしなのが出くるんだろう?」


 瑞希は乏しい記憶力の中で、懸命にさらってみた。


 純真無垢なR18の御銫みせね

 ゴーイングマイウェイの秀麗。

 頼りがいのある兄貴。

 極悪非道なランジェ。


 次の方程式を考える。

 おかしなの=?


 あとの5人もこの個性的な男たちに負けず劣らずの人物が出てくるのかと思うと、そうそう答えにたどり着けるわけもなく。瑞希はウンウンと頭を悩ませていた。進まない分岐点。チビッ子がしびれを切らした。


「瑞希の頭で考えても追いつかねぇって。あんまし時間かけっと、やられんぞ」


 さっきもダガーを突きつけられた。今度は本気みたいな言い方。瑞希はいつの間にか唇に当てていた指をさっと解いて、空を見上げた。


「えっ? やっつけられる? どういうこと? 味方じゃないんですか?」


 黄色とピンクの背景に、シャボン玉がフワフワと浮かぶ空から、意気揚々とした少し枯れ気味の声が降ってきた。


「さっき言ったぞ。それぞれ駆け引きがあんだって」

「あれ? それって、男の人たちだけじゃなくて、自分も入ってるの?」


 瑞希は未だによくわかっていなかった。隠された向こうにある事実に。いや世の中の仕組みに。自分に会いに男たちが来ているのだから、彼らに思惑があるのだ。少なからずとも。


「細けぇことはいいからよ。早く選べって〜〜っっ!!!!」


 またやってきてしまった、カラオケエコーつきの催促。だがもう慣れた。驚かない、ひるまない。瑞希は抗うのをやめて、チャチャッと選択。


「じゃあ、高層ビル群に行こう!」


 ピポーンッ!


 と音が鳴り響き、以下の文字が数回点滅。


 ――――6番を選択。


 声だけでもわかる、チビッ子の顔が、意味ありげにニヤケているのが。


「よし! これは、瑞希、大喜びだぞ」


 当たりを引いたみたいな言葉。


「どういうこと?」


 知らない方としては、意味不明な限りで。聞き返してみたが、天から大慌ての声が突如降り注いだ。


「あぁっ! 俺がやられてんぞ。いつの間に!」

「え? どうしたんですか?」


 何か事件があったようだ。あんなに余裕で、人生まで語っていたのに。瑞希の問いかけには応えず、紙がガサガサとすれ合う音が何度かして、何かを落としてガシャンと鳴り響かせながら、焦っている声が聞こえていたが、


「いつからだよ? 俺――」


 ブツッと途中で切れた音がした。アクシデントがあったのは、見えなくてもよくわかった。急に静かになって、瑞希は首をかしげる。


「返事が返ってこなくなった。もしかして、天の声の人も巻き込まれてる?」


 黄色とピンクのメルヘンワールドで、瑞希は空であろうところをじっと見つめた。


「もしも〜し!」


 話が途中。しかも、切り取られた空間から解放されない。次に行きたくても行けない。本当に閉鎖されてしまった。


「すみませ〜ん!」


 いつまで経っても、フリーズしている世界。選択肢のマゼンダ色は消え去っているが、シャボン玉が飛び回る景気が広がるだけ。


 瑞希はプレゼントのCDやドレスを眺めながら、解放される時をただただ待ち続ける。


 チビッ子も含めて、おそらく仲間であろう、男たちは。それなのに、身内にやっつけられる……。しかも、チビッ子は進行役。仕切っている感がする。それを倒すとは。これいかにである。


 瑞希は膝に両肘を当てて、頬杖をつく。


「どんな人が出てくるんだろう? 何を使ってやっつけられるんだろう?」


 白いサンダルをパタパタと縦に上げては落とすをしていると、すうっと都会の喧騒が広がってきた。ゴーサインである。


「と、とにかく、行こう!」


 瑞希は紙袋を肩がけして、今まで一度も行っていない左へ、人ごみに乗り歩き出す。


 彼女はこの時まだ気づいていなかった。今目の前で動いていた人々の場所や流れが、これまでとはまったく違っていたと。時がいくぶんずれていたと。それが何を意味しているのかと――――

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