タイムジャンクション4
――――眠りの底から戻ってくると、自転車のブレーキの音がキキーッと鳴り響き、靴音が瑞希の耳をノックした。
「ん?」
座ったまま眠りこけてたみたいに、あの駅のロータリーを背に、歩道の柵に腰掛けていた。まだ少し寝ぼけていて、石畳の上に滑り落ちそうになったが、
「っ!」
瞬発力のよさで、柵の上に何とか居残った。つかんだ手に鉄の冷たさが不意に広がる。こんな無機質なものは、さっきはどこにもなかった。正反対の熱い情と優しさがすぐそばにあった。
数時間前の自分が通ったであろう信号へと、もう1人の自分が薄い残像のように抜け出て、歩いてゆくさまが浮かぶ。
「死が待ってる……?」
あの時はまだ知らなかった。すぐあとに、空間をループさせられ、1人きりで進み続け、死の
暗闇へ連れて行かれ、身――魂を切られる現象。それは1週間前から起きるようになった。今までなかった。それに関係するだろう人が、もう3人も現れている。自分1人の問題ではなく、重大なことが隠れているようにひどく思えた。
無関心に通り過ぎてゆく人の群れ。その中でただ1人、ポツリと問いかけてみる。
「何が起きてるんだろう?」
もう一度会って聞きたい。なぜ、自分が何度も同じ時間を過ごして、守るだの何だのと一方的に言われているのかと。
「お化けじゃないってこと……?」
幽霊は以前から見ているし、会っている。それから守るためとは、考えがたい、どうやってもおかしい。お化けならば、もっと前から彼らがそばに来るはずだ。
目の前を流れている人ごみに、もしかしたら、あの鋭いアッシュグレーの瞳は混じっているかもしれない。そう思って探してみる。
野郎どもを見る時は、兄貴肌の義理人情に熱くなる変化のある瞳。
駅へと向かって行く人々の背中から、反対方向へ視線をやる。
遊び心のような、あの長めの藤色の短髪がこっちへくるかもしれない。
今後ろに振り返ったら、あの高架下の前にいて。
月影をバックに、太いシルバーリング3つが鋭いパンチを繰り出して。
瑞希の顔に風圧を与えるが、寸止めにしてきて。
青白い光をパチパチと発しながら、しゃがれた声でジョークだと言ってくるような気がした。
だが、そこは、タクシーが次々に入り込んでくるロータリーが広がるだけだった。
こことは違う大通りで、落とした涙は、1人きり耐えてきた日々の裏返し。
できるだけ正確に再現したくて、瑞希はそっと瞳を閉じた。人ごみの喧騒が、まるで心地よい子守唄のように感じた、あのしっかりとした肩の上。あの男の熱で
そうして、途切れてしまった感触は、自分を包んでいた毛布が何かによって、取りのぞかれたようだった。ただ……。
カタンと軽い音がすぐ近くでして、瑞希は我に返った。
「ん?」
CDのケースが開いていたバックから滑り落ちていた。瑞希はかがみこんで、それを拾い上げる。さっきアッシュグレーの瞳が見つめていた、ディスクの裏表紙の曲名を眺めた。
Can't Take My Heart Off You――私の心からあなたは消えない。
消したくない。忘れたくない。それならば、自身がそう望めばそれは叶えられる。だがしかし、それも叶わないような気がして、瑞希は心細そうに、握った手を胸に押し当てた。
夏夜の風が吹き抜けようと。人ごみがどんなに過ぎようと。自分とは違う、遠い世界の出来事のように思えた。広い世界の中で、たった1人きり。
その時だった。全てを切り離したからこそ、自分の内側を鋭く感じられたのは。何かが雑音のように、自分の中にいる。もしくはある。それは、先週までなかった異物感。
単純計算だが、この感覚を持って探しに行けば、あの男は見つかるかもしれない。この世にいるかどうかはわからないが。そこで、瑞希はピンとひらめいた。
「あっ! そうだ!」
CDをバックの中にしっかりとしまい、サイドポケットからシガーケースを取り出した。ミニシガリロは高級品だ。フリーターの自分がそうそう手を伸ばせる代物ではない。だからこそ、あと何本あるのか知っている。
実在するのか。それとも、幻だったのか。ジャッチが下される時を前にして、瑞希の心臓はバクリと大きく波打った。親指の内側で、慣れた感じでロックを押し込む。すると、パカッという音ともに、赤茶の縦の線が現れた。
「数が減ってる……」
現実だ。あの男は今もこの広い空が広がる下のどこかに。
「よし、見つけに――」
止まっていた足が心が動き出そうとすると、一瞬にして、黄色とピンクのファンタジーランドへと連れ去られた。
「っ!」
そうして、4回目のこれがやってくる。
ジャンッ!
という音が鳴ると、マゼンダ色の選択肢がやってきた。
2.高級ホテルのラウンジに行こう
3.楽器店に寄って行こう
5.友達からの電話に出る
6.高層ビル群に行く
8.ここにしばらくいよう
9.本屋に寄って行こう
また1つ減った状態で登場。瑞希はやる気を削がれて、シャボン玉クッションにがっくりと座った。しかも、切なさを悲しみを吹き飛ばすような、意気揚々としたチビッ子から説教がきた。
「おう、人生、明るく生きた方が何かと得すんぞ」
物事はどうやったって動く。それをどう取るかは、その人次第。それが悲しいことだとか、不運だとかは自分が勝手に判断したもの。ただ物事が起きただけ。そこに感情を乗せない人のほうが生きやすい。どうしても乗せてしまうのなら、ポジティブになのだ。
スパッと気持ちを入れ替えて、瑞希は両腕をバッと前に突き出した。
「そうですね!」
そうして、笑いに走る。悲劇のヒロイン並みに頭を抱えて、シャボン玉クッションから落ちそうになった。
「また戻ってきてる〜〜。もう! お酒飲んで、記憶をなくしたかったのに〜〜、それも起きない〜〜!」
どうやらこれが狙いであんなに飲んでいたらしい。それに巻き込まれた兄貴にこの言葉を送ろう。
――ご愁傷様です。
チビッ子の少し枯れ気味の声が人生を語ってきた。
「自分の思った通りにいかねぇのが人生だかんな。よし、次、選べ」
どんどん進んでゆく、このタイムループ。さっき死亡フラクが立っていたようだった。その解説もないまま、次に強引に行こうとする。
瑞希はチビッ子と思われる人物から情報を得ようと、誰もいない空を見上げた。
「っていうか、何が起きてるんですか?」
いい加減聞きたい。というか、聞かせていただきたいところである。だがしかし、天の声も声で、色々と都合があるようだった。
「今、バラしちまうと、平等じゃなくなっちまうかんな。マキ入ってるからよ。いいから選べって」
何の平等だ。聞けば聞くほど、複雑になっている感が否めない。時間が押すと困るらしい。それならば、従うしかない。瑞希はひとまずため息をついて、
「はぁ〜……」
肩の力を抜いた。もう一度、選択肢を眺める。
2.高級ホテルのラウンジに行こう
3.楽器店に寄って行こう
5.友達からの電話に出る
6.高層ビル群に行く
8.ここにしばらくいよう
9.本屋に寄って行こう
こうなったら、どれでも一緒である。
「んん〜〜?」
せめて自分の得意分野をと思って、これを選んだ。
「楽器店に寄って行こう!」
だがしかし、即行阻止がかかった。
「おっと! それは今いねぇからよ。他にしとけよ」
意味不明である。選択肢を出しておいて、準備が整っていないとは、どういうことだ。
「いない? 待機してるわけじゃないの?」
瑞希はざっと上から下まで、マゼンダ色の横文字をさらった。天の声が裏を隠しながら、説明するものだから、さらに迷宮入り、いやお蔵入りした。
「こうな。それぞれのよ、駆け引きっつうのもんが、あるみてぇなんだよな。だから、そこは追求しないでおけよ」
何の駆け引きだ。問いつめる場面だったが、瑞希はスルーしてすぐに納得した。
「そうですか」
どこかずれているクルミ色の瞳にマゼンダ色の5番を映し、唇に指を当てて、首をかしげる。
「じゃあ、これ、気になるんだよね?」
「あぁ? どれだよ?」
今まで――3回のデータにないもの。バックに入れたままの携帯電話に手をかけた。
「友達からの電話に出る。かかってくるのかな? さっきまで1回もかかってきてなかった――」
「よし!」
チビッ子のイケイケな声がかぶせ気味に落ちてくると、
ピポーンッ!
と音が鳴り響き、以下の文字が数回点滅。
――――5番を選択。
得意げな魔法使いみたいな言葉がふってくる。
「ちょちょいっとやってやんぞ!」
すると、寸分違わず、ズーズーッと振動が手から伝わってきた。
「あれ? 本当に電話かかってきた。どうなってるんだろう?」
ポケットから取り出し、画面を見つめる。
「……しかも、
それは、瑞希の一番の親友。切り取られているはずの空間なのに、誰もいないはずなのに、他の人からの電話が通じる。理論がないようである、摩訶不思議な世界。瑞希は通話ボタンをタッチして、耳に押し当てた。
「もしもし?」
男のような名前だったが、電話の向こうから聞こえてきたのは、粋でいなせな女の声だった。
「あぁ、あんた、今どこにいる?」
分岐点に連れてこられている。どこと言われても少々迷うところだが、とりあえず……。
「古宿の西口のロータリー」
耳元で、色っぽい女の声が招待状を送ってきた。
「あぁ、そう。3丁目で合コンしてるんだけど、1人足りないからこない?」
瑞希はありきたりな話で、思わずため息をつく。
「合コン……あんまり興味が――」
選べないのに、回避しようとしている瑞希に、天の声から背中を押すようでありながら、絶対に行きたくないと思う言葉がもたらされた。
「行ってこいって。マジでおかしいやつ出てくっからよ。
「マジでおかしいのは出会いたくないなぁ〜」
今度はこの方程式。
マジでおかしなの=おかしなの+マジ。
拒否率100%である。今までも、散々おかしかった。純粋無垢なR18とか、ノーリアクション俺さまひねくれ超不機嫌突然に抱きしめられる事件とか。兄貴の戦闘シーンとか。あれを上回る人物が出てくる。瑞希が渋るのも無理はなかった。
何も返してこない、電話の向こうから、和毅が押し切ろうとした。
「とにかく待ってるから、来なよ」
「あ、あぁ、うん……」
2人から言い寄られると、瑞希も断ることができず、
「場所はメールで送るから」
そこで、電話は途切れた。携帯電話をバックに放り投げて、ピンクのミニスカートは立ち上がった。
「でも、これで抜けられるかもしれない! 他の人が絡んでるから」
まだ懲りずに回避しようと、必死のあがきは続く。光の粒子が飛び散るように、乙女チックワールドが解かれた。瑞希はすぐ近くの駅の改札に、人の群れが吸い込まれるのをのぞき込む。
「地下道を通っていこうかな?」
夏の湿った空気。それはまだ、最盛期を迎えていない、7月。夜風はそれなりに心地よかった。
それらに紛れて、金色の細い糸が引きようせるように飛んでいたが、それに気づかず、瑞希は自分で選択したように見せかけられて、手前の信号に視線を移した。
「たまには、地上を歩いて行こう。お店とか見たいしね」
ポンと柵から勢いよく立ち上がると、人の切れ目から歩き出す。白いローヒールサンダルは交差点を曲がって、また左手に行き始めた。何の対策も取らず、マジでおかしなのに向かって――――
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