最高の目覚め

@balsamicos

最高の目覚め

朝、カーテンの隙間から射す陽の光が私の顔を優しく照らす。今日も1日が始まる。


早々に、スーツに着替え支度を整える。


リビングへ向かうと、ソファでくつろぐ妻がテレビを観ていた。


妻はズボラだ。


朝は早起きだが、家事や炊事など家のことは全然やってくれない。結婚して間もない頃は、率先して色々やってくれたが、ここ最近はその本性が出たのかソファに横たわっている姿しか見ていない。


だが私は妻のことを愛している。別に家のことをさせるために妻と結婚したわけではないのだ。働いて疲れた身体で帰宅すると、家では愛する者が待っている、それだけで私は充分幸せだ。


テレビを観ている妻の横で朝食を2人分作り、私は食事を取る。


家を出る際、妻の横顔に軽くキスをする。


「行ってきます」


相変わらず顔色も変えず、テレビに夢中でこちらには見向きもしないが、そんなサバサバした妻も好きだ。


──


会社では、私は営業マンとして働いている。頑張ってはいるが、顧客を獲得するのは中々に厳しく、日々の苦労は絶えない。


外回りから会社に戻ると後ろから声をかけられる。


「よう、相沢!今日こそは外で一杯やらないか?」


同期の松本だ。


「松本か、今日は済まない早く家に帰らないといけないんだ」


「相沢も奥さんか?くぅー羨ましいねぇ、周りも所帯持ちばかりで全然俺の事構ってくれる奴がいねぇよ」


「まあお前も家族が出来ればわかるさ、早く良い人が見つかるといいな」


「相沢〜!お前だけだよ!そんなこと言ってくれるのは!長谷川や芹沢なんかは、『は?お前が結婚?ナイナイ(笑)』とか『そうゆう冗談は酒の席だけにしとけよ(笑)』だってさ!ありえないだろ?」


「ま、まぁそうだな、とりあえず頑張れよ」


「なんか雑な返事だなぁ〜、もしかして相沢も俺の事あいつらと同じ風に思ってるのか?」


「そんなことはないぞ?と、とりあえず俺はもう行くから…」


「おい!待て!まだ話は終わって…」


私は足早に帰宅することを決意した。松本は酒に酔うと突然脱ぎ出す。そして下ネタと愚痴が止まらなくなり、手に負えなくなる。悪いやつではないんだが…まあ結婚は当分先だろう。世界は広い、あんなやつでも生涯を共にしてくれる奇特な人が一人くらいいるはずだ…多分…きっと…。


──


帰宅すると家は暗かった。リビングの方ではテレビから発する光と芸人の騒がしい声だけが漏れている。


「ただいま」


とりあえず私は家の明かりをつける。


「そんな暗いところでテレビなんて観てたら目を悪くするぞ」


「…」


妻から返事はない。


わかってはいる、原因は7日前の喧嘩だろう。

妻は割と嫉妬深い性格だった。ある日妻は、私が知らない女性と一緒に歩いているのを目撃した。その女性はただの会社の後輩で、偶然外回りで会っただけだったのだが、帰宅後妻は私を激しく問い詰めた。私は正直に全てを話したが聞き入れてもらえず、ついカッとなって妻を強く叩いてしまった。


その日は私もムキになっており、そのまま就寝した。


翌朝、やりすぎたと思い私は妻に謝った。しかし、返ってくる言葉はなく、そして現在に至る。


テーブルには手のつけられていない朝食がひとつ、これも妻の、『私が作った物には手をつけない』という意志の表れだろう。変なところが頑固である。


「はぁ…、わかったよ…俺が悪かった。といっても彼女は会社の後輩ってだけで本当に何もないんだ、信じてくれ」


「それと……手を上げてすまなかった」


『……私の方こそごめんなさい。あなたのことを信じることが出来なかった私の方に非があるの…あなたは何も悪くない…』


「なつみ…」


『でも…だから…いい加減…目を覚まして…』


「なつみ…一体…何を言って…」


すると不意にインターホンが鳴る。


玄関の扉を開けると、そこには警官が立っていた。


「夜分遅くにすみません、周辺から異臭がするとの通報を受け、参りました…。うっ⁉︎すみません!中を通してもらって良いですか?」


そういうと、警官は土足で自宅へ入り込む。


「ちょっ!いきなり何を!」


こちらの意見を聞き入れず、ズカズカとリビングへ向かう警官を追いかける。


「これはっ…⁉︎すみません相沢さん…少し署の方へご同行お願いできますか?」


「何でいきなり…はっ⁉︎」


警官の指す方向を見てハッとした。


ソファ…には腐敗した女性の遺体が横たわっていた。


「そんな…な、なんで……な、なつみは!さっきまで話してて!そ、そうだよ!さっき仲直りして、今から一緒に…夕食をとるつもりだったんだ!」


「…これは!これは知らない!だ、誰だ!なつみはどこだ!あ…なつみは!…なつみは…」


「お、落ち着いてください!相沢さん!続きは署の方で聞きますので!とりあえず付いてきてください」


警官に手を引かれ、俺は自宅を出る。近所の人たちがこちらを見ていたが、その後のことはよく覚えていない。


──


なつみは、妻は死んでいた。私の話と遺体の状況から、7日前に私が妻を強く叩いた際、テーブルの角に頭を強く打ち、そのまま亡くなったということになった。


そうなると私は床に倒れた妻の遺体をわざわざソファに戻しそのまま一週間近くなんの疑問を抱くことなく生活していたことになる。よく覚えていない。


取り調べの後、勾留され刑事裁判が行われた。


判決は懲役6年となった。殺人にしては刑期が短いのは、私が故意ではなかったからだ。まあどちらにしても妻のいないこれからの人生、どこでどう生きようがどうでも良かった。



─6年後─



私は釈放された。これから行く場所は決まっている、妻の墓だ。妻の親族が建てたらしいが、裁判所で顔を合わせて以来会っていない。


墓の前で線香をあげ、手を合わせる。


「釈放されたよ、最後に君に会いに来たんだ」


「叩いてごめん…、痛かったよね…」


「…現実を見なくてごめん…、本物の君を蔑ろにして…偽りの君と過ごしていた…それに気づきもしなかった…俺は最低だ…」


「…それでも…それでも俺は君を…なつみを愛している!」


「…それだけだ…いや、俺は何を言っているんだ…はは…」


「うっ…ごめん…ごめんな…」


線香が燃え尽きるのを待たず、私は墓を後にした。

これ以上、妻の前にいられなかった。耐えきれなかったのだ。


私はレンタカーを借りてとある場所へ向かった。


新婚旅行にも来た、海が見渡せる高台だ。


激しく吹きつける潮風が、少し肌寒いが私の迷いを吹き飛ばし、決意をより強固なものにする。


てっぺんまで登ると先客がいた。その後ろ姿には見覚えがあった。妻のなつみだ。


「な、なつみか⁈いや、まだ俺は現実を見てないのか…そんなはずないのに…」


『あなたならここにくると思ってたわ』


「な、なつみか⁉︎本当になつみなのか⁉︎」


『あなた、死ぬつもりなんでしょ?』


「そ、そうだ、俺は罪を犯した、取り返しのつかない事だ!その現実に蓋をして、みて見ぬふりをするクソ野郎だ!死んだ方がいいに決まってる!」


なつみが近づいてくる。私の目の前に立ち、そして─。


私をビンタした。


音はない。衝撃もない。だけど、なつみのその表情に私は─心が痛んだ。


『ふざけた事を言わないで!私の…私が愛した夫はそんなカッコ悪い男じゃない!』


『いい加減目を覚ましてよ!お願い!…頼むからぁ…』


なつみが泣いている。


「…だ、だけど俺はお前を叩いた!そして…そのせいでお前は…」


『そんなのもういいわよ!それに、今!私はあなたにやり返した!これでチャラよ!だからお願い…死ぬなんて馬鹿なこと言わないで…!』


そこまで…そこまで俺のこと思ってくれていたのか…。


吹き付ける潮風よりも強いなつみの言葉に、私の強固な決意はいとも簡単に吹き飛ばされる。


「は…ははは死んだ妻を泣かせるなんて、俺は、俺はなんて最低の人間なんだ…」


『だから!あなたは最低なんかじゃ…!』


「いや!最低だ!こんな良い女に死んでも心配されて…俺は…俺は最低の大馬鹿野郎だ…!」


『あなた…』


「……わかった、死ぬのはやめる!そのかわり!お前もちゃんと成仏してくれ!もう俺は大丈夫だ!もう心配かけないから!」


『…そう…それなら成仏してあげる!…ちゃんと真っ当に生きて…そして天国で会いましょう!』


「俺はきっと地獄だ…。天国で君は俺より良い人をみつけてくれ」


『あなたが地獄なら私も地獄に行く!あなたより良い人なんていないわ!』


「ははは…君は…君は本当に馬鹿だなぁ」


『馬鹿とはなによ!馬鹿とは!ふふっ…地獄で待ってるわ、あ、な、た!』


そういうとなつみは笑った。太陽のように温かい笑顔をみせて…。


そして…消えていった…。


私は溢れる涙を抑えきれず、ひとり子供のように泣いた。



──



朝、なつみが見せた温かい笑顔を思い出し目が覚める。そして今日も1日が始まる。


もうなつみはいない。リビングのテレビは消え、朝食の皿は一人分。会社は勿論クビになり、今は警備員の仕事をしている。


毎日はつらい…。でもその先にある、地獄でのなつみとの生活を夢見て、私は今を強く生きる。

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