第二十三話:十番目の天使
河川敷に続々と集まってくる乗用車。緑色のバックネットのそばにどんどん駐車されていく。冬の冷たい空気が太陽光を直接通し、車や水面に反射してキラキラ輝いている。今日は遂にフラワーズ初の公式戦。試合一時間半前の午前8時半、俺らは集合して、各自準備運動を行っている。
「はい集合! みんな来て来て!」
朝から元気の良い蘭の声が土手に響く。その声に相手チームもビクッとなって注目を浴びる蘭。ただでさえ草野球人にとっては有名人になりつつあるユーチューバーとしての蘭。おっさん達の好奇の視線が蘭に集まっている。しかし当の本人は全然気にしていないらしく、淡々とミーティングを進めている。
「実は、この日のためにマネージャーの杏ちゃんがこっそりみんなのユニフォームの大きさを測って、統一のユニフォームを作っていたのでした! じゃーん!」
ちゃっかりカメラを回してユニフォームをみんなの前で広げる蘭と杏。有名なメーカーのオーダーユニフォームである。白と紫のド派手なユニフォーム。どことなく京都の某女子野球チームのユニフォームに似て無くもない。同じFの頭文字の帽子まで似ている。紫色の大きめの帽子を、高校球児特有のあの型にして頭に乗せた蘭と杏。確かにマネージャーみたいで可愛いけど、これはきっと今年流行ったあの高校球児をイメージしているのだろう。完全にネタに走っている感がある。
「みんなであのポーズで写真撮ろうよ!」
蘭はもうノリノリ。男子が着るにはちょっぴり恥ずかし目な配色ではあるが、みんなで久しぶりに同じユニフォームを着るというのは懐かしく、慣れてしまえばどんどん良いデザインに思えてきた。胸に光る紫と金のFlowersの文字、そして背番号は、高校最後の試合と同じ番号。みんなで帽子を折って、あの特有の形に仕上げていく。体格は高校時代と大きく変わっているが、心はもうすでに高校時代に戻りつつある。
「長澤くらいだね、高校生に見えなくもないのは」
杏がそう言ってきたので、俺も得意げになってユニフォームの裾を上まで上げた。これでもっと高校生っぽく映るだろうと思った。杏はそれに「ぽいぽい」と笑い、高校のころそっくりの純朴な笑顔をこぼしてくれた。
試合開始1時間前。準備運動を済ませた俺らは早速キャッチボールに入った。その間、杏はマネージャーとして本部の方に登録手続きとスターティングメンバーを書いたメンバー表の交換をしに行った。
肩をぐるぐる回しながら俺のキャッチボールの相手をしてくれているチームメイト。たしかに今日は寒いので体が縮こまってうまくウォーミングアップが出来ない。常に体を動かしていても寒さですぐに体が冷えてしまう。俺もゆっくりと体をできるだけ大きく使うようにキャッチボールを進めていった。
試合開始30分前。キャッチボールが終わり、みんなで円陣を組んだ。杏も含めて合計10人のフラワーズ。全員が同じユニフォームを着て集まると、意外としっくり来るものがある。そんな中、蘭が力づくで後ろの方から杏を押し出した。
「じゃじゃーん! 実は杏ちゃんもユニフォーム姿になってもらいました!」
「どうかなぁ? やっぱりジャージのほうが良かったかなぁ?」
男性陣の視線が一気に杏に集まる。ブカブカのユニフォーム姿が可愛らしい。いつものジャージ姿もそれはそれで良いけど、たまにはこういうのも目の保養になる。ついつい生唾を飲み込んだ。
「今日は蘭ちゃんが監督、私がマネージャー兼カメラマンとしてしっかりサポートするから、みんな頑張ってね!」
勝利の女神かもしれない杏が微笑んだ。こうなったら俄然やる気が出てきた。杏の前でどうにかして良い結果を残して、杏を笑顔にしたい。そしてその後、勢いそのままに俺の思いを聞いてもらいたい。最後に円陣で蘭を中心に声を出し、試合開始まで軽く体を動かした。
「整列!」
たった一人の審判員の号令で本塁中心に両チームが集合し、審判の号令で試合が始まった。高校の俺らフラワーズの紫が各ポジションに向かって散らばっていく。
初回の守備は盤石だった。大川兄は冬なのに絶好調。得意の真っ直ぐでランナーを出さない快投を演じた。勢いそのままに初回の攻撃でガンガンいこうと思ったが、相手も調子が良いらしく、同じようにランナーを出すことは出来なかった。2回の守備も3人で切り抜け、攻撃では俺も打席に立ったもののまだシンクロ打法が完成していないのかタイミングを外されて初ヒットならず。互角の攻防が続けられている。
3回の守備では少しエラーや不運なヒットがあったものの、間一髪のところで失点を防いだ。大川兄は3回を無失点。最高の形であとは俺らの奮起を待つというところ。そこで先頭打者が出塁し、次の打者の初球で一塁走者がスタートした。盗塁だ。二塁では間一髪セーフ。ベンチはもう大盛り上がり。はじめてのチャンスが到来した。ここから一気に畳み掛けよう。チームが一丸になったその瞬間、杏がベンチを飛び出した。
一体何が起きてるんだと思ったら、2塁ベース上でランナーがうずくまっている。杏の手にはコールドスプレー。まさか。
急いで全員で審判にタイムを要求し、全員で2塁まで走った。このチームは全員で10人、でもあと一人試合に出ていないのはマネージャーの杏だけ。だから負傷退場ということになると……試合続行不可能、つまり不戦敗になる。それは流石にバツが悪い。なんとかして避けたい。
全員で2塁まで走っていったら、ランナーは未だに立てないままベース付近で寝転がっている。杏のコールドスプレーも虚しく、効果はないようだ。とりあえず背中が大きい大川兄がそのランナーをおんぶし、ベンチまで連れて帰った。
タイムは継続中。でもこのままずっと回復を待ってはもらえない。たった一人の審判がベンチ前に来て、試合再開を促した。
「さすがにプレー続行は難しそうですねぇ。変わりの選手もいないようですし、試合続行は不可能なんじゃーー」
「いけます!」
審判がビクッとのけぞるほどの大声で食い気味に声を出してしまったのは俺だった。不戦敗だけは避けたい。でもなにか良い方法があるわけではない。でもさすがに簡単に食い下がる訳にはいかない。俺が審判と口論をしている間にでも、誰かが良いアイディアを考えてくれたら。それだけが目的だった。
「もう少し待っていただけたら、多分、きっと大丈夫ですので、それまではお願いします!」
「でも次の試合も迫っているしねぇ……」
審判はやはり俺らを不戦敗にして日程をとにかく消化したいのだろう。それも仕方がない。理解は出来る。でも、このままじゃ不完全燃焼だ。高校時代の青春を取り戻すためのこの大会なのに、こんな終わり方じゃ中途半端になってしまう。どうしようどうしようと周りを見回した。誰かが助けてくれるかと思ったが、みんなもうすでに諦めムードだった。これまでか、と思った時に目に飛び込んできたのが、ユニフォーム姿の杏だった。
杏がユニフォームを着ている。背番号もある。いけるかもしれない。急いでメンバー表を確認してみる。もちろんスターティングメンバーの欄には杏の名前はないが、控えメンバーのところには蘭がおまけで杏の名前を書いていた。
でかした! これで試合は続行できる!
「蘭、代走!」
「代走? まさか……」
一瞬驚いた蘭だったが、事態を把握したのかニヤッとして頷いた。他のチームメイトもまさか、というような呆れたような、でも優しい表情で頷いた。
「オッケー! 杏ちゃんガンバ!」
「え、ちょ、私!?」
戸惑う杏。無理もない、今まで一度も試合に出たこともなければ練習にも手伝いとしてきていただけのマネージャーがまさか出場することになるとは思ってもみなかっただろう。
「無理だよ!」
「大丈夫だって、ユニフォーム着てるし、バッティングセンターでも練習したことあるじゃん!」
俺が教えたんだから打てるよ、なんて強気な発言はできなかったが、少しくらいは勇気を出してくれたりしたら良いな。
「ほんとに大丈夫? 迷惑かけられないよ……」
体の前で腕組みというか、両肘を抱えるようにしている杏。その姿は心からの拒否にも見える。でも頼む、単なる3部リーグの試合かもしれないけど、俺にとっては大事な意味を持つ試合だから、杏にも力を貸してほしいんだ。
「迷惑なんてそんな! 背番号10を背負ってるのはこのチームで一人だけなんだよ。杏もチームメイトなんだよ。誰が迷惑なんか思うか。なんか言われたら俺のせいにしちゃえば良いんだから。大丈夫大丈夫」
「そうそう。ごめんな、俺の代わりに俺からお願いするわ。流石に怪我で不戦敗っていうのは格好悪いわ。お願い!」
怪我をした張本人も直々に杏にお願いをする。俺ら他のチームメイトも束になって杏にお願いした。マネージャーとして俺らと一緒に高校時代から一緒にやってきた杏ならきっと許してくれる。そう信じていた。
「……わかった。全責任は長澤に取ってもらうからね!」
「お、おう!」
急に責任感を感じて中途半端な返事になってしまったものの、なんとか不戦敗だけは免れた。蘭と目が合い、アイコンタクトで心の中でハイタッチした。
不安そうに2塁ベース上でキョロキョロしながら立っている杏。次の打者がボテボテのショートゴロを打ってしまい、それを見て走ろうとした杏に慌てて指示を送る。
「杏、走るな!」
杏はハッとしたのか急いで2塁に戻って、そこからじっと動かなかった。オッケー。アウトにならなかった。ふうっと胸をなでおろす。しかし結局その後は後続が続けず、チャンス拡大も得点も叶えることは出来なかった。
攻守交代のタイミングで、杏はホッとした様子でベンチに帰ってきた。俺は杏を出迎えるように待ち、交代したチームメイトのグローブを杏に手渡し、ついでに杏が持ってきたはちみつレモンをつまんで杏の口の中に入れてやった。
「ありがと。長澤の声、よく聞こえてたよ」
俺の声が杏に届いていた。それが無性に嬉しかった。紫色の点がまたグラウンドに散らばっていく中、俺と杏は心の中ではなくグローブでハイタッチして自分のポジションについた。
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