第二十二話:赤い太陽の冬、もう一度彼女に恋をする

 平成最後の夏は過ぎ、やがて平成最後の冬を迎えようとしていた。対岸で必死になってバットを振り打球に食らいつくいつかの後輩たちを目の前に、わがフラワーズはそれを見習って同じメニューを行っている。ただ、強度は十分の一にも満たないが。




 あの緑々しい土手の景色はいつしか黄土色に変わり、元気よく上へ上へと伸びていた草木も、今はおとなしく刈られて短くなっている。時折吹き付ける強い北風に、川の水面がボーダー柄に変わっていく。山間の分厚い雲はふんわりというよりどちらかというとがっしりしていて、ドライアイスみたいに冷気を放っている。その冷気を暖めるはずの真赤な太陽は、今日そこまで元気では無さそうだ。




 冬なのに半袖で体中から熱気が溢れ出す対岸の高校生とは裏腹に、俺らはしっかりグラウンドコートを着込んで、バッティンググローブの上から軍手をはめて、その手で素振りをした。ダラダラとしているのはいつもと変わらないが、一応いつもよりはやる気があるつもりだ。なぜなら、もうすぐはじめての大会があるから。




 我がフラワーズが所属する3部リーグにはトーナメント制の大会が年に一回開催される。1部リーグや2部リーグが夏や秋に大会を行うのに対し、なぜ3部リーグは寒くなった冬に試合をするのかというと、単純にグラウンドが確保できるのがこの時期だからだということだった。1部リーグが最も優先され、その次に2部リーグが優先される。あまった時期で交流目的で試合を行う3部リーグは一番後回しというわけだ。




 トーナメントに勝ち進んで決勝まで残れば、2部リーグの最下位チームとの昇格戦に出場することが出来、うまく行けば2部に昇格することが出来る。ただ、俺らフラワーズはあくまでも仕事の合間の野球をただ楽しみたいだけのチーム。そこは目標にはならない。はずだった。




「目指せ二部! 行けるぞ! ほらそこ、サボるな!」




 蘭、いや、いまは又田モードなのだろうか、チームメイトを必死に鼓舞している。マネージャーの杏もグルになって、ちょっとでも手を抜いている部員がいたら蘭にチクったりしている。この二人の連帯感がこの半年で急激にパワーアップしていて、杏まで監督のようなオーラを醸し出してきている。




「長澤! シンクロでしょう! ピッチャーと投げられたボールをイメージしなきゃ! バラバラだよ、バラバラ!」




「はいはい」


「ハイは一回!」


「はい」




 冴えない男はこうしてマネージャーからしっかりとお叱りを受けるのだった。なんて字幕がついてもおかしくない。蘭が言っていたのはきっとこういう意味ではないはずなのだが、まぁ悪い気はしない。




 杏もあの旅行での気まずさが嘘みたいに積極的に接してくれている。いや、そもそも俺が気にしすぎていただけなのかもしれない。消極的になりすぎていたのは、きっと俺の方なのだろう。杏は俺のことなんて本当は他のみんなと同じようなチームメイトとか友達とか、そういうくくりだったりして。




 対岸の後輩たちが休憩時間に入り、やっとフラワーズも休憩時間に入った。もうすでに体力は尽きてヘロヘロ。元気があるのは実際には動いていない蘭と杏だけ。蘭は目が合えばニヤッとして杏の方に目線を移し、あたかもアピールしろよと言いたさげな感じで、合図を送ってくる。そういうタイミングは俺が自分でやるからと言いたいが、わざわざ言うのもおかしいので無視を決め込んだ。




 蘭は大会に向けて撮影準備に勤しんでいる。勝手に紹介PVを撮ったり、メンバー紹介の動画を作ったりと、とにかく動画のネタ探しに躍起になっている。美人野球ユーチューバーとして、この前一緒に買った新しい野球道具もやはり動画のネタにされ、そういう意味では蘭が大会に対して一番盛り上がっている。




 杏も練習中は監督モードだが、休み時間になると途端にマネージャーモードに切り替わり、いつものはちみつレモンをみんなに振る舞っている。一生懸命みんなに笑顔を振りまいている杏はいつもどおり魅力的で、どうしても独占したいと思ってしまう。いつも争奪戦になる特製のはちみつレモンは、練習回数が増えるごとにタッパーの量も増えていき、今では4つ分も用意してくれている。杏と蘭で仲良く食べさせ合いをしているのは非常に絵になったが、よく考えると元男の蘭が杏からあーんとしてもらっているのを見ると多少は嫉妬心が湧き上がってくる。




 そんなチームの雰囲気はあの旅行以来一段と良くなり、チームとして一つになれたような感覚がある。修学旅行ももしかしてそういう意図があるから実施されるのだろうか、とも考えたりしたが、どうなのかはわからない。一泊二日の温泉でこうもチームワークが良くなるなら、もっと早くから旅行に何度も行っておけばよかったかもしれない。




 杏の浴衣姿を思い出すだけで頭がぼおっとする。失った修学旅行を取り戻した今回の旅行。一度失った野球への情熱。そして、一度失った杏への想い。ひとつひとつクリアしていこう。まずは野球。その先にあるのが、杏への告白だ。




 試合前最後の練習ともあって、最後は高校時代のようにみんなで円陣を組んでミーティング。ポジションや打順の最終確認をした。杏も嬉しそうにメモしている。ちょうど一週間後の今日、俺らはこのグラウンドで大会に初参加する。高校一年生でベンチにも入れなかった新人戦や夏の大会とは一味違う、草野球の3部リーグのトーナメント。でもそれは、俺達にとっては高校時代を取り戻す、重要な試合になる。そう思って全員で意識を高めあった。






 試合前日、俺の部屋に親からの仕送りが届いた。その中には米やら野菜やら入っていて、一緒に高校の卒業アルバムも入っていた。懐かしい分厚い表紙。そういえば親に仕送りと一緒に送ってくれるように頼んでいたのだった。確か、純奈が本当に一緒の高校だったのかどうか確かめるために。少しタイミングが遅すぎたようだ。もしかしてこのアルバムがあったりしたら、もう少し長く純奈と楽しい会話が出来たはずなのだろうか。でも、そんなこと考えても仕方がないことも自分では分かっているつもりだ。俺はもう純奈とは関わらないようにしたんだ。ちゃんと決意したんだ。




 アルバムの中には確かに純奈の名前があった。でも、化粧のせいなのか何なのか、印象はまるで違っていた。こんなにも変わるものなのかと驚きつつ、でも流石に蘭になった又田ほどではないなとついつい比較してしまった。思い出は思い出で。それが本当は良いのかもしれない。




 でも、思い出にしたくない、思い出を書き換えたいと思うことは多々ある。フラワーズの活動だってそう、そして、杏への想いだって、そうだ。思い出にしたくない。だからいつかは告白したい。ずっとそう思っていた。




 次のページをめくると、一番始めに石川杏の三文字があった。“い”ではじまるから、どうしても出席番号が一番や二番になるんだろうな。今よりもだいぶ子供っぽい高校時代の杏。今と比べて化粧っ気がない卵型の輪郭。それが目立つような低い位置のサイドテール。鼻の横のそばかすは今は化粧で隠されているが、卒業写真にはしっかり映っている。ジャージ姿は見慣れているが、セーラー服姿もまたよく似合っていて可愛らしい印象。こりゃマドンナですわ、と心の中で思わずつぶやいてしまう。




 そんな杏の高校時代の写真の横に、紙の切れ端みたいなものが挟まっていた。クシャッとなっているが、それを開いてみると、何かを書いたメモだった。読み進めてみると、だんだん恥ずかしくなった。それは、杏に卒業式の日になんて言って告白するのかをメモったものだった。




 当時流行していた鶫つぐみ橋の真ん中で告白すると叶うという噂を真に受けて、そこまでどう呼び出し、どういう台詞で言うのかまで事細かにメモしていた。ところどころ鉛筆の跡がかすれていて読めない部分もあったが、かろうじて意味は全てわかった。こんなのが残っていたなんて。まさか親に見られていないだろうか。これこそまさに黒歴史である。結局あのあと部活の集まりもあって呼び出しなんて出来っこなかったし、そもそも大川兄が常に隣りにいたからさすがに言い出せなかったのをよく覚えている。




 もしもあの頃告白できていたとしても、杏の記憶に残ることはなかっただろう。俺がつけ入る好きなんて全然なかった。でも今は違う、かもしれない。




 第一縹はなだ川グラウンドと、対岸のハナ高を結ぶ鉄橋である鶫橋の真ん中にポコっと出ているところを想像しながら、セーラー服の杏と学ラン姿の俺を当てはめてみる。右手筒状の卒業証書を持って、他の生徒がその橋を渡って帰宅していく中、杏を待ち伏せて……杏がやってきたら、一緒に柵に寄りかかって、杏の方を見たいけど見られなくて結局、川の方を眺めながら決意を固めていると、反対側の車線の方の歩道では別の誰かが大声で告白していて、見事に玉砕していて、それがまたプレッシャーになって……。青春だなぁ。




 もうあと数ヶ月したら卒業シーズン。俺みたいに告白できない奴もいるんだろうな、と考えると、俺が先陣を切ってやらなきゃいけないなと急に先輩面したくなる。ダメな先輩だなぁ。今の子はきっともっとうまくやるだろう。対岸で頑張っている野球部の後輩たちを見ていたら、いつもそんな気分になる。もしももうひとりの自分が鶫橋の上から今の俺とあの頃の俺を見比べたら、どう思うだろう。もしこのまま告白出来なかったら、比較のしようがないかもしれないな。




 俺は決心した。しっかり試合で活躍して、格好良いところを見せて、自分でも多少自信が持てるようになったら、そのときには高校時代に出来なかった告白という青春ど真ん中の行為をやってやるぞ、と。そのタイミングが、今の俺にとっては最高のタイミングになるだろう。そう考えた。




 くしゃくしゃになっていたメモを綺麗に二つ折りしそのままそのページに挟み、卒業アルバムをそっと閉じた。

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