第十六話:僕らの二日間旅行

 県境の長いトンネルを抜けると、雲ひとつない晴天であった。山のコブに挟まれた高速道路を抜け兵庫県に入り、海沿いの輪郭をなぞるように走ると、俺らが乗っている車はおしゃれなカフェの前で止まった。




 俺の横で静かに寝ている杏を起こし、車から出ると、淡いペンキで塗られた建物が目の中に飛び込んできた。夏が過ぎた後の林崎松江海岸が目の前に見える店内に、蘭が杏の手を引っ張ってはしゃいで行った。いかにも女の子が好きそうな、“映える”カフェ。男性陣は蘭と杏がとった席に向かってゆっくりと歩いていった。




 10月中旬、まだ寒くもないし、もう暑くもないちょうど良い季節に、チーム全員がやっとそろって休暇を取りことができた。杏が企画した“修学旅行”がやっと始まったのだ。一泊二日の遠出、メインは温泉宿で枕野球をすること。それまでの細かいプランは杏が蘭と一緒に決め、そのプランの最初の地点、海辺のカフェに昼食を食べに来たというわけだ。




 ここまでの道のりは二台の車で。合計10人なので、4人乗りの組と6人乗りの組に分かれた。俺と杏と蘭と大川兄の4人で大川兄の運転。もう一台は残り6人が円の運転で。俺は大川兄と杏の関係を知っているから一応違う車に杏を誘導したのだが、向こうの6人はまだ高校時代のイメージが強いのか、なんとなく杏をこちらの車に誘導し返してきた。大川兄は気まずいのか、杏のほうを見向きもしなかった。杏も杏で大川兄といるのが気まずそうだった。だから大川兄の助手席ではなく、後ろのシートに座った。道を調べて知っている蘭が代わりに助手席に座り、俺は後ろのシートで杏の隣にちょこんと座った。




 蘭が投稿するための動画の撮影も兼ねて歌を歌ったりしながら盛り上げてくれたので、ある程度みんな楽しい気持ちに慣れてはいたが、どうしても大川兄と杏のことを知っている俺は、地雷を踏まないように注意しながら話したり盛り上がったりしていたので、余計に疲れた。




 少々盛り上がりすぎたのか、兵庫県に差し掛かろうとするあたりで杏がこてんっと揺れ始めた。もしかして完全に寝たりしたら俺の肩に杏の頭が載るんじゃないかと期待したが、到着するまでにそんなことは起きなかった。前の方では大川兄が蘭と仲良く高校時代の話をしたりしていた。蘭が高校時代から柔らかいバッティングをしていて、頭が女だと体の使い方まで女になるのかどうかを二人で話し合っていた。そのすきに杏ともっと距離を寄せたかったが、そのタイミングを伺っていたらいつの間にかこのカフェに着いていた。




 海風がダイレクトに吹いてくる。もう夏の風は吹いていないが、それでも海からくる独特の匂いが鼻をくすぐって離れない。時々現れる犬の散歩をする老婆がやけに絵になるなと思いながら料理を待っていると、男子全員にステーキランチが、女子二人にパスタランチが届けられた。海の独特な匂いをかき消す香ばしい肉の味。おそろいのものを食べるというのも修学旅行っぽい感じが十分にする。




 しかし結局全員それだけではお腹いっぱいにはならず、ピザや一品料理まで頼んで高校生の時とは違う大人な部分も発揮することになった。みんな食欲は高校時代から一向に変わっていない。唯一の学生である俺も、頑張って稼いだバイト代でみんなと同じように出し惜しみすることなく支払った。




 腹ごなしのために少しだけ海まで歩いてみることになったが、あれだけ大きく見えていたオーシャンビューが実は道を挟んでさらに向こうにあるということで、諦めて直接有馬温泉へ向かうことになった。




 そこからの道のりも大川兄が黙って運転してくれた。蘭と杏はさっきのカフェのトイレがすごかったと盛り上がっていた。そこから一時間弱、女子トイレの話題に入れない俺は、満腹なのもあってこっそり気配を消して仮眠した。




 一本道をずんずん進んでいく中、目が覚めた。空はまだ暮れてはいないが、夕方に差し掛かろうとしている。山の坂道を進み、視界が開けて来たなと思ったところで目的地に着いた。




 坂道や階段を登っていき、着いたところは旅館風のホテル。たぬきの置物が不思議そうに俺らを見つめながら招き入れてくれた。チェックインし、男子部屋と女子部屋に分かれて先に荷物を置いて散策に出かけようとしたのだが。




「え、蘭ってどっちの部屋?」




 橋田が何の気なしに蘭にそう聞いた。確かに整形して声は変わっているけどそれ以外は又田なわけで。若干、地雷を踏んでしまったのではないかと不安になる。蘭は野球のときのように男の顔になって橋田に迫った。




「いやいや、心は女だから女部屋じゃろがい!」




 それはそうだな。女装ではなく心が女性なのだから、女子として扱うべきだよな。そう自分に言い聞かせる。そもそも男子と女子で部屋を分けるのはそういういかがわしいことにならないためであって、心が女ならそういうことは起きないはずだ。いやでも、心は女性だけど恋愛対象が男性というわけでは無い……? 知識は持っていたとしても実際に触れ合ってみるとどうしても混乱してしまう。心がどちらなのかと恋愛対象がどちらなのかはもはや関係がないし、そもそも性別の概念がない人や両性愛の人もいる。ここまで来るとこんがらがりすぎて、逆に愛があればそれで良いっていう結論に至るけど、今この目の前にある問題には何の解決の糸口にもならない。




「杏は良いの?」




 橋田、だからそれも地雷だよ!




「うん、まぁ又田じゃなくて、もう蘭ちゃんになったわけだし、別になんとも思わないけど」




 ヒヤヒヤするような橋田の質問に、淡々と答える杏。なんでそんな事聞くの? というような表情で蘭と腕を組んでいる。こうして並んでみると蘭は確かに顔だけ美女で体が男だから、橋田がそう聞きたくなるのも理解できる。でも仕草や動作が圧倒的に女性なので、普通に女性として見ることができているのがやはり少し不思議ではある。それに比べて杏の女性らしい曲線的な身体に、改めて生唾を飲み込む。対比したら失礼だけど、こうして並ばれると女性らしさと男性らしさが如実に現れるなという印象だ。




「ほらね! 誰が何と言おうと、女の子なんです!」




 雰囲気に圧倒され、8人のむさ苦しい男子部屋と2人だけの女子部屋に分かれて少し休憩した後、玄関口で集合した。




 まずは赤い橋を目指して下っていく。有馬川に架けられた橋の下は遊歩道のようになっていて、石造りの道が色んな形で出迎えてくれる。そこで一応記念写真を一枚。他の旅行客の方に頼んでもらって全員で撮ってもらった。その時も杏は蘭と腕を組んで、大川兄とは離れて立っていた。俺も杏の隣にさり気なく近付こうとしたが、空気を読まない円と橋田が肩を組んできて動けなかった。撮り終わるとすぐに温泉街に続く道を突き進んでいった。




 温泉街は活気にあふれていた。ところどころ可愛い置物や花壇が置いてあったり、木造の瓦屋根の家が所狭しと並んでいたりと、普段の生活からは少し離れた風情がある。途中でソフトクリーム屋を見つけた杏が蘭と一緒に駆け寄って購入したのを見て、俺ら男性陣もそれに続くように一人一本購入し、近くに座って一息ついた。10月とはいえ坂道を上がったり下がったりすると流石に汗をかく。良いタイミングでアイスクリームを見つけてくれた杏に感謝である。そんな杏はもう蘭とベッタリ。二人で浴衣を着ている他の旅行客の姿を見ながらああだこうだと話している。杏の浴衣姿か。きっと似合うんだろうな。後で着替えた後に見られるのが楽しみで仕方がない。




 いろいろ散策して疲れ切った後、ホテルに戻ってそれぞれの部屋で休憩。全面畳の部屋で、いかにも修学旅行で使われる部屋らしい。俺は早速畳の上に横になり、大の字でひんやりする畳を背中にこすりつけた。大川兄は橋田と、早速部屋の中においてある将棋で一勝負しだしたし、円はカメラとパソコンを繋いで先程からたくさん撮っている写真を管理し始めた。




 疲れたのは疲れたけど、全部温泉のためにあるし、何より杏の笑顔のためにある。久しぶりに、野球以外で高校生に戻れた気分だ。あとは温泉に入って、美味しいもの食べて、枕投げならぬ枕野球して、ゆっくりして、ブラブラして、のんびりして帰るだけ。高校の頃だったら、今こういう時間もバット振ってたりしてたんだな。今から思うと異様だが、あの頃はとにかく夏の大会のためにってやっていたから、修学旅行でホッと一息つくことなんて出来なかった。修学旅行のやり直しは現時点では大成功だ。




 それぞれでゆったりしている男性陣をみていると、女子二人が気になってきた。今頃何をしているのだろう、どんな話をしているのだろう。あんなにベタベタしておきながら、部屋で二人きりになると急に黙って自分のことをしていたりして。なんて根拠のない想像を膨らませてみる。しかしその予想は大外れで、二人の笑い声が時々壁越しに聞こえてきた。何の話をしているのだろう。女子も好きな子が誰かとか、話すのだろうか。まさか男子みたいにゲスい攻防戦をしたりはしないだろうが、どうなのだろう。




 しかし次に壁越しに聞こえてきたのは、蘭のよく通る声。部屋の様子を動画投稿のためにレポートしているのだろう、外の景色がどうのこうのとよく通る声で話している。ということは、今は杏が撮影しているのか、それとも自撮りしているのか。もし自撮りなら、出来た動画の中に杏が映っているかもしれない。さっきの笑い声からしても、その可能性は高いだろう。そう考えると早く動画をチェックしたくなってきた。




 キャピキャピしている女子部屋とは対称的に、むさ苦しい男子部屋はそれぞれがしたいことをして誰も会話をしようとしない。むしろ将棋の邪魔をしてはいけないと暗黙の了解的な何かが漂っている。せっかく取り戻した修学旅行をムダにするつもりなのかとも思いつつ、必要最低限の話題だけで十分な俺としては、別に不便もなかった。


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