第十話:僕は今日、今日の君とデートする

 今日もいつものように球場に行き、ワゴンで接客をしていく。夕日が沈んでいく中、照明が灯って球場内の視線が一気に明るくなったグラウンド内に向けられる。今日売るものはお弁当。選手プロデュースの弁当らしいが、他のグルメが充実しているせいか、ほとんど売れない。いつものように吠えるように呼び込みを頑張っても、暇でしかなかった。




 シーズン終盤でしかもチームは上位争いも出来ないような状況。お客さんが少ないのも納得できてしまう。それは純奈も同じみたいだった。何度も何度もワゴンの前を通り過ぎていくが、目があってもお互いに苦笑い。私語は厳禁なのだが、誰かと話でもしていないと暇すぎて死にそうになる。少ないがたまに来る腹を空かせたお客さんだけが、その欲求を満たしてくれた。たった三時間半の業務だったが、それは五時間にも六時間にも感じた。






 バイトが終わって球場を出ると、目線の先に純奈の背中が見えた。今日は気温もそれほど高くなく、ビールも売れなかったのだろう。一足先に終わっていたようだ。ナイスタイミング。これはチャンスだと思った。うまくしたら一緒に帰ることができるかもしれない。少しでも一緒にいられる時間は長いほうが良い。きっと電車通勤だろうが、せめて駅まででも一緒に帰りたい。だから、俺は勇気を出して声をかけてみることにした。




「よっ」


「あ、良くん。おつかれー」




 長袖の上着を着ていたせいで気付かなかったが、意外と小さくない胸の膨らみが目立つようなシャツを下に着ている。どうしてもそっちのほうに視線が行ってしまう。見てはいけない。見たら印象が悪くなってしまう。とりあえず視線を他に移すため、歩く方向に視線を移し、前を歩いていく観客の、レプリカユニフォームの背番号を見ながら、耳だけは純奈に向けた。でもずっと前を見ているのも不自然だし失礼になるかもしれないので、純奈が話しているときくらいは出来るだけ純奈の方を見ることにした。




 嫌われないように、嫌われないように。




「駅から電車で帰るの?」




「いや、今日はおなか空いちゃったから先にどこかで食べてから帰ろうかなと思って。よかったら良くんも一緒に食べる?」




 “る”のときの口がキスをするときみたいなアヒル口で、ドキッとしてしまう。そんな風に誘われて断れない男なんていない。俺はのこのこついていく犬も同然だった。




 球場の近くの繁華街。その一角にきらびやかでオシャレな外観のビルがあり、店の看板やメニューの写真が所狭しと並んでいるところを突き抜け、螺旋階段を登った二階。オシャレ居酒屋に到着した。




 ナイター終わりでレプリカのユニフォームを着ているお客さんが多い居酒屋の、個室とまではいかないがすだれで区切ってある畳の掘りごたつの席に案内された。




 対面に座り、上着を脱いだ純奈は、球場で帽子をかぶっていたせいか押さえつけられたような髪型になっているのを気にするように、何度も何度も両手を後ろにやって髪の毛を盛ろうとしている。その度にシャツの袖の先から脇が見え隠れして、ドギマギさせられる。掘りごたつの中でお互いの脚先が当たらないように隅っこの方に寄せるが、なんだか姿勢が落ち着かない。食事に誘われたのだからどんと構えておけば良い。そう思っていたが、どうもできそうにない。




 一杯目のビールで乾杯し、疲れた体にそれを流し込むと、一気に緊張が解けた気がした。徐々に注文しておいた唐揚げや焼き鳥などのメニューがテーブルの上に増えていく。純奈は美少女らしくサラダとかそういう可愛らしいメニューを頼むのかと思いきや、こういう居酒屋らしいメニューを頼むとは予想していなかった。




「え、純奈ってフリーターみたいな感じでこの仕事してるの?」




「違うよ、派遣社員の中でも正規社員に近い立場。高校の時からこのバイトしてたから、いつの間にかお偉いさんみたいになっちゃって」




「へぇ。お偉いさんなんだ」




「いやこれたとえだから。たとえ!」




 お互いに話題は盛り上がり、すぐに二杯目、三杯目とペースが上がっていく。こうして女子と二人だけでご飯を食べるということに慣れていない俺は何を話せば良いのか分からなかったが、純奈が会話をリードしてくれるおかげで気持ちは楽だった。




「良くん院生だっけ? 勉強ばっかりで大変そう」




「まあまあかな。毎日仕事に追われる方が大変そうだと思うけどね。朝から晩まで仕事仕事って、俺にはまだ出来そうにないな」




「あたしも無理だぁ。球場で試合があるとき以外はオフィスで電話対応とかだからさ、朝早いし夜はもっと遅いんだよ。派遣スタッフの終了報告の電話とか受けなきゃだからさ。もうほんとブラックブラック。でも他の仕事したこと無いから転職まではいかなくていいかなぁとは思ってるけどさ」




「へぇ。ほんとお疲れ様」




「おつかれー」




 と、ここでまた乾杯。もう十回以上はしている。




「良くん明日朝早いの? 院生って朝から晩まで研究室に閉じこもってたまにそこで寝たりとかもするんでしょ?」




「明日は別になにもないけど、そうだね。第二の家みたいな感じ」




「寝心地悪そー」




 そう言ってまたお酒の入ったグラスに口をつける純奈。そんなに飲んで大丈夫かとこちらが心配になるほどの飲みっぷり。カワイコぶって飲めない食べないな女の子よりは数段好感が持てる方ではある。純奈の、女性らしさと言うより男らしさみたいなものが見えてきてしまったが、不思議とそこに違和感はなかった。




 時々明るくて普段はおとなしくおしとやかな雰囲気もある杏や、元男なのに女性らしさの塊みたいな事も意識してできる蘭と比べて、純奈は少女らしさもありつつ男らしい部分もあるという不思議な存在。色々なキャラクターを持っているぶん、これからどんな純奈を見せてくれるのかという楽しみもあって、自分でも純奈に惹かれていく感覚がなんとなくわかるような気がしてきた。童顔なのにおっさんみたいな話し方や飲み方をする、そのギャップが俺を刺激しているのかもしれない。




「けっこう食べたねぇ」




「純奈はもうお腹いっぱい?」




「うん、けっこう満足。ほら、ずっと歩いてなきゃいけない仕事だからさ、お腹すくんだよね。ずっと重り背負ったまま階段の上り下りとかウォーキングとかしてるのと同じようなもんだからさ。あ、良くんは? お腹いっぱいになった?」




「うん、俺もけっこう満足だよ」




 ふう、食った食った。一段落したと思ったその時。掘りごたつの中で、俺の右足のすねの外側に何かが触れた。




 と思ったら左脚のすねの内側にも。掘りごたつの中で当たるものと言えば純奈の脚しか無い。申し訳ないと思って離そうと思ったが、絡まったお互いの両足は簡単には解けない。恐る恐る純奈の顔を見てみるが、純奈はスマホの画面を見たり梅酒を飲んだりするだけで何の変哲もない。上と下が全く違う世界のようで、どちらの世界にいれば良いのか分からないまま、今度は絡んだ両足が上下に動いて俺の脚をズボンの裾を捲るように、さすり始めた。




 お互いにズボンを履いているから、布が擦れる音がどんどん大きく、早くなっていくのがわかる。抜け出せない蟻地獄のようで、だんだん興奮してきてしまう。誘われている。それがはっきりとわかったのは、このときだった。




 二人、同じタイミングで目が合う。気づいたらもう、会計も済ませて一緒に店を出て、そのまま繁華街をまっすぐ歩き、その外れにある宿泊もできる施設の前にいた。こういうところには一度も来たことがなかったのだが、純奈は何度かあるのか、躊躇する間もなく部屋を選んで受付を済ませ、俺を無言で促した。






 部屋は普通のホテルのようだったが、妙に設備が整っていて、正面にある大きめのベット以外には左手にDVDやゲーム機が揃っていて、右手にはシャワールームの目の前に大きな洗面台と数種類のシャンプーか何かが置かれている大きな棚が見える。純奈は机の上にカバンを置き、先にシャワー行ってくるね、とやっと一言発し、照明を薄暗くしてからシャワールームに入っていった。一人になった俺はどう振る舞えば良いのかをスマホで検索しつつその独特の気まずい雰囲気をなんとか耐え抜いた。




 しばらくしてシャワーの音が聞こえなくなり、ドライヤーの音が聞こえ始めた。さきほど居酒屋で髪型を気にしていた純奈の姿が思い出される。無防備な脇が印象的で、思い出しただけでドキドキしてきた。そのドライヤーの音も聞こえなくなり、遂にペタペタと足音がこちらへ近づいてきた。




「お次どうぞ」




 そう言って現れた純奈は、いつも球場で見る純奈とまるで違って見えた。押し付けられていた濃い茶色の長い髪が解放されてふわふわと横にも下にも広がっている。その髪が首の付根や鎖骨、また肩の方まで広がって、毛先が軽くカーブしている。一度化粧し直したのか、うっすらと口角を上げて微笑みかけているその顔にはバイト中のような少し汗ばんだ感じはない。そのみずみずしい肌に、ナチュラルメイクがよく映えている。




 照明は薄暗いが純奈の姿ははっきりと見えている。大きなバスタオルで全身を隠しているが、その他に服は着ていない。大まかなボディラインが見えてくる。胸元の谷間が艶やかで、細いとは言えないが胸やお尻との対比から綺麗に見えるその曲線に、思わずつばを飲み込んだ。




「は、はい!」




 情けない返事をした俺はシャワールームでできるだけ急いで自分の体を洗って、大事なところも入念に何度も洗ってから急いでバスタオルで全身を拭いきり、下半身をタオルで隠してベッドルームへ戻った。




 純奈は真っ白のベッドの上でタオルで体を隠したまま、その上に掛け布団をかぶってスマホをいじっていた。俺の姿に気づくと無言のままじっと俺の目だけを見つめ、俺はその目に引き寄せられるかのようにベッドの中に招き入れられた。しばらく一緒に天井を見ながらお互いに無言で時間が流れるのを待っているようだったが、純奈の方からまた居酒屋の掘りごたつのときのように脚を絡ませてきた。


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