報告書H コールミー狗

 一斉報道の破壊力ってのはとんでもないもんだ。普段は高みの見物をするだけなので、特に好悪の感情など無かったが、いざ自分に降りかかるとなると全くの別物に感じてしまう。借り主たる私の居ないマンションの一室手前には、数えきれない程のマスコミが押し寄せている。熱っぽく語るレポーターの大袈裟な身ぶりに語り口調、外から割られたリビングの窓ガラス、当事者からすると笑えない絵面だった。


「うわぁ……これヤバイな」


「良かったね、ここに避難してて。郷座さんが居なかったら今ごろどうなってた事か」


「退去費用、どれくらいになるのかな」


「そんな心配事が浮かぶようなら、あんまり追い詰められてないよね」


「いや、ウソウソ冗談。ビビってるからほんと。だってこれ、帰宅してたらブッ殺されたって事でしょ?」


「うーん。犯人は殺意を否定してるらしいけど、刃物を持ってたようだから信憑性は薄いよね」


 押し入ったのは2名、どちらも20代の男性。容疑者として晒された写真に心当たりは無かったので、会社の同僚ではないようだ。顔見知りによる犯行でなかったことが唯一の救いかもしれない。


 それにしてもマスコミの情報収集力はなんなのか。早くも被害者の私をハコニワ関係者だと突き止め、昨日の暴露騒動と紐付けるような持論を展開し始めていた。髭面のコメンテイターもやたらコンプラコンプラと連呼しまくる。スタジオは非難一色という様相で、誰一人フォローしようともしなかった。ネットの方はと言うと、さらに白熱した論調だ。中には『決死の想いでセクハラを告発した社員を、口封じのために暗殺しようとした』といった、とんでもなく物騒な噂まで飛び交う始末。私とハコニワは、一夜にして時の人となってしまったのだ。


 それから午後にもなると、ウチの会社によって記者会見が開かれ、やはり大勢の報道陣が押し掛けた。会見側は重役が並ぶのかと思いきや、広報と弁護士だけの参席だ。彼らは開口一番にハラスメントは事実ではないと語りだし、昨晩の事件とも無関係であると明言した。当然納得のいく説明ではなく、マスコミの追求は凄まじかったが、しつこい程に何度も重ねて否定するのだった。私への質問については、真っ赤な嘘まで交えて答えやがる。


「へぇ。黒羽さんは先月から産休に入ってて、近況については一切知らない、だってさ」


「クソが。昨日まで毎日出社してたっての。最後はバックレ気味に帰ったけどさ」


「向こうにしたら、2つの事件に関係があると困るんだろうね。だから嘘をついてまで誤魔化そうとしてる。ちょっと調べたらバレるだろうにね」


「つうかさ、こちとら何年も男と乳繰りあってねぇんだ。そんな暮らしでどうしたら孕むっつうんだよ処女受胎とでも言いてえのかオイふざけんなよゴミカス共がくたばれ」


「まぁまぁ落ち着きなって。ミルクティーでも飲む?」


「ありがと。リッターでちょうだい」


 冷たい、甘い。甘美な清涼感が私に理性を授けてくれるようだ。短気とは機会損失を招く厄介者だ。故に画面の向こうで会社(ゴミカスハキダメ)の連中が何を言おうと、心騒がすべきではないのだ。


ーーなんか飽きたな、ハコニワでも覗いてみるか。


 ふとレイン君たちの様子が気になり、テレビからモバイルに視線を移しかけたその時だ。平坦なドアノック音が聞こえた。伊東ちゃんが応対すると喜びを隠さない声があがり、戻りは2人に増えていた。ゴーザ課長の帰還である。


「ショーコ、鍵返すぞ。おかげで大戦果を得られた」


「はぁ、どうも……」


「どうした、浮かない顔をして。何か聞きたい事でもあるのか?」


「ええ、そりゃあ知りたい事ばかりです、てんこ盛りですよ」


「そうか。ならば好きなだけ質問しろ」


 課長は窓際の椅子に腰を降ろすと、いつもの調子でそう言った。質問なんて山ほどある。昨晩何があったのか、ウチの会社は犯罪も辞さないような奴らなのか、そして私はこの先どうなってしまうのか。心に数えきれない程の疑問が浮かぶけど、それらに輪をかけて気になる事がある。


「あなた、何者なんですか?」


「いきなりか。まぁ気になるのも当然だな」


「どっかの特殊機関のエージェントとか、それとも某国の産業スパイみたいなやつですか?」


「そんな御大層なものじゃない。詳細には語れんが、そうだな。風変わりな富豪とでも認識しておけ」


「それじゃ何も分からんじゃないですか!」


「質問して良いとは言ったが、丁寧に答えるとは言ってない」


 あらやだコイツ。昨日はイイ人だとか思ったけど、やっぱり意地の悪いヤツじゃないの。今後課長は、富豪で太っ腹だけど意地悪な変人として扱うことにする。


「ええと、それじゃあ、昨晩は何があったんですか?」


「お前と背格好の似た女を部屋に入れ、あたかも帰宅したかのように偽装した。他に腕っぷしの強い連中を密かに待機させ、連中が動くのを待った」


「すげぇ準備良いっすね」


「深夜に差し掛かった頃だ。消灯を演出するために部屋の灯りを消したのだが、その時に事態が急変した。それからの展開は順当。連中は窓ガラスから侵入し、偽りの女を連れ去ろうとしたが、こちらの反撃により危なげなく制圧した」


「その犯人たちって、やっぱり会社の指示でやったんですか?」


「間違いない。やつらのモバイルにメールのやり取りがあった事は、通報前に確認している。上役どもは金をケチって素人を雇ったようだが、そのツケは高額になりそうだ」


「マジこえぇ。普通そこまでしますかね?」


「大袈裟だな。犯行に使われたナイフだが、脅しに使うつもりだったようだ。つまりは命まで取る狙いは無かったという事になる。だから安心していいぞ」


「いや、安心できる要素が1個も無いです」


 異次元の世界だ。手垢まみれのドラマや芝居の話を聞かされているような気分になる。しかし妄言の類いでないことは、世間を賑わせている報道から明らかだった。腹を括って現実を受け入れるしかない。


 課長はこの頃になってようやく飲み物を口に含み出した。その仕草から、機嫌が悪いようには見えない。まだまだ質問を重ねても問題無さそうだ。引き続き無遠慮に聞かせてもらう事にする。


「暴露の原因になったハコニワのバグがあったじゃないですか。あれを生み出したのも、もしかして?」


「私が故意にやったと言いたいのか? まさか。さすがにそこまでの強引な手段は取らない。全くの偶然だ」


「という事は、営業部長のゴリ押しが原因だったと」


「そうだ。営業部の差し金の副産物だったが、まさに僥倖だと思ったよ。その頃の私は打つ手無しだったからな。ハラスメントを会社の相談窓口に告げても無駄、公的機関に持ちかけても動きが鈍い。そうして外の動きを待っている間にもメルが退職を迫られてしまい、事態は悪化する一方だった。そこへ例のバグが発生したのだから、利用しない手は無いと感じたよ」


「だからあの時、妙に私に絡んだんですね。普段は仕事の話なんてほとんどしないのに、ファイルデータがどうのと言ってきたじゃないですか」


「叶う事なら私自ら応じたかったのだが、アカウントの権限を一部制限されてしまってな。上役どもは私をよほど警戒していたらしい。だから直接ハコニワのデータを触る事すら出来なかった。ショーコに頼らざるを得なかったのはそれが理由だ」


 なるほど、あの時の会話が意味深に聞こえたのは、そこまで深い考えがあったせいなのか。ただ、意図をぼかしすぎて私には全く伝わっていなかった。もし作業用PCの通信状況がクリアだったなら、問題のファイルは言葉通りに移し終えたはずだから。意図せぬバグと回線の不良、その2つが偶然に重なった結果、今の騒動があるという訳だ。


 怖ぇ、偶然の力。本当に私はこの先どうなってしまうんだろう。まさか、死ぬまでホテル住まいなんて事になりはしないか。


「課長。私たち、これからはどう生きていけばいいんですかね。逃亡者さながら、日本各地を逃げ回ったりしちゃうんですか?」


「そうだな、ちょうど良いから話しておこう。これはショーコだけでなく、メルにも聞いて欲しい」


「はい、承知しました」


「お前たちには2つの道がある。1つは、ほとぼりが冷めるまで、都心から離れた場所で暮らしてもらう案だ。仕事と住居については心配するな、ちゃんと用意する」


「ここから遠い所に、ですか?」


「まぁ遠いな。だが快適な街だし、期間も長くて数年だ。そこに骨を埋めろなどとは言わん。今後は連中と民事、刑事の双方で裁判沙汰となるだろうから、それが終わるまで大人しくして欲しい。ひとつ目については以上だ」


「はい。それで、もう一方の案というのは……」


 思わず前のめりになる。何せ人生の岐路だ。伊東ちゃんはもとより、この私でさえ冗談を差し挟む余裕は無かった。課長も無駄に茶化したりせず、淡々と条件を並べていく。

 

「第2の案はな。私の仲間になる、というものだ」


「仲間とは、今回のような事件を解決する人たちを指すのですか?」


「そうだ。社会に巣食うダニ退治を手伝ってもらいたい。もちろん危険の付き纏う仕事だが、無理はさせない。華奢な人間に荒事を任せるような真似はな。もしお前たちに仕事を任せるとしたら、情報収集などをメインに依頼するつもりだ。他にはコネクション作り、人材発掘なんかも良いな」


「郷座さん。答える前にひとつだけ聞いても宜しいですか?」


「どうぞ。ひとつと言わず」


「なぜ貴女はそうまでして争うのです? 裕福であるなら、平穏無事に暮らしていく事も出来るはずなのに」


「まぁそうだな。正直なところ、何代も遊んで暮らせるだけの金はある。閑静な街に豪邸を建て、ひっそりと優雅に生きる道もあるのかもしれない」


「そこまでの金持ちなんすね、課長って」


「だがな、お前たちは腹が立たないか? この国は法治国家だ。ゆえに一応は悪事を働けないように設計されている。しかし、理想郷と呼ぶには過酷すぎる。それはなぜか。理由は数多くあるが、そのうちの1つに、悪党どもが狡賢く暗躍している事が挙げられる。法の光が届かぬ水面下でな」


「では、その『悪党』とやらを退治したい、と」


「そうなるな。今件のハラスメントもそうだが、モラル無き集団による社会悪を自らの手で潰してしまいたい。まだ見ぬ子や孫たちに、今より少しでもマシな世界を生きさせてやりたい。それが酔狂だと分かっていても、子供染みた夢だとしても、私は命ある限り追い続けようと思う」


「郷座さん、私やります! どうかお手伝いをさせてください!」


「メル。良いのか? 何もこの場で結論を出せとは言わないぞ」


「どうせ私の経歴は無茶苦茶です。失うものなんてほとんど無いんです。だったらせめて、世に役立つ事がやりたい。もう決めました、心変わりなんて有り得ません。よろしくお願いします!」


 伊東ちゃん、気迫混じりのエントリー。よほど課長に惚れ込んでいるのか、それとも夢とやらに感銘を受けたのか、即答に近い選択だった。そこをいく私はどうするのかと言うと、勘弁してもらいたい所だ。


 もっと住みよい社会を創りたいっていう発想は素晴らしいよ、素敵だと思うよ。でもそれを自分の力で実現するとなると話は別。課長が相手どる敵は、悪徳企業やらグレーゾーンの連中だということになる。そんな仕事は命が100あっても足りない。今件のあらましで察しがつくというものだ。


 私が沈黙を貫いていると、課長がこちらを見た。伊東ちゃんも遅れて視線を送ってくる。見慣れた鋭利な目と、希望に満ち溢れた目による眼差し。2つの熱視線が、無言のままでいる事を許さないように感じられる。仕方なく、気持ちをストレートに伝える事にした。スパッと竹を割ったように答え、交渉の余地がない事を押し出さなくてはならない。


「課長。アタシはやめときます。その遠い街とやらでノンビリ過ごしてますわ」


「ええ? 黒羽さん、参加しないの!?」


「いやぁー、気持ちの上では賛同してるよ、立派な思想だと思う。 でもね、それを実行するだけの正義感が足りないっつうか、アタシじゃない誰かにやって欲しいっつうか。応援くらいはするけどね、矢面に立つなんて怖いじゃん」


「確かに怖いよ。でもさ、それじゃいつまで経っても……」


「よせ。危険な役目なんだ。無理強いさせる訳にはいかん」


「すんませんほんと、お役に立てなくって。アタシには必要分の勇気が足りてないんです」


「ちなみに待遇について言い忘れてたが、年に1000万以上と別途経費を実費分出す」


「課長。アタシは今日から忠実な僕(しもべ)です。以降は犬とでもお呼びください」


「……ふふ。現金なヤツだとは思っていたが、ここまで華麗な手のひら返しをするとは考えもしなかったぞ!」


 課長が弾けたように笑うと、メルもそれに続き、狭い室内は途端に明るくなった。私も一応、状況に合わせて笑顔を作る。金に汚いという印象を与えただろうか、別に良いけども。


「さて。話が決まった所で、早速働いてもらおうか」


「課長、その前にひとつだけ良いですか? 私用っつうか野暮用があるんですよ」


「なんだショーコ。手短に済むものなら構わんが」


 本格的に忙しくなる前に、私はどうしても片付けておきたい事があった。課長からモバイルPCと、ハコニワのアカウントもセットで拝借した。何百回も入力したURLを打ち込むと、見慣れた画面が液晶に浮かぶ。管理画面にログインし、PCの内臓マイクも起動しておく。


 これで最後の別れが出来るというものだ。もはや日常会話すら交わさなくなった、あの人との別れを。



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