第41話 真夜中の出奔

「では、本当に進めてしまって良いのだな?」


 アルウェウス執務所の会議室に、重々しい声が静かに響く。ヒメーテルの言葉に異を唱える人は居ない。誰もが無言のまま押し黙るので、外から漏れ伝わる往来のざわめきがハッキリと聞こえてしまう。僕は会議の成り行きを見守りつつも、今日は葉野菜が安いのか、などとボンヤリ考えていた。


 しばらくして大きな溜め息がひとつ。どこかを小突かれたような気にさせられ、これが聞こえよがしというヤツなんだろうと思う。それからヒメーテルは眉間のシワを普段以上に深くしながら、沈みきった声で言った。


「まったく、これから大陸が1つにまとまろうという時に……」


「仕方ないよ。僕が頂点に居座ってたら上手くいかないんだもの」


「何も出奔までしなくとも良かろうに。王位を退き、街のいずこかに居を構えるのではいかんのか?」


「ダメだろうね。いずれ争いの火種になる。そうなる前に、潔く身を引いて立ち去るべきなんだよ」


 先日のウェスティリア戦では、一度窮地に追いやられるも、敵の奥の手を破る事でこちらの勝利に終わった。これにてアルウェウス・イサレタ連合に対抗できる勢力は西大陸から消滅したことになる。しかし、そこで話は終わらなかった。僕が異質な力を用いて戦った場面を、多数のウェスティリア人に目撃されてしまったのだ。あまりにも常識離れした姿だったせいか、人々に拭いようのない恐怖と不信感を与えたらしい。


 そして極めつけは例の紙。襲来した舟の全ては、あの精巧な絵の描かれた紙片へと化けた。当事者の僕でさえ不条理さを感じているのだから、他人からしたらそれが何倍にも膨れて伝わるのも無理は無い。


 その結果待っていたのが史上屈指の大蜂起。連日連夜、ウェスティリア人はアルウェウスの、いや、僕による統治を全力で拒んだのだ。何をどう説明しても聞く耳を持ってもらえず、もはや軍勢ごと引き揚げざるを得なかった。武力による鎮圧を求める声もあったが、というか声高に叫んでいたのはベーヨだったが、当然それはすぐに退けた。


 今は彼らに自治権を与え、様子を見ているという状態だ。それでどうにか平穏さを保てている。


「それよりもゴメンね。全部ヒメーテルに押し付けちゃって」


「ワシの事は良い。余命わずかの死に損ないだ。元より、この国のために残りの人生を捧げるつもりだったしな」


「共和制、だっけ。上手くいくといいね」


「やってみなくては分からんがな、当面はイサレタ公と連携しながら進めようと思う」


 この国は僕の引退とともに統治方法を変え、王政から共和制に移るとの事だ。少し難しく聞こえるかもしれないが、要は各地から代表者を出し、話し合いによって諸々を決めるというやり方なんだとか。つまりは今までと大差ない。僕らも王政と謳いはしたものの、強権を発動した試しはほとんどなく、大体が話し合いによって決められたのだ。主導するメンバーが変わるというだけの事だと言える。


 最後の会議を終え、迎えた宵の頃。僕は少ない荷物をまとめ、ヒメーテルから譲り受けた小さな馬車とともに街を出た。幌馬車の荷台にはパインとレモンが満載されており、そこに埋もれるようにしてオリヴィエが鎮座している。とてもいい顔だ。晴れ晴れとした表情であるのは、新しい門出を喜んでいるだけでは無いだろう。


「オリヴィエ、本当に良かったのかい?」


「何がでしょうか?」


「僕と一緒に国を出てしまって。あそこに残っていたら、きっと厚遇されると思うよ」


「お気遣いは無用です。栄耀栄華を求めた事はありませんし、それに……」


「それに?」


「あなたと共に、救世の旅を続けたいのです。それこそ神に仕える者の本懐と言えましょう」


「待って待って、そんな事しないよ!?」


「そうなのですか? そのための出立なのでは?」


「違う違う。僕は人里離れた、大陸の片隅でひっそりと暮らすつもりなの。人と関わらないで済むようにね」


「そうは言っても、自ずと人助けをしてしまうのが貴方という人です」


 オリヴィエが小さくない期待を述べたかと思うと、おもむろにナイフを取り出した。そしてパインの山から一つ取り出し、慣れた手つきで捌き、果実を無遠慮に頬張った。酸っぱい臭いが辺りに立ち込め、つい身構えるような気分になってしまう。この果物にだけは馴染めそうな気がしない。 


 夜更けという事もあり、移動中は静かだった。聞こえてくるのは咀嚼音にオリヴィエの満足気な唸り声だけ。他にはせいぜい雑多な夜虫の囁きくらいだ。月が照らす道を、ただ黙々と進んで行く。


 進路は西。この大陸は港のある東部に人口が集中しているので、そちらは避ける必要がある。町外れを過ぎ、山道に差し掛かった。これ以降はしばらく登り坂となっている。1頭立てとはいえ、馬車があるのは楽だ。上手く使えば寝床にもなるし、足を伸ばす事は難しいが、夜露を凌げるだけでも十分だった。


 今宵の満月が木々の隙間より途上を照らす。まず馬が警戒を示し、やがてその理由が明らかになった。一組の男女が道の真ん中で待ち構えていたのである。


「遅いぞリーダー。待ちくたびれたぞ」


「グスタフ! それにエリザも……どうして」


「そりゃあよ、リーダーにくっ付いてた方が面白そうだからよ」


「アルウェウスに残らないの? 君は軍の頂点に居るんだから、いずれは貴族になれるんだよ?」


「アッハッハ。確かに優雅な暮らしも良さそうだが、それじゃあな……」


 グスタフがチラリと隣を見た。視線の先に居るエリザは、退屈そうな顔で遠くの景色を眺めている。心が別の所に行っているようだ。


「難敵の居ない所でふんぞり返っててもよ、強くなれないだろ? それじゃ永遠にエリザを娶れないじゃないか」


「そうかもしれないけど……。いいの? 全くあての無い旅になるよ?」


「最初からそんなモンだったろ。アルウェウスでちょいと寄り道したがな」


「エリザも良いの? 僕らと一緒でも」


「フン。知り合いが一人も居ない街に居座ってもな。それにグスタフがどうしてもと懇願するのでな」


「いや、オレは街に居ても良いと……」


「懇願するのでな!」


「いってぇ!」


 突然グスタフが足先を掴んで飛び跳ねた。エリザが何かしたようだけど、全く目で捉える事が出来なかった。相変わらずデタラメな強さだと思う。


「まぁ、いいか。一緒に行くというのなら歓迎するよ。2人増えるくらいなら」


「いやいや。待ってたのはオレたちだけじゃないぞ」


「えっ?」


 グスタフが頬を歪ませ、僕を手招きで呼び寄せた。そこはちょうど登り坂の頂点で、その先は緩やかな下りとなっている。呼び寄せられた先で僕が目にしたのは、キリシアとベーヨを先頭に、大勢の人間が跪く姿だった。


「こ、これは」


「見ての通り陰部隊だよ。リーダー以外の奴に仕える気はねぇってよ」


「そんな……」


「我が主よ! 決して足手まといにはなりませぬ。どうかこのキリシアを軍の端に加えてくだされ!」


「陛下、いやレイン様! 我ら親衛隊も、どうか、どうか旅のお供に!」


「君たち……」


 僕は目眩を覚えた。予想外だった事もそうだけど、ありがた迷惑加減が強すぎて。まぁキリシアは良い。ちょっと変な子だけど、良識的だし、何と言っても腕が立つ。


 問題はベーヨ、というか陰部隊の方だ。この半裸の集団を引き連れて何をしろと言うのだろう。どこに居ても何をしてもとにかく目立つ。さらに言えば、人の手が伸びていない土地を運良く見つけられたとしても、この集団で村など作ろうものならどうなるか。僕が隣人だったなら夜逃げしてでも遠ざかるし、時の権力者であったら殲滅対象と考えても不思議じゃない。


 だから、どうにかして理由を、強引でも拒絶する理由を投げつけなくてはならない。しかも今この場この瞬間で。一度容認してしまえば、この先延々とつきまとわれる事は確実だからだ。


「君たちは連れてはいけない。だから国へ帰るんだ」


「な、何ゆえにございますかぁぁ!」


「僕はもう一般人なんだ。財も地位もない平民なんだよ。こんな大人数を養えないよ」


「あぁリーダー、それなら心配はいらないぞ。エリザに頼めば、全員の腹を満たす所か余剰を生み出すことも訳ないぞ」


「任せろ。好きなだけ肥えさせてやる」


「ねぇ2人とも、ちょっと静かにしてて」


 最強の農民とやらが横槍を入れた。話の流れは意図せぬ方へと向かい、最も無難な断り文句は効力を失いつつある。仕方ないので次善の策で説得を続ける事にした。


「君たちはアルウェウスにとって貴重な戦力だ。それなのに僕を追いかけて、一体何をするつもりなの?」


「それは、ええと……」


「自分の願望をただ優先させるというのは、ちょっと身勝手ではないかい? 僕とは違って、君たちはあそこに居場所が残されているんだよ?」


「レインさん。この方たちには救世の為に働いてもらいましょう。大陸各地に埋もれている哀しみや苦痛を見聞きして集めて貰うのです」


「何なのさっきから! 変な横槍をいれないでったら!」


「オリヴィエ様、それは素晴らしいお考えにございやすっ!」


「待って、僕は認めてない……」


「我ら陰部兵はこれより、救世主伝説の一端を担うために、レイン様の手足となって粉骨砕身いたしやす!」


 兵たちの気質が変わった。顔つきは精悍に、そして目の色は輝きを帯び、こちらを真っ直ぐ射抜くような視線を送っている。降って湧いたような言葉から勝手に使命を感じたらしい。経験上、こうなると軌道修正が不可能だという事は理解している。


 もはやこれまで。馬にムチを入れて離脱する事にした。


「あら、レインさん。もう出立されるので?」


「もう嫌だ。このまま地の果てまで逃げ切ってやる!」


「もう少しゆっくり走らせてもらえますか? パインが荷台から落ちていってます」


「知らないよ。手切れ金代わりだ!」


 宵に走る馬車。転々と溢れ落ちる果実。追いかけてくるかつての仲間たち。連中は『聖者様、陰部様』と口々に叫びながら。


 一切を振り切りたい、でも振り切れない。奴らの身体能力を忘れていたけど、城攻めの時に発揮したように、人間離れした動きを見せた。僕と並走するどころか、猿のように木の枝伝いに飛び回っている。もちろん奇声付きで。それでも一縷の望みにかけて馬を走らせた。


「レインさん。落ち着いてください、なにやら邪気が生じ始めていますよ」


「ちょっと黙ってて! 今はそんな事どうでも良い……」


「悪霊退散!」


「ゴフッ!?」


「ふむ、ふむ。やはりパインは効きますね。邪な気配はだいぶ遠ざかりましたよ」


「ゴホッゴホ! それ急にやるのは止めてよね!」


 夜道で馬車を走らせ、パインを口に含みつつ、奇なる人たちを連れながら走る。もはや訳が分からない。自分が何をしようとしているのか、どこへ向かっているのかを見失い、考えるのをやめた。どうにでもなれと自棄に近い苛立ちを胸に、新天地を探しに行くのだった。 




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