第40話 成れの果て

 城壁上部へと繋がる階段で、グスタフとともに身を潜めた。空に響き渡る音は遠い。連中は西側の空を、今も変わらない様子でうろついている。


「反対の方にいるね。あれがこっち側に来て、折り返すタイミングによろしく」


「なぁリーダー。本当にやる気なのか? もっと他に安全策もあるだろうよ」


 僕が提案した作戦は簡潔なものだった。グスタフの力を借りて空高く跳び、奴らの体に取り付く。それから直接攻撃を加え、すべてを倒す。ただそれだけだ。


 無謀だ危険だという猛烈な反対意見を浴びせられるも、僕が強行姿勢を見せると、全員が押し黙った。納得したようではなく、諦めの色合いが強い。


「オリヴィエ。僕が落下したら、魔法をお願いね」


「必ず。この身に代えましても成功させてみせます」


 この作戦でやはり問題視されたのが、安全な離脱方法だった。上空を凄まじい速さで駆け抜ける物に乗り込むのだから、宙で放り出されたら怪我では済まないだろう。そこでオリヴィエをはじめ、全修道士が各所に散らばり、離脱する僕に防護魔法(プロテクション)を唱える手筈になっている。それでどうにか難を凌げるのではという見込みが、僕のワガママを了承した要因のひとつだった。


 しかし魔法すら不要だと僕は考えている、いや、感じていると言った方が正しいか。自分には成功の筋道が見えるのだ。いとも容易く、あっさりと片付けてしまうプロセスが。さながら服に着いた汚れを払うような気軽さで達成できるはずだ。


 そんな事よりも、今は一刻も早く戦いたかった。未知なる化け物の光を突いたとしたら、一体どうなってしまうのか。手触りや感触はどんなものか。それを考えるだけでも、胸が高鳴りを覚えてしまう。


「リーダー。そろそろだぞ」


「わかった」


 空から降り注ぐ音が徐々に大きくなった。それに従い、辺りに弱くない風が吹き抜ける。いよいよだ。逸る気持ちを噛み締めながら、グスタフの両手に足を乗せた。


 唾を飲み込む。胸が一杯のせいか、喉の通りが悪く感じた。胸中にあるのは期待か、不安か、それとも未知なるものか。後で落ち着いた頃にでも考えるとしよう。


 敵が整然としたまま空を通過していく。そして、東側で旋回し始めた。これまでと変わらず速度を落とす様が見てとれる。


「グスタフ、今だ!」


「ようし。行ってこい!」


「レインさん、どうかご無事で!」


 グスタフの腕力と僕の脚力を合わせ、空へ向かって跳んだ。かつてない負荷を体に受けていると、アッという間に街は小さくなってしまった。それだけでなく、敵の頭上までも飛び越してしまう。想定以上の跳躍だった事には苦笑するしかなかった。


 このままでは接敵は難しい。体の向きを変えて態勢を整え、空の魔物を追う事にした。風向きを読み、空を泳ぐ。予感した通りに体の自由が利いた。胸に描いた動きに感激を覚えつつも、攻めの姿勢はそのままに敵の体へと取り付いた。


 着地したのは3体の右端、その羽部分。金属の持つ冷たさが肌に伝わり、やはり生き物ではなく、乗り物の一種なのだと知る。


「な、何だ貴様は!?」


 人の声がした。強風に妨げられて上手く聞き取れなかったが、非難するような色を帯びたものだ。


 そちらの方を見ると、確かに何者かが居た。顔を大きな眼鏡のような物で覆っているので、その表情までは読めない。上半身だけ外に晒した姿は、まるでカヌーにでも乗り込んだように見える。そう思うと、この乗り物も小舟に翼が生えたものだと言えそうだ。


「隊長! 敵が、敵が!」


 相手が何かを喚いている。しかし、最早そちらには興味など湧かなかった。舟の中央に見える光。それ以外はどうでも良い。


 剣を抜き放ち、一突き。まるで布でも突き破るような手応えで、金属製の胴体は切っ先を受け入れた。すると、飛行する舟は断末魔をあげる代わりに、その身を激しく弾けさせた。羽や尻の端から部品らしきものをばらまきながらフラフラと左右に揺れる。


 そして勢いを無くした。城外の平原に向かってまっ逆さまの一直線に落ちていく。


「あは、あははっ! ザマァないなぁ!」


 まさに最高の気分だ。胸は激しく脈を打ち、全身に目まぐるしく血が流れていくのが分かる。頭は痺れを覚え、しかし不快さはなく、まるで霧が晴れた時のような爽快さすら感じられた。本当の力に目覚めるとは、こうも素晴らしいものなのか。心の中での喝采が鳴り止まない。


「さてと、残りも追いかけなきゃなぁ!」


 前のめりに傾く羽を蹴って跳ね、再び上空へと舞い戻った。風を読み、最適かつ最短のルートを取る。すると、鈍臭い動きで航行する敵の尻に手が届いた。


 敵は僕の襲撃に気づいたらしい。体を大きく揺さぶって振り落とすような動きに出た。無駄なことを、と思う。僕の方が連中より、遥かに空戦を上手く闘えるのだから。


「お前はどんな風に落ちてくれるのかなぁ!?」


 今となっては武器など無粋。素手で直接光に手を伸ばし、引き寄せ、握り潰す。それは思ったよりも儚い感触で、鳥の卵のようなものを彷彿とさせた。掌中で粉々になった光の欠片を眺めながら、何となく思う。


 残す敵は1体。相手はこれまでなぞり続けた進路を大きく変え、東の方へ急旋回させた。どうやら撤退するつもりのようだが、おめおめと逃がしたりはしない。


 去り行こうとする背を猛追し、すぐに横並びとなる。乗り手はこちらに気づくなり身体を大きく仰け反らせた。装飾品で覆われた顔が恐怖に染まるのが分かるようだ。


 そのザマが余りにも愉快だった。出来れば腹を抱えて転げ回りたいくらいに。しかし、そんなゆとりを与えてやる程のお人好しではない。最後の光に手を伸ばし、ひと思いに握りつぶした。無様に揺れる翼にはオマケとして蹴りをくれてやる。


「さぁ落ちろ。大地の肥やしにでもなっちまえ!」


 キリモミ回転しながら落下する敵。その姿を滞空しながら見送った。まさに胸のすくような想いだ。かつてない戦果に快感を覚え、それは背筋を駆け抜けて一気に頭を支配する。どこまでも甘美で、新世界へと誘われた感覚は、未知なる美酒でも飲み干したようだった。


 それから『酔い』の覚めないままに地上へと降下し、大地を踏みしめた。しかし達成感にはほど遠い。心は酷い渇きを訴え、胸に鈍い痛みを走らせるからだ。もっと光を、光を潰せと四肢を急かす。他に手頃な物はないか。より刺激的で、打ち震えるほどの光はないか辺りを探った。


 降り立ったのが城壁の外側であることが災いし、目ぼしいものは何も無かった。飛行物の残骸が3つ、その中では乗り手が呻き声をあげながらウジ虫のように這い出ようとしている。それを舌打ち混じりに眺めた。こんな取るに足らない奴、止めを刺したとしても愉しめない事は明白だからだ。


 もっと手応えの、潰し甲斐のある光はどこだ。目まぐるしく頭を巡らすと、遠くの城門が開くのが見えた。


「レインさん、ご無事ですか!?」


 一人の修道女が飛び出して来る。見覚えはあるものの、名までは思い出せないかった。もどかしさが酔いを醒ますようで腹立たしい。


 しかし、そいつの胸の中央で輝く光は素晴らしいものだった。空中で見たものの比ではない、七色のまばゆい光を放っているのだ。まさに垂涎もの。これを弾けさせたならどれほどに心地よいか、想像するだけでも堪えようのない快楽が押し寄せてくる。


ーー無防備な女め、その迂闊さが命取りだ!


 ひたむきに駆け寄る女を相手に構える。いや、構えようとしたが、ここで全く予期せぬ事が起きた。首から下が硬直してしまい、迎撃に移れないのだ。


 これは何者かの攻撃か。辛うじて動く瞳を巡らせてみたが、それらしき敵は見当たらない。では、何故動けないのか。答えも解決策も見当たらないまま、状況だけが差し迫ってくる。


ーー来るなッ!


 女は手に何かを握りしめている。それが何なのかは分からないが、酷く恐ろしいものに思えた。冷めきった血が全身を駆け巡り、途端に息は荒くなるが、身体は依然として動かない。


 女まであと10歩。指1つ動かせられない。もう5歩もない。辛うじて声が出る。酷く掠れていて情けなくなるものが。


「何だってんだよ! 動けよこの野郎!」


「悪霊退散!」


「ゴフッ!」


 口に何かを突っ込まれた。頬肉の内が、喉が焼ける。強烈な酸味は舌先を拠点にして、全身に凄まじい衝撃を走らせた。頭は痛撃を受けたような感覚に始まり、ズキズキと尾を引く痛みに変化した。


「大丈夫ですか? お気を確かに!」


「お、オリヴィエ?」


「パインのレモン漬けです。気付け薬になったようですね」


「えっと、僕は、一体……?」


「心を鎮めてください。ご自身の身体はご覧にならない方が良いでしょう」


「僕の、身体……えっ!?」


 ふと右手に目をやると、全く別の物にすり変わっていた。右手だけじゃない。左手も両足も、全身が筋肉で膨れ上がり、おとぎ話に出てくる怪物のようだった。背中にも黒光する鳥の羽根らしきものが生えてしまっている。それらがアチコチから煙を放ちながら崩れ落ちていくのだ。


 腐食、そして死。唐突に押し寄せてきた落命の恐怖に、心は激しく揺さぶられた。


「嫌だ! 助けて!」


「レインさん、落ち着いてください。ご自身を見失わないでください」


「僕はどうなってしまうんだ! 化け物に成り果てたのか! このまま死んじゃうのか!?」


「恐れないで。私はずっと傍に居ます。何があろうと、変わらず傍に」


 頭が、そして肩が柔らかい物に包まれた。目の前には足がある。膝枕をされているようだ。背中に添えられた手に柔らかく撫でられる。首もとから下へと、一定のリズムで。それを心地よいと思えた頃だ。身体の硬直が解けるのを感じ、身体の方へ視線をゆっくり、ゆっくりと這うように巡らせた。


 そこには何の変哲もない、見慣れた右手があった。全身をくまなく見回しても異変は見当たらない。


「良かった、元に戻れたんだ……」


「レインさん。先程のお姿は一体?」


「僕だって分からないよ。気がついたらあんな化け物になっていたんだ」


「地上から空の様子を見ていました。まるで鷹が舞うかのように、雄々しい姿でしたよ」


「そっか。確か、自由自在に飛んでいたと思う。あれは何だったんだろう?」


 互いの顔を付き合わせて首を捻る。理由については僕でさえ言葉で上手く説明できないのだから、第三者のオリヴィエが知らないのも当然か。


 一度戻ろう、と声をかけようとした所、僕の顔に何かがへばりついた。それは妙に薄い紙で、精巧な絵らしきものが描かれたものだ。羊皮紙よりも遥かに柔らかく、これも初めて目にするものだ。騒動から平静を取り戻したばかりの今、こんな不可思議なものを見せられてはいよいよ困惑するばかりだ。


「なんだこれ、油絵?」


「レインさん。出所はあそこのようですよ」


「ほんとだ。でもどうして!?」


 オリヴィエが指差したのは、空飛ぶ舟の残骸だった。僕が光を潰したことで細切れに分解されたようだが、どうも様子がおかしい。普通に考えれば金属片の山となるだろう所を、何故かな見慣れない紙で溢れかえっているのだ。


「あの舟は紙で出来ていたとか、そういう事なのかなぁ? でも金属の感触あったし……」


「レインさん。そこには何が描かれているのですか?」


「人、かな。年配の男と、若い女の人だと思う」


「見たところ、穏やかな様子ではありませんね。男性は相手の腕を掴み、身体をまさぐっているようです」


「本当だ。ちょっと怖い絵だね。でも、どうしてこんな物が?」


「さぁ。私には何とも」


「僕もだよ。サッパリわからない」


 舟は依然として崩壊を続け、大量の紙を生み出し続ける。あまりにも突飛な事態に頭が追い付かない。しかし、状況は僕らの心の整理なんか待ってはくれず、にわかに吹いた風により、数えきれない程の紙が遠くの空へと舞い上がっていった。


 回収するべきか迷って、止めた。この判断に明瞭な理屈なんか無い。ただ何となく、何者かの悪事を明らかに出来るような気がしただけだった。

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