第39話 空を舞う怪物

 ウェスティリアの都がとうとう陥落した。


 城壁に翻る旗が下ろされると、周囲は激しい歓声に揺れた。特に西部出身である兵士たちの喜び様は激しいもので、仲間と肩を抱き合いながら咽び泣く。ウェスティリアによって刻まれた傷は、よそ者の自分には計り知れないほどに深いのかもしれない。


「リーダー、公爵が逃げるぞ。追うか?」


 グスタフが城壁で海の方を指差した。沖合いには船が三艘あり、総櫓による全速力で遠ざかっていく。喫水は深くない。おそらく、ウェスティリアの主だった人物だけを乗せているのだろう。


 出来る事なら捕らえたい。だけど僕らには船の用意どころか、海に詳しい者すら居なかった。深追いするには危険過ぎる。


「諦めよう。それよりも今は負傷者の手当てを……」


 僕が言い終える前に不思議な音を聞いた。東の空からだ。この馴染みの無い響きに、話途中だったグスタフはもちろん、周りの兵たちも同じ方を見た。口々に嵐だ、雷だと叫ぶが、どちらも違う気がする。戦勝ムードに水が差す。沈みだした意気は動揺に変わり、波紋のように全軍へ伝わると、やがて浮き足立つようになった。


「何だあれは!?」


 一人の兵士が空の一角を指差した。そこには黒い点のようなものが3つある。青空には不釣り合い。普段なら気に留めない程に小さなものだったが、かつてない耳にした事の無い騒音も相まって、酷く凶々しい物にしか見えなかった。


 忍び寄る寒気と震え。黒い点はこちらに近づいて来るようで、次第にその姿も顕(あらわ)になる。大きな翼を広げる姿に、皆が飛龍だ、怪鳥だと叫び出す。しかし、僕は不思議に思う。翼が微動だにしていないのだ。果たして龍とは、羽ばたき無しに飛べるものなのか。


「お前ら、ボヤボヤするな! 敵が来るぞ!」


 グスタフの怒号でようやく僕も我に返る。兵士たちも自分の役割を思い出したようで、城壁の上を慌ただしく駆けていく。陥として間もない城での、間に合わせな防衛態勢だ。守りきるだけの計画も秘策もない。城壁の上で盾兵を最前列に置き、その後ろに弓隊を配しただけ。オリヴィエと修道士たちはその軽装さから、城壁下の物陰に潜ませる事にした。これが今の精一杯だった。


 兵は東門に集中させ、残る南と西は小勢での防衛とした。北は外海に出る水路であり、陸から攻撃される心配はない。空からの襲撃に対して、この布陣が正しいかは疑問だ。かと言って正体不明の敵を相手に、絶妙な作戦なんか閃きようも無かった。


「来るぞ! 弓構えろ!」


 空からの来訪者は、飛龍でも怪鳥でもなかった。もっと無機質で圧倒的なもの。生命の躍動感を感じさせない何かが、嵐のような風を巻き起こしながら接近した。


 耳をつんざく破裂音。それから多数の兵が吹き飛び、あちこちで鮮血が舞った。一瞬の出来事であり、こちらに反撃の余地すら与えない。3体は城壁を飛び越し、鳥群が飛び立つように隊列を揃えたまま、反対側の空へと抜けた。一体何をされたのか見当もつかない。辺りにはただ10人以上の負傷者と、風にあおられて倒れる兵士だけが残されている。


「なんだ今のは! 風魔法の一種か!?」


「化け物だ! イストリアが化け物を寄越してきやがった!」


 周囲は大混乱だ。敵が西空で進路を折り返すのを見るなり、兵士たちは恐慌状態へと陥ってしまう。頭を抱えて這いつくばる者まで出る始末で、もはや防衛どころではなかった。


 何か指示をださなくては。しかし、グスタフは呆然と空を仰ぎ見るばかりだ。小さく縮こまる肩を強く叩き、彼の意識をこちらに引き戻した。


「グスタフ、このままじゃ危険だ。皆を安全なところまで逃がそう!」


「し、しかし。このままじゃ守りが……」


「言ってる場合じゃないよ! 君が命じないなら僕がやる!」


 総員退避。僕がそう叫ぶと、守備兵たちは城壁から駆け降りた。我先にと階段を転がるようにして逃げる者、負傷者に肩を貸しながら引き揚げる者と様々だったが、そこを再び襲われた。石壁は赤く染まり、鉄の焦げたような臭いが立ち込める。それが更なる恐怖を呼び起こしてしまうのだ。


 もはや士気は底打ちだ。撤退ではなく敗走に近い退き方となり、逃げたものの多くは近場の建物へと避難したようだ。僕はその集団からは外れ、城門側の物陰に身を潜めながら状況を見定めようとした。幸い怪我は無い。体のあちこちが赤いのは返り血ばかりだった。


 再び目線を空へと戻し、敵の姿を探す。西の空に三つ。それを視界に捉えると、背後から耳慣れた声で呼び掛けられた。


「レインさん。お怪我はありませんか?」


「国王陛下ぁぁ! ご無事にございますかぁぁ!」


「オリヴィエ、ベーヨ、君たちも無事みたいだね。僕は見ての通りだよ」


「そうですか、安心しました。それにしても、あの飛行物体は……」


「分からない。見た事も聞いた事もないよ」


「おのれイストリア人めぇぇ! 卑劣なる策で陛下を窮地に追い込みおってぇぇ!」


 やがてキリシアやグスタフとも合流し、主だったものが勢揃いした。しかし、皆が集まった所で好転はしない。全員が一致して『あのような飛行物体は知らない』と言うのだから。その正体はもちろん、対処法も含めてだ。


「試しに矢の2・3本も射ってみたが、ダメだ。体が鉄で出来てんのか、アッサリと弾かれちまう」


「敵方の攻撃も謎にござるな。甲高い音が鳴ったかと思えば、兵が血飛沫あげて吹き飛んだ。あれは風魔法の一種と考えても?」


「いえ、風魔法は切断を得意とするものです。切られた人は居ないのでしょう?」


「傷跡を見たが、穴を空けられたようだった。患部は焼け焦げたようにも見えたぞ」


「むむ……。何とも面妖な」

 

 攻略法を見いだせないまま、連中が空を我が物顔で泳ぐのを物陰からジッと見ていた。延々とウェスティリア城付近を折り返しながら飛んでいるが、3体の動きに乱れはなく、まるで1匹の生き物のように動き回っている。よく訓練されているらしい。


 しかし、その整然としてた行動から、パターンのようなものが読めてきた。大きくはないが、前進したような気分になる。


「同じだ」


「何がだ、リーダー?」


「あいつら、全く同じ場所で切り替えしてる」


「そうなのか? オレにはよく分からねえが……」


「それと旋回する時、たぶん速度が落ちてる。音が随分と違うもの。その点は騎馬隊と似ているかもしれない」


「言われてみれば。馬でも、全速力を出したまま急旋回はしねぇよな。足並みを落とすか、グルッと大回りするかの2択だ」


「話の途中ですみません、グスタフさん。このままでは危険です。撤退をすべきでは?」


「ダメだ、オリヴィエ。今ここで引き揚げれば、逃げる背中を撃たれちまう。それこそ甚大な被害が出るだろうさ。それに……」


「それに?」


「奴らを倒せなくとも、遣り過ごすか追い返すなりして凌ぎたいと思ってる。もしここで逃げちまえば、兵士たちは二度と空の敵と向き合えなくなっちまう。恐怖が心に刷り込まれるからだ。手も足も出せないまま逃げるとは、そういう事だ」


 グスタフが自身の決意を述べた矢先、それを嘲笑うかのように、空の魔物は地上付近を通過していった。吹き荒れる暴風。細い街路樹は折れ曲がり、悲鳴をあげる代わりに枝葉が激しく揺れる。次いで破裂音が再び響き渡ると、今度は建物の屋根や木窓が弾け、大きな穴が開いた。


 駆け抜けていく3体。勢いは衰えず、疲れを微塵も出さないままに飛び続ける。僕はその姿に活路を見出した。1体につき1つの光。それはこれまでの戦いで何度も見た、あの不思議な輝きが煌めいたのだ。


 僕なら奴らを倒せる。いや、僕で無ければ倒す事が出来ない。過信にも似た熱意が腹の底からせり上がってくる。それと同時に、心臓が早鐘を打ち、居ても立ってもいられない気分になる。


ーーあの光を打ったなら。


 そう思うと、一刻も早く試したくて仕方が無いのだ。あの巨体がどんな風に弾けるのか、どのようにして吹き飛ぶのか、想像するだけで身震いを覚えてしまう。苦渋を舐めされられた分、痛快に思えるからかもしれない。


 他のみんなは今も議論の真っ最中だ。この場に残るのか、それとも隙を突いて逃げるかについて。そんな二者択一の場面で、徹底抗戦を提案してみた。工夫の欠片もない、僕が矢面に立つだけの作戦だ。すんなりと採用される事は無いと覚悟していたが……。


「リーダー、そいつは無茶だ」


「自棄にならないでください、レインさん」


「陛下。そのような役目は拙者がお受け致す! 御身を危険に晒されてはなりませぬぞ」


「このベーヨに! 是非ともその大役をワタクシ、ベーヨにご下命くださいやせぇぇ!」


 猛反発だ。なかば予想していたけど、満場一致で否決されてしまった。ともかく説得。この急場を凌ぐため、懇切丁寧に説明していくしかなさそうだ。


 と、思われたのだが、急転する戦局に後押しされる格好となった。敵が空から何かを落とし、それが建物に激突すると大爆発を起こした。肌を焦がすような熱風が吹き荒れ、次いで施設の屋根や石壁が崩れ落ちた。中に避難していた兵士たちはすっかり動転し、蜘蛛の子を散らすように街中へと逃げ込んでいく。


「……クソッ! これじゃあやり過ごすっつう作戦は無理か」


 吐き捨てるような声を切っ掛けに、僕の立案した迎撃策は検討してもらう権利を得たのだった。

 

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