第38話 約束
目の前の平野には1200にものぼる軍勢が展開していた。ここは先日ウェスティリアと激突したエリアだ。あの頃とは比べ物にならない程、自国の規模は大きく膨らんだ。そして、向上したのは人数だけではない。
「矢を放て」というグスタフの号令により、一斉に矢が放たれた。動きは滑らかであり、大量の矢が鳥の群れを思わせるように、青空を黒く染めた。
「盾構え!」
もう一度声が響くと、遠くの一団が盾を空に向けながら密集した。そこへ先程の矢が落ちていく。本物ではない。訓練用の、矢じりの代わりに砂袋を括り付けたものだ。死者が出ることはないものの、下手すれば怪我をする。そんな訓練だった。
「どうだリーダー、だいぶ良くなったろう」
グスタフは満足げだ。もちろん僕にも不満はない。射撃と防御の動作が繰り返されると、お次は剣と槍の訓練だった。身を寄せあって集まる場合、大きく広がって展開する場合と、同じ武器でも動きは違う。それらを全て整然とこなすのだから、思わず見惚れそうになる。
その中でも一際目立った動きのする隊を見かけた。僕は弾かれたように顔を背けて、別の方を向く。
「新兵たちも、これだけ動けりゃいつでも戦えるぞ。それこそウェスティリアとの決戦だってな」
「ほんとだね。頼もしい限りだよ」
「リーダー、まだまだあるぞ。あそこを見てみろ」
グスタフが部隊の一画を指した。そこは集団同士がぶつかり合う真っ最中で。どちらも剣と盾で武装した部隊だけど、右側の方だけが後ろにシスターを配している。
魔法補助だ。防護魔法(プロテクション)や俊敏魔法(クイック)が前列の一人にかけられ、その兵士が相手の構えを切り崩す。効果は短時間ながらも、戦略としての力は絶大だった。
そんな中、俊敏魔法によって人並外れた跳躍を見せる男がいた。見てはいけない、理解してもいけない。僕は瞬時に地面の方を向いた。
「オリヴィエ含め、シスターは5人だ。うち3人は後陣で負傷者の治療だが、2人ばかりは前線に出てもらう」
「大丈夫かな。危ない役目だよね」
「もちろん、矢面に立たせようってんじゃないさ。ここぞという局面での鋭い一手として使わせてもらうさ」
「存分に気を付けてね。それじゃあ僕はそろそろ……」
「おいおい待ってくれよ。今日の目玉がまだ残ってるじゃないか」
踵を返した僕の肩を、それはもう逞しい腕で捕まれてしまう。帰ろうとする足が空を蹴って同じ地面を叩く。
「お披露目だぞ! 陰部隊、集まれ!」
その言葉を切欠に100人ほどの部隊が瞬時に集結した。今日の演習でも、極力見ないようにしていたのだけど、こうして目の前にゾロゾロと集まったなら、嫌でも視界に入ってしまう。
陰部隊。それはベーヨをトップに据えた特設部隊だ。盗賊団の元メンバーと、ウェスティリア降兵によって構成されている。人員の共通点として挙げられるのは、僕からの『一撃』を経験した人たちであり、何故か狂信的に国王を崇拝しているのだ。
「レイン国王陛下ァ! あなた様の直属部隊としてぇ、大陸いや世界一の活躍をみせてぇ、ご覧にいれやぁぁすッ!」
ベーヨの大音声、そして最敬礼。手下の兵たちも一子乱れぬ動きで敬礼を揃えた。その異様な見た目も相まってか、酷くおぞましい集団にしか思えない。
そう、彼らは相当に奇抜な格好をしている。濃いめのベージュ色をしたシャツは袖が長く、首元もスッポリ覆い隠しているが、胸から腰までは裸そのものだった。乳首はギリギリのラインで隠れており、見えてしまわぬように麻紐でキツく縛られている。
また下半身も散々なものだ。ベルトの位置が本来あるべき所よりも、かなり低い。それこそ太ももの付け根がありありと解るほどであり、動き方次第ではウッカリ何かが飛び出してしまいそうだ。そのくせ裾は足首に届くまで存分に伸びているのだから、眺めているとフツフツとした怒りが込み上げてくる。脛を出してでも布地を腹の方へ回せ、と言いたくなるのだ。
「この部隊の強みは、身軽さもあるが、何といっても忠誠心だな。どんな死地でも命令があれば飛び込みかねん」
「国王陛下ァ! 我らにあらゆる難事をお任せくださいやせぇぇ!」
「やめてくれよぉ! ほんと勘弁してよぉぉ!」
僕は自分の膝が崩れ落ちるのを、一切止める事が出来なかった。彼らの奇抜な格好は僕をモチーフにしている。つまりは、これが僕の「普段着」なのだと言っているようなものだ。すっかり街の人たちも馴染んでいるから忘れかけていたけど、自分はとんでもない変態として生を受けたのであり、その実態を視認化させているのが彼らだ。
正直ふざけるなと思うけども、是非はともかく陰部隊が近寄る度、自分の恥態のようなものをまざまざと見せつけられてしまうのだ。
あぁ、肌色が。腹立たしい程の肉感が……。
「おや、何か問題がありましたか?」
「おうオリヴィエ。ちょうど新設部隊の顔合わせを終えた所だ」
「あら……それは、まぁ」
オリヴィエがいつの間にか側へとやって来た。彼女は言葉を濁しつつ、辺りをゆっくりと一望し、そして僕の肩に優しく触れた。
「安心してください、レインさん。貴方が一番着こなしていますよ」
「もっと気持ちを汲んでくれよぉ! 慰めるならさぁ!」
ここで国王の名の元で、陰部隊の解散を命じた。しかし「まぁー、まぁまぁ」という若干名の取りなしにより有耶無耶(うやむや)になってしまう。
そして、練兵は終わった。そうすると帰宅であり、心を疲れさせたままで街へと戻る。
「ちくしょう。名ばかり国王ちくしょう……」
「お疲れのようですね。そんな時には甘いものが効きますよ」
「パイン屋でしょ。今日に限らず、頻繁に寄ってるじゃないか」
「まぁまぁ。そうおっしゃらずに」
オリヴィエが誘うのは屋台だ。そこでは丸々ひとつではなく、程好くカットした果肉を木串に刺して売ってくれる。値段も1~2ディナと手頃なので、彼女の常食を容認しているのだ。
オリヴィエが2本注文すると、「おっと、国王陛下にオリヴィエ様。こいつぁ飛びきり旨いのをご用意しないとね!」などとヒゲ面の店主は言い、いくつか吟味した後に勢いよく果実を切った。シャクッと小気味良い音が鳴り、甘い香りがにわかに漂うけど、僕はいまだに好きになれないでいる。
オリヴィエが4ディナを手渡して2本受けとる。どちらも大きい果肉の串を選んだからだ。彼女が精算したということは、これは奢りの1本らしかった。
「ともかく、無心になってお食べくださいな。お腹が膨れたなら、気持ちも自然と安らぐものです」
「君が食べたいだけじゃないか……」
僕の言葉を聞き流すように、オリヴィエは果肉にかじりついた。こちらも受け取った手前、食べない訳にはいかない。
小さく一口。思ったより甘い。それでも隠しきれない酸味が、慣れる気配を感じさせてくれない。オリヴィエが1本分を惜しみつつ食べ終えた頃、僕の方はまだ7割方は残されていた。
寂しそうな顔の前に、食べかけの串を差し出す。すると予想以上の笑顔が返ってきた。
「レインさん。宜しいのですか?」
「良いよ。僕はあんまり得意じゃないし」
「あぁ我が主よ。聖者さまは今日も善行を篤く積まれました……!」
「そんな事をいちいち報告されても、さすがの女神さまだって困ると思うよ」
シャクリ。やはり美味いと感じたのか、無言のまま頭を縦に振る。その仕草は2本目を食べ終えるまで続けられた。御座所にはもうすぐ着くだろう。
「良いものですね」
オリヴィエがポツリと言う。
「そんなに美味しかった?」
呆れた気持ちが少し声に乗った。その言葉に対して、彼女は首を横に振って答える。
「この国での暮らしが、です。過酷な労働も、貧困も無く、何よりも平和です」
「確かに、言われてみれば」
「レインさん。ひとつ伺いますが、貴方が戦場に立つ事は避けられないのでしょうか?」
「うん、たぶんね。敵はまだまだ大きいから、総力で戦わないと勝てないと思う」
「そうですか……」
「何か気がかりでも?」
横を歩くオリヴィエを見ると、少しハッとさせられた。その顔つきはもう緩んではおらず、真剣な眼差しを向けていたからだ。
「レインさんの振るう謎の力。話をうかがうに、小さくない危惧を覚えてしまいます」
「危惧、か」
「その力、抑えていただけませんか。たとえ絶大であったとしても、凶なるものに頼るべきではありません」
「わかったよ。無闇に使わない。それで良いかな?」
その言葉で、ようやく空気が和らいだ。オリヴィエの声もいつもと変わらない柔らかなものへと戻る。
「レインさん、忘れないでください。貴方が冥府魔道に落ちたとしても、私が必ず助けてあげます」
「あ、ありがとう。少し大袈裟すぎないかい?」
「本気です。必ず」
「わかったよ。忘れないから」
僕はこの時、彼女の真意を上手く読み解けてはいなかった。というのも、すぐに馬蹄が迫ってきたからだ。
「国王陛下、国王陛下! 火急のお知らせにございます!」
不意に戦雲が漂い出す。
その知らせとは、ウェスティリア軍が大部隊を編成し、こちらに向かってくるというものだった。
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