第37話 成婚の条件

 アルウェウスの街は随分と発展したものだと思う。いくつも家屋が新たに建てられ、街の規模は当初の2倍近くにまで膨らんだ。そして最近になって僕らの仕事場兼住処となる、執政所と御座所ができた。正直言って名前ほど立派なものではなく、他の民家よりもいくらか大きいという程度だ。内装も凝ってなどいない。それでも宿屋暮らしから解放された事はありがたいと思う。


 変化はそれだけではない。あちこちで活気が満ちていて、大通りには既存の商店はもちろん、行商人の露店までがズラリと並ぶ。そこで溢れかえる品々も、威勢の良い掛け声とともに売れていく。流通路が見事に息を吹き返したのも、イサレタ・アルウェウス・ヒガンという陸路が繋がったおかげのようだ。


 街の人口は増加し続けているのにも関わらず、作業者はどこも不足気味であり、それは職にあぶれた者が居ない事を示している。誰もがよく汗をかき、生き生きとしている。そして日暮れには自宅に真っ直ぐ帰るか、小集団をつくっては酒場へ雪崩れ込むのだ。


 上手くいってる、と思った。楽観的な気分に包まれたのも、御座所の談話室から見える外の景色が、幸福に満ち溢れているように見えるからだろう。あれはいつだったか。東大陸の王が崩御してからというものの、世界中が暗く沈んでしまっていた気がする。賢王から愚王に代替わりしたからか、それとも悪政に舵を切ったからなのか。その両方なのかもしれない。


「レインさん。見てください。あそこでパインが売ってますよ」


 オリヴィエの言うパインとは、イサレタで貰った果物の事だ。あの会談から戻る際に、両手に持って余るほどの土産を貰ったにも関わらず、彼女は帰路の途中でペロリと平らげてしまったのだ。珍しく悪食な面を見せられて、苦笑しない人は居なかった。


「よっぽど好きなんだ。君が食べ物に執着するなんて、これまでに無かったのにね」


「すみません。ですが、あの透き通るような酸味と、遅れて広がる甘み。それがどうにも、堪らないのです」


「わかった。わかったからさ、一旦落ち着こう。夕食までもう少し時間があるんだから」


 そう言って僕は、財布の紐を緩めようとした細腕を制する。破産しかねない程に散財しそうな気配があったからだ。


 そんな一幕が繰り広げられる中、グスタフが近くを通りがかった。彼の手には紙が握られており、眉間にシワを浮かべながら読み耽っているようだ。それはともかく、そこは路上だ。水の入った桶をひっくり返したり、直前で開いたドアにぶつかったりと、ちょっと宜しくない状態だ。注意する意味も兼ねて呼び止める事にした。


「グスタフ、どうしたのさ?」


「うおっ!? リーダーか、驚かさんでくれ」


「そんな積もりは無かったよ。そんで、何してんの?」


「いや、これはだな……」


「グスタフさん。何かお悩なら教えていただけませんか? 差し支えなければ、ですが」


「うん、うん、別に隠すような話じゃないよな。ちょっとそっちに回る」


 少し間をおいて、彼はやってきた。御座所の談話室と言っても質素なもので、窓がひとつ、そして4人用の古めかしいテーブルセットが置かれているだけの部屋だ。グスタフは僕らの正面に座ると、一度深く息をつき、腹に力を込めてから言った。


「ええとだな、オレに婚約者が居るって話した事あったよな?」


「うん、覚えてるよ。故郷で待ってくれてるんだっけか」


「そうそう。ゴープ村のエリザってんだが、ちょっと問題が起きたらしくてな」


「問題って?」


「どうやらウェスティリアの連中に、オレとエリザの繋がりを感づかれたようでな。まだ目立った事件は起きてねぇが、それもいつまでの事かはわからねぇ。だから、もし叶うなら呼び寄せたいんだが……」


「アルウェウスにだよね。もちろん良いよ」 


「本当か!?」


「別に遠慮することないよ、ねえオリヴィエ?」


「はい。私もエリザさんとお会いしてみたいです」


「あ、ありがとう。恩に切るぜ!」


 そういうとグスタフは火が点いたように立ち上がり、勢い良く部屋から飛び出していった。窓の外から、行商人に声をかける様子が聞こえる。きっと手元にある手紙も、彼らを介して運ばれてきたのだろう。


 後で聞いた話だけども、ゴープ村とやらはここから南東の山間部に位置しているらしい。ここアルウェウスとウェスティリアのちょうど中間にあるそうだ。そうなるとエリザさんが無事気がかりだ。しかし軍を派遣しようかと提案したところ、その必要は無い、と突っぱねられた。しかも「絶対に必要無い」という念を押すような言葉まで追加された。僕は短慮だった事を詫びて、その話は終わった。


 そんな経緯を忘れかけた頃、街中で突然声をかけられた。相手は見慣れ無い女性だ。大きめの皮袋を片手に、大きな鍬(くわ)を空いた手で握りしめている。ただの農家さんかとも思えたけども、妙に人目を惹いた。


 歳の頃は僕らよりも少し高い20歳過ぎくらいか。髪は紐で乱雑に縛っただけのものだが、美しい濃紺色をしており、陽の光を滑らかに反射していた。背は高く、手足も長い。そして線が細い。くたびれた服と、陽に焼けた肌に目を瞑れば、どこかのお嬢様としても通りそうな容姿だった。それが手荷物と相反しているから、人目を惹いてしまうのだと思った。


「済まない少年。道を尋ねても構わないだろうか」


「え、あ、はいどうぞ」


 見た目にそぐわない程に、腹の据わった声だった。多少気圧されたような気分になりつつも、口頭で道案内をしてあげた。宿屋を探していたようなので、平均的な料金の店を教えると、彼女は無言のままで頭を勢い良く下げた。そして颯爽とその場を立ち去ったのだ。僕は仕事のことを思い出すまで、その立ち振る舞いにしばらく呆然としてしまった。


 それからヒメーテルの待つ執政所に向かったのだけど、急用が入ってしまったらしい。仕方なく書き置きだけ残して、談話室の方へと戻ろうとした。そうして御座所のそばまでやってきたところで、事件は起きる。突然の轟音とともに、そのドアが通りまで吹き飛んだのだ。いや、誰かが吹き飛ばされて、その勢いでドアごと通りに押し出されたみたいだ。幸い外の人に被害は出なかったようだけど、もちろん辺りは騒然となる。僕は急ぎ現場に駆け寄った。


「……グスタフ!?」


「いててて。クソッ 油断した!」


「大丈夫? 何があったの?」


「リーダーか、騒がせてすまんな」


「そんな事はどうでも良いよ、まずは説明を……!?」


 ただならぬ気配を感じて、咄嗟にそちらへ顔が向いた。御座所の中には、先ほどの女性が居た。中腰で右拳を突き出しながら静止していたのだ。もしかすると、ウェスティリアの手先だろうか。その隣にはオリヴィエの姿がある。カッと体内に血が巡るのを感じると、すぐに背中の長剣に手を伸ばした。が、それはグスタフによって止められてしまう。


「安心しろ。あいつは敵じゃない」


「そんなわけ無いだろ! あんなに酷く吹っ飛ばされてたじゃないか! 君ほどに強い人が!」


「強い云々はさておき、ともかく敵じゃないんだ。エルザだよ」


「……へ?」


「オレの婚約者、エルザがやったんだよ」 


「ええーーッ!? 婚約者が? なんで!?」


「説明やらお説教やらは、後でタップリとな」


 グスタフは体の埃を払うと、腰を低くして構えた。すると建物からエルザという女性がゆっくりと姿を現す。その眼光は鋭く、とても農家のそれとは思えなかった。


「弱い。武者修行の旅に出たと聞いていたが、遊び惚けていただけでは無いのか」


「ヘンッ! ちっと気が抜けてただけだ。次こそは決めてやる」


「そうあって欲しいものだ。この程度ではお話にならない」


 2人は往来で向き合うと、その体に闘気のようなものを込め始めた。方や我が名将グスタフ、方やその婚約者のエルザ。そう、婚約者同士なのだ。しかも久しぶりの再会というシチュエーション。だとしたらもっと、こう、違うじゃないか。駆け寄って、抱き合ってその場でクルクル回ったりとかあるだろう。少なくとも拳で語り合うような真似は見た事もない。


「どうした。かかってこないのか?」


「言われなくても。行くぞ、エルザ!」


「死ねぇグスタフッ!」


 とんでもないフレーズが聞こえてきた。愛する2人が決して言わないだろうそれが。だけど、ある意味では相応しいような気にさせるから不思議なものだった。


 グスタフが前傾姿勢のままで駆ける。エルザも同じ姿勢で応じる。そして両者の拳がすれ違うと、辺りに嵐のような風が吹き荒れた。それほどにまで拳圧が凄まじいのか。耐えきれなくなって目を覆うと、鋭い呻き声が聞こえた。そして辺りが静けさを取り戻す。

 地にひれ伏すグスタフの姿とともに。


「やはりな。話にならん」


「グスタフ、しっかり! オリヴィエ、回復をお願い!」


「わかりました!」


 治療を施している間、エルザは腕を組んだままで成り行きを見守っていた。その顔は凛々しいのだけど、どこか寂しそうにも見える。何と声をかけたら、いや、どうやってこの場を収拾すべきだろうか。それは僕を始め、周囲で金縛りにあったように動かない観衆も同じだった。すると何かに気づいたかのように、エルザは格好を崩した。


「おや、君は先ほどの……」


「そうだよ。僕はレイン。一応はここの偉い人をやらせてもらってるよ」


「なんと、もしや国王陛下!? これはとんだ失礼を!」


 するとどうしたことか、彼女はその場にひざまずき、そして動かなくなった。本日何度目かの呆然自失を味わう。しかしそれも背後からの呻き声により、我に返る事ができた。


「く、クソッ。負けちまったか……」


「グスタフ! 大丈夫かい!?」


「安心してください、それほど深い傷ではありません。ほぼ快癒しています」


「そうなんだ、良かった……。そんでさ」


「ちゃんと説明するさ。この騒ぎは、なんつうかエルザとの約束でな」


「約束?」


「アイツを娶るためには、腕っぷしでオレが勝つ事。それがお互いに交わした結婚の条件だ」


「……ハァ?」


 エルザの方を見てみると、彼女の顔は真面目そのものだった。嘘や冗談の類じゃない事は無言であっても伝わってくる。つまりは先ほどの決闘も彼らにしてみれば求愛行動のようなものであり、その結果としてドアが吹き飛び、人々が集まる騒ぎになってしまったというのか。

 何て人騒がせなカップルだろうか。


「というわけだリーダー。これからエルザの事もよろしく頼むぞ」


「頼むぞったって、どうしろと言うのさ?」


「畑に回してやってくれ。良い仕事をしてくれるだろうさ」


「え? 軍じゃないの!?」


「陛下。私はグスタフの言うように、農耕でこそ真の力を発揮できる。叶うのなら、そのように手配いただきたい」


「まぁ、ヒメーテルに聞いてみるけどさ」


「かたじけない」


 こうして、エルザはうちの一員になった。それからしばらくの内は彼女の事が気がかりで、仕事に身が入らなかった。だけど聞かされる報告の中には特別な問題は無い。むしろ彼女の凄まじい鍬捌きにより大岩が砕かれ、周囲をうろつく魔獣も鳴りを潜めたおかげで、仕事が大層捗るのだとか。こちらの心配を他所に、現場の人たちからの評判はとても良いらしい。それを知ってようやく心に平穏が戻ってきた。


 ちなみにひとつ、僕の周りにも些細な変化が起きた。それはオリヴィエが例によってパインを買おうと財布を取り出し、僕が静止した時の事だ。彼女の瞳が唐突に潤み、僕の手を掴んでこう言ったのだ。


ーー結婚しましょう、と。


 どうやらグスタフたちの誓約を真似しての事らしい。エルザのもたらしたものは、初日の騒動と意外な働きぶり、そしてオリヴィエの新たな戯れと、実に盛りだくさんであった。






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