第36話 真意
イサレタ自治区は僕らの住む北部とは様相が随分と違った。木々や草の葉は大きく、そして広い。咲き乱れる花々の色も心なしか濃いように思えるき、鳥の鳴き声ひとつ取っても違う。
初めて触れるものばかりだった。ヒメーテルが言うには、大陸南部はだいたいこんな風景らしい。
アルウェウスとの国境を越えて進むこと1昼夜。僕たちはホウ領主の待つ街へとやって来た。どうやら歓迎されているらしく、精悍な顔つきをした兵士たちが道の両脇に列を作っていた。数えきれないほどの国旗と、儀礼用らしき刃の丸い槍が、晴天に掲げられる。
そんな兵士からは敵意を感じられず、僕は多少の警戒心だけで道を進んだ。ユウカたちは当然だが、オリヴィエまでも信用しきっているようで、表情をやや上気させていた。しばらくすると、行く手に石造りの城壁が見えた。門の前には3人ほど誰かが立っており、その姿を認めた途端にユウカが騎乗のままで走り始める。
「お父様ァ!」
「ユウカ! 本当に無事だったか!」
彼女は門前で下馬をすると、門前の男と抱きしめあった。その熱い抱擁からは絆の強さが窺える。やがて僕たちも彼女に追いつくと、ユウカはようやく男から離れた。父と呼ばれたその人は、大きな体を古めかしくも威厳溢れる鎧で包んでおり、周囲に与える威圧感はかなりのものだった。しかし、ここでも敵意らしきものは感じない。見えたのはせいぜい、優しげな眼差しを一転させて見開いた事くらいだ。それも一瞬の事で、すぐに格好を取り戻すと無骨な仕草で拝礼をし、野太い声を上げた。
「お初にお目にかかります。この辺りの統治を任されております、ホウ・イサレタ伯爵と申します。あなた様はアルウェウスのご領主、レイン様にございますな?」
「うん、そうだよ。僕の人となりは……まぁ、知ってるよね?」
「ええ、お噂はかねがね。正直なところ半信半疑でおりましたが、実際目の当たりにすると嘘偽りが無かったと驚かされました」
「あはは。どんな噂か、知りたいような、知りたくないような……」
「それはさておき、こんな場所で長話など無用にございます。中で一席を設けておりますので、こちらへどうぞ」
その言葉をきっかけにして、出迎えた3人が街の方へと誘った。僕たちは促されるままに下馬し、後に続く。
「こちらにございます。長旅の疲れを癒せていただけたら幸いです」
そんな言葉とともに案内された屋敷は、街中で見た建物の中で一際大きなものだった。周囲を背の高い赤レンガで囲っている事から、敷居が高いというか、特別な場面で使う施設なのだろう。恐らくは迎賓館のようなもの。
それから通された客室も、中庭の庭園を一望できる造りをしており、思わず外に飛び出したくなる衝動に駆られてしまった。オリヴィエはひとしきり褒め称え、ヒメーテルでさえホォと心を動かしたらしい。その程度には凝った内装だった。
「お飲物などはすぐに用意させます、どうぞお寛ぎください」
部屋の中央には大きなテーブルがあり、着席を促された。並び方は自然と決まり、僕たちアルウェウス側が横一列になり、その反対側も同じようにホウとユウカが座った。やがて何人かの給仕がやってきて、冷えた銅のコップと木椀を置いていく。そうした動きを縫うようにして、ホウは感謝の意を述べた。
「まずは、娘をお救いいただき、誠に感謝致します。ああ、どうぞお食べになりながらで結構です」
飲物はありふれた冷茶であったけども、小さな木椀に盛り付けられた果物が目を引いた。鮮やかな金色にも似た果実だ。これまで見かけた事すらないので、思わず凝視してしまったのだ。さっそく一口齧ると、瑞々しい果汁とともに酸味が押し寄せてきた。あまり得意な味じゃないと思う。
一度それを椀戻すと、手元に視線が飛んで来た気がする。そして僅かに空気が張りつめ始める。友好的な態度とはいえ、一応は敵国同士であったことを、今更ながら思い出した。
「最悪の場合、殺されてしまうか、少なくとも傷物にはされてしまうだろうと覚悟したものです。それがまさか、再び無事な姿が拝めようとは考えもしませんでした」
「そこに関しては運だよ。盗賊のアジトに潜り込むまでは、誘拐騒ぎなんて知らなかったんだから」
「たとえ成り行きの結果だったとしても、一人の父として、これほどに喜ばしい事はありません」
ホウは少しやつれ気味の頬を緩ませた。それが先日までの戦による疲労か、ユウカの身を案じてかは分からない。
ちなみにウチのお嬢さんは果物が気に入ったらしく、ほぼ手付かずになっている僕の椀に手を伸ばし始めた。僕は返事の代わりに椀をオリヴィエの方にずらしてやった。
「ところで、僕たちがイサレタにやって来た目的なんだけど……」
「我らに服従を、あるいは約定を、ですかな?」
「そんな大袈裟に考えなくていいよ。ただ、僕たちと敵対して欲しくないなと思ってね」
「フフ、傘に着るでもなく、敵対するなとは。貴方は噂以上に高潔なお方のようですな」
「じゃあ……」
「我らイサレタの民は、軍事に通商と、あらゆる局面において貴国を第一の友とするでしょう」
「本当に!?」
色好い返事を貰えたにも関わらず、場の空気はどこか張りつめたままだ。思わず両隣を見ると、真っ先にヒメーテルの顔が目に付く。訝しがるというか、怪しんでいるようだった。
「娘御の恩があるとはいえ、それだけで国の行く末を変えようと言うのか。いささか短慮に過ぎると思うのだが」
「失礼ですが、貴方は?」
「ワシが誰かなどどうでも良い。若造の後見人だと思ってくれて結構」
「私は、英邁なるレイン国王陛下に申し上げているのですが」
「それがどうした。老骨の言葉を聞く耳は持たぬとでも?」
「貴方こそ、一度として私を受け入れる気配を微塵も見せてはおりません」
「老練な者がおらんのでな。こうして目を光らせねばならぬ。事実、英邁な男とやらは吟味すらせず、無闇に飛び付きおった」
場の空気が一気に緊張した。両者ともに譲る気は無いらしく、まるでつばぜり合いの火花が見えるようだった。
そんな最中であっても、オリヴィエは懸命に腕を伸ばし、ヒメーテルの椀までもさらっていった。それがどこか中和させるようであり、激突する機が少しだけ遠退いた。
そうして生まれた応酬の隙をついたのは、向こう側に座るユウカだった。
「ヒメーテル様。先日まで父は、独立のために戦争を起こそうとしていたのですよ。我らが自由を勝ち取るために」
「ど、独立じゃと!?」
「事実にございます。父は密かに戦備えをし、その時を待ちました。しかしウェスティリアの方が一枚上手だったようです。決起の機運が昂まりきる前に、私を誘拐してみせたのですから」
「左様。私は暗に脅されたのです。反乱を起こせば、娘の命は無いと」
「待って。それだとウェスティリアが誘拐した、としか聞こえないよ」
「そう申したつもりです。あのベーヨという盗賊団は軍属ではありませんが、ウェスティリア公爵の息がかかった連中にございました。各地で略奪を働きつつも存在が許されていたのは、公爵家に賄賂が送られていたからに他なりません」
「ふん、なるほどな。下々の者から金を奪うには、反発の大きい課税ではなく、直接強奪すれば良いと言うのか。まるで悪魔のような発想だ」
「その結果起きたのが、身代わりの処刑と、貧困だったんだね……」
その時脳裏によぎったのは、ヒガンの街で難渋する人々、そしてあわや殺されかけたゴルドーだった。本来であれば真っ当に暮らせただろう人たちである。それを奪い去ってきたのは、公爵家の強欲さだった。
「私はイサレタの民が日に日にやせ衰え、そして奪われていく姿には我慢がなりませんでした。こちらにも反抗する理由がある。つまりは、一時の感情からの出任せではないという事ですよ」
「そうであったか。ホウ伯爵よ、疑ってしまって申し訳ない。どうにも歳を取ると捻くれてしまってな」
「こちらこそ。ご無礼をお許しください」
その言葉をキッカケにして、わだかまりが消えたようだ。具体的な話がいくつも詰められていく。互いの国力や兵力から始まり、交易向きの品目や国境に設ける砦などなど、実に幅広くだ。それらすべてをヒメーテルは、資料で確認する事もなく話を進めていた。きちんと数字を把握しているあたり、流石だと思った。
そんな中で、オリヴィエは給仕の人に、先ほどの果物について尋ねていた。そして名称が分かると、当然のように交易品リストに追加した。癖になるような甘酸っぱさだと熱弁しつつ。
その天真爛漫な態度に、周りの空気は一層和やかなものとなった。それが彼女の狙いなのかどうかは、彼女自身が語らなかったこともあり、ついには判明しなかった。
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