第35話 脱皮
ウェスティリア軍との戦が終わると、僕たちは休む間もなく次の行動に移した。
まず第一に、先の戦の降将である騎士の領土を押さえる事だ。それはヒガンの街一帯であり、アルウェウスは幸運にも海の玄関口まで地続きの領土を得た事になる。今そちらには旧領主とともにゴルドー、護衛としてキリシア率いる一軍を送り込んでいた。きっと大きな問題も無く対処してくれる事だろう。
そして僕はというと、大陸南西部にあるイサレタ自治領を目指して移動中だ。総勢で10人にも満たない小集団ではあるけど、全員が馬に乗っている。これもウェスティリア軍の物資を奪ったおかげだった。
「やっぱり便利だよね、移動手段があるのは」
僕は背後の人を意識しながら独りごちた。しかし淡い期待に反して、その言葉に反応したのは隣を往くヒメーテルだった。
「まったくもって快適じゃな。このまま行けば、3日足らずで向こうに着く事だろう」
「う、うん。そうだね」
思い切って背中の方をチラリと覗いてみる。その姿は出立当初と寸分さえも違わないように見えた。
「しかし何だ。強運というか天に愛されたと言うべきか。まさかイサレタ公の娘だったとはな」
ヒメーテルが指すのは、ベーヨたちが攫ってきた女性たちの事だ。彼女たちは身元を中々明かしてくれず、どうにか聞き出そうと四苦八苦していると戦が起きてしまった。それから帰還してようやく話せたかと思えば、口を開くなりイサレタ公爵の娘、公女ユウカだと宣言したのだ。幸いにもウェスティリアの捕虜で顔を知る人がいたので、確信を得られたという次第だ。
そして実際、こうして馬に乗せてみたら見事な馬術を披露してくれた。他の女性たちも公女の付き人であるらしく、やはり巧みに騎乗してみせたのだ。
「アルウェウス王よ、此度は私どもの為にご足労いただき、感謝の言葉もありません」
鈴の鳴るような声が逆隣から聞こえる。ユウカだ。毅然とした立ち振る舞いと細作りの体つきは、高貴の出というよりは軍属の人のような印象を受けた。線の細いキリシアといったところか。
「構わないよ。せっかく助けたんだから、最後まで見送らせてよ。それと、厚かましいかもしれないんだけど……」
「承知しております。我が父、ホウ公爵の説得にございましょう。微力不才ではありますが、必ずや貴方様に味方させてみせます」
「ありがとう。でも、気負わなくても良いからね。僕としては交渉できるだけでも助かるんだから。オリヴィエもそう思うでしょ?」
思い切って話題を振ってみた。すると背中越しに、ビクッと身動ぎした気配がありありと伝わって来る。それからすぐに返事があったのだけど、普段のお淑やかさからは想像も出来ないほどの早口で言葉が紡がれた。
「オリヴィエ? それって誰の事ですかぁー? 私はタダの蝉でーすそんな人知りませーん」
「いい加減さ、機嫌を直してちょうだいよ。キリシアと揉めたらしいけど、僕にとっては不可抗力なんだってば」
「ふーんそんな人も知りませんー、さっきも言いましたけど私は蝉なんですよぉぉだミンミンミンミーン!」
このザマだ。基本的には無視されるし、たまに口を開いたかと思えば会話にならない。アルウェウスを出る前からずっとそうだ。
喧嘩の内容はというと何とも馬鹿げたもので、キリシアが「僕の裸を見た、これで2度目だ」などと自慢にならない自慢話を繰り広げたせいだ。それに憤慨したのがオリヴィエで、言い争いを重ねた挙句に拗ねてしまった。心を閉ざしてしまった彼女をわざわざ連れてきたのも、両者共にしばらく顔を合わせない方が良いという判断からだった。
「皆の者、止まれ! 今日はここで野営するぞ!」
案内役のヒメーテルが草原地帯で声を上げた。そのまま大岩に寄り添うようにして、諸々の準備が始められる。軍隊ならいざ知らず、10人程度では魔物に襲われる可能性があるため、防御に適切な場所が選ばれるのだ。
早速火がつけられ、食事の準備がされる。ユウカの付き人たちが率先して作業してくれるのだ。さすがに本職は手慣れたもので、大した打ち合わせもなくスムーズに連携プレイを見せつけた。そんな動きをしばらく眺めていると、そのうちの一人が話しかけてきた。
「こちら、よろしければお使いください」
差し出されたのは水の入った桶、そして布だった。体を拭けと言いたいんだろう。確かに汗と泥を拭いたい気持ちはある。背中に蝉がくっついていなければ、だ。
「ねぇオリヴィエ。体を拭きたいんだけど」
「ああそうですか、お好きにされてはどうです? 私は離れませんがね、それはもう片時も」
「君だって汚れを落としたいでしょ? きっとサッパリするから、ねぇ」
「あーーお構いなくお構いなく、全然平気ですので。こう見えても巡礼時代は汚れっぱなしで何日も野宿したもんですから。まぁ蝉の戯言ですけどねーー!」
取りつく島もないとは、まさにこの事だろう。使い用の無くなった桶は護衛の兵に手渡し、みんなで順番に使うよう言った。この一件により「自身を差し置いて配下を気遣う、慈愛の王」なんて評判が立ったのだけど、好意的に取りすぎだと思ったのは言うまでもない。
それからは食事を摂り、就寝。見張りは護衛に任せるので、僕がその役目を負う事はない。しかし快適な眠りからは程遠い。それはもちろん、背中に今も変わらずひっついている人のせいだろう。ただでさえ草地に布を敷いただけという寝床が、更に寝苦しくなりそうだ。
ーー寝付けそうにないな。
多くが寝静まった頃。僕はじっと焚き火を眺めていた。時々パキッという破裂音とともに、無数の火の粉が夜空へと散っていく。
こうやって眺めていると、冒険当初の事を思い出してしまう。食べるものが無く、ポリトリの実なんかを食べて飢えを凌いでいたんだっけ。夜になれば、僕が寝ずの番を任されていた。魔物が怖くて焚き木を過剰な程にかき集めていた。そんな事を断片的に思い出していた。
思えば凄いところまで来たものだ。爪弾き者のように逃げ出した僕が、今や国王などという大それた位置に居る。オリヴィエやグスタフだって国の重鎮だ。小国のそれとは言っても、おとぎ話ですら目にしない大出世と言える。そんな大身になっても今ひとつ実感が伴っていないのは、これまで通り接してくれる2人のおかげだろう。それは同時に孤独感からも守ってくれている。例えば僕が、玉座にお飾りとして奉られるだけの存在になったとしたら、今より遥かに寂しい暮らしが待っているはずだ。
「うぅ……うぅ……!」
背後からうめき声が、吐息にのって聞こえた。オリヴィエがうなされているらしい。起こしてしまわないよう、ゆっくりと振り返る。そうして見た顔は、苦悶の表情に歪んでいた。
「おとうさん、おかあさん。置いて、いかないで……」
悪い夢をみているようだ。オリヴィエの震える手が僕の胸元を掴む。
その姿を見て、僕はハッとさせられてしまった。彼女はみなし子だ。だからもし仮に僕やグスタフに見捨てられたとしたら、居場所を無くしてしまうのだ。どうやら僕は自分の事ばかりを考えていたらしい。何て馬鹿なんだろう。先日の戦いも自分の衝動に負けながらも、オリヴィエに嫌われたらと、不安に苛まれていたのだから。こうして独り苦しむ彼女の事など知らずに。
震える肩を抱き寄せ、耳元に唇を寄せる。そして小さく囁いた。悪夢を終わらせ、心地よい眠りへと誘うために。
「大丈夫だよ。僕は決して、君に寂しい想いをさせないから」
するとどうだろう。うめき声は止み、手の震えは消えた。だがその代わり、オリヴィエは僕の背中に両手を回し、抱きつくような姿勢になった。それはもう正確な動きだった。意志を感じるのに十分なほど正確な。
「ねぇ、オリヴィエ。もしかして、起きてたの?」
「……みんみんみーん」
「いや誤魔化せてないよ。起きてるでしょ、じゃあ今の無し、取り消す!」
「あまり騒がしくしちゃダメですよ。それじゃあおやすみなさい」
それきり返事はなかった。この周到さというか演技力というか。とにかく、やられたという気持ちしかない。それでも、満足したように眠る彼女を見ているうちに、こちらまで眠くなり、次に目が覚めた時は夜が明けていた。
そして昨晩の怪我の功名というやつなのか、オリヴィエは蝉から人間に脱皮し、残りの行程は心身ともに楽なものとなった。
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