第34話 繰り返される過ち
木立から眺める敵陣は、事前に聞いた通りだった。
あちこちが酒を片手に盛り上がり、ここだけ見たなら戦勝に沸いているようにしか思えないだろう。見張りも見張りの体を成しておらず、その場に座り込んで談笑に楽しむ有り様だ。日暮れの夕食時。気の緩みやすい頃合いとはいえ、ここまで徹底されていると自分の目を疑いたくなってしまう。
「陛下、あまり前に出られぬよう。敵に勘付かれかねません」
背後からキリシアが言う。彼女の後ろには、咳払いすら堪えようとする100の兵が、突入の時を今か今かと待ちわびる。馬はない。それは別動隊を指揮するグスタフも同じ条件だ。
「ごめんねキリシア。つい気持ちが……」
「いえ。それよりも、後方にお退がりいただけませぬか。御自ら矢面に立つは危険にございます」
「それは出来ない。これでも、新兵よりはずっと上手く戦えるんだ。むしろ僕が先陣を切って、みんなを率いるべきだよ」
「……されば、私は御身の傍を離れぬでしょう」
嘘だ。僕は白々しい言葉を吐いたもんだと嫌悪感を覚える。こうして前線に立つのは味方を鼓舞するためじゃない。自分の底知れぬ願望のようなものを満たすためだ。
ーー疾く、贄を。疾く。
自分の右手が語りかけてくるように疼く。これもベーヨ盗賊団との戦い以来、地から湧いたかのような欲求だった。理屈なんか知らない。考えたって分かるハズもない。ただジワリジワリと、心に侵食しようとするそれをどうにか制御しようとしつつも、屈してしまったが為に此処に居る。
僕の心は怪物に食われてしまったんだろうか。このおぞましい欲求を皆が知ったらどう思うだろうか。街の人たちや、親交の浅い仲間たちは遠ざかるだろう。では、グスタフはどうか。そして、オリヴィエは……。
場違いな事を思い浮かべつつ、時は過ぎた。キリシアも兵たちも無言のままだ。やがて陽が落ちると、敵陣のあちこちで篝火(かがりび)が焚かれる。その数の多さから、向こうは昼間と大差ない明るさに包まれた。
「陛下。間もなく開始されましょう」
「わかってる」
視線を敵陣から少し離して北の山を見た。僕らとは正反対の位置に、グスタフ隊が潜んでいる。先に向こうが突入し、混乱の中を僕らが深く斬り込む、そんな作戦だった。
遠くからは今もなお、戦陣とは思えない声が伝わる。まだか、まだなのか。逸る心をどうにか押さえ込む。掌が何かに触れた。柄だ。無意識の内に剣へと手を伸ばしていたらしい。
ーー頃合いだろう、グスタフ。
口中で歯が軋む。敵は今も宴の真っ只中だ。飲めよ食えよと手を叩いては、なにがしかの芸が披露され、浮かれきった姿を晒している。巻き起こる笑いの渦。そんな声に、さらに遠くから悲鳴のようなものが交じった。それでも宴を愉しむ兵は腰をあげようとしない。
やがて『敵襲だ!』という怒号を聞き、騒ぎが喧嘩などではない事に気づいたらしい。正体が確かな者は、武器を手早く掴んで北へと走る。そして、泥酔や熟睡した者だけがその場に残された。
僕は振り返り、キリシアや背後の兵に目配せをする。もう言葉は必要なかった。木立より飛び出して駆け始める。鼓舞の声はない。叫ぶ代わりに、足に全力を込めて進撃した。
「敵だ! 南からもーーッ!」
声をあげようとする見張りを制したのは、キリシアの投げナイフだ。これにより気取られる事無く突入を開始出来た。
僕を先頭にした陣形は、まるで矢じりのような形をしていた。その状態のままで深く深く突き進んでいく。行く手を阻む敵を討つ。僕の攻撃を逃れた者も、後続の兵に次々と倒されていった。
「陛下、せめて私の後ろに回られませ」
自制を促す声に耳を貸さなかった。右手が渇望する欲求を満たしたいが為だ。酔いつぶれた兵は飛び越し、立ちはだかる敵だけを打ち倒していく。相手に宿る光。そこを一直線に打つと、誰もが身を弾けさせながら吹き飛んだ。
やがて敵が怯み、パラパラと敗走する動きを見せた。横へ逸れた連中は追わないが、進行方向は別だ。光、弾ける。光、弾ける。その度に心が打ち震えるような快感を覚える。
そうして駆け続けて出くわしたのは、上等な装備に身を固めた騎上の男だ。独りじゃない。何人かの騎兵に守られ、さらにその周囲を数十人の槍兵が厳戒態勢を敷いている。
ーー見つけた。
心の奥から歓喜の声が滲み出した。それが後押しとなり、駆け足は更に勢いづく。悲壮顔たちが槍で突く。迫る白刃。わざわざ剣で払いまでもない。踏み込みながら避け、こちらから一撃を見舞う。それで光は弾けて霧散した。
「防げ! 命をかけてでも防ぐのだ!」
馬上の男が悲鳴をあげた。そちらに向かって跳ぶ。間が抜けた顔を拝みながら、やはり光を討った。指揮官が全身を弾けさせながら吹き飛んでいった。右手に確かな充足感を覚える。しかし、底を見せた欲求は更に膨れ上がった。もっと贄を、もっと寄越せとせがむように。
気づけば、後続の兵が付近の兵を全て斬り伏せていた。歯応えのある敵は視界に残されていない。居るとすれば北側の、グスタフ隊と交戦する連中だろう。活きの良い敵を求めて再び走り出そうとした。しかし、それは肌色の塊によって遮られてしまう。
何だ、と思って眺めているうちに、それが人なのだと遅れて気がついた。跪いて額を地面に擦り付けている。その僅かに見える横顔から例の指揮官だと分かり、ジワジワと現実が押し寄せてきた。彼は僕のせいで裸になったのだ、と。
「陰部さまぁ! 畏れ多くも手向かいました事は万死に値しやす! しかし、しかぁし! その比肩するもののない慈愛の御心におすがり叶うのであればぁ、私、ァ私ァァア! あなた様の死に兵となるも厭いやせぇええんッ!」
やってしまった。これはベーヨの時と全く同じ反応だった。気持ちが逸っていたとはいえ、この結果を見通せなかった事は浅はかだった。我ながら、恥ずかしいでは済まされないとさえ思う。
「キリシア! ちょっと来てくれ!」
堪らず助けを呼んだ。背後からは、彼女が息を切らせながら、いや弾ませながらやってくる。そのまま僕の目前にまで来ると、その場で両ひざを地面に着けた。目は虚ろ、頬を紅くし、両手はどちらも丸めて胸元へ。まるで飼い犬が主の命令を待つかのような姿だった。
「あぁ陛下、なんと素晴らしい! 私は更なる虜となり申した。どうぞ存分に、私めの身も心も掻き回してくださいませ!」
「キリシア、ここは戦場だよ!? そんな格好してたら危ないったら」
僕の言葉に反応したのは指揮官の方だった。謝罪の言葉を怒鳴り声に乗せるなり、すぐに号令をだした。
ーーウェスティリア軍は降服する! 総員武器を捨てよ! 直ちに降伏するのだ!
辛うじて戦線を支えていた敵兵は、その予想だにしなかった命令に困惑した。それは瞬く間に混乱となり、やがては敗走へと繋がった。もはや武器を手に戦おうとするものは、一人として残されていなかった。
「おおーい、リーダー! 上手いことやってくれたみたいだな!」
グスタフが配下を引き連れてやってきた。大勢が手傷を負っていることから、激しい戦闘だった事が透けて見えるようだ。
「ところで、何だコレ? どうすんだ?」
当然の疑問が続けざまに飛んだ。それは当事者の僕ですら分からない。裸のままひれ伏す敵兵を、来るはずの無い未来を待つキリシアを、一体どう扱えば良いのか。
ただ1つハッキリしている事は、これで戦争が終結したという事だ。敵本体は散り散りになり、南の別動隊も、翌日には逃げるようにして引き揚げていったのだ。僕たちの完全勝利だと言って良い。それでも今一つスッキリとしないのは、厄介な仲間が増えてしまったからだろう。この指揮官と一部の兵たちも、ベーヨの時と同じくアルウェウス入りを果たしてしまうのだった。
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