第33話 勝利の条件

 ウェスティリア正規兵3000が南東より来たる。その報せに会議室は一瞬で凍りついてしまう。オリヴィエやヒメーテルは押し黙り、ゴルドーに至っては椅子から転げ落ちてまで驚き、良くわからない言葉で喚き散らす。


 そんな中で平静だったのはグスタフとベーヨの両名だった。


「ギャアギャア騒ぐなって。ここで何を言ったって敵さんは待ってくれねぇぞ?」


「グスタフ。妙に落ち着いてるけど、多勢に無勢すぎるよ。かき集めたって500にも満たない僕らに、勝算があると言うのかい?」


「もちろんだともリーダー。ベーヨ、説明してくれ」


「承知しやした!」


 その合図をきっかけにして、テーブルには大振りな地図が広げられた。アルウェウス近郊しか描かれていないものの、地形が詳細に記されていた。


 その場に居た全員がそれを注視して言葉を待つ。ゴルドーだけが机の縁にしがみついてるのは、腰が抜けてしまったからだろう。


「敵は総勢で3000でござんすが、その内500が二つの1000は南方自治領から引っ張られた軍勢でやす。こっちは端からやる気がなく、ウェスティリア本隊が引き揚げれば消えちまう連中でさぁ」


 ベーヨがそこまで言うと、赤い小石を3つ地図上に置いた。どの石も離されているのは、各軍がそれぞれ別の山道を攻め上るかららしい。最も侵攻が早いのは本隊のウェスティリア軍。残る2隊が自治領から来たと言われる部隊で、やや西よりの進路を取っているが、ベーヨの言う通り速度は緩やかなものだった。


「敵の本隊と決戦、それで勝利を得れば良い。単純な話だろ?」


「待てグスタフ。よもやとは思うが、野戦を挑む気ではなかろうな。相手は10倍もの多勢であろうが」


「もちろん、やるべきだ。ここに籠ったって干上がって自滅するだけだろ。それとも補給も無いままに、何ヵ月もの間持ちこたえられるのかい? 街の守りだって薄い。野良犬の侵入を防ぐのがせいぜいじゃないか」


 その言葉にゴルドーが肩を落とす。今は街の人を餓えさせない事がやっとであり、籠城戦に耐えるだけの蓄えなんか有りはしない。そして防備に人を回すゆとりだって無い。だから怠慢だと責める事は出来ず、グスタフもそれ以上は言い募らなかった。


「じいさん。何も自棄(やけ)になって暴れようってんじゃないさ。ちゃんと考えての意見だよ」


「……聞かせてもらおう」


「では不肖ながらアッシから話させていただきやす! それでは皆さま方ぁ、ここの盆地にご注目くだせぇ!」


「……南東のアルウェウス盆地か。そこにウェスティリアの連中が陣を張っておるのだな?」


「へい、まさしく。ヤツらはもう勝った気でいるようでして、そりゃもうバカンスみてぇなもんですわ。まともに斥候すりゃ出しておりやせん。それはアッシらの動きを全く見ていないって事でして」


「奇襲が効果的、とでも言いたいのか? 短絡的では無いか?」


「へへ。もちろん念には念を入れてと申しやしてね。『アルウェウスの腰抜けどもは武器も旗も投げ捨てて逃亡中』と触れ回っておきやした。舌も腐る想いでしたが、効果は抜群でさぁ。陣の見張りすら酒を飲み出す有り様でしてね。何を略奪するか、街の女をどうするかでしきりに盛り上がってやした」


「随分と早く『毒』が効いたものだな?」


「アッシは先日まで協力者でござんしたから、伝手ってもんが有りやしてね。指揮官(うえ)にも顔が利くんでさぁ」


 ベーヨはそこまで言うと、胸元から小袋を取り出した。見せびらかすようにしてチャリチャリと音を鳴らすと、それをゴルドーの鼻先に置いた。その拍子に袋の口が少し開き、中が覗き見える。200ディナほどは入っていそうであり、それはきっと敵から与えられた『情報料』というヤツなのだろう。


「と、言うわけだ。リーダー、一番効果的な戦術だと思うんだが、どうよ?」


「僕には、今一つわからないよ。こんな大がかりな戦争なんて、指揮どころか参加した事すら無いもの。戦いに関してはグスタフは誰よりも詳しいから、意見を尊重はしたい。でもね……」


「でも?」


 グスタフがこちらを真っ直ぐ見つめ返した。他の皆も同じようにして見守っている。

 

 この作戦が効果的だと言うことは、ヒメーテルの語気からも察せられる。反発の気配が随分と治まっているのだ。では僕も賛成かといえば、そうはならない。どうにも腑に落ちない点が引っ掛かっているのだ。


「奇襲をかけたとして、どうすれば勝ちになるの? 南からも敵がやってくるんだ。よっぽどの大勝利じゃないと、自治領軍とやらも逃げ帰ってはくれないんじゃないかな」


「勝利条件はもちろん指揮官どもの首だ。緩みきった敵陣を一気に襲い、隊長の首を撥ね飛ばしてやるんだ。終いにそれを旗にくくりつけて、それはもうアチコチで知らしめてやるのよ」


「急襲による指揮官の死。士気の低い軍であれば、散り散りになりそうではあるな」


「でもさ、何千人も詰めている中で、どうやって探し出すの? 敵だってジッとしてないでしょ?」


「……確かに、博打の面はあるが」


 ここでグスタフがベーヨを見ると、返されたのは謝罪だった。どうやら彼の人脈をもってしても、陣内に入る事は難しいらしい。だから指揮官の居場所についても知りようがない。


 この戦い、チャンスは一度きりだろう。最初の奇襲で大戦果を挙げられなければ負けなのだ。失敗をしたのなら、敵は気を引き締めてしまい、以降は警備が厳重になるはずだ。そうなれば膠着してしまうかもしれず、北上する2隊によって更なる窮地に陥ってしまうだろう。


 室内の空気は再び冷え冷えとした空気が漂いだした。指揮官の居場所。それを知る明案が浮かばないのだ。高所から偵察する案も出たけれど、敵陣を取り囲む森の深さから難しいそうだ。皆が首を捻り、知恵を絞ろうと四苦八苦していると、真新しい案が静かに述べられた。オリヴィエだ。


「私が陣中に参りましょう」


「待って、どうして君が!?」


「慰問と称して探って参ります。いくらかの見舞品は必要となりますが。ゴルドーさん、ご用意いただけますか?」


「え、ええ。それくらいでしたら、すぐにでも」


「ダメだ! どんな目に遭わされるか分からないじゃないか!」


 全員が弾かれたように僕を見た。驚かせてしまったかもしれないが、そんな些細な事はどうでも良い。戦う術のないオリヴィエを敵地に追いやるだなんて、許される事じゃない。


 僕の意思は皆に伝わったようだ。グスタフやベーヨでさえ、口を開くことなく成り行きを見守っている。しかし、一番届いて欲しい相手には響かなかったらしい。オリヴィエは柔らかく微笑みつつ、彼女なりの反論をやはり静かに述べた。


「お心遣いありがとうございます。ですが、私に行かせてください」


「嫌だ、絶対にダメだ!」


「私も戦いたいのですよ。このような大戦では、私など足手まといにしかなり得ません。なので、自分なりに手柄を立てたいのです。街にただ籠り、朗報を待つだけというのも辛いものなのですよ」


「だからって! グスタフも止めてよ!」


「……済まねぇが、嬢ちゃんが適任だ。じいさんやゴルドーじゃ捕まるし、リーダーは論外。そしてオレが行ったとしても斬り合いになって、最後には殺されちまう」


「そんな……」


「流石に聖職者相手に無体はしない事でしょう。それでもご心配なようでしたら、誰かを付けてください。女性のキリシアさんが適任でしょう。もちろん武装は出来ませんが」


「だったら少しは安心……なのかな」


 キリシアに視線を送ると、彼女は自分の拳をもう片方の掌に叩きつけた。パシッと鳴る小気味良い音が、僕の背中を押すように聞こえる。


「陛下。この私が同行するとあれば、首尾良く事を運んでみせましょうぞ!」


「わかった、認める。どうかよろしく頼むよ」


「我らの情愛を阻むオリヴィエ殿を、必ずや敵地にて葬りさってご覧にいれます!」


「えっ、ちょっと待って……」


「可笑しな事を仰るのですね。レインさんに心配していただけた私と、それが無い貴女。格の違いというものが分かりませんか?」


「そのようなもの、どうとでもなりましょう。初めて体を重ねる女にさえなれれば、これまでの不利なんぞ霧散するは確実」


「ありえません。実にありえない事です。レインさんが望むのは王道路線であり、貴女のような代案に満足されるはずが……」


「こん、たわけどもがっ! 痴話喧嘩は後にせんか!」


 ヒメーテルの怒号によって2人が口をつぐんだ。前哨戦は手早く終わりを迎えたようだった。


 最終的に提案が採用されたオリヴィエは、キリシアを始めとした女性数人を引き連れ、敵陣へと向かった。食料を満載した荷車も一緒だ。その一行の後ろ姿を、姿が見えなくなるまで見送り続けた。それからはすぐに戦備えを始めた。もちろん出陣の為のものだ。


 翌日の午後。部隊の編成を終え、出立直前となったころの事。オリヴィエたちは誰一人欠けたりせず、無事な姿を見せてくれた。特に何事もなかったそうで、その知らせには大勢が胸を撫で下ろした。もちろん、指揮官の籠る陣幕の位置も把握済みだった。


 正直なところ、キリシアが本当にやらかすのではと、ちょっとだけ疑ってしまった。その事には内心で小さく謝罪して、街の門を開かせる。


「狙うは敵の指揮官! 街のために、みんな力を貸して!」


 何百もの、応という声が重なる。それが晴天に響き渡ると、どうにかなるような気持ちが込み上げてきた。

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