第31話 暴れる獣性

 首領のベーヨは酷薄な笑みを浮かべつつ、僕らをじっと見据えた。蛇が獲物を前にしたような、いたぶる眼だ。歪んだ口許から覗く歯が禍々しいものに映る。その左右に並ぶ手下たちも似たような表情を浮かべ、こちらを威嚇するように武器をちらつかせた。


「まさかこうも上手く事が運ぶとはなぁ。捜索魔法ごときでオレたちを出し抜けるとでも思ったのか?」


「どうしてそれを……!」


「お前に使えて、オレにできねぇ道理があるか。間抜けな動きは筒抜けだったぜ、入り口でコソコソうろつく所から全部な」


「クソッ!」


 キリシアが剣を抜き放って前方に立った。それと同時に視線を小刻みに動かしているのは、辺りの状況を確かめるためだ。僕も武器を構え、彼女と背を合わせるようにして立つ。


 前後に武装した敵が十数人。部屋は地中とは思えない程に広く、数の多さを活かす事を可能としている。こちらが不利であることは考えるまでもない。狭い通路に戻れたなら2人でも切り抜けられそうだが、入り口は厚い人垣で塞がれてしまっている。


「反乱軍の親玉が無鉄砲で助かったぜ。危険をおかしてまで拠点を晒した甲斐があったってもんよ」


「どういう事だ!?」


「わからねぇか? お前らの首は高く売れる。有力者はもちろん、ましてや頭目にもなればバカみてぇな金が舞い込んでくるっつうもんよ。そうでなけりゃ、わざわざ手下を使ってここまで誘き寄せたりするもんか」


「となると、あの女性たちを目立つように洞窟に連れ込んだのも……」


「餌だよ餌。グスタフの野郎を連れてこられたら面倒だろ? てめぇらを国元に帰さねぇっつう博打だったんだが、オレの勝ちのようだな」


 何てことだ。全ては仕組まれた事だったんだ。自分の役目に徹してさえいれば、深追いせずに帰還していれば、こんな窮地に立たされたりはしなかった。その代償は自分の命だけでは済まない。キリシアにまで塁が及ぶことは何としても避けなくてはならない。とは思うけど、どのようにして切り抜ければ良いのか。都合の良い名案など浮かばず、脂汗だけがいたずらに流れていく。 


「まともに打ち合えぬ卑怯ものめ! 我らが怖くて罠に嵌めるか!」


 突然キリシアが一喝した。それから間をおかず僕に耳打ちする。


(盗賊どもは恐怖による支配で成り立っています。腕っぷしを舐められる事を許しはしないでしょう)


 つまり、この挑発が効くということか。彼女の策が通る事を信じて、ただ便乗するしかない。


「そうだそうだ、臆病者は部屋の奥で震えてたら良いじゃないか!」


「貴様に一騎討ちするだけの度胸があるか? それとも、盗賊風情に求めるには酷な話だったか!」


「テメェら……好き勝手ほざきやがって! 良いだろう、その安い挑発に付き合ってやる! だがな、相手すんのは女じゃねぇ。半裸の男の方だ!」


「陛下を、だと!? それを受けると思うか!」


「嫌なら別に良いんだぜ。このまま獣みてぇに殺してやってもよぉ?」


「お、おのれ……!」


 ここが限界だろう。どうにかして首領を打ち倒し、敵を動揺させる他に突破口は無さそうだ。色をなすキリシアに小さく微笑みかけ、それからベーヨの方へと歩を進める。僕を引き留める声には耳を貸さなかった。


 改めてベーヨの方を見据える。敵の手にあるのは長剣であり、前回の襲撃時のナイフとは全く別物だった。どういった動きをしてくるのか、力量はいかほどか、そんな事を考えながら一歩また一歩と進んでいく。


 ベーヨも薄ら笑いを浮かべながら歩き出した。僕よりもひと呼吸ほど遅く、ゆっくりとこちらへ歩み寄る。部屋の中央。僕が一足先に着いた、まさにその時だ。突然地面が崩れた。それからすぐに、鋭い痛みが右足全体を駆け抜けていく。


「こ、これは!?」


「アヒャーッヒャッヒャ! こんな簡単な罠にも引っ掛かりやがって! 間抜けなんてもんじゃねぇな!」


 足元を見ると、床に穿たれた穴から無数の刃が突き出ているのが見えた。そのうちの1つが赤く染まり湿っている。それを眺める僕の頭に、一際大きく嗤う声が投げつけられた。


「一騎討ちだと? ほんと頭が悪いな、この状況で応じる訳ねぇだろ」


「どこまでも、人をバカに……!?」


「おっと、もう効いてきたか? アカスジヘビの毒は速効性があるからなぁ」


 すぐに膝が笑いだし、僕の両足は役立たずになる。もはや上下すら分からない。腿が、腕が、頬までも地面に触れている感覚はある。寝転がされているようだ。身を起こそうにも両手に力が入らず、肘から先が大きく震えるばかりだ。腹に力をこめると胃から何かが駆け上がり、口から激しく吐き出されていく。


「さて、もう十分遊んだな。殺っちまって良いぞ」


「この外道どもめ! 陛下には指一本触れさせるものか!」


 キリシアが僕の前に立つ。剣を大きく振るうのは、敵を倒すためじゃない。遠ざけるためだ。精彩を欠く動き。それを嗤う声がする。


 キリシアの背中が切られた。小さく鮮血が舞う。向き直り、そちらへ剣を振る。火花が飛ぶ。また嗤う声だ。うるさい。


 どいつもこいつも、薄笑いを浮かべている。何がそんなに愉しいのか。多勢でいたぶる事がそれほどに心地よいか。うるさい、うるさい、うるさい。


 嗤う声がやまない。耳を塞ぎたくても手は動かない。醜い顔が並ぶ。目を閉じたくても瞼すら操れない。なぜ見下す、どうして嘲笑う。何を根拠に僕を追い詰める。


ーー八つ裂きにしてやれば良い。


 そんな言葉が脳裏によぎる。すると腹の奥に何か熱いものが生じた。それを感じ取った瞬間、拳に力が戻る。


「嗤うのを止めろぉッ!!」


 口から咄嗟に言葉が飛び出した。その拍子に自分の身体は、それまでの衰えが嘘のように力強く動き出す。腹の底が熱い。怒りがそうさせるのか、それとも毒が命を食い破ろうとしているのかは分からなかった。

 

「な、何だコイツは!?」


「女の方は後回しだ! 先に裸の方をやれ!」


 うるさい奴等が取り囲んだ。いくつもの白刃が煌めき、何度も身体に叩きつけられる。痛みは無い。それを連中は驚きの顔で見て、やがてすぐに凍りついたようになる。蠅を払う要領で手を振った。それだけで、何人もの男が血を吐きながら吹き飛ばされていく。


 嗤う声は既に悲鳴へと変わっていた。それでも不快だ、うるさい。視界に入る背中を手当たり次第に殴り付けていく。ろくに力まずに壁が、天井が赤く染まる。腹の中はまだ熱い、身体の求めるままに拳を振るい続けた。


「ばっ、化け物だぁーーッ!」


 逃げ惑う連中の身体に、極小さな光が見える。いつか大岩の中に見た不思議な輝きに似ている。それ目掛けて打ち込むと、的が例外無く弾け飛ぶのだ。その様が愉快で、どこかこそばゆく感じ、小さな笑いを誘う。


「聞いてねぇ……こんな奴が相手だなんて、聞いてねぇぞ!」


 ベーヨのひきつった顔。素直に面白いと思った。腹の光。顔を眺めたまま、そこを強く打った。他と同じように弾けながら吹き飛んだ。


 動くものが無くなった途端、不思議と腹の熱も消えた。怒りも、殺意に似た衝動も一気に萎んでしまい、それに反して五感は元の感覚を取り戻していく。


「陛下、ご無事にございますか……」


 震えた声が投げ掛けられた。それはキリシアだった。彼女は腰を抜かしたようにして尻を着き、両手を支えにしてようやく身を起こしているという有り様だった。


「たぶんね。君こそどうなの? 斬られたよね」


「私は浅傷にございますので。それにしても陛下、先程のご様子は……」


「何か、おかしかった?」


 キリシアの首が静かに縦に振られた。そのゆっくりとした仕草から、異様なまでの恐怖を感じる。振り返ってみれば、あの時の僕はどうかしていた。これまでに無いほどに怒り、そして殺意を抱いていた。よほど残虐な顔をしていたに違いない。それはきっと、親しい人から軽蔑されてしまうほどに。


 固唾を飲んで見守る僕に、彼女の口が再び開く。断罪の瞬間だ。腹に力をこめ、どんな言葉でも罵られて良いように待ち構えた。 


「……裸にございました」


「ハァ?」


「激闘なされている最中、陛下はずっと一糸まとわぬ裸体でいらっしゃいました。更には腰回りにのみ神々しき光が宿り、私如きの瞳は釘付けとなってしまいました」


「……見間違いじゃないかな」


「いいえ、この両目にしかと焼き付けております。制裁を受けた者共もすべからく裸となる、華麗で痛快な沙汰にございました」


「えっ、嘘でしょ!?」


 倒れたままの盗賊たちを見ると、言葉の通りだった。その身体を包んでいたはずの装備は全て砕け散り、ほぼ全裸という有り様だ。あのとき、血肉が飛び散ったように見えたのは目の錯覚だったのか。本当は鎧や衣服が弾けただけだったらしい。


 思わず嗚呼と呟き、薄暗い天井を仰ぎ見た。変態の呪いはどこまでもついて回る。たとえ死の淵に突き落とされても、心を憤怒に染め上げたとしても、僕を離してはくれない。


 そして、なぜか発情したキリシアも、僕の事をなかなか離してはくれなかった。

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