第29話 またもや変な子
ヒガンの街から発した商隊が海岸沿いに南へと進む。この伸びきった隊列の主は一人ではなく、複数の商人によって管理されている。だから運ぶ品も様々で、乗せる馬車は大小ちぐはぐ、この集団に統一と呼べるものはほどんどなかった。
「磯の香りがするね」
「陛下は海がお好きにございますか」
「そうだね。内陸出身だから、憧れているのかもしれない」
僕たちは一際小さな荷台に潜り込み、身を寄せ合いながら商隊に同行していた。人目を憚るために麻布を被っているので、僕らの存在を知るものは僅か数人ばかり。潮風が息苦しい移動の最中に流れ込む。たったそれだけの事でも、小さくない清涼感を与えてくれた。
「今しばしお楽しみあれ。ウェスティリアの警戒網を抜けましたら、荷台ごと間道から離脱します。以後は山道となります」
「うん。分かってるよ」
その言葉で今日何度目かの緊張を覚えた。僕らの役目は護衛ではなく、盗賊団の追跡だ。手はずとしては連中にひとまず襲わせて、2人がかりで撃退したのち、生き残りを泳がせる。それを追えば寝ぐらを見つけられるだろうというのが、ヒメーテルの案だった。ここで新たに習得した隠密魔法が役に立つ。けれど、本当に思惑通りに上手くいくかは、ぶっつけ本番で試してみるしかなかった。
ーー捜索魔法(エリアサーチ)
心で念じると、僅かな魔力消費とともに発動した。それから瞳を閉じると、あちこちに淡い光が灯るのを感じた。僕らを取り囲むように点在するのは、安全を示す青い光。遠くで揺らめくのは、危険を知らせる赤い光で、それはきっと魔物だろう。ちなみに熟練者ともなると、人や魔物だけでなく稀少品まで探り当てられるそうだが、今の僕にはそこまでの力は備わっていない。
「心中穏やかならぬご様子で」
濃い桃色に発光するキシリアが言う。それはオリヴィエと同じ色であり、味方の女性を現すものだと解釈している。
「うん。どうにも落ち着かなくって」
いつウェスティリア軍と衝突してもおかしくない状況だ。臨戦態勢を整えるには物資がいくらあっても足りないし、そうでなくても街の人に不便さを感じて欲しくない。その為には流通路の確保は必要不可欠で、今回の任務は何としても成功させたいところだ。
そう心に誓えば気が急いてしまい、にわかに呼吸が荒くなる。掌も不自然なほどに湿っている。ここまで張りつめたままで、この先まで保つのだろうか、とは思う。
「陛下。だいぶ昂っておられるご様子」
「あぁゴメンね。さすがに鬱陶しいかな」
「とんでもない。男子、特に御身のごとく若き年頃なれば、血が滾って当然にございます」
「そういうものかな。出来ればもう少し落ち着きたいんだけど」
「では、私とまぐわいましょう。繁殖活動に勤しむのです」
「どうしてそうなるかな!?」
「男が戦を前にしたならば、女を求めたくなるものです。さぁご遠慮なさるな。時が許す限り何発でも……」
キリシアが僕に腰をすりつけてくる。それは繁殖期の犬か何かに似ているけど、全く微笑ましくはない、というか怖い。押し倒されては押し返す、という動作を繰り返していると、外側から押し殺したような声が聞こえてきた。
「陛下、お静かになさいませ。周りに気取られてしまいますぞ」
「……ごめんなさい」
低姿勢ながら叱られてしまった。僕に大した落ち度は無いのだけど、内容が内容だけに恥じ入ってしまう。それに反してキリシアの堂々とした佇まいは、毅然を通り越してふてぶてしいとまで感じられた。いつの間にか過度な緊張感は消えていたけど、とてもお礼を言う気にはなれなかった。
それからしばらくして、荷車は大きく向きを変えた。これから間道に入ろうとしているようで、大多数を占める車列からはみるみると遠ざかった。
「移動に万全を期しますが、万が一の事態もございます。いつでも脱出できるようにご準備くだされ」
同行する商人が注意を促した。間道、つまりは抜け道を行くのだから、危険を伴う難所も少なくない。道は狭く、切り立った崖のような場所も通るのだとか。二度目の人生も滑落死なんて笑い話にもならない。気を抜かずに待機を続ける。
「陛下。敵は神出鬼没にございますが、無計画とは違うようです」
「何か心当たりがあるの?」
「連中も荷を失いたく無いのでしょう。崖や谷では襲わず、ある程度拓けた場所で犯行に及ぶようです。それは我が国だけに限らず、これまで発覚した事件の時も同様です」
「そうなんだ。それはこっちとしても好都合だね。撃退する側としたらさ」
そんな会話をしている間も、僕は捜索魔法(エリアサーチ)を発動させ続ける事で、周囲を警戒した。怪しい動きは無いか、まとまった動きを見せる集団は無いかと注意深く光を探す。すると、少し遠くの場所にそれを見つけた。7つの赤い光が、こちらと付かず離れずの距離を保ったままで移動しているのだ。魔物の可能性もあるが、タイミングからしてその可能性は低そうだ。
「陛下。街まで残すところ半分となりました」
商人が言いかけたその時だ。赤い光が猛然とこちらへ向けて接近した。接敵は目前だろう。
「キリシア、来るよ!」
「陛下は中に。私一人で片付けてご覧にいれましょう」
キリシアが外へ飛び出すと同時に、怒号が耳に響いた。これまでに耳にしていない、無骨で威圧的な声だった。
「止まれ! 命が惜しければ、荷車全部を置いて消えろ!」
前方を塞ぐのは5人の男。不揃いな武器をちらつかせ、こちらを大いに威嚇してきた。しかし、そんなもの意に介さず、瞬時に切り込んだキリシアが端の男に抜き打ちを浴びせた。それで一人は抵抗せずに膝から崩れ落ちる。あまりの素早い行動に、彼女の存在にすら気づいていなかったようだった。
「な!? 一体どこから!」
事態に気づいた男たちに動揺が広がる。その隙を見逃すはずもなく、キリシアは隣の男、ひとつ飛ばしてもう一人を斬りつけた。流れるような動きは美しくすらあり、思わず見惚れてしまう程だ。だが盗賊連中にとっては死神の鎌と変わらない。その顔はみるみるうちに恐怖に染め上げられていく。
「や、や、やっちまえ!」
リーダー格の男が大きく飛び退ると、大刀を頭上で振る動きをした。すると、遠くにあった2つの光が反応を示した。僕は胸に寒気のようなものを覚え、急ぎ荷車から飛び出した。
「陛下、何故でございますか!」
「危ないから伏せて!」
木の幹に隠れるようにして射手が2人、こちらを窺っていたのだ。空気を切り裂く音とともに矢が迫り来る。1本、また1本と飛来した矢を、僕は素手で掴み取った。そして矢尻だけもぎ取り、投げ返す。真っ直ぐ射手へと向かい、それが突き刺さると両名とも動かなくなった。残すは大刀の男1人だけとなる。
「く、クソ! こんな手練れが居るだなんて聞いてねぇぞ!」
男が期待通りに逃走した。僕は念のために捜索魔法(エリアサーチ)を重ねがけする。すると何ら問題なく、男の位置を把握する事に成功した。あとは見失わないように追跡し続ければ良い。
「よし、キリシア。追いかけるよ!」
しかし、ここで全く想定外の事態が起こる。キリシアが涙を浮かべながら跪いてしまったのだ。同時に許しを乞う言葉も口々に並べられる。
「申し訳ありません! まさか御身を危険に晒すような真似をさせてしまうなど、ましてやそれが私の慢心によるものだとは!」
「いや、気にしないで。それよりも後を……」
「そうは参りませぬ。さぁ処罰を。私を後ろ手に縛り、散々に口汚く罵り、尻をあらん限りの力で責め立ててくださいませ!」
「えぇ……?」
彼女の動きは神速そのものだった。目にも留まらぬ速さでうつ伏せになり、両手を背中で組んだ。頬が上気している理由については、あまり考えたくない。
「ねえお願いだから、早く立ち上がってよ!」
「そうは参りません! お急ぎであれば叩くだけでも結構にて」
「いいから! 見失っちゃうでしょ!」
その時だ。力づくで立たせようとした所でもみ合いになり、弾みで僕の掌がキリシアの頬を打ってしまう。意図しない偶発的な事故だ。だけどそれで罰が成立したらしく、彼女は感謝の言葉、ありがとうございますと絶叫して立ち上がった。罰を受けた側の人間とは思えないほど晴れやかな顔で。
それを見てつい薄ら寒くなってしまう。彼女は僕の崇拝者だという。最初は聖者として、つまりはオリヴィエの説法による功績だと思っていたが、それは違うのかもしれない。僕が変態であるがゆえの敬意。歪んだ性癖から芽生えた忠誠心。そういったものが根底にあるような気がしてならない。
そんな地に足の着かない気分のままで追跡を開始した。結果を言えば成功だ。だけどこの瞬間ばかりは、連中の寝ぐらよりもキリシアの真意の方がよっぽど気になってしまっていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます