第28話 伝えきれなかった言葉

 失敗が確実視されていた国家運営は、意外や意外、順調な走り出しとなっていた。ヒメーテルはすぐに目端のきく人を集め、その日のうちには内政機構の基礎を整え、法の整備に早くも着手していた。


 ゴルドーはというと、倉の中身や資金を把握したらしく、既に買い付けの手配を始めているようだった。もっとも近いのは港町ヒガンだが、直接購入することは難しい。ウェスティリア騎士団が警戒網を敷いており、こちら側に荷を運ぶことを阻止しようと動いているからだ。心配する僕に、彼は抜け道について仄めかした。今はその自信に頼る他無さそうだ。


「なんだか、不思議なくらい上手くいってるね」


 オリヴィエと肩を並べて街を歩く。そこで見かける人のおおよそは、すこぶる晴れやかな顔をしていた。


「今も街に残る人は、全てが賛同者なのです。反対意見を持つ人は皆発った後だとか」


「そうなんだ。混乱とかは無さそう?」


「はい、混乱どころか活気に満ちています。グスタフさんもしごき甲斐があると大喜びでした」


 街の外れでは、件の志願兵が地獄を見ている最中だ。今は丸太を抱えたままで坂道を走らされている頃だろう。しばらくの内は兵の見極めに徹するらしいけど、手法が雑というか無茶としか思えない。どこかで釘を刺すべきなんだろうか。


「子供たちなどはもう、レインさんを英雄扱いしていますよ」


「えぇ? それは流石に言い過ぎじゃないの?」


「そんなことはありません。ほら」


 オリヴィエの指差す方を見る。そこは空き地になっており、3人の子供が遊んでいるのが見えた。棒切れを持つ少年が、1人の少女を庇うようにして立っている。向かい合うようにして立つ少年も同じ年頃だが、どこか尊大な気配を漂わせており、敵対軸の存在のように思えた。


「ハッハッハ、貴様なんぞが我らに敵うものか!」


「くそぅ。暗黒騎士団め……!」


 どうやらゴッコ遊びのようだ。状況から察するに、騎士団との戦いについてだろう。


「聖者さま、私のことは置いてお逃げください!」


「ダメだ! 君を捨ててなんか行けない!」


「でも、このままでは……」


「正義は必ず勝つんだ! くらえ、スターライト・ハリケーンボンバー!」


「な、何だその技は……うわぁぁぁ!」


 ここで悪役は大袈裟な仕草で倒れ、規定路線のハッピーエンドを迎えた。うん、何だろうね今の技。モチーフ元である僕すら知らない謎技術が、今しがた確実に捏造されていた。あの時にしたことと言えば、せいぜいが敵の戦意を削ぐことくらいだったのだけど、少年たちは一体何を見たのだろう。


 半ば呆れ気味に眺めていたのだけど、少年たちの熱演はまだ終わらなかった。僕とオリヴィエ役の子達は手を取り合って互いを見つめている。そして騎士団役の子は倒れたまま。この構図は少し残酷すぎやしないかと心配になってしまう。


「僕には君が必要だ! 付いてきてくれるね?」


「あぁ聖者さま、私は2度とお側を離れません!」


 オリヴィエがここで僕を見た。その眼光は鋭く、まるで獲物を見つけた猫のようだ。その視線を真っ向から受ける気にはなれず、自然と逆の方を向いてしまった。


「良いものですね」


 視線を戻しながらオリヴィエが言う。


「何がさ?」


 全く察しがつかず、要領を得ない言葉を返した。チラリと彼女の顔を見る。慈愛に満ちた穏やかな表情を浮かべていた。


「あの子達がこうして外で気兼ね無く遊べるのも、レインさんのお陰です。これまでは社会不安の強さから、気ままに駆け回ることすら難しかったようですから。幼子を持つ親御さん方の喜びようも……」


 そよ風が僕らを包む。オリヴィエの長い髪がこちらへ靡き、微かな匂いが漂ってくる。それは甘さにも似ていて、どこか違うものだった。不意に吸い寄せられそうになる気持ちには、どうにかして耐えた。ふとした時に見せる顔は、時々不思議な魅力を孕んでおり、それには思わず戸惑ってしまう。


ーー君は、本当に僕の側に居続けてくれるのかい?


 言葉が喉の下にまで込み上げては引っ込む。僕らの間柄を決定づけてしまうようなものを。正直なところ、良い返事が貰えるとは思う。普段から明から様な態度を取られているのだから、これが僕でなくともそう思うだろう。それでもだ。人を信じきる事が、あと一歩の勇気が持てない僕は、先に進む事を拒んでしまう。彼女を失う恐怖に怯えるくらいなら、今のままで居た方が良い。 この居心地の良い関係が壊れる事は、何よりも耐え難い。その怨念にも似た人間不信が、臆病さが、この狭苦しい心に長大な壁を作るのだ。


「レインさん?」


「えっ。ごめん、何?」


「先程からボンヤリとされていますが、お疲れでしょうか?」


「いやいや、何でもない。それよりもホラ。向こうにゴルドーさんが居るよ」


「おや……こちらに近づいてきますね。私たちにご用でもあるのでしょうか」


 オリヴィエの予想は当たりだった。ゴルドーは僕らの前までやってくると、額に浮いた汗を拭いながら、招集の旨を伝えてきた。ヒメーテルやグスタフは既に向かっているらしい。そこに僕らも参加した上で相談したい事があるそうだ。そこまで恐縮した素振りで告げると、再び額の小汗を手で拭った。


 断る理由も無いので、この求めには応じる事にした。道中でゴルドーが議題についていくつか話してくれた。それでも一向に言葉が頭に入って来ないのは、数歩遅れて歩くオリヴィエが気になってしまったからだろうか。彼女は何に注視するでもなく、街の様子に視線を巡らせているようだ。その視線がこちらに向く気配がない事が、何となく寂しく感じられた。


「おうご両人、仲睦まじいところをスマンかったな」


 急ごしらえの、会議室として造らせた小屋には既に先客が居た。グスタフと、意地悪そうに笑うヒメーテルだった。僕は小さなため息だけで答えると空席に座る。見慣れない人の姿もあるけど、その人物には何も触れられる事なく会議は始められた。


「お集まりいただきありがとうございます。手短にご相談だけさせていただければ……」


 ゴルドーが口火を切ると同時に、一枚の大きな地図を広げた。それはアルウェウス近郊の地図で、赤い×印の他に地形が詳細に描かれたものだ。


「ご存知の通り、主要の街道はウェスティリアに封鎖されておりまして、物流に使用する事ができません。ゆえに間道、まぁ抜け道ですな。それを駆使して周辺から荷を集めようとしたのですが……」


「上手くいって無いのじゃな?」


「ええ、お恥ずかしい限りです。豪語した矢先での失態、おおいに嗤っていただいて構いません」


「フン。感傷や責任論なんぞは酒の席で愉しんでおれ。今は解決を最優先すべきじゃろうが」


「これは失礼を……。問題は騎士団でも、交易ルートでもありません。あの連中に目をつけられたのです」


「もしかして、ベーヨ盗賊団?」


 ゴルドーが強い眼差しとともに頷いた。初めてアルウェウスへやってきた折に襲ってきた連中が、再び僕らに牙を剥いたのだ。


「あの者たち、特に首領と思しき男は大変厄介です。隠密魔法という、世にも珍しい能力を駆使しておりますので」


「それで、あの盗賊団に交易品が奪われちゃったの?」


「一部だけですが、少なくない損害を出してしまいました。今後は警備、更に言えば腕利の少数精鋭による護衛が必要となりましょう」


「待て、あの男とまともに戦える者など、そうそう居やしない。確実な撃退ならオレ、リーダーでも五分というレベルだぞ」


 グスタフは少し呆れたような声とともに異を唱えた。実際彼は暇ではなく、時間を見つけては軍の育成に勤しんでいるという有様だ。数日がけでの護衛など引き受けるはずもないし、ヒメーテルも非効率だとして口を挟む。


「寝ぐらさえ分かればな。人数集めて一網打尽に出来るんだが……」


「隠密魔法で逃げられちゃうんだよね。僕らが襲われた時みたいに」


「そうだ。という訳で、リーダーに索敵を頼めないか?」


「僕が?」


「グスタフ様。さすがに陛下の御身を危険に晒すというのは……」


「いや、先日アンタも見たろう。クラスアップの光を。使用できる魔法の幅も広がっているはずで、運が良ければ同種の魔法も使用できるかもしれない。そうであれば、対抗手段も取りやすくなる」


「少し楽観的に聞こえます。それが事実かどうかは、陛下のステータスカードを拝見する必要がありましょう」


「それにな、リーダーにはちゃんと護衛をつけるさ。ちょっと性格がアレなんだが、腕っ節は中々のもんだ」


 グスタフが目配せすると、隣に座る人物が静かに立ち上がった。フードで顔を隠しているが、背格好からして少年のように見えた。その人物が覆いを緩めて浅黒い顔を覗かせると、鋭さを感じさせる声で言った。


「陛下、お初に御目にかかります。私はキリシアと申します。以後御見知りおきを」


「このお姉ちゃんは剣士でな、それと何つうか、その……リーダーの熱狂的なファンだ」


「えっ、女の人だったの?」


「はい陛下。私には女としての機能も備わっております。ゆえに昼は肉の盾、夜は肉の枕として、2種の役割を担う事ができます」


「えぇ……?」


 ここで僕はふとアツい視線を感じた。誰が送っているのかは見るまでも無いだろう。その人物は、先ほど少年たちに向けた顔よりもよっぽど暖かな微笑みを僕に向けていた。その真意についてキチンと理解できたかどうかは自信がない。それでも、冷や汗が吹き出る程の気迫だけは十分に伝わっていた。

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