第22話 西は西で大変

 あれから一昼夜ほど船に乗り、やってきたのは西大陸の玄関口であるヒガンナの街だ。波止場に降りると膝が曲がるような感覚を覚える。航海に出ると体が揺れに慣れてしまい、今度は陸の上がおかしく感じてしまうそうなのだ。それも直に消えると教えてくれたのはグスタフだ。オリヴィエも幾度の航海で知っているはずだが、彼女は今現在、対話をするほどの余裕がない。


「ああ、愛すべき我が大地。再び踏みしめる日を待ちわびていました」


 もちろんこれは帰郷を意味する言葉ではない。船旅の終わりを彼女なりに表現しただけの事だ。次に東大陸へ向かう事があれば、酔い止めの薬とやらを買ってあげようと思う。相当に値が張るらしいけど、この憔悴ぶりを見ていたら財布の紐も緩んでしまう。


「さてと。ようやく着いた訳だが、酒場で飯でも食わないか?」


「別にいいけど、宿の手配を先にした方が良いんじゃないかな」


「それも良いが、まずは情報収集をすべきだ。西大陸の情勢はおろか、街の様子すら知らないだろ?」


「言われてみればそうだね。僕も、まぁ、最近の事は分からない」


「それにな、こっちの方じゃ酒場に依頼が寄せられるんだ。目ぼしい仕事が無いか見ておくのも良いだろう」


「じゃあそれで。実は僕もお腹空いてるし丁度良かったよ。オリヴィエも何か口にした方が良いんじゃない?」


「ほ、ホット、ホットミルクぅ……」


「じゃあ決まりだな。オレに付いてきてくれ、馴染みの店があるんだ」


 グスタフはそう言うと、石造りの道を独り歩き始めた。僕はオリヴィエを背負いながら後を追う。


 辺りの様子はというと、比較的新しい印象を受けた。ムシケよりもかなり後に造られた街だからだろう。建物は出来立てという程では無いにしても、歴史を感じさせるような外観をしていない。順当にくすんだ色味のレンガ壁が立ち並ぶばかりだ。


 往来は人通りが途絶えない。けれど活気があるかというと、そうではない。職人や商人の姿をした住民とおぼしき人、大荷物と武器を携えた冒険者風の集団も、分け隔てなく暗い。西大陸の事情もあまり良くないのだと想像させられる。


「荒れた街ですね」


 オリヴィエが小さく言った。僕は無言によってそれを肯定した。今のは侮蔑などではなく、見たままの印象を述べただけだ。道の端々にはゴミが散乱し、路地裏などは足を踏み入れるのも嫌になるくらいだ。そしてそこら中に、世捨て人らしき人が寝転がっているが、誰も騒いだりはしない。手元の酒瓶が事故や病気ではない事を雄弁に物語っているからだ。


「着いたぞ。中に入ってくれ」


 グスタフがとある店の前で立ち止まり、そのドアを開けた。中の様子はと言うと、乱雑に置かれたテーブルが5脚ほどあり、そこに陰鬱な表情の男がまばらに腰かけている。陽が暮れるまでは食堂として運営されているようで、酒の臭いは希薄だ。


「いらっしゃい。何名さん……って、何モンだこの野郎!」


「ひっ!?」


 店主は僕と眼を合わせるなり、牛刀を片手に威嚇してきた。ひげ面の、長身で固太りした大男だ。ちょっとした脅しですら縮こまる程におっかない。


 頼りとなる同行人を探して振り返ると、ドアが大きな音をたてた。グスタフが後ろ手に閉じたのだ。


「おいおい、そんな物騒なモンはしまってくれ! おやっさんが考えてるようなヤツじゃねぇよ」


「お前、グスタフか! 生きてやがったかこの野郎ッ!」


 店主が牛刀をカウンターに投げ捨てると、その巨体を揺らしながら駆け寄ってきた。そしてグスタフと並ぶなり、肩を力強く抱く。


「何だよ。そこらの魔物に殺られる程ヤワな鍛え方してねぇよ」


「違ぇよ。テメェはとんでもねぇ悪食じゃねぇか。その辺の毒キノコでも食ってコロッと死んじゃいねぇか心配してたんだぞ!」


 店主さん鋭い。事実、僕とグスタフは解毒を切欠に知り合ったのだから。


「んで、このどうしようもねぇ変態は何だ。今は犯罪者の護送中か?」


「いやいや。だから違うんだって。この兄ちゃんは見かけによらず凄い男でな……」


 それからしばらくの間、グスタフによる説得が続いた。怪訝な視線を向ける店主から『そうか、じゃあ危ねぇヤツじゃないんだな』という言葉を引き出すのに、相当な時間を要してしまう。でもその甲斐あって誤解は解け、カウンター前の椅子に誘導された。


 目の前には葡萄酒とホットミルクを皮切りに、豪勢な料理の数々が並ぶ。パンにポタージュ、ナッツサラダ、鶏肉のパリパリ焼き。食欲の無いオリヴィエの為に、わざわざフルーツの盛り合わせまで用意してくれた。入店時とは雲泥の差を感じる歓待ぶりだと思う。


 これだけ飲み食いしてもお代はタダ。数年ぶりの再会を祝して、店主が食事をご馳走してくれるというのだから、見た目にそぐわず優しい人なのかもしれない。


「イステル王国は頭が代わったらしいな。ここ最近は大勢が東から押し寄せてきてらぁ」


「ボンクラが新国王だ。故郷を捨ててでも逃げたくなるだろうさ」


「流入者は若い女が多い印象だ。数日前にもとんでもねぇ美人が来てよう。ここいらでちょっとした話題になったもんだ。オレもあと10若かったら声をかけてた所だな」


「やめとけやめとけ。もう忘れちまったのか? 開店資金、消えた1000ディナ」


「悪かったな、女を見る目が無くてよ!」


 ここで2人が声を揃えて笑った。僕とオリヴィエは付いていけない。今のは合言葉のようなものかもしれない。互いの親交を確かめる為の。


 僕は話を追いかけながらも参加はせず、湯気の立つ鶏肉を口に運んだ。美味しい。強めの塩味と胡椒のピリッとした刺激が肉汁に良く合う。オリヴィエも気に入ったらしく、一口食べた途端に次の一切れ、また一切れと食べ進めていく。どうやら食欲は戻ったらしい。


「んでよう、いつまでヒガンナに居るんだ?」


「まだ未定だ。仕事を探してここまで来たんだが、依頼の方はどうだ?」


「そうだな……疾風のグスタフ様にお願いしたくなるような話はねぇな。S級、A級は無し。Bが2、3にCがちらほら」


「なんだなんだ。随分と景気が悪いじゃないか。船に揺られてまで遥々とやってきたんだがなぁ」


「庶民の苦労は西も変わらねぇよ。重い税に偉そうな貴族ども。違う事と言やぁ国名と制度くらいだろ」


「♪おぉ、愛すべき我らがウェスティリア 賢明なるウェスティリア公国♪」


「ふざけた歌だ。寝ぼけ豚にでも聞かせてやれ!」


 店主は苦笑を浮かべながら、羊皮紙の何枚かをグスタフに手渡した。読み進める度に溜め息が聞こえる。目ぼしい依頼が無いのは言葉通りのようだ。

 

「おやっさん。この輸送の件、妙に報酬が高いのには理由があるのか?」


「破格だろ。最近は強盗、盗賊の類いが多くてな。単なるお使いが今じゃB級扱いだ」


「そこまで治安が悪化してんのか。騎士団どもは動かないのか?」


「連中が仕事をするとでも? お偉方の屋敷を守るのがせいぜいだろうがよ」


「ポエッポエ」


「まぁ、この中じゃ輸送が一番マシかな。移動先で良い仕事があるかもしれんし。リーダー、それで良いか?」


 そう問いかけられても、僕に判断なんか出来るはずもない。慣れた人が良いと言うのだから、その仕事勘を信じるしかなかった。


「それで構わないよ。よく分からないけど」


「決まったな。おやっさん、この依頼を受けさせて貰うぜ」


「ポエポエポエポエ」


「待て。お前たちにはこっちを先に片付けてもらう」


 店主が雑巾を差し出し、それから床の方を指差した。嘔吐された後がある。


「これ、もしかしてオリヴィエが?」


「すみません。本調子で無かったのですが、お肉が美味しすぎて……」


「ごめんなさい、すぐに掃除します!」


「神は仰いました。『若い女から吐きかけられるのも又褒美なり』と」


「そういうのは良いから、オリヴィエも手伝ってよ」


「お手数おかけします」


 西大陸で上手く仕事にありつけたは良いものの、吐瀉物(としゃぶつ)に出鼻を挫かれるという、何とも締まりの悪い幕開けとなった。

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