第16話 冷たい指
ムシケの町は普段よりも賑わっていた。それもそのはず、今日は光珠の祭りが催される日だ。往来は観光客と、稼ぎを見込んだ露店で埋め尽くされており、日は暮れたというのに寝静まる気配が微塵もなかった。大通り沿いに並べられたかがり火が、辺りを真昼のように照らす。もしかするとそれが眠りを遠ざけているのかもしれない。
「随分と大盛況だね。オリヴィエはこれまでに来た事あるのかい?」
返事が返って来ない。ついさっきまで真後ろにいたのに、いつの間にかはぐれてしまったようだ。人混みに目を凝らして視線を巡らせると、遠くにオリヴィエの姿を見つけた。何やら怪しげな店構えの露店でセールストークに聞き入っているようだ。
「店主さん。この瓶の液体は何ですか?」
「おやおや、若いのに目利きさんだねぇ。そいつぁライール湖畔に隠れ住む賢人の秘薬でねぇ。飲ませてみりゃアラ奇跡! どんな相手でも一発で恋仲になっちまうっつう代モンだ。その名も『妙薬イチコロリ』ってね」
「まぁ、本当ですか? おいくらでしょうか!」
「うーん。800ディナと言いたいところだけど、お嬢ちゃんは美人だから400で良いんだねぇ」
「とってもお得ですね、買います」
「オリヴィエ! 騙されちゃダメだ!」
急いで店主から引き離し、表の喧騒から逃れる様にして路地裏へと駆け込んだ。辺りは壁一枚隔てたように静けさを保っており、祭りの騒がしさをいくらか遠ざけてくれる。
「レインさん。どうかされましたか? 私は、その、強壮剤を買い求めていただけですが」
「あんなの嘘っぱちに決まってるじゃないか。偽物に全財産をはたかないでよね」
「まぁ! 詐欺行為だというのですか? でしたら警備隊に通報しなくては」
「言っても笑われるだけだよ。もしかしてお祭りに来た事がないの?」
「はい。今度で人生初めてとなります」
「ともかく、こういう日の露店は胡散臭いものがたくさんあるから、騙されない様に自衛するもんなの。用が無いなら見向きもしない事。わかった?」
財布を渡しておくと危険なので、僕がオリヴィエの分まで預かることにした。彼女は交換条件として、祭りの間中は手を繋ぐ事を要求してきた。それが絶対条件なんだとか。財布とどんな因果があるかは分からないけど、結局はお互いが要求を飲んだ形となった。
指がそっと絡まってくる。少し冷えてるなと思った。力加減は柔らかい。強く握ってこない所が、なぜか僕から落ち着きを奪った。そんな僕の様子を眺め、オリヴィエが囁く。
「レインさん。私の事をちゃんと捕まえていてくださいね」
「そのセリフ、微妙に使い方を間違えてない?」
再び通りに出ると、賑やかな熱気が体を打った。飴細工を片手に持った子供が僕の横をかすめて走り抜ける。魚貝の焼ける匂いが漂い、鼻先をくすぐっては気を引こうとする。雑貨屋の前では子供が駄々をこね、父親らしき人を大いに困らせている。故郷の祭りと何ら変わらない雰囲気に、僕は懐かしさを覚えながら歩き続けた。
「美味しそうな香りがしますね」
「そういえば晩ご飯はまだだったね。ここで済ませちゃおうか」
「それは、ここで食べ物を買い求め、宿に戻るという事ですか?」
「食べ歩きしようよ。行儀は良くないかもしれないけど、 祭りでは皆んながそうするものさ」
「そうですか。確かに我らが神もこのように仰いました。無粋な豚は出荷でもされてしまえ、と」
随分と物騒な教えだけど、あの女神であれば違和感を覚えないとも思う。経典なんかがあるのなら、暇潰しに読んでみるのも悪くないかもしれない。
ほどなくして、イカ串屋で2本買い求めたところ、大振りな姿焼きが手渡された。早速噛ってみる。強めの塩気とイカの甘味が舌を愉しませ、少しだけ口中を焼いた。流石に海辺の海産物は新鮮で、安価であるのに味は絶品だった。
オリヴィエも気に入ったようで、顔を綻ばせながら食べ進めている。普段見せる理知的な表情に比べて、少しばかり幼く見えた。
「そういえばさ、オリヴィエは光珠って何か知ってる?」
「光珠とは、人の想いや願いを具現化した魔力の塊を指します。大小様々ですが、純粋な想いほど大きくなるのだとか。それを夜空に飛ばす事で、神様に聞き届けて貰うのだそうです」
「そうなんだ。僕の故郷じゃ聞かない話だなぁ」
「東大陸では有名なようです。神事ですので、教会に行けば見る事が出来るでしょう」
「折角だから見物していこうか」
しばらく通り沿いを進んでいくと、とある人物に目が吸い寄せられた。それは祭具屋らしき露店の主人であり、女の人だった。装いは独特で、顔を薄い布で口元を隠しているけど、首から下は妙に薄着だった。肩や腕、ヘソに太ももなんかを全て露出させているのだ。そんな格好であっても周りの人は騒いだりしていない。容貌ひとつで殺意を向けられた身としては、強烈な不公平感を覚えてしまう。
「レインさん。光珠ではなく、薄着の女性を眺めたいのですか?」
「待って。何か勘違いしてるっぽい!」
「いらっしゃい坊や。ウチはホンモノしか扱ってないわよ」
「違います、冷やかしてすごめんなさい!」
文字通り逃げるようにして町の中枢部へ向かうと、途中で人垣にぶつかってしまった。ここからはずっと上り坂になっており、頂上の教会へと続く長蛇の列が作られている。あそこが本日のメイン会場のようだ。
「これはだいぶ待たされそうだね」
「イカさんがあって良かったですね。暇を潰せます」
彼女の手元を見て少し驚かされた。イカ焼きは未だに原型を保っており、せいぜい端っこがちょっと欠けているという程度だ。半分以上食べ終えた僕からは考えられない程に遅い。普段の食事時には見かけない光景に、申し訳ない気持ちが膨らみだす。
「もしかして、苦手な料理だった?」
「いえいえ。食べにくいだけです。流石に人前で歯を剥いて食べることは憚られます」
「そっか。じゃあさ、お互い繋いだ手を離さないかい?」
「なぜでしょうか?」
「だって、空いた手で千切れるでしょ。そしたらずっと食べやすくなる……」
「そればかりは御免被ります」
「えぇ……?」
拒否の言葉は早かった。検討しないどころか、最後まで聞く気すら無いらしい。この頑なさは何なのか。聞いてみたいと思いつつも、結局ウヤムヤにしてしまった。
列の消化には時間がかかった。忘れた頃に数歩進めるという有り様で、時々何のために並んでいるのか忘れそうになる。そしてオリヴィエが完食したころ、ようやく教会の敷地内に入る事ができた。当然僕も既に食べ終えている。 門をくぐると立派なチャペルに迎えられた。支部でも大きな部類に入るそうで、敷地も広く、その権威の強さが感じられる。ちなみに用事があるのは庭の方で、建物自体は入り口が締め切られており、窓の向こうも暗い。
「レインさん、あちらをご覧ください」
オリヴィエが指し示したのは、薄明かりの中で円陣を組む街の人たちだった。その中心にはカンパ司教の姿も見える。彼は無言のままで祈る住民に向かって、静かに、そして優しく語りかけた。
「さぁ、今宵は光珠の生まれやすい夜となっておる。祈りを捧げ、神のご加護を授かろうではないか」
するとどうだろう。集団のうち、数人の体から小さな光が浮かび上がった。小指の先ほどのものが、風に吹かれる綿毛のようにゆっくりと上昇し、そのまま夜空へ向かって飛び立った。やがて星の海に溶け込んだのか、目で追う事が出来なくなる。
「へぇ、綺麗なもんだなぁ」
ひとつ、またひとつと生まれる度に、順番待ちの列から『おおっ』と歓声があがる。光の生成に成功した本人も、歓喜の声によって心の内を明らかにした。ひときわ大きなものを生み出した少年などは大はしゃぎだ。一方で失敗が確定した人は、詰まらなそうに顔をしかめながら空を見上げている。どうやら全員が生み出せる訳ではないらしい。どちらかというと失敗する人の方が多いみたいだ。
「オリヴィエ、君も試してみるのかい?」
問いかけには首を横に振った。ここまで来たというのに光珠の儀式には参加せず、見物に留めるつもりらしい。
「私は結構です。先日、願いのひとつが叶いましたから」
「願いのひとつって何……」
そこまで言いかけて、僕はハッとした。目の前で浮かぶ光が、先日の悪夢で見たものと似ている事に気付いたからだ。強いて違いを挙げるとしたら大きさだろうか。ここではせいぜいが拳大くらいのものばかりだが、僕を救った光は人間の頭くらいに大きかった。
ーーもしかして、あの光珠は君のものなのか。
尋ねようとして、だけどその勇気が持てず、遂にはタイミングを逸した。我ながら、随分と疑心暗鬼を拗らせたものだと思う。ブレイメルでの不遇、そして住民総出による殺意が、僕の性質を大きく変えてしまったのだろう。だから人の好意が怖い。誰かを信じる事が恐ろしくて仕方なかった。いつしか肝心な時に裏切られるのではないか、そう思うだけで、心は人から遠ざかろうと逃げ回ってしまうんだ。少なくとも『僕のために祈ってくれたのか』などと聞けるほどの図々しさを持ち合わせてはいない。
それからはする事もなく、ただ2人並んで儀式を眺め続けた。ふと、オリヴィエの握る手が少しだけ強まる。その時にはもう、彼女の指先からは冷たさが消えていた。
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