第14話 祭りの後

 聖者騒動から数日が過ぎた。あの演説直後に抱いた不安は取り越し苦労となり、ムシケの町は既に落ち着きを取り戻している。熱狂とは冷めやすいと聞いていたけど、身をもって体験するのは今回が初めてだ。


 正直なところ、聖者だ救世主だと崇められなくてホッとしている。道ですれ違う人に「レインさん、こんにちわ」とか「今日は天気が良いですね」と話しかけられるのだけど、それくらいで丁度良い。さすがに「陰部君、元気にしてる?」と声をかけられた時は無視したけど、ともかく自分としては収まりの良さを感じている。


「これは一体どうした事でしょう。一時は誰もが情熱に溢れ、それこそ新国家でも樹立しかねないほどに崇敬の念が感じられましたのに」


 オリヴィエが珍しく不機嫌だ。どうやらこの状況を快く思っていないらしい。町の様子を目にしては愚痴を吐くようになった。

 

「勘弁して欲しいね。僕はそんなもの嫌だよ」


「そうなのですか? ではレインさんは、今後どうなりたいのです?」


 口調こそ穏やかだけれど、目つきはいつもと少し違う。薄っすらと責めるような気配が漂っていて、冗談を差し挟めそうな余地は無い。だから僕は嘘偽りのない気持ちを伝えることにした。


「富や名声なんかいらないよ。出世できるような器じゃないしね。もし許されるのなら、ありふれた仕事を全うしながら、静かな田舎町でのんびりと暮らしたいなぁ」


「なるほど。それは広い家ですか? それとも小じんまりとしたものですか?」


「不便を感じなければ狭くても良いかな」


「子供は何人くらい欲しいですか?」


「考えた事もないよ。2人か3人じゃないかな」


「犬派ですか、それとも猫派ですか?」


「どっちも好きだけど、猫の方が好きだと思う」


「ありがとうございます。大変参考になりました」


「う、うん。お役に立てたなら幸い……?」


 無関係な話で気が紛れたのか、いつの間にかオリヴィエは普段の調子を取り戻していた。視線に慈しむような色合いを感じるけど、きっとそれは気のせいだろう。


 それはさておき、お勤めだ。といっても定職に就いた訳ではなく、毎日のように持ち込まれる悩み事を解決するのが僕たちの仕事となっている。今日はとある地主さんから依頼があり、ペットの散歩をお願いしたいらしい。わざわざ人を雇う事かと思っていたけど、実際に目の当たりにすると納得がいった。


「これは、すごい数だね……」


「依頼主は犬派ですね。よほどワンちゃんがお好きなのでしょう」


 任された犬は総勢12頭。大型で大人しいものから、小型でおてんばなものまで多種多様という感じだ。この集団を半日も世話をしなくてはならないなんて、安請け合いするもんじゃないと早くも後悔してしまう。


「ミクちゃんは隠れててくださいね。ワンちゃんが苦手ですもんね」


「みんみょん」


 子猫のミクロがオリヴィエの胸元に潜り込んだ。そしてこれ以降は、襟首から顔を覗かせるだけとなる。よほど犬が嫌いなんだろうなと思った。


 こうして散歩はスタートした。まずは住宅街を通り、町外れを目指す。暴れる事を警戒して綱を強く握ったのだけど、その心配は無かった。全員が整然と列を保って進むという、それはもう粛々としたものだった。どうやら躾は万全らしい。


 でもそれは長続きせず、町外れの広場へと着いたら状況が一変した。淑女然としたお淑やかさは瞬時に吹き飛び、総員が棹立ちになって暴れ出したのだ。当然、手綱なんか掴んではいられず、その全てを手放してしまった。


「しまった、綱が!」


「レインさん。ご心配なく。あれは遊びたがっているだけですよ」


 逃げ去ろうとする個体は一頭もいなかった。草っ原を駆け抜けては寝転がり、あるいは仲間内でじゃれあったりと、心底楽しそうにはしゃいでいたのだ。どうやらオリヴィエの言う通りらしい。遠くに行かなければ魔物に襲われる心配もないので、下手に干渉することは止め、道端の柵に腰掛けて成り行きを見守る事にした。


 視界には大草原と、遠くに点在する森が映る。そして空には、白くて大きな雲がゆっくりと東の方へと泳いでいく。吠え声以外は静かなものだ。このボンヤリとした時間が無限ように感じられる。こんな風に過ごせる日が来るなんて、数日前までは思いもしなかった。


「和みますね、レインさん」


「そうだね」


 オリヴィエが僕の隣に腰掛けた。それは良いけど妙に近い。互いの距離は拳一個分くらいしか無い。何となく気まずさを感じて、少しだけお尻をずらした。だけどオリヴィエはさらに寄る。またずれる、尚も寄る。そうして僕は柵の端っこに追い詰められてしまった。


「あのさ、近いよね?」


 オリヴィエはその言葉に、ニコリと微笑んだ。


「心の距離を表しているだけなので、問題ありません」


 答えになってない。それでも彼女は『丸め込んでやった』という手応えを感じているようだ。角度をあげた口角がそれを雄弁に物語っている。

 

 いっそ犬たちの方へ逃れようか……そう思っていたところ、耳元で懐かしい声が響く。親しみは感じない。それは僕を遊び半分で地獄に突き落とした、あの人物のものだったからだ。


ーーちょっとちょっと、人があれこれと忙しくしてるってのにさ。美人とデートしてるだなんて良いご身分じゃん?


 詰るような声色だ。顔を見なくても不機嫌さが分かるようだけど、そんなもの知った事ではない。


「女神様。ようやくのお出ましですか。随分とほったらかしにしてくれましたね」


ーーこちとらスッゲェ大変だったの! 上司から怒られちゃうし、毎日遅くまで残らなきゃならないし、ほんとロクな事ないんだからね!


「大変だって言うけど、それは自業自得ですよね? あなたが不真面目だったせいですよね?」


ーーグッ……。真島みたいな事言わないでよ。アタシはこう見えても繊細なんだから。


「誰ですかマジマって。その人も神様なんですか?」


ーーうん、まぁ近い存在かな。ところで、声はもっと落とした方が良いよ。アタシの声はレイン君にしか聞こえてないんだし。


「……それ先に言ってくださいよ」


 傍目からしたら、僕はきっと唐突に騒ぎ出した人にしか見えないだろう。ただでさえ容貌に難があるのに、奇癖まであると思われたら大変だ。オリヴィエだって流石に気色悪く思うだろう。そう思って隣を恐る恐る確認すると、意外も意外。予想とは真逆の反応を示していた。


 両目を見開いて目を輝かせ、僕の顔をジッと見つめている。手は指を交互に組むという、いつもの祈りのスタイルだ。そして震える唇からは絶叫にも似た声が飛び出し、僕の耳にキィンとした痛みを刻み付けた。


「レインさん、もしや、神と対話されているのですか!?」


 何か彼女の琴線に触れたらしい。身を乗り出して僕を問い詰めようとする。それだけならまだ良いが、女神も同時進行で喋るのだ。だから両側から話しかけられている錯覚に陥る。互いに交わることの無い、平行線に近いものを。


ーーそう言えばさ、この前に話したじゃん。役職の件だよ。あれで進展っつうか、いろいろと分かったんだよね。クソやべぇから心して聞いてね。


「なんて素晴らしいのでしょう、やはり私の目に狂いはありませんでした! 貴方こそ真の聖者、いえ、世界の求める先導者!」


ーー真島が言うにはさ、直ぐの変更って出来ないらしいんだよね。つうわけで、悪いんだけど変態を続行してもらえる? そっちの世界ではゴミカス扱い受けちゃうかもしんないけどさぁ。


「さぁ、町の人々に知らせましょう。神の御言葉を迷える市井の者たちに教えてやるのです!」


「みんみょん」


ーーともかく今はジッとしててね。派手なことやらかして注目浴びたら、最悪命を狙われたりするかもしれないし。


「さぁさぁ早く! 司教様も再び、いえ、より一層の熱意をもって貴方を喧伝してくれるでしょう!」


「みんみょん」


「ミクちゃん、今はちょっと静かにしていてもらえます?」


「ああもう皆んな同時に喋らないで! 何言ってんのかわかんなくなっちゃうよ!」


 一斉に話しかけられるにも限度ってものがある。女神とオリヴィエだけでなく、ミクロまで参戦してきたのだから、もはや収拾すら怪しくなる。だけど、その局地的な混沌(カオス)も女神の退場で終焉を迎えたのだ。捨て台詞的に『はいはい、おデートの邪魔して悪かったね呪われろ』という言葉を残して。あの人は一々つっかからないと気が済まないんだろうか。


 ともかく、耳元の不快感(おつげ)は消えた。だけど問題が解決しきった訳じゃない。オリヴィエがすっかり熱狂状態(オーバーヒート)となり、僕にしがみついてきたのだ。さらに間の悪い事に、草原で遊ばせていた子犬があらぬ方向へ駆け出してしまった。その先には森があり、潜り込んだなら魔物に襲われてしまうかもしれない。


「オリヴィエ大変だ、犬が逃げた!」


「レインさん! レインさんったらもう! どこまでも聖者さん、途方も無いほどに聖者さん!」


「離してってば! あの犬を追わなきゃ……」


 参った、オリヴィエが離れない。腰にしがみついた両手は溶接でもされたかのように固く、全然解けなかった。その間にも子犬は走る。そして遂には、懸念した通り森の中へと駆け込んでしまった。


 でも心配は無用だった。森の中ではグスタフが偶然にもトレーニング中だったらしく、上手いこと捕まえてくれたのだ。彼はグッタリとした子犬を僕に差し出しながら言った。


「何だか良くわからねえが、オレの顔を見た途端に固まっちまったぞ」


 流石は武神との呼び声が高い男だ。まさかトレーニング時に放たれる闘気だけで、動物を怯えさせてしまうとは。大事にならずに済んで胸を撫で下ろした。


 それからは割と面倒だった。まずグスタフに、腰にしがみ付いているオリヴィエについて説明した。嫌らしい目的で無いことを納得してもらうのに、そこそこやりあう事となった。そして依頼の報告時も揉めた。飼い主からすれば、なぜ一頭だけが怯えているか不審に感じられたのだろう。説明を強く求められたけども、さすがに逃がしかけた結果だとは言えず、言い繕うのには苦労させられた。


 結局のところ役職(へんたい)に関係無く、働くとは大変な事なのだと知った。それでも思う。必要な苦労と、不必要な苦労に違いはあるのだと。生業で生まれた苦労は不思議と不快感を覚えず、むしろ達成感の方が大きく感じられたのだ。

 

 



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