報告書B 変態とは仮の姿

「ショーコ。私に報告のひとつも無しに黙っていたとは……いい度胸じゃないか」


 とうとう課長に隠し事がバレてしまった。なのでこうして呼び出しをくらい、痛烈な叱責を受けている。ちなみに処刑理由は備品のティッシュをちょろまかした事でも、トイレ休憩のフリしてカフェに買い出しに出た事でも、ネットに課長の陰口をツラツラと書き連ねた事でもない。例のバグデータ流用の件だった。


 視界の端で同僚たちがせっせと働く姿が見える。でもそれは見せかけだと気付いていた。真剣に画面を眺めるフリをしてこちらの様子をチラチラと窺っている気配は、私の右頬にザックザクと突き刺さっているのだから。


「次のイベントまで多忙を極めているというのに、一体何を考えているんだ?」


「はい。まことに申し訳ございません」


「欲しいのは謝罪ではない。具体的な対策だ。これからどう動くのか説明してみせろ」


「このような不祥事を起こしてしまったことを重く受け止め、速やかに職を辞そうかと……」


「却下だ。責任論ごときで人材の流出を許す訳がない。そんなゆとりが有ると思うか?」


 この返答には内心で舌打ちした。何せ辞職という逃げ道をアッサリと塞がれてしまったのだ。『辞めるも労働者の権利だ』と食い下がったとて無駄だろう。この鋼鐵女(かちょう)がその程度で揺らぐとは到底思えない。


「ともかく、席に戻り対応しろ。それから、システム開発部の真島にコールバックしておけ」


 百万言のお叱りを受けたあと、それを最後にようやく解放された。そもそも隠し事がバレたのも、その真島が原因だ。私の離席中にヤツが電話を寄越したせいで、課長が代理で応答してしまったのだ。その結果があの叱責だ。業務中のカフェタイムが裏目に出たという事になる。


「やってられっかボケ。30分もキレ続けるとか人間かよマジで山麓に埋めるぞデカ乳女」


デスクに戻るなり、いつもの通りコンパクトに毒を吐き出す。これが私のデトックス。両隣の新人さんがソワソワしてしまうけど、今は気遣ってやれるだけの余裕がない。ごめんねと心の中で優しく囁くばかりだ。


「さてと、手始めに何すりゃいいんだろなぁ」 


 とりあえず管理画面を開き、担当のハコニワにアクセスする。まずはレイン君の様子を見よう。そう思っていると、唐突にデスクの内線が鳴る。発信者は告げ口野郎だった。


 素直に応答する気にはなれず、しばらくの間虚しく呼び出し音を響かせてやった。それが5つ鳴らされた所で、私は受話器を持ち上げた。


「あい、管理事業ぉ部のクロハですけどぉ」


「システム真島だ。どうした、機嫌が底を打ってるぞ」


「べっつにぃ。何でもないっすけどぉ」


「つうかお前、課長に報告してなかったんだってな? ありえねぇだろ」


「あーあーあー。説教はついさっき散々くらったんでー、ミカンの皮が枯れるまで絞られたんでーそれ以上言わないでくださいぃー」


「自業自得だろうがよ、まったく」


「ところで、用件は何よ。告げ口のお詫びに飯奢ったりしてくれんの?」


「何でオレが悪いことになってんだ! 例の役職についての話だ!」


 この真島ってやつは本当に冗談が通じない。一度くらいユーモラスでスマートな返しをしてみろよと思う。


「あの変態についてね。もしかして、解決法が見つかったの?」


「そんな都合良くいくかよ。あれが思いの外ヤバい事が分かったから、それを教えてやろうと思っただけだ」


「ふぅん。まぁあいいや、聞かせてよ」


「あのデータは外部から雇った凄腕の担当だった話は覚えてるよな?」


「もちろん。だからこそアンタの尻を叩かずに、辛抱強く解決を待ってるんじゃないの」


「んで、その作業者には邪神用の新データ作成を一任していた。オレたちじゃお手上げだったからな」


 何だか嫌な予感がする。受話器を握る手も次第に滑り気を帯びていく。この先を知るのが怖い。それでも電話口の野郎は腹立つほどに饒舌だ。まったく、人の気も知らないで。


「ねぇ、まさかとは思うけどさ。例の変態って……」


「残念ながら、あの救世主とやらは邪神の生まれ変わりって事になるな」


「ゲフッ!」


「正確に言えば邪神のテストデータだ。ハコニワ住民と接した際に、意図通りの関係性を築けるかを確認するためのな」


「ゲーホゲホッ オェッ!」


「おい黒羽、しっかりしろ」


 昼に食ったカルボナーラを吐いちまうかと思った。レイン君は変態、変態は邪神。すなわちレインは邪悪な神様って事かよフザけんな。あの子は次のイベントで雄々しく戦う主人公格なんだぞボケが。


「あのさぁ! なんでそんな珍妙な名称にするかなぁ! 邪神テストとかにしておいてよッ!」


「んなもん本番環境で使えるかよ! 視聴者にテストなんて役職を見せられる訳がないだろ!」


「そりゃそうだけどさぁ……ひでぇよ。ちょっとした遊び心が大トラブルになるなんてさぁ」


「……次からはメールをちゃんと読め。話を続けて良いか?」


「なによ。お説教?」


「違う。テストデータの性質についてだ。これはお前も知っておくべきだと思うぞ」


 真島の声が遠退いていく。違う、自分の気が遠ざかっているんだ。今は何もかもを忘れ、ゴロリとフロアに不貞寝したくて堪らなくなる。


「さっきも言ったが、あくまで限定的な性質しか反映されていない。だから特別に強かったり、希少な闇属性魔法を使えたりはしない」


「まぁそうみたいね。一般人に毛が生えた程度の能力だったよ」


「それから、初回好感度、すなわち第一印象は最低。敵対率は驚異の88%だ」


「ん? 何よそれ」


 仕事で頻繁に見かける単語のなかで、実態の知らないものが飛び出した。理解してなくても業務に差し支えなかったせいで、これまでに追求することはしなかったが。


「他者に敵対される確率といえば分かりやすいか。たとえば魔物は人間に対して100%で設定されている。見かけたら問答無用で襲いかかる為にな」


「そうなんだ。ちなみに邪神はなんで100じゃないの?」


「次のイベントは邪神『軍』が出てくる訳だろ。つうことは、邪神サイドの勢力を築かなくちゃならねぇ。そこで完全な敵対設定にしたら軍や拠点の組織なんて不可能だろ」


「あー。もしかして、反乱祭りになっちゃうってこと?」


「その通りだ。100にするとしたら、伝説の魔獣イベントとかだな、住民バーサス怪物一匹、なんてパターンに使用される」


 確かに考えてみれば合点がいく。邪神は四天王を始め、多数の配下やらを従えてハコニワ世界を侵略しなくてはならない。時にはハコニワ住民が邪神側に裏切るなどのミニイベントも計画されている。真島の言うことは自分の知る情報と整合性が取れていた。


「ふぅん。結構凝った作りしてんのね」


「他人事か。お前はそんな性質を持ったヤツを、しかもバグまみれで修正不可な個体を、本番環境に解き放ったんだぞ」


「わかってるわよ。みんなに敵対されちゃうから、上手いこと守ってやれってんでしょ?」


「それもあるが、もっと気になる事があってな」


 ここで真島が急に口ごもる。これはほんと止めて欲しい。どんなバッドニュースが飛んでくるかと考えるだけで、尿を漏らしそうになる。


「前の電話でも軽く触れたが、敵対率が機能するのは最初のうちだけだ。二度、三度と対話を重ねるほどに効果は減衰していく。最終的には敵対率よりも、互いの関係性や評判なんかが勝るようになるだろうな」


「言っちゃあ、良いことしてりゃ周りと仲良く出来るって話でしょ。それの何が心配なのよ」


「……場合によっちゃ国が出来るぞ。邪神には拠点を作る機能が備わってるからな」


「えっ、それは困る!」


「ハコニワ住民からしたら、邪と言えど神は神だ。見せ方次第じゃ信仰対象になることすら有りうる。まぁ、神様って名目となるかは知らんがな」


「やべぇよ、やべぇよ。イベントの隙間に世界情勢変えたとなったら、叱責じゃすまねぇよ」


「ともかく、変化には十分に気を付けておけ。事が起きてからじゃ遅いからな」


「やべぇよ、やべぇよ……」


「おい黒羽、聞いてんのか?」


 こうなっては真島なんかとお喋りしている場合じゃない。未だにゴチャゴチャ喚く受話器を放り投げ、すぐさま管理画面に目を移す。すると早くも異常値を発見した。極々一部だけではあるけども、警告を表す赤い文字が一覧表を染めていたのだ。


「あっぶねぇな。真島の言ってた通りの事が起きてんじゃん!」


 場所は東大陸北部。ムシケとかいう港町は今現在、ちょっとした熱狂状態(フィーバーモード)になっていた。これが真島の言っていた拠点づくりの走り出しであったなら、ただちに阻止しなくてはならない。


「えっと、えっと、今の時間の視聴者は……10万弱か。結構多いな」


 ネットで年中無休の公開、更には基本無料というお手軽さから、平日昼間であっても相当数のユーザーが訪れていた。これほどの衆人環視の中では、露骨な操作というのは難しい。数値をいじくり回すにしても、極力自然を装う必要があった。


「お前らー、落ち着けよぉ。早まるんじゃねぇぞー?」


 ムシケに所属するキャラクターを一括で選択し、感情値の項目にマウスカーソルを合わせる。普段なら一気に数値を変更するところだが、それは危険な手段だった。下手したら、ハコニワ人たちに極端な行動を取られてしまいかねない。


「気の迷いなんだって。レイン君を崇めようとした気持ちは、一時の夢だったのよぉー?」


 現地時間の経過を見据えつつ、ジワリジワリと好感度を下げていく。ほぼ最大値だったそれを90、80と落としていき、最終的には60で止めた。これで国造りなんて戯言は吐かんだろうし、レイン君もぼちぼち平和に暮らせるってもんだ。視聴者からも『人々の熱狂が徐々に冷めていった』という風に見えているはずだ。


「ふぃー、あっぶね。気付くのが遅れたら新王朝が誕生してる所だったわ」


 私、黒羽ショーコ。辛くもトラブルの上塗りを回避する。これは真島による助言のおかげと言えなくもない。今回の功績をもって、告げ口の件は水に流してやろうと思った。

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