第13話 試練の曲解

「いやぁっはっは! ありがとうよ、眠りこけてたオレを助けてくれたみたいでよぉ!」


 化け物騒動を引き起こした男が、これまで以上に豪快な声で笑った。それに驚かされたのは鳥たちだ。木々の間から我先にと何羽も飛び立ってしまう。


 そう、ここは洞窟入り口の森の中。あれから僕たちは探索を終えて地上へと戻っていた。ちなみに帰り道は驚くくらいに安全だったのは言うまでもない。何せ武神のような強さを誇る男が先導したのだから。密行魔法(スニーク)を唱える必要は全く無かった。


「それにしても貴方、お強いのですね」


「グスタフだ。ゴープっつう田舎出身で、今は武者修行に励んでいるところだ」


 彼はそう言うと、丸太のような腕を曲げて力こぶを作ってみせた。豪語するだけあってかなりの迫力が感じられる。筋肉の塊かと思えるほど鍛え抜かれていて、その努力の跡が忍ばれるようだった。


 それに装いも独特だ。身のこなしを重視してか、妙に軽装なのだ。上半身は小さな胸当てと、利き腕を守るアームガード、そして両手に手甲があるだけだ。それ以外は素肌を隠す布すら身に付けていない。下半身も丈の短いズボンに膝当てのみ。これで実力が追い付いていなければ、そこそこの変態にしか見えない。


 僕と比べて、どっちが不適切な格好に見えているんだろう。やたらと『ギリ陰部』だの『割と出てる』だのと言われると、自分がどの程度酷いのか気になってしまう。


「ところでアンちゃん。アンタも随分と軽装じゃないか。オレと同じ拳士タイプなのかい?」


「えっと、僕のは違くって……」


「レインさん。まずは自己紹介を兼ねて、これまでの経緯を説明しませんか?」


「うん。その方が良さそうだね」


 勧めに従って、僕は全てを明かした。女神から試練(のろい)を頂戴した事。ブレイメルでの事件や、ムシケでの依頼までも事細かに。


 グスタフはその間、じっと僕の言葉に耳を傾けてくれた。茶化すこともせず、もちろん敵意を見せる事すらない。それどころか話を聞き終えるなり、僕の肩を親しげな素振りで抱き抱えたのだ。口から紡がれた言葉は神妙であり、先ほどの豪放さは鳴りを潜めている。


「大変だったなぁ。若ぇのに苦労しすぎだぞ」


「あ、ありがとう。グスタフさんは、僕の事が気持ち悪くないの?」


「呼び捨てで良いぞ。それからな、アンタらは命の恩人なんだ。ちょっとばかし見た目が変わってるからって、唾吐くような真似はできねぇ。んなことやらかした日にゃあ故郷の女に叱られっちまうよ!」


「まぁ! 将来を誓いあった方がいらっしゃる? 素晴らしいことです」


「おうよ。アイツは怒らせるとおっかねぇが、すげぇ良い女なんだ。アンちゃんもパートナーは大事にしなよ」


「そうです。大切にしてくださいね」


 グスタフに並んでオリヴィエまでがしみじみと頷いている。これは遠回しの叱責なんだろうか? 僕が何をしたというんだ。


「それはさて置いて、町に戻る前に決めておかなきゃいけない事があるよね」


「私たちの新居についてですか?」


「そんな話はしてなかったよね。依頼の報告についてだよ」


「依頼ってぇと……洞窟の怪物を倒せっつうやつか?」


「うん。唸り声が止んで町の人たちは安心するだろうけどさ」


「その張本人がノコノコとツラを見せるってのも、具合が悪いよな」


「そうなんだよ。依頼主になんて報告したら良いんだろう……」


 本来であれば、包み隠さず伝えて、グスタフに謝罪してもらえばお終いだろう。でも僕らに限っては事情が違う。些細なトラブルが切欠で大事に発展してしまう危険性があった。せっかく受け入れてくれそうなムードの中、下手な行動は避けておきたい。


「どうしよう。嘘をつくのも嫌だしなぁ……」


「レインさん。ご心配に及びませんよ」


「嬢ちゃん。何か考えでもあんのかい?」


「ええ、もちろんです。全て私にお任せください」


 オリヴィエが真っ直ぐな瞳で言った。それでグスタフは信用しきったらしく、早くも話を切り上げてしまう。だけど僕は小さくない不安を抱いた。彼女は勢いづくと、余計な事を口走りかねないからだ。先日の『聖者発言』は記憶に新しい。


 僕が煮えきらない態度でいると、背中を押されるようにして町へと連れていかれてしまった。集団とは多数決で行動を決めてしまうものらしい。移動中、2人は代る代る僕を勇気づけようとしてくれた。やれ『どうにかなる』だの、『神のご加護がある』だのと、僕の心に馴染まない言葉で。


 町に辿り着くと、すぐに人だかりが出来た。洞窟の唸り声が聞こえなったばかりであるのに、問題の解決は早くも知れ渡っていたのだ。誰も彼もが僕たちを褒め称える。そして当然のように事の顛末について質問が投げ掛けられる。競り市場のように矢継ぎ早だ。


「皆さん。私から説明させていただきますので、お静かに願えますか」


 オリヴィエが通る声で言うと、ざわめきが小さくなり、やがて止んだ。そこへ彼女の『妙案』とやらが披露された。


「怪物は恐ろしいまでに強く、並みの魔物を寄せ付けないほどでありました。実際、洞窟内は弱い魔物が餌食となっていたようです」


「本当にそんな強ぇヤツだったのかい!?」


 群衆から悲鳴にも似た声があがる。オリヴィエは静かに肯首した。


「はい。お疑いであれば、洞窟の中を改めてください。無惨にも討たれた魔物により、数えきれないほどの残骸が眠っている事でしょう」


 彼女の言う残骸とは、グスタフが倒した魔物の素材を指しているんだろう。脱出時に僕たちは回収するまで気が回らず、全てをその場に置いてきてしまったのだ。だから話の筋は通っている。ここまで嘘はひとつも無い。 


 オリヴィエの説得力に圧されたのか、群衆は言葉を丸ごと信じたようだ。そこへ畳み掛けるように演説は続く。


「あれは確かに獰猛で強力な怪物でした。しかし、こちらにおわす聖者様は神に愛されし御仁。天が遣わした使徒を味方につけることで、かの強敵を追い払う事に成功したのです!」


 この言葉に群衆が沸いた。使徒とはもちろんグスタフの事で、多勢の視線が彼の方へと向けられる。


 人々が熱狂に沸く一方で、僕とグスタフは置いてきぼりを倉ってしまった。この急展開に付いていく事は難しい。


「使徒ってぇのは……もしかしてオレの事かい?」


「たぶんね」


 せめて事前に話を聞いておくべきだったと後悔の念がよぎる。今となっては後の祭りであるけども。オリヴィエはまさに絶好調。その舌鋒(ぜっぽう)は鋭くなる一方だ。


「皆さん。聖者様を信じてください。苦しく辛い世を、必ずや建て直してみせるでしょう。ただ信じなさい! 中央教会のお墨付きを得た、聖者レイン様を信じなさいッ!」


「なぁアンちゃんよ。これ大丈夫か?」


「そろそろ危ないかも……」


 僕は演説を止めようとした。また妙な事を口走る前に、冷静さを取り戻してやりたかった。


 しかし、僕よりも先に『待った』をかけた人物が現れた。それは人垣をゆっくりとかき分けて、僕らの目の前へ迫り来る。背が丸く、声のしわがれた老人だった。


「貴方は?」


「ワシはな、クロハ教会の東支部を任されておる、カンパ司教というものだ。以後お見知りおきを」


「……司教様!?」


「童たちよ。少し悪戯が過ぎたようだな。元気が有り余っているのは良いことだが、教会の名を騙るのは感心せん」


 この言葉に周囲はざわめいた。そして僕たちを見る目が、少しずつ冷ややかなものへと変わっていく。困惑の中に僅かばかりの憎悪が生まれるのが見えるようだ。この瞬間に僕は思い知ったのだ。とうとう断罪の時が来たのだと。


 司教と名乗った老人はオリヴィエの真正面に立ち、対決する姿勢を見せた。互いの視線がぶつかり、周囲に不穏な空気を醸し出す。そして大方の予想どおり、両者による舌戦が繰り広げられる事になった。


「中央教会から派遣されたというが、それはあり得ない。なぜなら、ワシの元へ何ら通知が届いていないのだから。その事について何か反論はあるかね?」


「いいえ司教様。私も確かに口が過ぎたことを謝罪致しますわ。方便とはいえど、さも後ろ楯があるように、事実とは異なることを人々に吹聴してしまいました」


「……耳が悪くなったかな。まるで『教会の信任以外は事実だ』とでも申したように聞こえたのだが?」


「ご明察にございます。こちらにおわすお方は、御自ら苦難に身を置き、苦痛の最中より道を探しておいでです」


「シスター。話が一向に見えて来ぬよ。先程は高らかに『信じよ』と申しておったな。少しばかり風変わりな苦行を実行しているとは言えど、どこの馬の骨とも知れぬ小僧ではないか。何を理由に聖者様の名を悪用したのだ」


 司教の視線が鋭くなる。語気につられてか、町の人々の態度も固いものとなってしまった。時おり、怒号にも似た批判の声もあがっている。こうなってしまえば引き下がるしかない。這いつくばって謝罪をするか、一目散に逃げるかの瀬戸際にあると思えた。


 しかしオリヴィエは譲らない。大勢の非難めいた視線など見えていないかのように、凛々しい顔を崩さなかった。それどころか、これまでで一番の鋭い口調で言葉を返したのだ。


「この方は我らが神より直々に試練(しれん)を授かっております。その責務は生半可なものではありませんが、こうして全うし、救世の道を模索しているのです。それは古来より伝え聞く『聖者伝説』そのものではございませんか! 悪用などと、たとえ司教様といえど聞き捨てなりません!」


「か、神の試練を授かったとな!? 口を慎め! そのような尊き方は、かれこれ何百年と現れてはおらぬぞ!」


「私は事実を申し上げたまでにございます」


「よりにもよって試練とは……ホラ吹きも大概にせい。ワシの眼力を見くびるでないぞ」


 老人はそう吐き捨てると、僕に向かって目を剥いた。眼球の丸さが際立つほどに開かれており、その強烈な容貌には思わず腰が引けてしまう。


「他の司教ならいざ知らず、このワシを騙しおおせるとは思わぬ事だ。我が能力に『慧眼』というものがある。童の嘘なぞたちどころ看破してみせようぞ」


「ならばご随意に」


「ふん。その虚勢もいつまで持つか……ッ!?」


 老人の言葉は最後まで紡がれることは無かった。目を見開いている様は変わらぬものの、両手を所在無さげに宙を漂わせた。そして衝撃をうけたようによろめき、膝を屈してしまったのだ。一体何が起きたのか、僕はもちろんのこと、群衆の誰一人として理解できずにいた。


「あぁ、凄まじいまでの太さ! このようなモノを生きている内に眼(まなこ)に収める日が来ようとは……!」


「司教様。あなたの目に何が映りましたか?」


「魂の柱だ。それは貴人ほど厚みがあるのだが、これほどのモノはかつて見た、いや耳にしたことすらない! 教会の長たる教皇猊下をも遥かに凌ぐ……なんと尊い、なんと雄々しいことか……ッ!」


 そう絞り出すように叫ぶと、彼は体を投げ出し、地に額が擦り着く程に平服してしまった。微かに嗚咽のようなものも聞こえる。もしかすると泣いているのかもしれない。


 困ったのは周りを取り巻く人々だ。二転三転する話を理解するのは難しい。誰も彼もが顔を見合わせて探りを入れる。困惑が混乱を生み、動揺が広がっていく。それが本格的な騒ぎに変わる前に、司教が『無礼者め、ワシに倣え!』と叱りつけると、全員がその場でひれ伏した。


 なんて異様な光景だろう。立っているのは僕ら3人だけであり、残りは全て跪いているんだから。この『奇劇』の立役者である司教が震える声で言った。濡れそぼった頬が日差しを受けてキラリと煌めく。


「ワシは自分の不明が恨めしい。地位に胡座をかき、技能に慢心し、遂には正しき道を見失ってしまった……」


「司教様。人は誰しも道を誤るもの。ですが悔い改め、正道を希求する事もできる。違いますか?」


「……そうであった。老いぼれの愚痴など何の役に立とうか。これより各所への通達を準備しよう。聖者様のご降臨を知らしめねばならぬ!」


 司教が年齢にそぐわない早さで立ち上がると、風のようにその場を立ち去った。それを期に群衆も散り散りになり、やがて人垣が消えた。


 どうしてこうなったんだろう。何度思い返しても、あまりの急展開に理解が追い付かなかった。唖然とするばかりの僕に、オリヴィエが微笑みかけた。


「レインさん。良かったですね」


「良いって、何が?」


「貴方の目映いまでの真価。ここでようやく理解して貰えました」


「曲解も良いところだよ! 撤回してもらってよぉーーッ!」


 それからも状況は目まぐるしく変化した。なにせクロハ教会の名前入りで『聖者レイン殿に対し、一切の無礼を厳に禁ず』などという文書が発行されてしまったのだ。そのせいで僕は一躍時の人となってしまう。この日を境に、僕はこれまでとは違う意味で注目を浴びるようになった。道を歩くだけで『聖者さま』『陰部さま』と声がかかるのだ。これはこれで辛いものがある。


 果ては何かの台帳にはエラい事が書かれていたのを見てしまう。どんな風に聞き間違えたのか、僕の名前を『レ陰さま』と表記していたのだ。この時ばかりは、人目も憚らずに泣き喚いてやろうかと思った。

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