第12話 洞窟の怪

 町の人たちが持ちかけた相談とは、とある洞窟の調査だった。本来なら弱い魔物が潜んでいるらしいけど、ここ数日のうちに不穏な気配が感じられるようになったそうだ。


 『皆が不安に想っている。商売にも悪影響が出だした』と言ったのは、代表者である武器屋のおじさんだ。調査するにしても高名な冒険者を雇う金がなく、かといって初心者に頼んでは銭失いになりかねず、ほとほと困っていたんだとか。そこへ聖者の噂を聞きつけてやって来たそうなのだ。


「僕も駆け出しの冒険者ですよ」


 そう断ろうとしたのだけど、オリヴィエが2つ返事で承諾してしまった。その結果として、僕たちは町外れにある噂の洞窟まで来ている、という訳だ。


「まったく……安請け合いしちゃうんだもんなぁ」


 洞窟の内部は暗い。そして入り口からは既に、大型獣のような唸り声がうっすらと聞こえるのだ。こうなってしまえば恨み言の1つでもぶつけたくなってしまう。


「レインさん。この話には3点のメリットがあります。逃す手はありませんよ」


「そうなの? 僕にはピンと来ないなぁ」


「まず1点目。貴方の名を売ることで、ムシケだけでなく他の町の人々からも信頼を得やすくなります。2点目。武具店と誼をもつと、掘り出し物を提供いただけるなどの特典があります」


「なるほどなぁ。3つ目は?」


「人の寄り付かない暗がりで、若い男女が2人きり。当然何かが起きてしまうでしょう」


「急に何の話!?」


「ああっ! 密行魔法(スニーク)など唱えて……私をどうするおつもりですか!」


「魔物避けだからね? そして静かにしてね?」


 オリヴィエは真顔で冗談を言う癖がある。真面目な話の最中でも織り混ぜてくるので、聞いてるこっちとしては気が抜けない。自然と会話のペースも握られがちになり、彼女の口が達者というのも何となく頷ける想いだった。


 それはさておき洞窟内部へ。灯りの松明はお任せして、自分は警戒に専念することにした。魔法で気配を消し、はぐれない為にオリヴィエの手を掴む。その手が小刻みに動き、僕の手のひらをくすぐってきた。ギュッと握りしめる事でイタズラ心を制圧する。


 中は立派な魔物の巣だった。グリーンスライムや、新顔となる『角ネズミ』の集団が、空洞のあちこちで見受けられた。刺激しないよう慎重に通りすぎていく。どちらの魔物も暗がりにこもるだけあって、音に敏感なタイプであったのは幸いだ。僕らが至近距離に居たとしても、大した反応を見せなかったのだから。


(唸り声が、徐々に大きくなっていくな……)


 どれほどの化け物が棲んでいるのだろう。定期的に繰り返されるそれは、相当な威圧感を孕んでいた。果たして自分達の手で負える相手なのか。サイクロプスのような巨人や、マンティコアなどの魔獣を想像しては、心が恐怖に染まっていく。


 恐怖にあてられて口の中に渇きを覚えた。自然と繋いだ手にも力が入る。するとオリヴィエは、繋いだまま指先で僕の手の甲を撫でた。ちがう、そういう意図じゃない。


(声の主はこの奥か……)

 

 一際広い空洞にたどり着くと、声はいよいよ間近に感じられた。高さと奥行きは相当なもので、松明程度では全貌を照らし出すことを出来なかった。


 念のため密行魔法を重ねがけする。狙いは効果の倍増ではなく、持続時間の延長だ。帰りの使用分も考えれば、往路でこれ以上の使用は許されない。更に奥へと道が続いていたとしても、探索を中断して引き返す段階にまで来ていた。オリヴィエに耳打ちで考えを共有する。


(ここの探索が終わったら、一度町に戻ろう)


(わかりました)


 一歩一歩摺り足で、息を殺しつつ侵入を試みた。唸り声は尋常じゃないほどに大きく、肌に痺れを感じるほどだ。それでも調子そのものに変化はない。つまりはこちらの存在に気づいていない。もしかすると、洞窟の主も音で感知するタイプなのかもしれず、そうだとしたら僥倖(ぎょうこう)というやつだ。


 どれほど暗闇の中を進んだだろう。振り返っても空洞の入り口は既に闇の中だ。天井や壁にも光は届かず、何ひとつ見えやしない。前後左右が黒一色。あるのは地響きのような唸り声、そして手の温もり。


 手を強く握る。今度はオリヴィエもおどけたりはせず、しっかりと握り返してきた。僕たちはまるで大海原に浮かぶ小島のようだ。小さな灯り1つだけを頼りに常闇を切り開いていく。


(あれは……人の足だ!)


 前方にようやく目新しい物を見つける事ができた。それは地面に横たわる大人の足。どうやら誰かが倒れているようだ。唸り声もすぐ傍から聞こえる。敵の姿こそ見えないものの、その距離は目前のハズだ。オリヴィエが松明の向きを変えた。それで辺りの様子が見えたのだけど、待ち受けていたのは予想だにしなかった結果だ。それを僕は中々受け入れる事が出来ずにいる。


(これ、寝てるよね?)


(はい。完全に高いびきですね)


 化け物の唸り声と思われたそれは、妙にでかいイビキだった。床に倒れた人物は行き倒れや、哀れな犠牲者などでは無く、両手を投げ出して眠っている豪胆な男だったのだ。反響のせいで、外の人間からは禍々しい唸り声に聞こえてしまったらしく、それが噂に尾ひれがついたというのが真相のようだ。


 そこまで気づくと腰が砕けてしまった。バカらしいというか何というか、人騒がせも大概にして欲しいもんだ。


(まったく。よくこんな所で眠っていられるよね。危ないとは思わないのかな?)


(レインさん。これは危険な状態です。男性に中毒症状が現れていますよ)


(中毒?)


(体に紫の斑点模様が浮かんでいます。これは『眠りキノコ』の毒に侵されているためです。このままでは衰弱死する可能性があります)


(大変だ。町に戻って治療を受けさせないと)


(ひとまずは治癒魔法(ヒール)をかけます。生命力次第では、それで快方に向かうことでしょう)


 オリヴィエは魔法を発動させ、空いている手を光らせると、その輝きを男の体へと滑らせた。次の瞬間には相手の全身が輝き、いびきも止んだ。問題となっている斑点模様も薄らいでいく。


「ふわぁーー。よく寝たなぁーーッ!」


 一命を取り留めた形なんだろうけど、僕としては酔っぱらいの介抱をさせられたように思えてならない。男は伸びをすると、これまた大きな声をあげた。周囲で魔物たちが騒がしくなる。 


「んぉ? 何だいアンタらは。冒険者(どうぎょう)かい?」


「あの、静かにして。魔物に気づかれちゃうよ」


「魔物だぁ?」


 男はまだ事態を飲み込めていないのか、立ち上がると再び大あくびを響かせた。今度のものは雄叫びに近く、聞こえよがしに叫んだとしか思えなかった。


 これが決定打になったらしく、魔物たちが大挙して押し寄せてきた。姿は見えなくとも地響きや音で大群だと分かる。方角は入り口の方からであり、逃げ道を塞がれた格好となってしまった。


「お、オリヴィエ! 早く俊敏魔法(クイック)を!」


「わかりました!」


「アッハッハ。ずいぶんと大勢のお客さんが来なすったなぁ」


「笑ってる場合じゃないよ、どうにかして逃げなきゃ殺されちゃう!」


「大丈夫だって、安心しろよ」


 男は鼻を鳴らすと、音のする方へと踏み込んだ。両手に武器や盾は無い。完全な丸腰だった。慌てて暴挙を引き留めようとしたけども、敵の動きの方が早かった。薄暗い闇の中で、何体ものスライムやネズミたちの飛びかかる姿が見えた。


「おう、ちょっくら寝覚めの運動に付き合ってくれや!」


 次の瞬間には戦闘の火蓋は切って落とされていた。男の上半身が目まぐるしく動く。尋常じゃない程に速い。拳が振るわれているのは分かるけども、その軌道を目で追いかける事すらできなかった。


 それらは全てカウンター攻撃だったらしい。拳が動く度に魔物が一匹、また一匹と地面に落ちていく。そして何十もの敵を葬ると、辺りには不気味な静寂が再訪した。


「なんだなんだ。骨の無い連中だな。こっちは体が温まってすらいないぞ」


 男は無傷であり、体力もだいぶ余裕を残していた。強いなんてもんじゃない。もはや人の領域など遥かに超えた存在のように思える。


 不気味な唸り声の正体は人間によるものだった。しかし、その人物は化け物並みに強いという、半ば噂通りの結末を迎えたのだ。

 

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