第11話 ホラ以上の嘘未満
ブレイメルを飛び出して3日目。ポリトリの実に飽き飽きし、スライム退治に手慣れた頃にようやく目的地へと辿り着いた。
ここは港町ムシケ。入り口から緩やかな下り坂が続いていて、道の先には入り江が見える。ここは東西大陸を結ぶ玄関口であるため、海路を往復する大型商船が数多く走っている。そこへ無数の漁船が加わるのだから、沖合いは相当に混雑していた。
さすがは東大陸北部で最大の町だ。世界でも指折りの発展ぶりには心が躍ってしまう。外観も威厳と華やかさが同居していて立派なものだ。歴史の古さは通りに敷き詰められたレンガの様子から。そして豊かさは、新旧の建物が整然としつつも、ひしめき合っている事から窺い知る事が出来た。
「レインさん。まずは宿屋に寄ってはみませんか?」
「それは良いんだけど、きっと追い返されると思うよ」
道行く人々は僕たちを、いや僕を見据えては怪訝な表情を浮かべた。この冷遇ぶりがブレイメルでの記憶を鮮明に呼び起こす。
「私に妙案があります。交渉に発展すると思われますので、レインさんは話を合わせていただけますか? 必要が生じた場合のみで結構です」
「まぁ、それくらいなら良いけどさ……。上手くいくかなぁ」
「今度こそ成功させてみせましょう。こう見えても口は達者な方なのですよ」
オリビィエの先導で、通り沿いの宿屋へと入店した。内装は古めかしくとも、手入れの行き届いている印象を受けた。宿泊料金もそれなりの額になるだろう。来客に気づいてか、カウンターの奥から店主が姿を現した。それは恰幅の良い40歳くらいの男だった。
「いらっしゃい。ムシケで宿ならウチに来いってね。素泊まりは一人7ディナ、食事付きなら10ディナ……」
「2人で1部屋をお願いします。食事は不要です」
「フン、泊まりたきゃ2000ディナ寄越しな」
愛想が良かったのも最初のうちだけだった。僕の姿に気づくと舌打ちをし、激しく睨み付けてくる。提示された額も非現実的なものであり、事実上の宿泊拒否を言い渡されてしまった形だ。
「2000とは尋常ではありませんね。冗談がお好きなのですか?」
「アァ? 皮肉もわかんねぇのか。だったらハッキリ言ってやる。失せろ」
「我々が何か無礼を働きましたでしょうか? 貴方の振る舞いは商売人、いえ、良識を持つ大人からかけ離れておりますよ」
「何度も言わせるな。消えろ。お前らのような途方もない変態どもは、路地裏で寝転がってりゃ良いんだよ」
「そうですか。貴方は枢機卿団と事を構えても良いと」
「す、枢機卿だって!?」
「此度の事は覚えておきます。ではご機嫌よう。女神の幸あらんことを」
「ちょ、ちょっと待ってくれ!」
退出しようとしたオリヴィエに、男は腰を浮かしてまで引き留めようとした。カウンター越しに手を伸ばす様は、まるで救いを求める病人のようだ。
「枢機卿って何だよ、オイ!」
「ご存じありませんか? 不勉強にすぎますね。クロハ教会の最高決定機関の事ですよ」
「それくらいは知ってる! お前たちと枢機卿に何の繋がりがあるかと聞いてんだ!」
「私の装いから判断がつきませんか? もしや、一般人に見えるのですか?」
「そ、それは……。お嬢ちゃんは分かるけどよ、そっちのギリ陰部はなぁ」
「嘆かわしい。どこまで瞳を曇らせているのですか」
オリヴィエは目を細めて店主を見据えた。そこに普段の柔和さは感じられない、厳しさが前面に押し出されている。相手はというと、金縛りにでも遭ったかのように体を硬直させていた。冷や汗の流れる様が遠目でも分かるようだ。随分と小さくなった男に向けて、オリビィエの容赦ない追撃は続く。
「何の意味もなく、このような格好をしているとお思いですか?」
女神様(ちょうほんにん)は悪ふざけだと自白済みだ。もちろん話が拗れるだけなので言いはしない。
「な、何の意味があるってんだ」
それを知りたいのは僕の方だ。このデメリットしかない役職にどんな意味があるというのか。
「ではお教えしましょう。これはレインさんにとっては徳を積み上げる修行。そして、町の皆さんにとっては、各人の心根を確かめる機会にもなっています」
「心根、だと?」
「美醜や身なりで判断しないで居られるか。どのような相手であっても偏見を持たずに居られるか、その審査を兼ねているのです。あなたは目の曇りのため、不心得者の烙印を押される事でしょう!」
「な、なんてこったぁーーッ!」
店主は両手で頭を抱え、カウンターに突っ伏してしまう。後悔でもしているのか延々と同じ言葉を繰り返している。
一方でオリヴィエは、厳しさに憐れみを加えたような表情になっている。随分と大きく出ているけども、彼女だって初見の時は『変態、変態』と大騒ぎしたものだ。もちろんこの場では言わないけども。
「ご自分の不明を理解できましたか。次からは容貌だけでなく、必ず本質まで見ることですね。ではご機嫌よう」
「ま、待ってくれ!」
「まだ何かご用が?」
「オレが悪かった、泊めてやる。いや、うちに泊まってくれ!」
「唐突に手のひらを返されるのですね。枢機卿の名を脅しに使ったとあれば、こちらとしても聞こえが悪いのですが」
「と、とんでもねぇ! こう見えても信心深い方なんだ。『外見で判断するな』と説話で聞いていたにも関わらず……、オレは自分が情けなくて仕方ねぇんだ!」
「では、改心されたというのですね?」
「もちろん! 娘みてぇな歳のお嬢ちゃんに諭されるなんて恥ずかしい話なんだが……」
「人は過ちを犯すもの。神の前に齢などなく、正しき道のみがあるのですよ」
「……面目ねぇ!」
説法するシスターに、大男が涙を流してひれ伏す。これは感動的な場面なのかもしれないが、内実を知る僕には笑い話の一種にしか見えなかった。愉快な方ではなく、苦笑いの類だ。
それから2人分の宿賃、全財産だけども、支払いを済ませて部屋を借りた。店主は「代金はいらねぇ」だの「一番上等な部屋と食事をつける」とか提案してきたけども、すべてをお断りしておいた。あくまでも本来の金額とサービスに留めておく。そうでなければ恐喝が成立しかねないからだ。
それからは割り当てられた部屋に不要な荷物をおき、再び外へ出た。素材屋で換金する必要があるからだ。スライムの核は12個ほどあるので、通常であれば50ディナ前後になると予想されるけど、まともに買い取って貰えるかどうかは定かじゃない。宿屋のように首尾良くという保証はないのだ。
だけどオリヴィエは堂々としたものだった。往来ですれ違う人々に後ろ指差されていても、どこ吹く風という様子だ。その自信はどこから来るんだろう。先ほど口走った枢機卿が絡んでいるのかもしれない。
「ねぇ、オリヴィエ。君には後ろ盾みたいなものがあるのかい?」
「特別な待遇や身分の保証はありませんよ。あるとすれば、各教会の牧師様との面会が容易いというくらいでしょうか」
「でもさっき、宿屋で言ってたよね。枢機卿と事を構えるのか、というようなさ」
「はい、確かに。ですが、私たちが特別な庇護を受けているとは一言も触れていませんよね」
さきほどの一幕を振り返ってみると、確かに明言はしていなかった。とはいえ、オリヴィエに誤認を狙うつもりがあったことは、わざわざ考えるまでもないだろう。
「聖職者が嘘をついても良いのかい?」
「あら、嘘などついていませんよ。事情が事情ですので、荒療治を選んだだけのことです」
「荒療治……ねぇ」
話しているうちに素材屋にたどり着く。そして、ここでも宿屋と似たような事が繰り広げられた。追い返そうとする店主に向かって、オリヴィエの弁舌が冴え渡る。
「貴方の目は、甚だ曇りきっています!」
「ぎぇぇぇーー!」
荒療治(はったり)により真っ当な取引が可能となり、全ての核を換金できた。財布には52ディナが加算される。続いては場所を変えて食料品店。ここでは所謂『肝っ玉母さん』のような店番だったのだけど……。
「陰部が気になるのは、貴方の心が汚れている証左ではありませんか!」
「うひょぇぇーー!」
難なく当座の食料を買い込む事ができた。所持金の大半をはたいてしまったけど、まともな食事にありつける事を優先した。ところで不思議に思う。なぜ店の人はオリヴィエに論破されると一様に叫ぶんだろう。聞いてみたい気もするけど、知ったところで意味なんか無いと気づき、結局は取り合わない事に決めた。
オリヴィエは絶好調だ。次の道具屋でも口先は滑らかに動く。
「このレインさんを見くびってはなりません。この方こそ中央教会が、世直しをさせる為に派遣した聖者様なのですよ!」
「えぇーーッ!?」
ここで店主と僕の声が綺麗に重なった。勢いづいた結果、とうとう嘘が飛び出てしまったのだ。そして悪い事は重なるもので、聖者の噂はその日のうちに広まってしまったのだ。僕の出で立ちが注目を浴びすぎたからだろう。けれどオリヴィエは特に気にした風ではない。むしろ「実際に聖者のごとく振舞っていただければ、嘘にはなりません」と強弁する始末だ。
僕としては別に、聖者だろうが何でも良かった。ただ町の人たちに受け入れて貰えるなら。しかし、ひとたび噂になってしまえば、単なる風来坊では居られなくなる。翌日には早くも、厄介ごとの相談が僕の元へと届けられるようになってしまう。これが人生の転機になるのだけど、この時の僕はまだ気づくハズもなかった。
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