第9話 物は言いよう

 明るいうちに食べ物を探す事。それが僕たちに課せられた最優先課題だ。可能ならば陽が高いうちに見つけたいのだけど、辺りは民家ひとつない草原だ。街道の人通りも極端に少なく、商隊に出会えるかどうかも望み薄だ。もっとも、手持ちの10ディナだけで買えるものなんか、たかが知れているのだけど。


「どうしよう。あそこの森に行けば、何か果物くらい見つからないかな?」


 僕の提案にオリヴィエは首を横に振る。


「止めておいた方が宜しいでしょう。備え無しに見知らぬ森に足を踏み入れたなら、行き倒れになってしまうでしょう」


 真っ当な意見だと思う。でも僕らの境遇は、イチかバチかの選択を迫られる程に追い詰められていると思う。場合によっては僕一人で潜り込む事も覚悟しておこう。そんな悲壮な決意を胸に歩き続けた。しばらく道なりに進むと、オリヴィエが蹲(うずくま)ってしまう。旅の疲れが堪えたのかもしれない。


「どうしたの? そろそろ休憩にしようか?」


 提案しながら顔色を伺ってみると、意外と元気そうだった。歩けなくなるほど消耗しているようには見えなかった。


「ああ、すみません。休みたかった訳では無いのです。これをご覧ください」


 オリヴィエの指差す方には、焦げ茶色の細長いツボミのようなものがあった。僕の地元には無かったもので、それが何を意味するのかが分からなかった。


「ええと、これがどうしたって言うの?」


「ご存知ありませんでしたか。これはポリトリの実というもので、大変栄養価の高い食料なのです。調理も不要で、そのまま召し上がる事ができますよ」


「本当に!? そんな便利なものがあったんだ……」


「巡礼者にとって無くてはならない必需品です。私も見習いの頃には大変お世話になったものでした」


 オリヴィエは小さく祈りの言葉を捧げると、実をいくつか手に取った。片手に収まる程度の数だ。その実をつけた草は視界いっぱいに群生しているのにも関わらず、彼女は最低限度しか収穫しようとはしなかった。


「ねぇオリヴィエ。もっと採った方が良いよ。このバッグも空だから、たくさん持っていけるよ?」


「レインさん。それはなりません。この実は貧しい巡礼者はもちろん、戦争や災害に見舞われた人々の物でもあるのです。私たちが苦境にあるからといって、多くを採る事は許される事ではないのです」


「そういうものかなぁ……」


「ご心配なさらず。苦しい時を耐え凌げば、いずれ幸運を乗せた風が吹くものですよ」


 そういうとオリヴィエは実の半分を僕に手渡してくれた。手のひらで4粒ほど転がる。それが成長期の僕の昼食だった。ひとつぶ口に放り込んで見ると、固く、そして苦い。最後にほんのりと甘みを感じるけど、総じて不味いと感じた。タダなのに道行くひとが採っていかないのは、単純に美味しくないからなのだろう。


 ちなみに猫のミクロはというと、実には一切興味を示さなかった。ちょっと茂みに身を躍らせたかと思えば、トカゲを悠々と狩りとってみせ、それから自分だけで抱えて食べはじめた。この子に限っては人間世界の貧困など無関係なのだ。それが逞しく感じられ、少しだけ羨ましく思う。


 食事を終えたなら移動を再開、とはならなかった。それもオリヴィエからこんな提案があったからだ。


「レインさん。お互いの事をよく知るためにも、ステータスカードを見せ合いませんか?」


 彼女のいう事ももっともだ。何をするにしても互いの能力を知っていた方が良いに決まっている。僕は快諾し、ステータスカードを交換し、記載事項を見せてもらった。



名前:オリヴィエ

性別:女

年齢:18歳

武術:1.02

魔術:初級2.23

適正:神聖

技能:詠唱術

役職:街角シスター

役職練度:初級★

犯罪歴:無し


 とても羨ましい。この、誰に見せても恥ずかしくない内容が。それに引き換え自分のはどうか。役職(へんたい)はもちろんのこと、目ぼしい能力がひとつも無い。躊躇せずにカードを差し出した自分の迂闊さを呪いたくなる。横目でオリヴィエの顔を伺ってみると、彼女の顔は慈愛の表情に満ち満ちていた。それは予想だにしないほどに。


「ああ、なんという事でしょう。仰る通り『試練』の証が刻まれているではありませんか」


 そういうと、僕の『変態の部分』を愛おしそうに撫でた。それがむず痒いというか、どこか不適切な行為のように思えて、急ぎカードを元に戻した。 


 それはともかく移動だ。街道沿いに北進し、ムシケの町を目指して歩き続けた。初日はほとんど魔物に襲われる事がなく順調だったが、それはあまり良い事ではない。その理由は財布の中を覗いたなら明らかであり、次の町に着くまでにある程度の稼ぎが必要なのだ。


「レインさん、野宿の準備が完了しましたよ。今日はもう休みをとりましょう」


「そうだね。暗がりで戦闘なんて、さすがに危険すぎるよね」


 僕たちは道から少し外れた所で火を焚いた。ここで夜を明かす事に決まったからだ。交代で眠りにつき、もう片方は火守りの番をする。それで比較的安全に過ごせるのだとか。オリヴィエの実用的な知識には頭がさがる想いだ。


「僕が起きているから、君が先に寝て良いよ」


「そうですね、少し疲れましたので、お言葉に甘えさせていただきます」


「頃合いを見て起こすから、それまでゆっくり寝ると良いよ」


「レインさん。私はとても疲れています。なので、ちょっとやそっとの事では目覚めないでしょう」


 オリヴィエは旅に慣れているようだったけど、流石に疲労が溜まっているようだ。思えば誘拐されて、町で一悶着あったのちに、1日中歩きづくめなのだ。これで疲れない方が不思議だろう。


「まぁ、しょうがないよ。交代できなかったら諦める……」


「なので、ふしだらな事をされても、おそらく気づかないと思います」


「……え?」


「ですが私とて神に仕える身。無防備なのを良いことに、下着を覗きこんだり、太ももに指を這わせたりしてはいけませんよ」


「そんな発想は欠片も無かったし、今も無いよ」


「頭をナデナデしたり、手を握ったりくらいなら許容……」


「ねぇ、もう寝たら?」


「そうですね。おやすみなさい」


 それきり彼女は、ミクロを抱き抱えたまま寝入ってしまった。僕に大きな困惑を残して。何だったんだろう、今の一幕は。


 それにしても、オリビィエには本当に助けられていると痛感する。旅の知識はもちろんのこと、彼女の前向きさが何よりも有り難い。もしあのまま一人きりで居たらと思うと、冷や汗が流れそうになる。


「でも、一緒に居られるのも、次の町までかなぁ」


 オリビィエに僕と共にいる必然性は無い。だから、安全に暮らせる場所まで辿り着いたら、そこでお別れになる事は十分にあり得た。シスターという身分であれば、働き口はいくらでもある。でも僕が側に居ることで、当たり前の権利すら掴むことは出来ないだろう。


 少し強い風が吹いて、火の粉が高く舞い上がった。その先には満天の星空が広がっている。僕の運命を司る星はどこにあるのか。答えなんか分からない。でも、その美しさに飽きることは無く、ひたすら星を眺める事で長い夜を過ごした。


 空が白んだころ、オリビィエが体を起こした。視界は暗いけど、互いの顔が見える程度にはなっている。


「おはよう。よく眠れたかな?」


「おはようございます。すみません、交代できなかったようで……」


 オリビィエは謝罪の言葉を述べつつ、自分の衣服を確かめた。どうやら着衣に乱れがないか探しているようなのだ。僕は指一本触れていないので、変化があるとしたら寝相のせいだろう。そう信じてもらえるかは別問題だけど。


 しばらくすると、オリヴィエは僕の元へと駆け寄ってきた。両手はしっかりと握られ、顔は鼻がくっつきそうになる程近づけられる。僕は反射的にのけぞってしまった。もちろん彼女の挙動についてはサッパリ理解できていない。目を白黒させるコチラの都合など気にもかけず、矢つぎ早に福々しい言葉も投げかけられた。


「あなたは、なんて素晴らしい御仁なのでしょう! これほどにまで自身を律し、あらゆる困難に耐えうるお方が現実に存在しただなんて……、まるでお伽話の聖者様のようではありませんか!」


「ちょっと待って、順を追って説明してよ!」

 

「まずは所持品の少なさ、これは清貧を表しています。過酷な巡礼時代と同等、いえ、それ以上です」


「そりゃまぁ、欲しくても買えなかったしね」


「そんな苦境にあっても、ポリトリの実も必要以上に採りませんでした。また、肉欲を発散するに手頃な女が無防備に寝転がっていても、指一本触れませんでした。心根が清らかである証です」


「たとえるにしても、少しは言葉を選んでもらえないかな?」


「そして何よりも『神の試練』です。この目で見るまで信じ難いものでしたが、そこに嘘偽りはありませんでした!」


 オリビィエの両手には一層力が籠められ、そして目は爛々と輝きだした。率直に言って怖いと思った。


「あなた、ご自身の信仰心を試されておいでですね!?」


「いいえ、違います」


 オリヴィエの核心を突いたらしい言葉を、僕は全力で打ち返した。真っ向から全否定するのは気が引けたけども、こればかりは受け入れられない。あの邪悪な嗤い声を糧に生きるだなんて真っ平ごめんだ。


 僕の態度に多少驚きつつも、オリヴィエはすぐに格好を取り戻した。そして微妙にずれた解釈は留まる事を知らずに走り続ける。


「謙遜されておいでですね。そう、努力をひけらかす事は半人前の証。舞い上がっていたとはいえ失礼いたしました」


「うん、謝らないで。そして認識の誤りには気づいてね」

 

「レインさん。どうか私も貴方の旅に同行させてください。苦楽を共にし、自身の徳を高めていきたいのです」


「それは、願ったり叶ったりだけど」


「……本当ですか!」


 顔の目の前で大輪の花が咲いた。それはもう満面の笑顔といった様子で、無粋な言葉をかけるのが躊躇われるほどだ。何やら僕の事を偉大な人物だと勘違いしているようだけど、この場で否定するだけの勇気は持ち合わせていなかった。


 それにしても、彼女の信仰の対象とはどんな神様だろう。まさか、あの女神様だったりはしないか。もしそうだとしたら、改宗を強く勧める事にしよう。

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